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魂の仕事人   photo
魂の仕事人 第33回 其の三
地道な努力で開いた夢への扉 さらなる飛躍を求め海を渡る 新天地は夢のような世界だった
可能な限り現役にこだわり、30歳までバトンの世界大会に出場し続け、通算15回の内、金メダル7回、銀メダル2回、銅メダル3回という驚異的な成績を記録。長年バトン界の世界女王として君臨した高橋氏だったが、国内ではバトンで生活する道はほとんどなかった。そんな中、運命を変えた最初のきっかけは海の向こうからやってきた。  
バトントワラー 高橋典子
 

連続のオファーもなかなか決まらず…

 

 2000年にシルク・ドゥ・ソレイユ(以下シルク)の中で映画を作るという企画が浮上しました。そこでシルクはバトントワラー役の確保のため、「世界的に優れているバトンの選手の資料がほしい」と世界バトントワリング連合に打診しました。連合は世界各国の競技バトンの団体に主旨を伝えて、数人の選手をピックアップしてほしいと伝えました。日本では日本スポーツバトン協会が5人選んだのですが、私もそのうちの1人に入っていたので、バトンの大会に出場したときのビデオや資料を送りました。ちなみに2000年が現役最後の世界大会になったのですが、そのときの演技の映像を送りました。そのとき偶然にもシルクの曲を使って演技をしたんです。でも、そのシルクの映画の企画はいろんな事情でなくなってしまったとのことでした。

 その翌年くらいでしたでしょうか、同じシルクの中のショーのひとつ「サルティンバンコ」が、出演者のひとりとしてバトントワラーを探しているから私の資料を送ってほしいと日本の協会に打診してきました。前年にシルクに提出した映像や書類を見てのオファーだったようです。それで映像を送ったのですが、再びその話もなくなってしまいました。2年連続でがっかりしなかったといえば嘘になりますが、企画自体がなくなるということだったので、あまり落ち込まなかったです。

 その後、シルクからなぜか私個人宛に10ページくらいの冊子が届いたんです。これまではバトンの協会を通しての連絡だったので驚きました。その冊子ではカナダのモントリオールにあるシルクの本部にトレーニング施設があることが紹介されていました。その頃は世界大会にも出ていなかったし、シルクのような世界的エンターテインメント集団でトレーニングだけでもさせていただいたら今後のバトン生活において何らかの形でプラスになるんじゃないかと思ったんですね。それでこのとき初めてバトンの協会を通さずに、直接自分で、シルク本部でのトレーニングに参加させてもらえないかとビデオと履歴書を送ったのです。

 シルクだけではなくて、他の海外のショーにもバトントワラーとして採用してほしいと、連絡してみました。しかしそちらはすぐ「外国人はビザなどの関係で採用できないから、採用できるようになったら連絡する」という返事でした。前回のシルクも「資料は届きましたが、まだその時期ではないのでファイルしておきます」という返事だったんです。国内にはバトントワラーとして活動できそうなショーがなかったので、どこにも申し込みませんでした。

 当時はバトン教室で子供に教えていたり、全日本選手権に出場したり、教室主催のショーに出演していました。全日本は自分を高めるために、ショーはバトンを広めるために、そしてどちらも自分自身のバトンをご覧いただく、数少なくともいい機会でした。

忘れかけていた頃に届いた返事
 

 シルクからは、1カ月経っても2カ月経っても返事が来きませんでした。しかし忘れかけていた2002年の10月、パソコンで作業をしていると、メールの到着を知らせるメッセージがモニタに表示されました。送信元が見たこともないような名前だったので、そのまま放置して作業を続けました。その頃多く届いていたスパムメールだと思ったのです。

 寝る前にさっきのメールをとりあえずチェックしようと思って開けてみたら、@以下のドメインがcirquedusoleil.comとなっていました。それはびっくりしましたよ。スパムメールじゃないかと思って何度も綴りを確認しました。何せ履歴書を送ってから1年近くも経っていましたからね。

 シルク・ドゥ・ソレイユからに間違いないと確認できて、本文を読んでみたら、たったの2、3行で「新しいショーをやります。興味ありますか?」ということだけが書かれていました。ですから、その新しいショーがどういうショーなのか、どこでやるのか、そもそも私はバトンを使ったパフォーマンスができるかということすら分かりませんでした。でも新たなチャンスがうれしくて、すぐに「もちろん興味があります。ぜひぜひお願いします」と返信しました。

 しかし、そこからがまた長かったんです。何しろたった2、3行のメールでは実際に自分が新しいショーで何をやるのか、バトンができるのかすらわかりません。契約書が送られてきたのですが、それにも「あなたはキャラクターで、楽器に関する何かをします」としか書かれていないんです。でも私はシルクの「キャラクター」がどういう存在なのかというのが分かっていませんでしたし、バトンを使った演技ができるかできないかで、バトン協会に報告するかしないかも決まってくるので、シルクに詳しいことを教えてほしいと問い合わせました。ところが、「特に持って来るものはない」「私はキャスティングの人間だから分からない」と言われるばかりなんですよ。何をするのか全然わからなかったので不安でしたね。

 また、他の出演者は、みなさんオーディションを受けて出演が決まったり、事前にモントリオールでのワークショップに参加して出演が決まっています。でも私のことは送ったビデオだけで、実物の私は見ずに採用しているわけです。シルクでは私が使えないとなったらどうするのかと思い、行く前までは不安でした。

 でも、後でわかったことなのですが、シルクでは新しいショーの概要が決まった初期の段階で私を見付けてくれて、「この役は典子にしよう」と決めて下さっていたらしいのです。

シルクからの最初のメールから1年4カ月後の2004年2月、いよいよモントリオールへ旅立った高橋氏。各国から集まったエンタータィナーの精鋭たちと、ゼロからショーを作る夢のような生活が始まった。
モントリオールのトレーニングセンターへ
 

 当時、英語が得意というわけではありませんでしたが、いきなり外国で暮らすということにはあまり抵抗はなかったですね。拠点はずっと日本ですが、10代の頃から外国で演技をしたり、外国に教えにいったりして、あまり家にいないような生活だったので。永住するとも思っていませんでしたしね。

 いざトレーニングセンターに行ってみたら、すでにたくさんの出演者が集まって練習していました。2003年の10月と11月にほとんどの出演者がすでにモントリオール入りし、トレーニングを行っていて、私が行ったころにはだいたいショーの流れはできていました。

 そこから2カ月間のトレーニングが始まったわけですが、実際にモントリオールに行って、これから始まる新しいショーはこういうものになる予定ですというビデオを見せてもらっときに、初めてショーの内容と自分がどういう役でどういうことをするのかがわかったんです。

 ショーの名前はだいぶ後に決まったのですが、KA(カー)と名づけられたそのショーは、シルクの数あるショーの中でも唯一ストーリー性のあるものでした。私の役は主役の恋人役で、さらにソロでバトンの演技をするシーンもあるとのことでした。

衝撃的だった練習
 

 KAの大きな特徴は舞台装置にあります。通常のショーでは舞台は固定なのですが、KAの場合はシーンによって変化します。宙に浮いているときもあれば、垂直に傾くこともあります。時には高さ15メートルもある舞台の上で演技する場合もあります。このようなことはモントリオールにいる時はわかりませんでした。なぜなら、モントリオールでは、シーンによって変化する舞台が一つずつ固定されて置いてあったからです。

 もちろん、舞台の下には安全ネットが張られているのですが、落ち方によってはケガをします。そのため、10メートルくらいの高さからきれいにネットの上に落ちられるようになるためのトレーニングは全員必須でした。これはとんでもないところに来てしまったなと思いましたね(笑)。

 でも私は遅れて参加したからまだ良かったのです。というのは、私より前に来た人の中に、この落ちる練習でケガをしてしまった人がいたんです。だから私のときには、徐々に慣らしながら練習できたので大丈夫でした。

 あとたいへんだったのが「ジュ」というアクティング(演技)のトレーニングです。KAではひとつのキャラクターになりきって演技しなければならないので、これまでの競技バトン以上に演技力が必要になります。でも私はすごく恥ずかしがりなのでこれが苦手でなかなかたいへんでした。

夢のようだった2カ月間

 だけど練習そのものは楽しかったです。新しいことをやることも、誰も私のことを知らないので、新しい自分になれることも楽しかったです。

 私は元々の性格が恥ずかしがりなので、私を知っている人の中にいると「こういう自分でなければいけない」という気持ちがどこかにあるんです。そこから外れたときに何か言われるのが面倒なわけです。だけど私を知っている人が誰もいない場所に行った場合は、そういう恐れがないのでどういう自分にもなれるんです。例えば最初からハイテンションで入り込めば、それ以降、ハイでいることが楽になってくるわけです。こういうことを繰り返しながら、自分の中の壁をなくし、恥ずかしがりの性格も少し柔らいているのかもしれません。

 また、世界中のいろんな人たちと接することができて、さまざまなことを学べる楽しさもありました。みんなそれぞれ習慣も性格も違うのですが、そのなかで一緒に生活することにストレスなどは全く感じませんでしたね。

 言葉の問題もほとんどなかったです。完璧に理解できるというわけではないのですが、みんながみんな、英語が母国語ではないので、完璧な英語でなくても気持ちでコミュニケーションできました。ただ大事な連絡事項のあるミーティングなど「だいたい分かっている」で聞いていては困るようなことは通訳の人を頼んでいました。ショーを作る時間、ディレクターの方や振り付けの方とやりとりするときは自分だけで十分でした。

 こんな感じで、モントリオールでの2カ月間は夢のような世界で、あっという間に過ぎ去りました。

 

2カ月間のトレーニングから約1カ月後、新作ショー、KA(カー)が開催されるラスベガスに移住。いよいよ世界最高峰のショービジネスの世界での生活が始まった。

次回はショービジネスの本場・ラスベガスでの生活、競技とショーの違いなどを語っていただきます。乞う、ご期待!


 
第1回 2008.8.4リリース 6歳からバトンの道へ 世界的バトントワラーのあゆみ
第2回 2008.8.11リリース 驚異的な強さで世界女王に 壁を乗り越え継続
第3回 2008.8.18リリース 地道な努力で開けた夢への扉 憧れのシルク・ドゥ・ソレイユへ
第4回 2008.8.25リリース 世界最高峰のショーの舞台へ ストイックなまでのプロ意識
第5回 2008.9.1リリース 原動力は終わりなき成長欲求 いずれは他人のために働きたい

プロフィール

たかはし・のりこ

1970年横浜生まれ。6歳からバトンをはじめ、全日本選手権には小学3年生で小学校低学年の部に出場、5位入賞。18歳の時トゥーバトンで初優勝して以降、グランドチャンピオンに輝くこと17回。全個人種目を制覇。同大会連続25回出場。世界選手権にも通算15回の出場、金メダル7つ、銀メダル2つ、銅メダル3つを獲得。この記録は現在も女子では破られていない。2004年にシルク・ドゥ・ソレイユと契約。シルク史上最大規模を誇るショー「KA(カー)」に主役級の役柄として抜擢。2004年11月からショービジネスの本場・ラスベガスのMGMグランドホテル内の特設会場で出演開始。これまで出演回数は1500回を超えた(2008年現在)。ショー中、ソロの演技を披露できる機会を与えられているのは高橋氏のみ。

【関連リンク】
●高橋氏ブログ
  のんのん太陽の下で

●シルク・ドゥ・ソレイユ

1984年にカナダで生まれたサーカス集団。フランス語で“太陽のサーカス団”(CIRQUE DU SOLEIL)という意味。40カ国・3,500人が在籍、年間チケット売上4億5,000万ドル超。サーカスと大道芸を融合させた新しいエンターテインメントショーを公演しており、全世界で4,000万人がシルクのショーを最低1回は観たといわれている。日本でも『サルティンバンコ』、『アレグリア』、『キダム』などは、大勢の観客を集めている人気のショー。2008年6月には東京ディズニーリゾート内に日本初の常設劇場「シルク・ドゥ・ソレイユ シアター東京」が完成。10月1日から新作ショー「ZED(ゼッド)が開演される。

●KA(カー)日本語版
英語版

シルク・ドゥ・ソレイユ始まって以来、最大規模といわれるショー。ラスベガス・MGMグランドホテル内の専用劇場は、総制作費187億円、観客席1951席。165人のスタッフと90人の出演者が毎日2回のショーを行っている。舞台装置も圧巻で、特殊装置を備えた広さ70畳、重さ175トンの巨大な舞台が自在に動き、さまざまなものに姿を変える。そんなとんでもない舞台で演技を繰り広げるアーティストはまさに超人。また、シルクの中で唯一ストーリーをもつショーとしても人気を博している。

●トワルアイバトン教室
高橋氏を世界トップクラスのバトントワラーに育て上げたバトン教室。旧・高山アイコバトンスタジオ。

 
お知らせ
 
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業界の常識を覆し、自分の信念を曲げることなく逆境から這い上がってきた者たち。「どんな苦難も、自らの力に変えることができる」。彼らの猛烈な仕事ぶりが、そのことを教えてくれる。突破口を見つけたい、全ての仕事人必読。
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魂の言葉 魂の言葉 先が見えなくても、自分にできることを続けることが大事 先が見えなくても、自分にできることを続けることが大事
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