キャリア&転職研究室|魂の仕事人|第30回 ナレーター 窪田 等-その4-ただいいものを作りたい

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魂の仕事人 第30回 其の三
ただいいものを作りたい その情熱が人びとを巻き込み 上質の作品を生み出す
1秒以内の世界でナレーションを調整する。まさに匠の技ともいうべき窪田氏の間の感覚だが、この技術も若い頃の修行で培われた。今回は窪田氏の作品つくりにかけるこだわりと忘れられないナレーションについて語ってもらった。  
ナレーター 窪田等
 

感覚知はアナログ時代の経験で

 

 ナレーションを入れるときに、1秒とか半秒レベルで調節していますが、時計で測っているわけではなく、感覚としてわかっているんです。数字やデータではなく、人になかなか説明できない、僕の中だけでわかっている感覚知なんです。いわば体内時計のようなものですね。この時間感覚は20代の頃、ラジオCMのナレーションをやっていたときの経験によって身につきました。

 例えば20秒のラジオCMの場合、19秒で終わると「あと半秒、なんとか調整して」と言われるんです。もったいないから19秒半でやってくれと。僅か半秒ですよ。当時の収録は全く機械に頼っていなかったから、ナレーターが感覚でやるしかないんです。僅かでも時間オーバーしちゃったらもう一回、余り過ぎてももう一回やり直し。

 そういうことを繰り返していくうちに、時計を見なくても時間が正確に分かる「体内時計」ができたんです。「2秒オーバー」というときでも正確に2秒を詰められる。20秒のうちの2秒はけっこう大きいんですが、それができた。「あと半秒伸ばしましょう」というときでも調整できた。意外と半秒は楽なんですよ。そのうち60秒のラジオCMだったら、「今だいたい45秒くらいだろうな、ここでこのくらいの間を取ればだいたい59秒で終わるな」と思ってそうすると、ぴったりそのとおりになっていましたね。

 当時は収録を始める際、効果音を出す人、しゃべる人、音楽を出す人、みんな一緒に「せーの」でやってました。だから極力ミスはできない。ひとりがミスしたらみんなまた始めからやらなきゃならないから。その緊張感の中で磨かれたのかもしれませんね。

 ところがその後どんどん機械や技術が発達して、そんなことをする必要がなくなった。今は「2秒オーバーしてますけど、こちら(機械)で調整します」という世界だから。番組でもディレクターが「ここをちょっと詰めようか」と言ったら、機械ですぐ簡単にできちゃいますからね。

 そうやって機械に頼るようになったら、体内時計も段々正確ではなくなっていったんですよ。こういう能力って磨かないと鈍くなっちゃうんですね。だから今は時計を見ながらでないと不安です。60秒の感覚も危ういです。我ながら、よくあんなことができたなあと思いますね。ただそのときに鍛えられた名残で、10秒とか5秒の感覚はいまだに残っているんです。

「プロとしての仕事」にこだわる
 

 だけど本来、1秒にも満たない微妙な間などは、後で機械で調整すれば済むことなんですよ。でもそれよりも、そのときに自分の感覚や感情で調整した方がいい場合もあると思うんです。納得できない場合は遠慮なくディレクターに「もう一回やり直させてください」と言います。読み返すのはそんな手間じゃないしね。生放送の場合は別ですが番組ナレーションは間違えずに読むことが大事なんじゃなくて、作品の質をどう高めるかが大事だと思うんですよ。早く終わらせることよりもね。また1秒とか半秒といった微妙なところを模索するのが楽しいんですよね。だからなおさら「鬱陶しいナレーターだな」と言われるわけです(笑)。

 ただ、ディレクターにもいろんなタイプがあります。「いいものを作るためにいろいろ言ってくれた方いい」というディレクターもいるし「そんなの後で機械でやるからいいよ」というディレクターももちろんいます。それも一理あるしね。それはその人のやり方だから。最終権限はあくまでもディレクターにあるから、僕はそれに従わなきゃならない。

 いわゆる「プロのナレーターとしての仕事」は、ディレクターが「はい、これでOKですよ」と言った時点で終わりです。向こうが要求したレベルまで達した時点で仕事は済むわけです。

 だけど、僕の場合は「もうちょっと」と思う時がある。合格ラインを超えたその先、「もっと追求したい」「もっと良くしたい」というところまで含めて「俺の仕事」としてやりたいんです。だからディレクターがOK出しても「う〜ん、もう一回やらせてください」と言うこともあります。

だけど、その「もっと」という部分は僕のわがままでしかない。そのせいで周りの人に迷惑をかけるかもしれない。「もうディレクターはOKだって言ってるのに、窪田さん何言ってるの?」「こっちは早く仕事を終わらせたいのに」「窪田さんの趣味でやってるんじゃないんだよ」と思う人もいるかもしれない。そうなれば本来の「仕事」からかけ離れちゃうかもしれない。

 確かに自分だけでやってる趣味なら自分が納得いくまで突き詰めていけばいいんだけど、番組を収録するスタジオだって時間を決めてお金を出して借りているわけだし、大勢のみなさんといろんな制約の中でやっているわけだから、本当はそんなこと言っちゃいけないのかもしれない。この辺はジレンマですが、でももうこの歳だから言っちゃってもいいだろうと思って結局言っちゃう(笑)。

 しかも「もう一回お願い」といって録り直したからといって、よりよくなるとは限らない。逆にディレクターから「窪田さん、今よりさっきのほうが良かったです」と言われることもあります。そうなったら「はい、わかりました、すいません」っていうしかない。

 もちろん常に状況的に完全な状態でやれるわけでもない。例えば「絵(=映像)ができていない」「台本が完璧じゃない」「時間がない」……そういう不完全な状況下でも合格ラインまでもっていかなきゃいけない。その場で納得のいくレベルまで仕上げられなくても、そこで終わるしかないという場合もある。自分の中では「どうかな、作品の質が分からないよな」と思っていても、仕事だからそこは割り切らなきゃいけない。その時間内で収めるのもプロとしての「仕事」です。

 だからそこまで追求する必要はないのかもしれないけれど、許される範囲内でとことんこだわりたいんですね。例えばスタジオを3時間押さえたんだけど、収録は1時間で終わったと。でもあと2時間を使ってもいいわけじゃないですか。だからひととおり終わった後にチェックして、「あそこはもうちょっと言い回しを変えたらもっと良くなるかな」と思ったらディレクターに相談する。「じゃあ変えましょうか」となったら、リテイクができるわけですよ。だから2時間余ったまま「お疲れ様でした」と帰るよりも、許される限り現場にいたいと思うんです。いいものを作るためにね。

 なぜそこまでこだわるか? 僕なんかにできることはそれくらいしかないと思っているから(笑)。僕の声やしゃべりは特に秀でていたり、個性的だとは思っていません。突出したパワーがあるわけでもないし。だから作品全体の質を上げるためにできるだけのことはしたいという気持ちなんです。その方が自分でやっていて楽しいんですよ(笑)。

やりがいを感じるのは
こだわった作品が出来上がったとき
 

 作品づくりに対して同じようなこだわりをもつディレクターやスタッフと組めたら、一層仕事が楽しくなります。仕事のやりがいもそれで随分変わってきますね。

 この仕事をやっていてよかったなあと思う瞬間は、作品が出来上がった瞬間なんですよね。特にいろいろと手間隙かけた大作が出来上がったときはすごく気持ちいいですよ。最後、大団円が終わった瞬間、アナウンスブースの中で立ち上がっちゃうこともあります。すべてがうまくハマったときは「やったぜ!」という気持ちですね。

 例えば、以前F1のオープニングに、2〜3分のナレーションが入っていたんです。その収録のために毎回スタジオを2時間押さえていました。そのくらい時間的余裕がないと不安なんですよね。始まるや否や毎回ディレクターや音楽を担当する人などと喧々諤々(かんかんがくがく)が始まるわけです。

 ディレクターもこだわりの人でなかなかOKを出さない。「マシンがブーンと来るときに“今セナは”と言ってください」などと声を入れるタイミングに関して細かい注文が飛んでくる。「そうか。そう合わせるのか」と思ってやると、今度は音楽担当が別のセリフを言うタイミングをギターの鳴きを生かしたいから2秒ずらしてくれと言ってくる。そうしたら今度はミキサーさんも「次のコメントをあと半秒ずらして、オシリを同じにしてくれる? するとグンと音を上げやすいから」とか言い出す。それぞれに微妙な思いやこだわりがあるわけですよ。現場でそういうことをしなくても、後で機械で上げ下げすればなんとかなるんだろうけど、楽しいから全部みんなでやろうよと。

 でもなかなかうまくいかない。「こうしてくれる?」「よしやろうじゃないか」「ダメだもう1回」と何度も繰り返しやっていくうちに、「もうこれしかない」と思う瞬間が来るんですよ。なぜだかわからないけどすべてがぴたっと合う瞬間が。これは快感ですよ。そういうときってナレーターの僕だけじゃなくて、録音ブースの外にいるみんなもガッツボーズしてるんですよね。みんなの気持ちがひとつになった気がしてなんとも言えない気持ちよさを感じました。

あくなき情熱が周りを巻き込む
 

 ここまでくると遊びですよね。本当は仕事でこんなことしちゃいけない(笑)。僕は「もっともっと」ってやりたくなる方で、そのときのスタッフも同じようなタイプだったから許してくれたんでしょうね。通常では「じゃあ後はもう機械で調整するからOKですよ」となるところだけど、「もう1回やりたいな」「時間もあるしやってみようよ」と言ったら、周りが乗ってきてくれた。

 ここが僕のしつこいところで、今思うと「あと少し、もう1回やれば何か出るかもしれないから」と巻き込んじゃったのかもしれない。自分がどうしてもやりたかったから。マネージャーは「また始まった」と怒っちゃうかもしれないけれど。だから「困ったナレーターだな」といろんな人が思ってるでしょうね(笑)。

 最近は時間の制限があってこういう感じで作ることができる番組はなかなかないですが、F1の総集編ではいまだにやっていますよ。オープニングとエンディングだけは最後にとっておいて、収録を始めるときは「さあお楽しみの時間だぞ」と(笑)。スタッフに「やってくれる?」と。これだけはそういう“儀式”ですね(笑)。

強いプロ意識で仕事に臨む窪田氏だが、これまで1度だけ収録中にしゃべることができなくなったことがあるという。それは、ナレーションに込める思いが強すぎたゆえのことだった。

感極まって……
 

 ときに、自分では心地よく語ることができたからディレクターも満足しているだろうと思っても「窪田さん、それ入りすぎ」「ちょっとやりすぎ」って言われることもあります。「入りすぎる」というのは感情移入しすぎるということなんですが、過去に1度だけ、それで読むことができなくなったことがあるんです。

 1994年からフジテレビの「F1グランプリ総集編」のナレーションを担当しているのですが、アイルトン・セナがレース中に事故死して、セナの追悼特番をつくっていたときのことです。

 僕は個人的にもセナが好きだったから、セナに対する思いをナレーションに込めようと思いました。収録中はヘッドホンを両耳にかけて、自分の声を聞きながら台本を読んでいたんです。そうすると外界から遮断されるから、その世界にどんどん入っちゃうんですよ。美しい音楽、美しい文章、そして美しい映像……どんどんその世界に入っていっちゃって。

 そして「秋の鈴鹿──。セナのいない鈴鹿──」という文章まで来たときに、その後が読めなくなっちゃったんです。うっ……と感極まって涙が出てきてしまって。

 それはプロとしてはダメですよね。語り手の感情があまりに入りすぎちゃうと視聴者の方が引いちゃいますから。作り手である自分がグジグジになってどうするんだと。

 そこでもっと冷静にならないとダメだと一回休憩をもらってヘッドホンを外したんです。外して現実の世界に戻らなきゃダメだと。そうして録り直したらいつもどおりしゃべれるようになったんです。ヘッドホンを外すことによって外の世界の音が聞こえるようになったから、ちょっと引くことができたんですね。そして納得のいくナレーションができたんです。

 このように途中で収録を中断せざるをえなくなりはしましたが、1度原稿が読めないほど感情が高ぶった上で、気持ちを抑えて、録り直したのがよかったと今は思います。最初から何の思いもなく淡々と読んでOKが出たナレーションよりも、視聴者に伝わるナレーションになったんじゃないかという気がするんですよね。

 余談ですが、「ちょっと休憩ください」と調整室に行ったとき、スタッフたちもウルウルきてて(笑)。ぼろぼろ泣いている人もいました。「みんなおんなじ思いだったんだなあ」と思いましたね。

ナレーションに思いを込めたい
 

 本番でそうなっちゃったのは後にも先にもこのときだけです。リハーサルのときにはありますけどね。悲しい話のときなどは特に。「何でこの人、こんな思いをしながらやってるんだろう」と思うとグッときちゃったりね。あと非常に心を打つような文章の場合とか。自分でも「こんな文章でグッときちゃったりするの?」と思うことはけっこうあるんですよ。「意外と僕らって感情が豊かなんだよなあ」と思ったりしてね。文章に対して結構敏感なんですよ。

 だけど本番ではその感情を表に出しすぎてはいけない。でも思いは伝えたい。その辺のコントロールは経験を積むうちにできるようになりましたね。

 もちろん、感情を抑えて淡々と読んだ方が伝わるという場合もあると思いますよ。どっちがいいのかは分かりません。ナレーションの方法論はたくさんあるし、現場で最終的な決定権をもつディレクターの好みによっても違ってきますからね。

 ただ僕はナレーションにちょっと喜びや悲しみ、思いやりを入れた方が視聴者に伝わるのかなあと思ってます。それにちょっと自分の色を出していきたいタイプなんですよね。だから淡々としゃべるのはあんまり好きじゃない。だかといってあまりオーバーにならないように気をつけてもいます。淡々とし過ぎず、過剰にもなり過ぎず。その辺は微妙なところですよね。

 要するに「思い」ですよ。視聴者にどういうふうに伝えようかという思い。難しいけど全然苦じゃないですね。だって仕事楽しいんだもん。作品を作り上げるというのは楽しいですよ。

100点の仕事は20代のときに
 

 これまで少しでもよいものを作りたいと質を追求してきましたが、ナレーターとして完璧にできた仕事というのはありませんね。ただ、今までで一番「これはやったな」と思えるのは、20代の頃の仕事ですよ。カルピスのCMでね。青い空に向かって「カルピコー」とひとこと言う、ただそれだけのナレーション。自分で読んでいて気持ちよくてね。「カルピコー」の「コー」の抜け方がなんともいえず気持ちよかったんです。今でも忘れられないですよ。もう1回あのときの声を出してみろと言われても出せない。純真無垢な頃だからこそ出せたんだと思う。あれが最高傑作。あとはもう100点に近いのはないです。やった後、どうしても気になる箇所が出てきます。

 常に100点を目指しているのですが、だいたい80点止まりですね。残りの20点を常に模索しているといった感じ。「これはよくできたな。90点はいくかな」と思っても、必ず後で「もっと優しく読めばよかったかなあ」とか「もっとキレを良く読めばよかったかなあ」というのが必ず出てきます。

 だからもちろんいまだに「なんて俺はヘタなんだろう」とか「どうして思ったとおりにうまくできないんだろう」と思うことは多々あります。ディレクターがOKを出してくれたときでさえも、「もうちょっと違うやり方があったんじゃないか」と思ったり。

 うまくできなかった原因は後で気がつくわけなんです。「どうしてその場でわからなかったのか?」と自分に対して腹が立ったりもします。そのたびに「よーし、次こそやってやろう」って思います。ずーっとその繰り返しです。

 

とにかく少しでもいいものに仕上げたい。そのためにはどんな労力も惜しまない。しかし、うれしいのは質の高い作品が仕上がったときだけではないという。

次回はこれまでのナレーター人生でもっともうれしかったこと、そしてつらかったことをじっくり語っていただきます。乞う、ご期待!


 
第1回 2008年3月31日リリース 1カ月の収録50本超 日本屈指の人気ナレーター
第2回 2008年4月7日リリース 運命を変えた一枚の広告 声の仕事を志す
第3回 2008年4月14日リリース こだわりの情熱大陸 100点満点の仕事は20代
第4回 2008年4月21日リリース 涙が出るほどうれしかった 聴視者からの手紙
第5回 2008年4月28日リリース 辞めようと思ったほど つらかった競合事件
第6回 2008年5月5日リリース ナレーター道を極めたい 人から必要とされていたい

プロフィール

くぼた・ひとし

1951年、山梨県生まれ。57歳。ナレーター(シグマ・セブン所属)。高校卒業後、大手情報通信企業の技術職を経て、ナレーターへ転身。以降、テレビ、ラジオなどの各媒体でドキュメンタリー、情報バラエティ、CMなどあらゆるジャンルのナレーションをこなす。明確でわかりやすい口調、過剰に主張しすぎない語り口、抜群の安定感などのナレーションに定評がある。現在日本で最も仕事の依頼が多いと言われているナレーター。

代表作に「情熱大陸」(毎日放送:毎週日曜日23:00〜23:30)「F1グランプリ総集編」(フジテレビ)などがある。

【関連リンク】
●株式会社シグマ・セブン
●窪田等氏のプロフィール

 
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窪田氏のナレーターとしての代表作のひとつ。2008年で10周年を迎えた。長期間に及ぶ密着取材でひとりの人物の核心に迫る上質なドキュメンタリー番組。登場するのはさまざまな業界で情熱をもって仕事に取り組み、挫折を超えて挑戦し続ける人びとなので、「魂の仕事人」とかぶることあり(伊勢崎賢治氏、野田義治氏など)。見終わったあと、働く勇気が沸いてくる番組。登場人物の真摯な生き様が、窪田氏の重厚かつ品格のあるナレーションとマッチして極上の雰囲気をかもし出す。

 
 
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