キャリア&転職研究室|魂の仕事人|第38回 ゴスペルアーティスト ナナ・ジェントル-その1-新しい国…

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魂の仕事人 第38回 其の一
楽しむために使ったお金が 別の場所で力になる──新しい国際協力の形を作った ゴスペルの若きカリスマの仕事魂
若干27歳で、「楽しみながら国際協力」を実践している女性がいる。NGOゴスペル広場代表、ナナ・ジェントル。大好きなゴスペルで得た収益金の一部を、発展途上国に暮らす人々の自立支援のために役立てている。新しい国際協力の形を生み出した若き社会起業家に「自分の好きなこと」と「誰かのために」を結びつける秘訣と仕事の意義を聞いた。  
NGOゴスペル広場代表・ゴスペルアーティスト ナナ・ジェントル
 

誰でも気軽にゴスペルを楽しめる場

 

現在、私の活動は「ゴスペル」と「国際協力」のふたつの大きな柱で成り立っています。どちらにも強い思い入れがあり、切っても切り離せないものです。

まず、ゴスペルの方は、学生の頃から歌ったり、社会人に教えてたりしていたのですが、19歳のときに米軍基地の黒人教会で初めて本格的なゴスペルに触れたことで大きな衝撃を受け、ゴスペルをライフワークにしようと決意しました。

日本でCDで聴けるようなゴスペルというと、ひとりでも大勢の聴衆に聞かせられるほど歌の上手な人が太く大きい声で朗々と歌い上げるといったイメージがあると思うのですが、本当は全然そんなことはないんです。

実際に黒人教会で見た光景は、歌がうまくなくても、楽譜が読めなくても関係ない。自分が歌いたいように、時にはアドリブも加えながら自由に、自分の魂が洗われるまでとにかく歌い続ける。神に向かって感情を解放してありのままの自分を表現し、歌うことで充電される、という世界でした。

そんな本物のゴスペルを10代の頃から体験させてもらって、ゴスペルと一生関わっていきたい、その楽しさと感動をひとりでも多くの人々に伝えていきたい、ゴスペルを気軽に集まって楽しく歌える場を作りたいという思いで2008年6月に渋谷に「ゴスペルスクエア」をオープンさせました。

「ゴスペルは誰でも歌える」を合言葉にしている通り、学生からOL・会社員、主婦まで、老若男女、職業、地位、肩書き関係なく、いろんな人々が楽しみながらゴスペルを歌っています。黒人のプロゴスペルアーティストの指導が受けられるクラスもあり、初心者・経験者問わず、本場のゴスペルを体験したい人に好評をいただいています。私自身もゴスペルスクエアの代表を務めつつ、インストラクターとして教えています。オープン以来、メンバー数は増え続け、現在(2008年2月)は330人にまで増えました。


ゴスペルスクエアのメンバーのみなさん(クリックで拡大)

無理なく続けられる料金体系
 

料金も参加しやすいようなシステムにしています。基本の月会費2500円に加え、プログラムに参加するたびに所定のプログラムチケットを払うというチケット制にしています。チケットは一度にたくさん購入するほど1枚あたりの単価が安くなり、一度に購入する枚数によって価格が変動します。最も安くなるのは、一度に40枚を購入すると1枚あたり600円になるパターンです。月会費の引落しが続いている限り、有効期限はありません。

このシステムを考案した理由は、人によって通えるペースが違うので、自分の好きなペースで無理なく通ってもらいたいという思いからなんです。通常のゴスペル教室の場合、例えば月4回で月謝が8000円のところでは、1回も参加できない月があっても8000円かかってしまいます。でも、ゴスペルスクエアでは、例えば600円でチケットを購入した場合は、毎週1回、月に4回通ったとするとトータルで月費用が4900円。月3回の場合は4300円。来られない月は基本の2500円で済みます。黒人インストラクターのプログラムだけは2チケットを払うことになっていますが、それでも月2回ペースなら4900円です(相場は6000円)。こんな感じで通いたいペース、受けたいクラスによって、自分で月謝を調整できるんです。

楽しみながら国際協力
 

NGOゴスペル広場では、ゴスペルスクエアのメンバー会費の一部やイベント収益金の一部を、アジアの発展途上国に寄付しています。これがもう一つの活動の柱である「国際協力」です。日本で国際協力と聞くと、どうしてもすごく大きな犠牲を払わなきゃいけないとか、すごく勉強して取り組まなきゃいけないっていうイメージがあると思います。それで敷居が高いと感じて最初から関心をもてない人が多いと思うんですが、私はそうは思いません。普通の日本人が普通の生活水準で暮らしているという状態でも、途上国に支援ができるレベルの余剰分は十分あるはずなんです。それをどうにかうまくかき集められれば、私たちでも大きな支援をすることができるんです。

しかし、ただ「途上国の恵まれない人のために、あなたの余っているお金をください」とお願いするだけでは、なかなか協力してはもらえません。私も以前、国際協力プロジェクトを立ち上げチラシだけで募金を集めようとしたことがありましたが、ほとんど集まりませんでした。でも、楽しい時間と引き換えになら、お金を出してくれるかもしれない、と考えました。そこでゴスペルと結び付けることを思いついたのです。

好きなこと、楽しいことをする時間=ゴスペルを習う、歌うために払う参加費くらいの額ならそれほど大きな負担にはなりませんよね。一人や二人では大した力にはならないかもしれませんが、それが何百人と集まれば、大きな力になります。2008年は、ラオスの貧困層の子供たち13人へ奨学金を送り、スリランカの内戦被災地に、女性たちの自立支援のための職業訓練センターを80万円かけて設立することができました。つまり、国際協力をゴスペルとドッキングさせることで、自分ひとりだったら国際協力とは縁がなかったかもしれないという方々の力を借りて実現しているといった感じです。

国際協力活動自体は18歳のとき西アフリカへ行ったことから関心を持ち始め、19歳の頃から自分のゴスペルサークルの収益金の一部を途上国に送っているのですが、それを自分の仕事として本格的に取り組みたいという思いで2008年6月に「NGOゴスペル広場」を立ち上げました。


ゴスペルを指導するナナさん

サニーサイドゴスペルクラブ
 

2009年2月には、ゴスペルスクエアの2人のメンバーが中心となり、三重県と神奈川県の横浜というそれぞれの地元で私たちの支部となる「サニーサイドゴスペルクラブ」が始まりました。コンセプトはゴスペルスクエアと同じ。「“ゴスペルを歌う場”を通じて、自分自身ひいては周囲の人々を元気にしたい」という草の根ゴスペルサークル活動を目指しています。また、ユニークな「サニーサイドの心得」というものがあります。

一、過ぎたことは忘れるべし。
一、明日のことは神に任せるべし。
一、我を忘れてゴスペルを歌うべし。
一、明るい気持ちで家に帰るべし。

この4カ条は、私にとってのゴスペルの魅力を端的に表したもので、昔から私の教える場で使ってきました。サニーサイドでは、私のもとで研修を受けたサニーサイドリーダーが講師役として丁寧に指導するので初心者でも問題ありません。料金は、入会金なし・月2回の参加で月会費3500円とゴスペルスクエアよりもさらに安くしました。また、NGOゴスペル広場の「楽しい時間のために使ったお金が、別の場所で大きな力になる」の合言葉に倣い、メンバー会費の一部をカンボジアの子供たちに送ることが決まっています。こんな感じでどんどん活動の輪が広がっているのがうれしいですね。

多岐にわたる仕事
 

ナナさんが全幅の信頼を寄せるスタッフ

NGOゴスペル広場では、組織のトップとしての経営的な部分に加え、企画制作も今のところほとんど私が担当しています。ゴスペルスクエアのプログラムは、自分の担当のものだけではなく、他のインストラクターが教えるクラスもどういう内容にして時間配分はどうするかなどの最初の案は全部自分で考えます。それを叩き台にしてスタッフの案を聞いて、みんなで作っていくという感じです。より細かい裏方仕事としては、もちろん中にはスタッフに手伝ってもらっているものもありますが、イベントの企画立案、アーティストの出演交渉、パート別音源制作、楽譜起こし、伴奏作り、宣伝、告知用のチラシやパンフレットの制作、Webサイトのディレクション、お金の管理などいろいろあります。

ただ、私自身があまり表に出過ぎるとスタッフが育たないので、メンバー対応など現場での実務やスタッフでもできそうな作業は極力スタッフに任せるようにしています。スタッフを信頼し、ワンマンになりすぎずに効率的なチームワークができることが自分への大きな課題です。

国際協力の窓口も私が担当しています。もっとも、途上国への支援プロジェクト自体はパートナーシップを組んでいるNGO団体が責任を持ってやってくれているので、信頼してお任せしている部分が大きいのですが。

個人のゴスペルシンガーとしての活動は基本的にはゴスペルスクエアを母体にしています。外部団体から出演者として呼ばれることが頻繁にありますが、私は自分の方針としてあくまでゴスペルの依頼しか受けないので、ソロシンガーとして歌うというケースは少ないですね。主催者から「ゴスペルのステージをお願いします」と頼まれた場合は、ゴスペルスクエアのメンバーをたくさん連れて行って、一緒に歌うといった感じがほとんどです。大人数の歌声こそ醍醐味だと思いますから。ゴスペル講師のオーダーの場合は私がひとりで会場へ行って、ワークショップを行うこともありますけどね。

若干27歳にしてNGOを立ち上げ、ゴスペル教室を設立し、「自分の好きなことで途上国支援」という新しい国際協力の仕組みを作り上げたナナさん。趣味ではなく事業として成立させている点も特筆に値する。当然、今日に至るまでは、波乱万丈、疾風怒濤の道のりだった。

武闘派だった子供時代
 

12歳のころのナナさん。確かに男子っぽい

子供の頃はとにかくお転婆で男勝りな子でした。10代前半は男子に間違われてたくらいです(笑)。また、何にでもすぐ熱中するタイプでした。これは母親の教育の影響が大きかったと思います。母は子供に好きなことをやらせてくれるタイプというか、常に私の関心事を応援してくれていたので「あれしなさい、これはダメ」という指示・命令や禁止をされた記憶がほとんどなくて。塾にも行ったことがありません。

小学校の低学年の頃の夢はなぜか漫画家で、よく少女漫画のイラストを描いてました。当時よく読んでいたコミック誌は『コロコロコミック』や『りぼん』とかでしたね。ただ、絵を描くのは大好きだったのですが、ストーリーを考えるのがすごく苦手で。絵を描いてタイトルを考えてキャラを考えるところまではいくんですが、その後のストーリーが考えられなくて、いつも表紙の1ページを描いたところで終わっちゃってました。今でも実家には表紙だけの漫画がたくさんあるんですよ(笑)。だから自然と漫画家の夢はなくなっちゃいました。

家で漫画を描いてるばかりじゃなくて、スポーツも大好きでした。小学校低学年までは小田原の山の中で暮らしていて、学校も2つしかクラスがなかったので、いつも休み時間は隣のクラスの男子対うちのクラスの男子プラス私でドッジボールをやってました。野球やサッカーもよくやってましたね。力も強かったので腕相撲はクラスで1番でした。ドッジボールと腕相撲は男子にも負けなかったですね。男子と殴り合いのケンカもよくしてました。

小学校5年生のときに茅ヶ崎の小学校に転校したんですが、転校して一週間後にうちのクラスの男子5人相手に大ケンカをしたんですよ。ギャラリーはうちのクラスと隣のクラスの女子全員、みたいな。それで転校早々、ケンカが強い奴が来た、ということで校内で有名になりました(笑)。

衝撃的だったポップスとの出会い
 

この5年生の時の転校がけっこう大きな転機になりました。山の中の学校に通っていたころはみんなアニメの世界にどっぷり浸かっていたのですが、茅ヶ崎の子供は誰もアニメなんか見てなかったんですよ。小学校5年生の朝のホームルームでみんなでB'zの曲を歌うとか、そういう世界だったんです。そのときに初めてJ-POPというものを知ったのですが、かなり衝撃的で、それ以来どっぷりハマっちゃいました。


ギターを弾きながら歌うナナさん(中学生の頃)

当時ヒットしてたJ-POPを友達にカセットに録音してもらって、四六時中聞いてました。家にあった古いマイクを電気スタンドにガムテープで巻き付けてマイクスタンド代わりにして歌ったり。休みの日なんて一日6時間くらい歌ってましたね。今考えたらすごい近所迷惑ですよ(笑)。当時は、米米CLUBの「君がいるだけで」とかWANDSの「世界中の誰よりきっと」がヒットしていた時代です。

中学に上がってからは洋楽を聞き始めました。マライア・キャリーがすごく好きで、よく歌ってました。ヘタクソだったんですが、友達に無理矢理聴かせたりしてました(笑)。このころから将来は歌手になりたいって思っていました。地元のジャズフェスティバルとかでギターを弾きながら歌ったりしてたんですよ。

歌手を夢見ていた中学3年生の頃、偶然見た映画に衝撃を受ける。後のナナさんの人生を決定付けるゴスペルとのファーストコンタクトだった。

ゴスペルとの最初の出会い
 

中学3年生のある日、テレビを観てたのですが、そのときたまたま放映してたのが「天使にラブ・ソングを2」(※1)という映画だったんです。最初は何の気なしに観ていたのですが、途中から映画に夢中になって、見終わった瞬間にレンタルビデオショップに走って、「天使にラブ・ソングを2」を借りて、また最初から観ました。その週末のうちに5回くらい見ました。かなりの衝撃でしたね。

一番感情移入したのは主役のローリン・ヒルの歌いたいっていう気持ちです。私も歌が好きだから、その気持ちがすっごくわかるわけですよ。歌が好きだけど思い切って歌えない、でも最後には思いっきり歌ってそれがめちゃめちゃうまいっていうストーリーも大好きでした。また、曲のアレンジの仕方やコーラスの迫力など、サウンドがほんとに感動的だったんです。だからとにかく映画のすべてにすごく惹かれました。

この映画がゴスペルというジャンルに興味を覚えた最初のきっかけでした。この映画との出会いが私の原点と言ってもいいと思います。

※1「天使にラブ・ソングを2」──1993年制作。監督:ビル・デューク。主演:ウーピー・ゴールドバーグ。人気ゴスペルコメディ第2弾。全米からオーディションで選ばれた生徒たちによる合唱シーンは圧巻

高校で合唱部へ
 

中学のとき、どうしても入りたい高校がありました。神奈川県立神奈川総合高等学校という当時の新設校で、学校案内の第一文が「校則なし」というとても自由な学校だったんです。県内一の人気校で、推薦枠が14倍という、公立高校としては異常なほどの高倍率でした。

この高校を見つけたときから絶対に入学したいと思っていたので、中学時代は内申点のためだけに生きてましたね、まさにガリ勉。テスト勉強は1カ月前くらいから朝一時間早起きしてガリガリやったり。その甲斐あって中間、期末テストなどでは学年トップを取れるようになり、推薦で入学できました。

この高校は単位制高校のはしりで、生徒は150ほどの科目から興味のある授業を自由に選んで勉強できるんです。この高校に進学したのもある意味で運命的でした。

高1の終わりの3月にたまたま音楽室にいた5人くらいの同級生が、聞き覚えのある歌を歌い始めました。その歌は中3のときにハマった映画「天使にラブ・ソングを」の中で使われていた歌だったんです。私も完全に暗記していたので、その場ですぐ歌に加わりました。

そのときは、新入生の歓迎会が毎年4月に開催されるのですが、その中のイベントのひとつ「30秒間部活PR」で歌うために練習しているとのことでした。 まだできたてほやほやの5人くらいのグループだったのですが、4月の新入生歓迎会での発表の後、それを見た新入生がけっこう入部してくれて、ちゃんとした同好会になり1年後には正式な部活になりました。

途中から仲間に入れてもらったのですが、2年目からは仕切り役もさせてもらい、いろんな曲をゴスペル風にアレンジしたりしてました。「天使にラブ・ソングを」シリーズの曲も片っ端からやりましたが3年になって最後に残ってしまったのが、一番の代表曲である「ジョイフル・ジョイフル」。複雑でノリのいいこの曲はとてもピアノ一本では表現できず、つい後回しになっていました。しかし、これを歌わずして卒業できないと、毎日放送室に置いてあったシンセサイザーと格闘し、見よう見まねで何とか打ち込みのカラオケができあがりました。放送部には嫌がらていたかもしれません(笑)。そういういろいろな挑戦をさせてくれる高校だったんですよね。


卒業生を送る会で “ジョイフル・ジョイフル”を歌う (ソロで歌っているのがナナさん)(写真提供:ナナさん)

「ジョイフル・ジョイフル」は卒業生を送る会で歌いました。連日、朝練でダンス、昼や放課後に歌を練習してきました。「送る会」なのに私たち3年生が一番目立ってましたよ(笑)。

一方で、ボイストレーニングや声楽も習わせてもらっていました。この頃はまだ、いわゆる歌手デビューを夢見ていたんですよね。でも、高校の同じ合唱部に、群を抜いて歌のうまい後輩がいました。ホイットニー・ヒューストンの歌も高校生とは思えない迫力で歌ってしまう。いつも彼女の隣で歌っていた私は、密かに自分の声に大きなコンプレックスを持っていました。細くて芯のない自分の声が好きになれない、もっとうまく歌いたいのに下手なのが嫌。歌が大好きなのに歌うのが苦しい、人前で歌うのがこわい……。この頃は、単純に楽しいだけじゃなくて、こういう複雑な思いを抱えてもいたんです。

 

高校時代、ゴスペルと同じくらい熱中したものがあった。それは遥かなる「アフリカ」だった──。

次回はナナさんの活動のもう1本の柱、国際協力の原点について語っていただきます。乞う、ご期待!


 
第1回2009.2.16リリース 新しい国際協力の形を作った ゴスペルの若きカリスマ
第2回2009.2.23リリース 高校生でゴスペル講師に 18歳で念願のアフリカへ
第3回2009.3.2リリース 国際協力への目覚め 運命を変えた黒人教会
第4回2009.3.9リリース 新教会設立に尽力も除名 残された唯一の希望FAFA
第5回2009.3.16リリース NGOゴスペル広場設立 サニーサイドゴスペルクラブ開設
第6回2009.3.23リリース 経営者としての重圧 仕事は生き甲斐

プロフィール

ナナ・ジェントル

NGOゴスペル広場代表、ゴスペルスクエア代表、ゴスペルアーティスト及び講師。
1981年10月神奈川県生まれ。10代の頃から歌手を目指し、中学時代からプロの音楽家に師事。15歳でゴスペルと出会い、高校在学中にゴスペル講師としての活動を始める。高校卒業後、アフリカ・トーゴで1ヶ月間のボランティアを体験。帰国後、トーゴ支援のプロジェクトを起こすが、あえなく挫折。19歳のとき米軍基地の黒人教会の聖歌隊に加入し、本場のゴスペルの歌、指揮などの指導を受けると同時に、フリーのゴスペル歌手としても活躍。また翌年には黒人夫妻のもとで日本初の本格的ゴスペル教会の立ち上げに参画。

ゴスペル教会のスタッフ、黒人によるゴスペルスクールの運営、大学生活と平行し、2002年にゴスペルサークル「FAFA GOSPEL HOUSE」を結成。ゴスペルを通じて途上国支援を行う団体として、その会費やイベントで得た収益の中から5年間に渡り200万円以上を国際協力NGOに寄付。2005年には神奈川県の公立高校で日本初のゴスペル授業を行い、好評を得る。

2006年には外資系IT企業のマーケティング部に就職。1年半後に退職し、「ゴスペルで国際協力」を事業として行うためにNGOゴスペル広場を設立。2008年5月に活動第1弾の「チャリティー・ゴスペル・マラソン」を代々木で開催。そのときの収益金80万円でスリランカに職業訓練センターを同年10月にオープンした。

2008年6月にはゴスペル教室「ゴスペルスクエア」を設立。会費、イベント収益金の一部をラオスの子どもたちの奨学金として寄付。2009年2月にはゴスペルスクエアから派生したサークル「サニーサイドゴスペルクラブ」が三重県と横浜にオープン。「ゴスペルで国際協力」の輪はますます広がっている。

【関連リンク】

 
お知らせ
 

第一回GOSPEL FOR PEACE
2009年4月11日(土)開催の誰でも気軽にゴスペルを「聴いて」「歌って」楽しめる3時間のチャリティゴスペルフェスティバル。

 
 
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