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第32回
金井壽宏氏インタビュー(その2/全5回

金井壽宏氏

研究の道を選択した次の節目
自信がもてず辛かった助手時代
逃げずに乗り越えたことで
次のキャリアが開けた

神戸大学大学院経営学研究科教授金井 壽宏

大学卒業後、臨床心理学から経営学に方向転換した金井氏。経営学の中でもこれまで大学で勉強してきた心理学とほぼ同じ分野の研究は楽しく、充実した研究生活を送っていた。しかし、2度目の大きな節目を通り抜けた後、人生最大の苦しい季節がやってきた。

かない・としひろ

神戸大学大学院経営学研究科教授。経営人材研究所代表。日本のキャリア研究の第一人者。1954年神戸市生まれ。灘中学校、灘高等学校を卒業後、臨床心理学の研究を志し、京都大学教育学部へ入学。卒業後は神戸大学大学院経営学研究科で経営管理論を専門に研究。25歳で助手、28歳で講師に。30歳のときマサチューセッツ工科大学に留学、MITのPhDと神戸大学からの博士(経営学)を取得の後、39歳で神戸大学経営学部教授に、45歳で神戸大学大学院経営学研究科教授に就任。経営学の中でもモチベーション、リーダーシップ、キャリアなど、人の心理・生涯発達に関わるトピックを主に研究している。研究・教育の分野だけではなく、企業における研修、講演など幅広い分野で活躍。実業界からも絶大な支持を集めている。 『働く人のためのキャリアデザイン』(PHP新書)、『働くみんなのモティベーション論』(NTT出版)など著書多数。老若男女問わず、多くの働く人々に元気と勇気を与え続けている。

助手時代は毎日辞めたいと思っていた

神戸大学大学院での経営学の勉強はおもしろかったですよ。専門はワークモチベーション(仕事意欲)だったので、それまで京都大学で研究していた心理学とほとんど同じだったしね。でも修士論文に取り掛かるころには、やっぱり、どうも書籍とにらめっこばかりで、勉強オンリーだと気分が暗くなるので、自分には大学は向いていないと思い 、就職活動をしました。外資系の経営コンサルティング企業から内定をもらって、東京に住む家まで決めていたんです。もちろん教授にも大学には残らず、企業に就職すると伝えていました。

しかし、最もお世話になった恩師のひとりから「おまえは大学に残って学問をやった方がいい」と会うたびに説得されて、結局内定を辞退して助手として大学に残ることにしたんです。

でもこの助手になってからの3年間は本当につらかった。なぜなら、まだ論文を1本も書いてないのに、しかも自分より上の学年でD(ドクターコース)1、D2、D3、博士後期過程の先輩もいるのに、マスター(修士課程)の2年、25歳のときに3つ分の学年を抜いて助手になったから。はたから見たら幸せなことでしょうけれども、自分にとっては針のむしろでしたね。先輩の方々はみんなすばらしい人たちでした。でも、自分はそれほどでもないのに、母校の恩師の後継者みたいな大事なポジションが勤まるかどうか、非常に不安だったんです。

おまけにその前に、大学には残りませんって表明してたからね。大学の世界はいったん辞めるって言った奴を残すっていうのも、心情的にはご法度だったのではないでしょうか。教授会の議案としてもあまり快くおこなわれていなかったかもしれません。もちろん当時の未熟な若手研究者の邪推にすぎませんが。

大学の人事って研究室に所属する人たちの投票で決まるんですね。教授が助手として指名するってことは、「こいつを自分の後継者にする」ということなんです。そういうときは投票をして、普通、全員一致で決まるんですよ。でも僕の恩師が「金井は学問をやらせるから助手として大学に残す」と言ったとき、白票が2つか3つあったらしいんですよね。 (笑)。

プレッシャーだったのは、 3年後、周りの人たちに、こいつが先生の後継者で納得かなって思ってもらえるようになれるかどうかということ。自分が大学の世界に合っているかどうか、大学の世界でやっていけるのかどうかということに、全く自信がもてなかったんです。だから不安でつらかったんやと思うね。毎日辞めたいと思ってた。あまりのストレスで、高校生のときみたいに強迫神経症の症状がもういっぺん出かかったくらいやからね。もちろんモチベーションもこの助手の3年間が一番低かったね。

だから、今、企業に新卒で入社しても2、3年で辞める人が多いけど、彼らの気持ちが分からないではないんだよね。

とことんやってみることが大事

でも苦しいながらも頑張ってたら、25歳で助手になって3年経つ頃には論文も3、4本書けるようになったし、僕の論文を評価してくれる人も出てきたんですよ。そして28歳で講師になったら、「ひょっとしたらこの世界で長くやっていけそうかな」という展望が開けてきたんです。

その頃には強迫神経症的な症状も出なくなったね。あれだけつらかったのに壊れなかったからもう大丈夫やと思った。でも実際、専門家から見たら本当の神経症ではなかったと思うけどね。周り中、専門家だったけど「お前、神経症や」って僕に言う人は1人もおらんかったから。だけど学部の学生のときに「ロールシャッハテスト」っていうインクの染みで検査する心理テストをやったときは反応数異常やったね。でも反応数が多くても理由がはっきりしてたら全然異常ではないんですわ。そのロールシャッハの先生も「あなたはただおしゃべりなのね」って言ってましたから。(笑)

だからやっぱりね、「石の上にも3年」というのはほとんど深い意味はないんですが、新しい仕事に就いたら、最初に向いているかどうか悩む時期はあって、そのときに最低、必要な努力はするべきやと思うね。つまりとことんやってみる前に辞めちゃダメと思う。

大学院の修士論文はモチベーション論だったんですが、個人を追いかけたものなので、ほとんど心理学だったんですよ。これだったら何のために経営学部に変わったのかわからないと思って、修士論文が終わったあと、すぐに組織の研究をしようと思って、三菱電機の中央研究所のフィールド調査に取り掛かりました。研究所の研究員と一人前になる間際の僕のペアで何人もの人にインタビューしました。人の話を聞くというのは経営学の中でもすごく大事なことなので。これもすごく興味深い仕事でしたね。

一皮向ける契機になったMIT留学

30 歳のときにアメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)に留学させてもらって、主に創造的な人たちのネットワーク作りの研究をやりました。留学中は勉強オンリーなんですが、今振り返るとこの時期が一番貴重でおもしろかったなあと思いますね。

いったん大学に就職して、助手や講師として学生に教えたりとかいろいろな学務を経験してるのに、30歳から33歳まで もういっぺん、ただ自分を成長させるためだけの時期が3年間もいただけた。そんなことってなかなかないじゃないですか。しかも周り中が世界トップレベルの学者ですから、すごく恵まれてたなあと。大きな刺激になったし、視野が広がったし、ここも大きな節目になりましたね。

MITでは、ボストン近辺の企業者たちの集うネットワークの機能について、調査をしました。それに先立ち、MITに行く前に、 ミドルマネージャーの調査をやりました。40社以上、マネジャー一人あたり10名以上の部下に評定してもらって 1200人以上のミドルマネージャーの行動について測定して、リーダー行動と業績との関係などの研究をしました。質問紙調査の対象となった ミドルの 平均年齢は40歳なんだけど、僕自身も、留学から帰って数年経って 40歳くらいが近づくにつれて 40歳ぐらいの 人の気持ちが少しわかりかけてきました。 今がキャリアの真ん中らへんやなとか、ここらで部下を持つんだなとか、ただ単に個人のモチベーションの問題とかリーダーシップの問題だけじゃなくて、キャリアの中で「ミドル(中年)」を位置づけて考えるような研究をしたんです。これは今でも中心的に研究しているテーマです。

だからキャリアの研究も、モチベーションの研究も、リーダーシップの研究も、ネットワーク作りの研究も、組織変革の研究も、自分の中で一個のユニバースとしてつながってるんです。テーマが節目なようで、テーマが変わるたびに蓄積的にテーマが増えて、すごいつながりがとれてるんでうれしいんですね。

MITでマネジメントのPhD(Doctor of Philosophy、博士号)を取得後、神戸大学で博士(経営学)を取得。39歳の若さで神戸大学経営学部教授に、そして45歳で神戸大学大学院経営学研究科教授に就任した。現在、日本のキャリア研究の権威として多方面で活躍している金井教授だが、仕事を選ぶ際にはまず自分の気持ちを大切にと語る。

「能力」よりも「やりたいこと」を

経営学におけるキャリア論の大御所で僕の恩師でもあるMITのエドガー・シャイン先生は、3つの問い、すなわち、「自分は何が得意か」「何がやりたいのか」、「どういうことだったら社会で役立ち感を得られるのか」について自問自答することが、キャリアについて考える基盤となると提唱しています。

僕はまず、「何が得意か」という能力よりも、やりたいこと・好きなことを紙一重でもいいから優先した方がいいと思う。うまくできることと好きなことは違う可能性があるし、うまくできるからっていうだけで仕事を選んでいたら、後々後悔する危険性もあると思うんですね。

2003年刊行のジョアン・キウーラが書いた『仕事の裏切り〜なぜ私たちは働くのか〜』(翔泳社)の監訳を したときに、いろんな事を考えさせられました。欧米の仕事観は、仕事は苦行というものです。まあ、日本でも年長の人たちから、 「好きなことを仕事にしたらあかん」という アドバイスを受けることがあります。それは、善意のアドバイスでしょうが、いつもうまく効くとは限りませんし、夢を奪うことがあるという意味では、結果において悪魔のアドバイスのようにもなりえます。

たとえば自分の子供が音楽がすごく好きでプロのギタリストになりたいと言ったら、たいがいのお母さんは頼むからやめてくれって言うよね。しかもそのときの決まり文句は「好きなことは趣味にとっといた方がいい」とか「せっかくいい大学を出てるんだから」というやつ。音楽っていうと普通の道から外れているように見えるからそう言うよね。これが例えばバークレー音楽学院などに行って音楽やるんならOKなのに。

お母さんは自分の子供に生き生きと生きてほしいと思ってるはずなんだけど、プロのミュージシャンとして生計を立てるのは難しく、後々「しまった、最初から普通の会社に行ってたらよかった」と後悔することになってしまったら困るからやめとけという。だから「リスクが高すぎるからやめときなさい」というアドバイスは間違ってはいないんだけど、せっかく夢を持っていたら、それを生かす方法は他にもあるはずなんだよね。「好きなことは趣味にとっといた方がいい」という発想は仕事がおもろないことを前提にしているけど、そうとも言い切れないと思う。「好きなことでメシを食うのは難しいからダメ」じゃなくて、「好きなことに近い仕事に就くのがいいんじゃない?」っていうアドバイスがあってもいいと思うね。たとえばちょっと観点を変えて、そんなに音楽が好きだったらヤマハとかローランドといった楽器メーカーに就職するとか、そういう手があるのになあって思う。

実際に僕の教え子で学生時代に音楽を一生懸命やっていた金井ゼミ卒業生が、ローランドに就職しました。配属先は法務部ですが、すごく楽しそうに働いてますよ。音楽関係以外の会社と何が違うって、やっぱり楽器メーカーだけあって、周り中楽器好きな人がいっぱいいるわけよ。だから音楽に直結した職種でなくても、音楽にまつわる会社で音楽好きに囲まれてるだけでもいいと思うんですよね。そして、法律の仕事にも興味をもったので、ローランドで働いたあとは、ロースクールに通い、昨年、司法試験に通りました。また音楽ソフトの配信をめぐる法律問題で貢献できたりしたら、ずっと音楽とのかかわりももてます。

別の例でいえば、写真好きな人がみんなプロカメラマンになれるわけじゃない。でも写真に関係する会社に入って楽しそうに仕事してる人はけっこういるからね。実際、富士フィルムには、元写真部とか元鉄道研究部とか、写真をやってたって人もいっぱいいるし。

僕の場合もそういうのに似てるよね。最初は臨床心理学の研究を志したけど、いろいろ考えて経営学に転向した。臨床心理学は一生興味をもってると思うし、今キャリアの研究でいろんな人の生活史を聞いたりするのも臨床心理学に近いところがあるし。コーチングの一部のエグゼクティブコーチングをするときに、相当ストレスが溜まっているエグゼクティブと接するときに、やっぱり臨床的なことが分かってた方がいいって言う人もいますよね。経営学に変わったことでMITに留学できてワールドクラスの人に触れられていい刺激を受けたし。

最初に一番なりたかった心理カウンセラーにはなれなかったけど、臨床心理学を勉強したことが経営学でも全部役に立っている。研究テーマがどこかでつながっているっていうのがうれしいですね。

「好き」という気持ちを無視してもらいたくない

そうはいっても、もちろん好きという気持ちだけではあかんこともあるよ。能力が著しくネックになるとか、才能がそこそこ要求される分野には、明らかに向いてない人がいったらかわいそうやし。そういうハードルはもちろんあると思うんやけど、好きっていう気持ちを完全に無視してほしくないと思うな。才能が大きく物を言う世界と、才能ばっかりじゃなくて努力次第でなんとかなる世界があるから。

例えば経営学の中でも、現実的に重要な問題である、組織の中での仕事意欲やキャリアやコミュニケーションや組織変革といった、組織における人間の行動の研究トピックは、すごく高度な数学を使ったり、経済学の応用が必要だったり、地頭が良くないとできない分野と違って、能力がネックになることは絶対にないんですよ。地頭・能力という問題ではなくて、本当に知りたいという気持ちと、どこかで「自分にも役立つ」「周りの人にも役立てたい」という気持ちがあれば何とかなるんですよ。難しい数学を使わなきゃ解けないというんじゃなくて、20人くらいにインタビューしたら何事か発言できる、論文をきちんと書けたりするから。

確かに世の中になんぼでも自分よりむっちゃ賢いと思う人はいるけど、その人たちを尊敬している理由は賢さだけじゃなくて他の部分。だから能力だけで勝負することないと思うんですよね。

文系・理系で分けるのがそもそもの間違い

でも日本の場合、「何がやりたいか」じゃなくて「何が得意か」で就職先を選んでしまう傾向が強いよね。一番の間違いが、学校で文系・理系という変な分け方をしてること。本来なら、自動車が好きで、本田宗一郎に憧れて機械いじりがしたいのに「お前は数学があかんから文系に行け」っていうのは間違ってるよね。理系でもあまり数学を使わない分野もあるし。そういうのが残念ですよね。

僕の灘中・灘高時代の友達なんて東大の医学部に10人以上入ってるのね。大阪大学とかほかの大学の医学部を入れたら一学年の同期から 30人も40人も医者になってる。こんなこと言ったら医者の友達は怒ると思うけど、そいつのポテンシャリティー見てて、「もったいない。おまえみたいな優秀なやつがなんで医者をやるのよ」って思う。地頭が良くて、親父が医者で、周りも「おまえは医者になったらいい」って言うから医者になってしまって。結果的に立派な医者になってるからいいけど、もういっぺん視野を広げてみたら、いろんな可能性があるんじゃないかって思うね。

中には違う人もいるけどね。むっちゃ理科系の頭してたけど、本当にやりたいのは法律関係だと思って東大の法学部に入って、行政法を勉強して、司法試験も3年で通った。でも行政法の教授が「おまえはいいスジしてるから」っていうから法曹界には行かず大学に残って行政法の助手になって、神戸大に助教授として赴任して来た。でも憲法の先生と合わなくてここを辞めて学習院大の教授を経て、今、京大の教授をやって生き生きとしてる人もいる。だから最初から化学と物理ができたら理系っていうのもやめてほしいなって思うし、やっぱり職業を選ぶときに好きっていう気持ちを最初からあきらめるのはやめてほしいって思うね。どこかで仕事に対して好きという気持ちがなかったらさびしいと思うなぁ。

能力よりも、好きなことを。金井教授の言葉にうなずく人も多いのではないでしょうか。 次回は仕事を長く続けるために重要な「キャリアの問い」の3番目について、そしてキャリアの成功とは何かについて語っていただきます。

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