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第27回
須磨久善氏インタビュー(その4/全5回

須磨久善氏

「手術して終わり」ではない
振り返り、分析の積み重ねで
命を救う確立を上げていく

心臓外科医須磨 久善

下準備と心構えをもって国内外の優秀な外科医を訪ね、イメージ力と判断力を養っていった若き日の須磨氏。技術力も自ら考案した鍛錬法で磨いていき、いつしか神の手をもつ心臓外科医と呼ばれるまでになった。しかしそんな須磨氏でもすべての患者の命を救えるわけではない。中には手術しても命を落としたり、手術自体を施せない場合もある──。今回は若き日の技術修行法、そして外科医ならではの苦悩に迫った。

すま・ひさよし

1950年生まれ、57歳。神戸市出身。「神の手をもつ男」と世界から賞賛・尊敬されている心臓外科医。これまで手がけた心臓手術は5000件超。数多くの患者の命を救うだけではなく、数々の新しい手術にチャレンジ、その後も改良を重ね成功率、生存率を上げている。心臓外科医としてだけではなく、心臓血管研究所のスーパーバイザーとして、病院全体のレベルアップを目指し尽力中。 また、教育の一環として小・中・高校生を病院に招待し、実際の手術を見学させる「病院見学会」を実施している。葉山ハートセンター時代からこれまで見学に訪れた子供たちは5000人以上。 医療関係者のみならずビジネスマン・経営者向けの講演、「プロジェクトX」、「課外授業−ようこそ先輩」(NHK)などのテレビ出演、ドラマ『医龍』(フジテレビ)の手術監修など、多方面で活躍している。主な経歴

ティッシュペーパーを縫う

外科医にとって手先の器用さは大きな問題ではないとはいえ、心臓バイパス手術などでは髪の毛より細い糸や針を使って血管を縫うわけですから、もちろんある程度の技術力は必要です。その技術はひたすら修練を積むしかありません。僕の場合はティッシュペーパーを繰り返し縫ったりしていました。

なぜテッシュかというと、病気になった心臓の血管はとても薄くなっていて、ティッシュくらいの薄さしかないんです。そのティッシュを縫うときは、破かないようにそっと針を入れていって、慎重に縫っていきます。縫い終わって糸を引っ張ったときに、きちっと正しい、きれいな縫い目になっているかどうかチェックします。それが正確に、速くできるように毎日続けていました。

射撃選手に教えを請う

また、ターゲットシューター、銃の射撃の名人に教えを請いに行ったこともありました。人間が緊張したり、興奮すると微妙に手先が震えますよね。僕もまだ熟練の外科医ではなかったころ、手術中、緊張すると少し手が震えるということがありました。でも心臓の手術では、「コンマ何ミリのここから針を入れてここから出す」という正確さが必要とされます。血管はミリ単位なので、指先のほんのわずかな揺れが血管にものすごく影響を及ぼすんですね。

だからどんな状況においてもずばっと正確に針やメスを入れられるためにはどうすればいいかと考えました。と同時に、自分が教える側に立ったときに、若い人に「こうすれば少しは震えをコントロールできるよ」と教えられるようにならないといけないと思ったんです。

それで、ほんのわずかな指先のブレも許されないような職業の人に、どういうふうにそのブレをコントロールしているのか聞いてみたいなと考えていたところ、ふと射撃選手なんてどうかなと思ったんです。

射撃選手はトリガーを引く指の震えや、銃を支える手の震えといったほんのわずかな震えが致命傷になる競技だから、射撃選手に聞いてみようと。それで射撃の名人を訪ねて、どういうタイミングで引き金を引くのですかと聞いたわけです。僕は多分呼吸と関係あるだろうと思っていたので、呼吸のサイクルの中でどのタイミングで引くんですかと聞いたら、「おっしゃるとおり呼吸は大事で、呼吸を気にせずにただぽんと引き金を引けばいいというもんじゃない。私はこういうタイミングで引いています」という答えでした。

もちろんこの射撃手の話はすごく役に立ちましたよ。そのアドバイスを元に、手術の際に血管に針を入れる瞬間をコントロールするという修練を重ねて、確実に上達しましからね。

異業種の名人だからこそ得られるものがある

なぜ全くの異業種じゃなくて外科医の先輩に聞かなかったか? 確かに、医者じゃない人に「手術するときの手の震えをどうしたら止められるでしょうか?」なんて聞くこと自体、おかしな話だと思うでしょうね。だけどそのころ、僕の周りの外科医の先輩たちの中に、そういうことに答えてくれそうな人がいなかったんですよね。もう手術が上手になってしまったら、なぜ腕を上げたのか、どういうふうにして弱点を克服できたのかということが話題にならなかった。だから全く別の仕事をしている人に聞いたほうがいいかなと思ったんです。

写真:須磨氏は海外での公開手術だけではなく、講演の依頼も多い。写真は米国カリフォルニアのUCLAで講演をしたときの感謝状

その結果、僕自身の手術の腕も上達したし、やっぱり外に目を向けて異業種の人に自分が気になっていることを尋ねると、すごく分かりやすくてためになる答えが返ってくるもんだなということを学びましたね。それはこの件だけじゃなくて、今でも「それは医者の問題でしょう」ということを、成功している異業種の人に形を変えて聞くと、すごく興味深い答えが返ってきて、おもしろいディスカッションになるということを、これまで何回も経験しました。

イメージ力を高め、技術力を磨いて「神の手をもつ」と呼ばれるようになっても、すべての患者の命を救えるわけではない。そこには人の命を救う仕事人ならではの苦悩があった。

次の答えを探す

どんなにイメージ力を高めても、判断力・決断力・技術力を磨いても、確かに手術した人全員を助けられるわけではなくて、中には亡くなってしまう人もいます。そりゃつらいですよ。つらいけれども、ありがたいことにほとんどの患者さんの親族は、それでもここにきて僕に手術してもらってよかったといって、泣きながらでも感謝してくれています。

僕としてはその後、全力を尽くしたけれども助けられなかったことに対する次の答えを探します。かなり勝算があると思って手術をし、自分の考えていたとおりの手術ができたのに心臓が元気にならなかった。なぜ別の人は助けられたのに、この人は助けられなかったのか。手術をやり損じたわけではないから、手術をする前の判断にもっと別のベターな答えがあったのではないか。あるいは突き詰めていけば、ここまできた患者さんは手術しても助けられなかったのかとか……。

こんなふうにそのときどきを徹底的に振り返ることによって、自分なりの答えを出して、今度やるときはもっとこうしようとか、どういう人は手術して、どういう人は手術しない方がいいのかという判断も含めて、その先の手術のために判断材料としてプラスしています。

「手術して終わり」ではない

「行き当たりばったりで手術していたのではダメ」というのはこういうことでもあるんです。手術は成功しても失敗しても、「やって終わり」じゃないんですよね。手術をする前も大事ですが、した後も大事。どういう手術でどうしてそういう結果になったのかを振り返って、分析して次の手術に生かさないと。

実際に手術した日の夜は、その手術を最初から最後までもう一回頭の中でざーっと再生させます。そして自分で自分の行った手術を再評価する。それはイメージの精度を上げるためにも重要なんですね。

心臓の手術の世界では、どんな命でも絶対100%助けられるということはありえないけれど、振り返り、分析などの積み重ねで手術の精度や成功率を上げていって、命を救う確率を上げていく。この繰り返しなんですよ。

逆に最初からすべての手術が成功して今までひとりも死んでいないという外科医は、何にも学んでないと思いますね。

忘れられないのは助からなかった命

手術で命が助かって喜んで自宅に帰っていった人は、僕自身もその瞬間はすごくうれしいんだけど、2、3日ですーっと風のように通り過ぎて僕の中に残っていません。

だけど助けられなかった人は忘れられないんですよね。僕の中に残っているのは助けられなかった人ばっかりで、それはいつまでたっても消えることはありません。

かといってつらさや悲しみにばかりとらわれているわけにもいかない。僕の手術を待っている患者さんはたくさんいるわけですから。つらい気持ちを引きずったまま、次の患者さんに向かうのは絶対に避けなければならないので、無理矢理にでも気持ちを切り替えて次の手術に臨みます。

だからとりあえず助からなかった人たちは僕の中の引き出しに入ってていただく。無理に思い出す時間を作ってるわけじゃないんですが、何かの折に引き出しから出てきてもらって、もう一度話し合うということをしています。

また別の人の手術をするときに、助からなかったあの人のパターンとよく似てるなとか、あのときはこうだったから今度はこうしようとか、次の人を助けるための教訓としてすごくよく出てきてもらってます。

手術する・しないのボーダー

中には手術すらできない患者さんもいます。そういう人には、手術をすると手術室の中で死んじゃうかもしれないから、他に治せる手立てがないのはつらいけど、このまま今の薬を飲んで静養を続けられた方が生きてる時間を長く取れるだろうし、そうこうしてる間にいい薬が開発されるかもしれないからとにかく希望をもって頑張りましょうと言いますね。

手術する・しないのボーダーは大きく分けて2つあります。ひとつはどう手術してもよくなりようがない心臓だと判断した場合は手術しません。もうひとつは心臓はよくなるかもしれないけど、全身状態が手術に耐えられない場合もしません。全身状態の場合だとまた間をおいて体が少し元気になってからまたやりましょうという場合もあります。こういう話をすると、だいたいみなさん納得しますね。これまで納得されなかった人はほとんどいません。

コミュニケーション力が大事

そもそも僕は手術する・しないに係わらず、患者さんとはしっかりコミュニケーションを取るようにしています。それは医者の義務であり責任だと思っています。

手術することが決まったときは患者さんが十分に理解したなと思うまで説明します。ときに患者さんはよく理解できないことでもわかりましたと言ってしまうものなので、何回も何回も確認しながらね。特に生死がかかっている心臓の手術はお互いの気持ちが完全に通じてないと、気持ちの踏ん切りがつかないんですよね。

自分が心臓手術を受けることになったと想像してみてください。自分の命が懸かった手術で疑問や疑念があったら、手術を受けるのが嫌じゃないですか? 結果はどうあれ、命を預けるわけですから、納得して手術を受けたいと思うはずですよね。だからとことんまで説明するんです。

また、そうしないと後でそんな話聞いてなかったとか、話が違うということになりかねないですからね。一般的に、こちらはベストを尽くしたつもりなのに、結果的に非常に悪い人間関係になってしまったという例はよく聞きます。やっぱり医療は医者と患者さんとの信頼関係で成り立っていますからね。そこは大事にしています。

もともと自分は口下手だからという医者もいますが、それは違います。人に伝える力は頑張り次第でどうにでもなります。だから医者は、常にコミュニケーションスキルを磨く努力をすることが大事だと思います

須磨氏は心臓外科医としてたくさんの患者の命を救うだけでなく、2000年に設立した葉山ハートセンター時代から、小・中・高校生を受け入れて、手術を別室で見学させている。これまでに全国各地から病院を訪れた生徒は約5000人。ただでさえ多忙を極める中、なぜこういう活動を継続しているのだろうか。そこには須磨氏ならではの子供たちへのある思いがあった。

「かっこいい」と思われることが大事

もうここ何年も子供たちを病院に招待して、実際の心臓手術の模様をモニターで見せるという「見学会」(※1)を実施しているんですが、手術を見た子供たちはたいてい、僕を「かっこいい」(※2)って言ってくれるんです。

「かっこいい」というのは非常にわかりやすい、いい表現ですよね。子供たちに純粋にそういわれることが何より一番うれしいんです。子供はかっこいい人になりたいと思ってるわけだから、そのひとつの象徴になれたことは、大人として非常にうれしいし、誇りを感じられます。こんなふうに、自分の仕事に誇りをもち、生き生きと働く大人たちが子供たちにいい影響を与えていくと、子供にとって幸せになれる選択肢が増えてくるわけです。「かっこいい」と思われることはひとつのモデル、象徴を提示することにもなるんですよね。

逆に身近にいるのがかっこ悪いと感じる大人たちばかりだったら、ああはなりたくないという反面教師的な後ろ向きの選択肢しかもてなくなりますよね。そうなるといい見本としての前向きの選択肢が持てなくなり、持てたとしても、野球のイチローや松井、サッカーの中田、あるいは芸能人など遠い世界の人になります。だけどああいうふうになりたいと思っても、そう簡単にはなれないということは子供だってわかってるわけです。身近に前向きの選択肢たりえるいい見本の大人がいなくて、もっと普通の仕事でかっこよくなるために、誰のどこを真似ればいいのか全然分からないとなると、子供は心の中でパニック状態になります。

だから「かっこいい」姿を見せることも、大人から子供への教育というかギフトのひとつだと思うんですよね。僕の場合はそれが手術を見せるということなんです。

※1 「見学会」──この取材の翌月にも、広島県の高校の生徒約20人が病院を訪問し、須磨氏と対談し、病院を見学した。この高校では、授業の一環とし見学を取り入れているとのこと。子供にとって真に必要なのは、こういった教育なのではないだろうか。

※2 「かっこいい」──他人からかっこいいと思われることが重要である理由について、須磨氏はこうも語っている。「なにも上等なスーツをいつも着てるとかスタイルがいいとか、そういうことじゃなくて、人間としてかっこいいと感じる人ってたくさんいますよね。中身さえよければいいというけれど、やっぱり本当の中身のよさって外に出るんですよね。自分も他人からかっこいいと思われたいという意識をもってないと、自分を律するレベルが下がると思うんです。かっこ悪くてもいいやとか、他人からなんと言われてもやることはちゃんとやっているからいいじゃないかと思っていると、自己満足に陥ってしまう。そうなるとひとりよがりになって、成長もストップしてしまいますよね」

自分に厳しい須磨氏らしい考え方だ。外科医になって35年。これまでに救ってきた命は数千人。しかし須磨氏はいう。悪い心臓を治すのだけが心臓外科医の仕事ではないと──。
いよいよシリーズ最終回の次号は須磨氏にとって理想の医師、医療とは何か、そして仕事は何か、何のために働くのかに迫る。

●主な経歴

1964年 中学2年生のときに「人のために何かをして喜んでもらう仕事がしたい」と医師を志す。
1968年 大阪医科大学に進学。大学在学中に海外の医学雑誌で心臓バイパス手術の様子を見たことがきっかけで心臓外科医を目指す。
1974年 卒業後、東京の虎の門病院外科レジデントに就職。心臓外科以外の一般外科を経験。これが後の世界初の胃大動脈のバイパス手術に生きる。
1978年 28歳のとき順天堂大学胸部外科へ。ここから心臓外科医としてのキャリアがスタート。
1982年 母校の大阪医科大学胸部外科へ戻る。
1984年 アメリカユタ大学心臓外科が史上初の人工心臓完全埋め込みに成功したニュースを聞き、ユタ大学心臓外科へ半年間留学。心臓手術の本場で最新の知識、技術を学ぶ。半年後帰国。自分で心臓手術チームをもってバイパス手術を行うようになる。
1986年 世界初の胃大動脈をグラフトに使ったバイパス手術を成功。
1989年 心臓病治療で有名な三井記念病院に請われ、循環器外科科長に就任。
1992年 三井記念病院の心臓血管外科部長に就任。
1994年 ローマ法王も入院したことのある2,000床規模、バチカンの指定病院にもなっているローマ・カトリック大学から招聘され、同大学心臓外科客員教授に就任。同時にモンテカルロにあるモナコ心臓センターのコンサルタントも兼任。
1996年 帰国。湘南鎌倉総合病院から副院長に招かれ就任。日本初のバチスタ手術を行う。手術そのものは成功したものの、患者は肺炎で死亡。時期尚早だったのではないかとマスコミからバッシングされる。しかしその3カ月後、2例目のバチスタ手術を敢行。成功を収め、余命数カ月だった患者の命を救う。
1998年 湘南鎌倉総合病院の院長に就任。
2000年 神奈川県葉山市に心臓病専門の病院「葉山ハートセンター」を設立、院長に就任。10年間で13カ国の病院を回った経験を元にこれまでの常識を打ち破った、患者がリラックスできる病院をつくり、話題となる。
2004年 順天堂大学心臓外科客員教授に就任。
2005年〜 財団法人心臓血管研究所のスーパーバイザーに就任。自らも現役の心臓外科医として、全国からやってくる数多くの患者の命を救っている。

「医療・医療機器・福祉関連/医師・技師」の転職事例

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