キャリア&転職研究室|魂の仕事人|第27回 心臓外科医 須磨久善-その3-外科医にとって最も重要なの…

TOP の中の転職研究室 の中の魂の仕事人 の中の第27回 心臓外科医 須磨久善-その3-外科医にとって最も重要なのは手先の器用さではなく想像力

第27回
須磨久善氏インタビュー(その3/全5回

須磨久善氏

外科医にとって最も重要なのは
手先の器用さではなく想像力
一人前を目指して世界を回った

心臓外科医須磨 久善

世界初の胃の動脈を使った心臓バイパス手術や国内初のバチスタ手術など、病に苦しむ患者のために、未知の難手術に挑戦し、しかも高い成功率を誇っている須磨氏。なぜそういうことが可能なのか。今回は外科医にとって最も重要なのはどんな能力なのか、そして一人前になるためのコツを語っていただいた。

すま・ひさよし

1950年生まれ、57歳。神戸市出身。「神の手をもつ男」と世界から賞賛・尊敬されている心臓外科医。これまで手がけた心臓手術は5000件超。数多くの患者の命を救うだけではなく、数々の新しい手術にチャレンジ、その後も改良を重ね成功率、生存率を上げている。心臓外科医としてだけではなく、心臓血管研究所のスーパーバイザーとして、病院全体のレベルアップを目指し尽力中。 また、教育の一環として小・中・高校生を病院に招待し、実際の手術を見学させる「病院見学会」を実施している。葉山ハートセンター時代からこれまで見学に訪れた子供たちは5000人以上。 医療関係者のみならずビジネスマン・経営者向けの講演、「プロジェクトX」、「課外授業−ようこそ先輩」(NHK)などのテレビ出演、ドラマ『医龍』(フジテレビ)の手術監修など、多方面で活躍している。主な経歴

最も重要なのは想像力

外科医にとって最も重要なのは、手術の最初から最後までをきっちり正確にイメージできること。これがまず絶対基本なんです。

よく、手先の器用さが絶対条件なのではと聞かれるんですが、そうじゃない。確かに心臓の手術では1ミリの血管を縫ったりするので手先のセンスは必要です。でもそれは特殊な才能というわけではなくて、しっかり鍛錬すれば誰でもできるようになるんですよ。

血管を縫うといっても、別に手品じゃない。上手な外科医は手先が天才マジシャンみたいに器用だと思うところが勘違いでね。普通に道具をもって、見えているものを切ったり縫ったりすればいいだけのことなんですよ。だからいくら手術が上手だからといって、天才とか神業という表現とは全然違うと思いますけどね。

だけど、最初に間違ったイメージを抱いて手術に臨んだらどうなると思いますか? 最初のイメージが間違っているんだから、そのときどきで下す判断も間違ったものになる。その方向でいくら上手な手術をしても、結果は恐ろしいものになりますよね。

だから何の仕事でもそうなんだけど、ものすごい才能があっても間違った方向に使ってしまうと大悪党になっちゃう。それと同じで、手術もまず最初に正しい方向をイメージして、手術をしている最中も常に、最初にイメージしたとおり、ちゃんと正しい方向に向いているかどうかという判断をしながら、施術していくわけです。その基本がなくてただ手先が器用だといっても全然ダメ。だから逆に言うと、何も下手な外科医が必ずしも不器用とは限らないんですよ。

だから手術前には「患者さんにメスを入れる→胸を開けて心臓が出てくる→この人はここが悪いんだろうから、こうすればそこが見えるはずだ→見えたらどこをどういうふうに、どの程度切る→血管はこういうふうに縫う→これだけはやっておかないといけない、ここだけは注意しないといけない点をしっかりやる→心臓が元気になる→胸を閉じて終了」という一連のイメージを頭の中に克明に作ります。その中の一箇所でも間違ったら取り返しのつかないことになりかねません。切る箇所を間違えたり、切りすぎちゃったりしたら後戻りできませんから。だから絶対にこれで間違ってないというレベルまでイメージできないと、怖くて切れないんです。

逆に言うと、「イメージ」は、自分がどれくらいその手術を理解しているかということのひとつのテストになるんですよね。

その手術ためのイメージを固める作業に入ると周りが全く見えなくなります。限られた短い時間の中で納得の行くまでイメージをつくらなければならいので、周りのことにかまってる暇などありません(※1)。それもすべては僕に助けを求めて命を預けてくれる患者さんのためなんですよね。

※1 周りのことにかまってる暇などありません──須磨氏が出演した『プロジェクトX』の中で、手術前にイメージトレーニングをしているシーンがあったが、演出で手術のイメージを作るふりをしていたのではなく、本当に行っていた。そのとき須磨氏はカメラやスタッフの存在を忘れ、イメージつくりに没頭。その様子を担当プロデューサーは、「目の前でカメラが回っていようが何をしようが集中できる、周りのノイズも風景も関係なく、これから思い描く筋に向かって本当に神経を集中できる人は、この10年では須磨さんと(元)弁護士の中坊公平だけだった」と語っている(参考『プロジェクトX ザ・マン』)

スピードの秘訣も想像力

手術のスピードに関しても他の外科医よりも速いと言われていますが、何もビデオの早回しみたいに手がものすごい速さでびゅーっと動くわけではないんですよ。まずひとつは手術をする前に、やらなければならないこととやらなくてもいいことをきちっと仕分けして見極めるということ。それともうひとつは絶対にやらなくてはならないことを速くというよりも、一回でぴしっと終わるように正確にやること。そのためには逆にゆっくりやった方がいい場合もあります。

だから同じ手術をしても時間のかかる人は、だいたいこの2つのパターンに分けられます。ひとつはやらなくてもいいことをやってる。そりゃどんなに上手に速くやったって、やらなくてもいいことだから時間を食うばかりで意味がない。ここは見極めの問題ね。それから、1回で終わらせるべきところを何回もかかる人。これも一見技術の問題のように思えますが、実はそうじゃない。なぜ何回もかかるのかというと、事前に頭の中でやるべきことをスリムに簡素化できていないからです。それができていれば、一発で決められます。

だから結局、ここまでは手先の問題じゃなくて頭の問題なんですよね。イマジネーションが大事というのは、そういうことなんです。だから手術の前に何度も何度も繰り返しイメージするんです。

イメージどおりにいかないときは

もちろん、いくら事前に頭の中で手術のイメージを繰り返し行っても、実際に胸を開けてみて、手術を進めていく過程でイメージどおりにいかないこともあります。でも、そんなときこそ事前にはっきりとした自分のイメージがないと困るわけです。

事前にしっかりとイメージできていたら、それを軸に何を考え違いしてたのか、どこを直したらいいのか、部分部分で分析できて、それを元に修正もすぐできます。ところが軸がなかったら基準となるものがないわけですから、その場の出会い頭、行き当たりばったりの手術になってしまう。

それでも結果的にうまくいくことはありますよ。でも、何百何千という手術を積み重ねていったときに、しっかりとしたイメージの軸をもてる人ともてない人では結果に必ず差が出てくる。当然軸のもてる人の方が成功率が高くなります。なぜなら行き当たりばったりの人は結果的にうまくいったか、いかなかったのかという点でしか判断できなくなってしまって、「あの部分はああなってたからいけなかった」などの各局面での細かい分析、反省ができないからです。そうなると場数をこなすだけで自分の中に何も残らない。残らないと次に生かせませんよね。

手術に限らず、よくスポーツ選手でも本番前にしっかりイメージを作るといいますけど、イメージが明確にできると不安がなくなるからリラックスして本番に臨めるんですね。それでもうまくいかなかったときに、なぜうまくいかなかったのか、どこが悪かったのか、イメージを軸に部分としてチェックできるから、次に生かせられるんです。

引き出しの数が重要

そういうことを積み重ねていくと、本番が事前のイメージと違うとなった場合でも焦ることはなくなります。僕の場合はこれまで5000人以上の人を手術してきたわけだから、いろんなオプションを山ほど持ってますからね。手術中にどういうことが起こるか、いろんな可能性を想定して、対処法をちゃんと自分の引き出しの中に入れてある。

手術前に「こういうことは起こるかもしれないけど、こういうことはまずないだろう、その中でも一番安全で確実な方法はこうだから、こうやっていこう」と作戦を練る、イメージを作るわけです。

でもときには「こんなことは起きないだろう」と思っていたことが起きてしまうこともあります。でも「こんな場合はこうすればいい」というオプションを引き出しの中から出してきて、実行すればいいだけなんです。そこでどうしようとうろたえているようでは一人前の外科医とはいえません。患者もたまったもんじゃないし、周りでサポートする助手の医師や看護師たちも不安です。

現在は「神の手を持つ心臓外科医」と呼ばれている須磨氏だが、当然最初からいくつもの引き出しやオプションをもっていたわけではなかった。どうやって自分を高めていったのだろうか。一人前になるために取った行動とは──。

引き出しの数を増やすには

もちろん誰だって最初は初心者だから、引き出しの数は少ないですよ。どんな職業でも同じだと思うんですが、医者の場合、初心者の間は指導医の元で学んでいきます。初心者だといっても患者さんから見れば立派な医者です。「僕は初心者だから手術はあまり上手じゃないんです」などという言い訳は通用しません。だから患者さんに迷惑をかけない一人前の医者になるために、指導医がつくわけです。

手術中も必ず経験を積んだ指導医がそばにつくので、困ったことが起きて自分の中では答えを出せないようなときは、指導医に指示を仰げばいい。聞けば答えは出てきますから。そういうことを積み重ねながら、できるだけ短期間で弱点を克服して一人前になっていくわけなんですね。

僕が一人前になったと思ったとき? う〜ん、今でも一人前じゃないかもしれないですけど(笑)……まあひとりで手術をやっても大丈夫かなと思ったのは30代の後半くらいですかね。

一人前になるために

一人前になるためにはやっぱり地道に勉強するしかないですね。僕の場合はできるだけ多くの知識やトラブルに出会ったときの解決策、「こんなときはこうする」という方法を会得するために、国内外のいろんな優れた先生の手術を見に行ったり、教えを請いに行きました(※2)。

最も大事なイメージ力を高める修行も同じです。やっぱりまだ経験の浅いうちは、スムーズにイメージできないんですね。たとえば、「ここをこういうふうにひっくり返すとどういう景色が見えるのか分からない」というのは経験が足りない証拠だし、「こうなったときにはどの道具を使うのか、どっちから縫うのか」となったときに、どれだったかな、どっちだったかなと悩んで、すっと頭の中に浮かんでこないことが若い頃にはあるわけです。

そういう時期に技術的に優れた先生の手術を見に行くと、「こんなときはこんなふうにしてる、ああそうか、こうすればいいんだ」というのがわかる。そういうトレーニングを若い頃はしました。そうやって自分の隙間を埋めていくうちに、自分でも目を瞑ればすっと最初から最後までスムーズにイメージできるようになったんです。

若い時期にそういうことを繰り返し経験すると、同じ人に会って話を聞いてもより多くの大事なことが吸収できるようになります。そうしていくうちに、だんだんと自分の弱点や隙がなくなっていくんです。だからある日突然、一人前になりましたというマジックはないですね。

※2 国内外のいろんな優れた先生の手術を見に行ったり〜──1984年、アメリカのユタ大学の心臓外科が史上初の人工心臓完全埋め込み手術に成功すると、その手術を行った医師に直接教えを請うためにユタ大学へ留学。半年間、心臓手術の本場で一流の医師から最新の技術と知識を吸収した。また、1994年から2年間、イタリアのローマカトリック大学に請われ、心臓外科客員教授として赴任。これが後の日本初のバチスタ手術 を行うきっかけとなる。

判断・決断力を養うためには

イメージの次に早く正しい判断・決断ができることが重要ですが、この能力を養うためには、「1回の経験をどれくらい濃厚に効率よく消化吸収するか」がポイントになります。1回も経験したことがないのに、「こんなときどうしますか?」って聞かれて答えられる人はいないし、答えられたとしたらそれは正しい答えではないでしょう。やっぱりソリューションというものは、何でも経験の中から生まれてくるものなんですよね。

だけど、同じことでも2、3回経験すれば理解できる人と、何十回も経験してもなかなか覚えられない人がいます。

それは能力の差だけではなくて、見る前の心構え、下準備があるかないかの差なんですよね。たとえば、ごくごく基本的なことなんだけど初めて見学する手術は事前にできるだけその手術について勉強してから見学するとかね。そういう事前準備をしっかり行って手術を見学したり、手術に参加してると、非常に多くのものが吸収できる。これまで同じ500人の心臓手術に参加したという人でも、そういう心構えで手術に臨んできた人は、「もうほとんど全部分かってるだろうから、手術をやってみろ」と任せられる人が多いし、逆になんの準備もしてこなかった人の多くは、「あと何回見たら分かるようになるの? とても任せられない」ということになります。

だから早く正しい判断・決断ができるということも、本人の素質や才能の問題だと切り捨ててしまうにはもったいないんですよね。まず覚える、学ぶということはどういうことかということを指導医や先輩が教えて、本人もそれをまじめに聞いて、自分の中で問題意識をはっきりともって、修練を積むことが必要だと思います。

少しだけ背伸びをしてみる

そういうことを繰り返すことによって自分の中に自信が生まれてくる。外科医にとって自信というのはとても大事なんですよね。誰も自信のない外科医に手術なんて頼みたくないでしょ? 手術する方だって自信がなければあまりやる気も起こらないでしょうし。

でも過信してしまう外科医はもっと怖いんです。その外科医の実力を冷静に判断したらとてもできない手術なのに、絶対できるといってとんでもない手術に挑んでしまう外科医は怖いでしょう? そんな手術なんて絶対受けたくないと思うでしょう? 怖いけど患者さんの目から見てもわからないし、そばにいる人たちもなかなか分からないから、指導医がきちっと弟子の性格や技量を見極めつつ育てていかないといけない。

医師が成長して自信をつけていくためには、飛べない谷をジャンプするような行為はもちろん絶対にダメですけど、少し背伸びをすることは必要だと思うんですよね。昨日できたことと同じことをずーっと今日も明日も明後日もただやるだけで、未経験のことに挑戦する姿勢がないというのも困る。それじゃあいつまでたっても成長できませんから。だから上を目指して少し背伸びしながら進んでいくというのがとっても大事なんですよね。

待ってるだけじゃだめ

そういう意味でもどんな指導医につくかということがものすごく重要ですね。特に外科医の場合はいい指導医についたかどうかで決まります。いい指導医は心構えからして教え方が違う。学んでいくということに対する基本もきちっと教えてくれる人とほったらかしにする人では、弟子の成長の仕方が全然違ってきますからね。

だからみんなが思っているような、手先の器用な外科医についたら自分も手先が器用になるといったバカげた話ではないんです。医学や外科手術を学ぶということはそういうことではなくて、もっと心構えとか修行の仕方とかを身近なところで実際に教えてくれたり注意してくれたりする指導医が必要。そんな指導医につくと、たいていの人はいい方向に伸びていきます。

そういう意味では僕はその折々でいい先生に会ってきましたね。確かに指導医は自分では選べないので縁とか出会いも大事ですけど、自分から求めていくことも必要です。待っているだけではなかなかいい先生には出会えません。だから僕はいい先生を求めて世界を回ったんです。

下準備と心構えをもって国内外の優秀な外科医を訪ねて教えを請い、修行を重ねていった須磨氏。その過程で比類なき想像力・技術力を身につけ、いつしか神の手をもつと呼ばれるような世界的な心臓外科医になった。しかしそんな須磨氏でもすべての患者の命を救えるわけではない。中には手術しても命を落としたり、手術自体を施せない場合もある。須磨氏はいう。いつまでも忘れられないのは救えなかった患者だと──。 次回は救えなかった患者への思い、そして須磨氏にとって理想の医療・医師とはどういうものかについて語る。

●主な経歴

1964年 中学2年生のときに「人のために何かをして喜んでもらう仕事がしたい」と医師を志す。
1968年 大阪医科大学に進学。大学在学中に海外の医学雑誌で心臓バイパス手術の様子を見たことがきっかけで心臓外科医を目指す。
1974年 卒業後、東京の虎の門病院外科レジデントに就職。心臓外科以外の一般外科を経験。これが後の世界初の胃大動脈のバイパス手術に生きる。
1978年 28歳のとき順天堂大学胸部外科へ。ここから心臓外科医としてのキャリアがスタート。
1982年 母校の大阪医科大学胸部外科へ戻る。
1984年 アメリカユタ大学心臓外科が史上初の人工心臓完全埋め込みに成功したニュースを聞き、ユタ大学心臓外科へ半年間留学。心臓手術の本場で最新の知識、技術を学ぶ。半年後帰国。自分で心臓手術チームをもってバイパス手術を行うようになる。
1986年 世界初の胃大動脈をグラフトに使ったバイパス手術を成功。
1989年 心臓病治療で有名な三井記念病院に請われ、循環器外科科長に就任。
1992年 三井記念病院の心臓血管外科部長に就任。
1994年 ローマ法王も入院したことのある2,000床規模、バチカンの指定病院にもなっているローマ・カトリック大学から招聘され、同大学心臓外科客員教授に就任。同時にモンテカルロにあるモナコ心臓センターのコンサルタントも兼任。
1996年 帰国。湘南鎌倉総合病院から副院長に招かれ就任。日本初のバチスタ手術を行う。手術そのものは成功したものの、患者は肺炎で死亡。時期尚早だったのではないかとマスコミからバッシングされる。しかしその3カ月後、2例目のバチスタ手術を敢行。成功を収め、余命数カ月だった患者の命を救う。
1998年 湘南鎌倉総合病院の院長に就任。
2000年 神奈川県葉山市に心臓病専門の病院「葉山ハートセンター」を設立、院長に就任。10年間で13カ国の病院を回った経験を元にこれまでの常識を打ち破った、患者がリラックスできる病院をつくり、話題となる。
2004年 順天堂大学心臓外科客員教授に就任。
2005年〜 財団法人心臓血管研究所のスーパーバイザーに就任。自らも現役の心臓外科医として、全国からやってくる数多くの患者の命を救っている。

「医療・医療機器・福祉関連/医師・技師」の転職事例

TOP の中の転職研究室 の中の魂の仕事人 の中の第27回 心臓外科医 須磨久善-その3-外科医にとって最も重要なのは手先の器用さではなく想像力