だけど本来、1秒にも満たない微妙な間などは、後で機械で調整すれば済むことなんですよ。でもそれよりも、そのときに自分の感覚や感情で調整した方がいい場合もあると思うんです。納得できない場合は遠慮なくディレクターに「もう一回やり直させてください」と言います。読み返すのはそんな手間じゃないしね。生放送の場合は別ですが、番組ナレーションは間違えずに読むことが大事なんじゃなくて、作品の質をどう高めるかが大事だと思うんですよ。早く終わらせることよりもね。また1秒とか半秒といった微妙なところを模索するのが楽しいんですよね。だからなおさら「鬱陶しいナレーターだな」と言われるわけです(笑)。
ただ、ディレクターにもいろんなタイプがあります。「いいものを作るためにいろいろ言ってくれた方いい」というディレクターもいるし「そんなの後で機械でやるからいいよ」というディレクターももちろんいます。それも一理あるしね。それはその人のやり方だから。最終権限はあくまでもディレクターにあるから、僕はそれに従わなきゃならない。
いわゆる「プロのナレーターとしての仕事」は、ディレクターが「はい、これでOKですよ」と言った時点で終わりです。向こうが要求したレベルまで達した時点で仕事は済むわけです。
だけど、僕の場合は「もうちょっと」と思う時がある。合格ラインを超えたその先、「もっと追求したい」「もっと良くしたい」というところまで含めて「俺の仕事」としてやりたいんです。だからディレクターがOK出しても「う〜ん、もう一回やらせてください」と言うこともあります。
だけど、その「もっと」という部分は僕のわがままでしかない。そのせいで周りの人に迷惑をかけるかもしれない。「もうディレクターはOKだって言ってるのに、窪田さん何言ってるの?」「こっちは早く仕事を終わらせたいのに」「窪田さんの趣味でやってるんじゃないんだよ」と思う人もいるかもしれない。そうなれば本来の「仕事」からかけ離れちゃうかもしれない。
確かに自分だけでやってる趣味なら自分が納得いくまで突き詰めていけばいいんだけど、番組を収録するスタジオだって時間を決めてお金を出して借りているわけだし、大勢のみなさんといろんな制約の中でやっているわけだから、本当はそんなこと言っちゃいけないのかもしれない。この辺はジレンマですが、でももうこの歳だから言っちゃってもいいだろうと思って結局言っちゃう(笑)。
しかも「もう一回お願い」といって録り直したからといって、よりよくなるとは限らない。逆にディレクターから「窪田さん、今よりさっきのほうが良かったです」と言われることもあります。そうなったら「はい、わかりました、すいません」っていうしかない。
もちろん常に状況的に完全な状態でやれるわけでもない。例えば「絵(=映像)ができていない」「台本が完璧じゃない」「時間がない」……そういう不完全な状況下でも合格ラインまでもっていかなきゃいけない。その場で納得のいくレベルまで仕上げられなくても、そこで終わるしかないという場合もある。自分の中では「どうかな、作品の質が分からないよな」と思っていても、仕事だからそこは割り切らなきゃいけない。その時間内で収めるのもプロとしての「仕事」です。
だからそこまで追求する必要はないのかもしれないけれど、許される範囲内でとことんこだわりたいんですね。例えばスタジオを3時間押さえたんだけど、収録は1時間で終わったと。でもあと2時間を使ってもいいわけじゃないですか。だからひととおり終わった後にチェックして、「あそこはもうちょっと言い回しを変えたらもっと良くなるかな」と思ったらディレクターに相談する。「じゃあ変えましょうか」となったら、リテイクができるわけですよ。だから2時間余ったまま「お疲れ様でした」と帰るよりも、許される限り現場にいたいと思うんです。いいものを作るためにね。
なぜそこまでこだわるか? 僕なんかにできることはそれくらいしかないと思っているから(笑)。僕の声やしゃべりは特に秀でていたり、個性的だとは思っていません。突出したパワーがあるわけでもないし。だから作品全体の質を上げるためにできるだけのことはしたいという気持ちなんです。その方が自分でやっていて楽しいんですよ(笑)。 |