キャリア&転職研究室|魂の仕事人|第26回 プロ棋士 瀬川晶司-その1-夢を追い求めた男の天国と地獄

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魂の仕事人 第26回 其の一
やっぱり好きな将棋で生きていきたい サラリーマンからプロ棋士へ 夢を追い求めた男の天国と地獄
2005年11月、61年ぶりとなる異色のプロ棋士が誕生した。男の名は瀬川晶司37歳。小学生で将棋のプロを目指し、研鑽を積んできたが、制度の壁の前にプロへの夢が絶たれた。一度は就職し、サラリーマンとして生きる決意をしたが、やはりプロ棋士への夢捨てきれず、再度の挑戦を決意。しかし「制度の壁」を乗り越えられなかった者がプロ棋士になることは事実上不可能だった。瀬川氏はどうやって不可能を可能にしたのか──。今回の魂の仕事人では、夢を追うことの素晴らしさと残酷さ、そして「好きなことを仕事にするということ」に迫った。  
プロ棋士 瀬川晶司
 

おとなしかった幼少期

 

 僕が最初に将棋に触れたのは、小学校2年生のときでした。僕は男ばかりの3人兄弟の末っ子なんですが、一番上の兄貴から将棋のルールを教わったんです。だけどその時点ではそれほど熱中しませんでした。オセロやトランプなどの他のゲームと同じように、たまに遊ぶ程度のものだった。最初はそんなにハマらなかったんです。そんな僕がプロ棋士を目指すようになったきっかけは、ある2人の恩人が与えてくれたんです。

 ひとりは小学校5年生のときの担任の苅間澤先生でした。

 僕は幼いころ、体が小さかったし、いつも2人の兄貴に押さえつけられたりしてたせいもあるのか、すごく引っ込み思案でおとなしい性格だったんです。自分に全く自信が持てないし、いつも兄の後ろをついて回ってました。自己主張したり、自分から積極的に何かをやってみるということもなかったです。

 小学校に上がってもそんな感じで、クラスでもいるのかいないのかわからないような目立たない生徒だったんですが、小学校5年生のときにすべてが変わったんです。

「将棋強いね、すごいね」
 

 その頃、将棋ブームが起こって、学校中で将棋が流行ったんですね。僕は小学校2年生のときに兄に将棋を教えてもらってたから、クラスの中でも強い方だったんです。

 それを手放しで褒めてくれたのが担任だった苅間澤先生だったんです。「将棋強いね、すごいね」って。それまで他人からあまり褒められることがなかったので、やっぱり素直に褒めてもらえたのがすごくうれしかったですね。

 将棋はしょせん遊びですから、先生によっては「将棋もいいけど勉強もちゃんとやれ」と言う人もいると思うんですが、苅間澤先生はそういう考えではなくて、手放しで褒めてくれた。好きなことに打ち込むのはとてもいいことだって。褒められたり、将棋をやる自分を奨励してもらったりしたことで、ますます将棋が好きになっていったんです。そればかりではなく、自分自身に自信が持てるようになって、いろんなことが変わり始めたんです。

性格まで変わった
 

 それまではクラスの中で自分から手を挙げて発言なんてしたことがなかったのができるようになったし、成績も上がったんです。小学校4年生までは学校の成績も5段階でオール2という程度だったんですが、5、6年生の時はオール4に上がったし、中学に上がってもそのくらいでした。

 だから先生に褒められ、認められたことで、何に対してもやる気が出てきて、やればできると思えるようになったんでしょうね。4年生までの僕しか知らない先生や友達には、人が変わったようだってよく言われてました(笑)。

 そのきっかけとなったのが「将棋」だったんです。初めて人に褒められ、ひとりの人間として認められた喜びは将棋がもたらしてくれた。将棋を通して初めて人より上と言えるものを見つけることができて、自分もそういうものが持てるんだなと実感できた。それによって、他のことにもやる気が出てきて、なんとなく自信が出てきたというのがありますね。

 だから苅間澤先生に出会えていなければ、いまだに自分に自信がもてない人間で、プロ棋士なんて目指してなかったかもしれないですね。

よきライバルの存在
 

 もうひとり、僕が将棋にのめりこんでいった要因となった人がいました。ウチの向かいに住んでた渡辺健弥くんという同級生で、彼も同じ時期に将棋にハマったんですね。同じ学年、家も近所ということで、学校が終わったら毎日どちらかの家で何時間も将棋を指してました。あの当時、1日何十局も指してました。小学校時代だけで6000局は指したと思います。健弥くんも僕も負けず嫌いでしたから、何とかして負かしてやろうと将棋の勝負をするだけじゃなく、家に帰っても本や雑誌で将棋の研究をしてたんです。そうしていくうちにお互いどんどん強くなっていきました。いいライバル関係でしたね。だから彼がいなければ将棋に熱中してもすぐやめていたかもしれないですね。

その後も「健弥くん」と切磋琢磨しながら将棋の腕を磨いていった瀬川少年。ある日、「健弥くん」の父に連れられていった場所で、「遊び」が将来への「夢」と変わった。

小学6年生でプロを目指す
 

 6年生の時に、健弥くんのお父さんに「港南台将棋センター」という将棋道場に連れて行ってもらったんです。そこではたくさんの大人が将棋を指していました。ここに強い人がたくさんいるんだと思うと、体がうずうずしてきて、いてもたってもいられなくなりました。それですぐにお願いしてその日は20局ほど指しました。楽しかったのですが、認定されたのが健弥くんが五級で僕が六級だったので、ものすごく悔しかったのを覚えています。

 その後は、毎週土日は健弥くんと「港南台将棋センター」に通って、朝から晩までいろんな人と将棋を指すようになりました。そのうち、「港南台将棋センター」の総責任者の今野さん(※1)に直接指導を受けるようになったんですが、ある日今野さんから将棋にもプロの世界があるということを教えてもらったんです。

 このとき、プロ棋士の存在を初めて知ったんですが、大好きな遊びである将棋で暮らしていけるならこんないいことはない、夢のような話だと思いましたね。

 最初は健弥くんに勝ちたい一心で将棋にのめりこんでいたのですが、将棋センターには、いろんな強い人たちがいたんですね。そういう自分より強い人と指すのが、最大の楽しみでした。そうすることで、自分が日に日に強くなっていく喜びを感じていたし、それでますます将棋のおもしろさも増していった。将棋を指すことが楽しくてしょうがありませんでした。だからなれるものなら将棋のプロになってみたいと、今野さんに「将棋のプロを目指したい」と言ったんです。 それ以降、今野さんは僕と健弥くんをプロを目指すという前提で、直接指導してくれました。彼に出会ってから、僕の将棋が変わりました。この今野さんも僕がプロ棋士になるのに欠かせない人でした。

 子供だったということもあり、本当にプロ棋士になれるか、なってもプロの世界で生きていけるかという不安はありませんでした。ただその後、プロ棋士になるにはどうすればいいんだろうと思っていろいろ調べたときに、プロへの道は険しいと分かったのですが、それでも自分はなれるという妙な自信がありましたね。何の根拠もなく、自分はプロになるのが当たり前のような気がしていました。

※1 今野さん──港南台将棋センターの席主を務めていた今野靖宣氏。会社員として働く傍ら、土日のみ席主を務めていた「将棋人間」。瀬川氏がプロ棋士を志願して以降、将棋センターでの技術指導のほか、各種将棋大会へエントリー、瀬川氏たちに場数を踏ませていった。ちなみにその際の費用はすべて今野氏が支払っていたという。瀬川氏が奨励会試験に合格し、安恵照剛七段門下に入るまでの将棋の基礎を固めた。また将棋だけではなく、礼儀作法なども厳しく指導。瀬川氏の人間的な成長にも貢献した。

両親も理解
 

 小学生のころから勉強はあまりせず、将棋一本だったのですが、将棋のプロになりたいと言っても、父も母も反対しませんでした。父は基本的に好きなことをやるのが一番という考えでしたし、たぶん三男だったということもあるんでしょうけど。まあひとりぐらいは別にいいかというような思いもあったんだと思います(笑)。

 でもやはり何の障害もなく、自分の思う道に進めたのは、両親の理解があったからだと思います。普通の親だと、そんな夢みたいなこと言ってないで、ちゃんと勉強して、高校大学へ行って普通の企業へ入れとか、そんなリスクの高いことやるなとか言うと思うんですよ。でもウチの両親は一切言わなかったですからね。

中学に入っても、研鑽を怠らず将棋の腕を磨いた瀬川氏は2年生のときに将棋の全国大会で優勝。中学生最強の座に就いた。そしてその年の冬、ついにプロ棋士予備軍の「奨励会」の入試を突破。14歳で厳しいプロへの道を歩みだした。

14歳でプロの道へ
 

 実は奨励会(※2)の試験は師匠の今野さんに内緒でその前の年に受けたんですよね。奨励会の試験は年に1度なので、入るなら早いほうがいいと思って。でも師匠の言うとおり、まだ力不足で落ちました。そのときも自信を失ったり、あきらめようとは全く思わなかったですね。ただ、奨励会に入るのがまた1年遅れてしまうことにすごくがっかりはしましたけども。早ければ早いほうがいいので。中には小学生で奨励会に入っている子もいますからね。

 だから受かったときはやっぱりうれしかったですね。でも、2回目で受かんなきゃしょうがないと思ってたし、全国大会でも優勝してたので、当然受かるだろうとは思ってましたけどね。

 ですから、受かったこと自体に対する喜びとか感慨はあまりなくて、これからいよいよプロへの第一歩だという思いよりも、今までの延長でこれから強い人とたくさん指せるといううれしさや期待感の方が強かったです。

 奨励会には、まず、「21歳の誕生日までに初段になれなかったら強制的に退会」という規則があって、以後はプロ棋士への道は完全に絶たれてしまうのですが、当時はまだ時間もたくさんあるし、プロになることは難しくないだろうと思ってました。

 プロの卵の奨励会員と言っても、24時間将棋漬けというわけではありません。奨励会の行事で学校を月に2回休まなきゃならないという以外は、普通の高校生とほぼ同じ生活でした。朝から夕方まで学校で授業を受けて、家に帰ってから将棋の勉強をするという生活でした。もちろん普通に高校の友達と遊ぶこともありました。他の高校生の奨励会員も似たような感じだと思いますよ。

※2 奨励会──新進棋士奨励会。昭和3年に創立された日本将棋連盟のプロ棋士育成機関で、三段から六級までで構成されている。二段までは東西に分かれて行い、規定の成績を上げると昇級・昇段となる。三段になると東西を合わせてのリーグ戦を半年単位で行い、上位二名が四段に昇段し、正式にプロ棋士となる。

瀬川氏が入会したときは、21歳(現在は23歳)の誕生日までに初段、26歳までに四段になれなかったら自動的に退会となり、以降プロへの道は完全に閉ざされてしまう。ただし、四段になるためのリーグ戦で勝ち越せば、次回のリーグに参加することができる。以下、同じ条件で在籍を延長できるが、満29歳のリーグ終了時で四段になれなかったら退会となる。奨励会からプロに上がれるのはわずか2割程度。プロ棋士への道は高いハードルが連続するまさにイバラの道なのだ。

ただし、これまでひとりだけ奨励会を通過せずにプロになった棋士がいる。花村元司氏という棋士で、昭和19年に座興で一流棋士と互角に指したことでプロ入りを薦められ、試験将棋を通過。五段と認定されプロ入りした。しかしこれ以降60年もの長きにわたってひとりの例外者もなく、奨励会制度は厳格に守られている。

最初のカベは一級
 

 奨励会では六級からのスタートで、翌年の高校一年生のときには五級となりました。その後は順調に昇級できたのですが、18歳で一級になってからはなかなか勝ち上がれなくなりました。やっぱり「級」まではまだアマチュアの延長の将棋でなんとかなるんですが、「段」に近くなってくるとプロ筋の将棋が求められてくるんです。

 プロ筋の将棋とは簡単に言うと、自分の指したいように指すだけじゃなくて、相手のやりたいことをいかにさせないかという将棋です。つまり今までは指したいように指していたのが、それよりも、負けにくい手とか、負けない手というのを中心に考えざるをえなくなるんです。指したい手を指さないで、自分を殺して、相手の手も殺すような……自分が勝つ将棋よりも、相手に勝たせない将棋にシフトしていったんです。

 当然、自分の指したいように指せない苦しみとかジレンマを抱えるようになりました。指したいように指せないのが奨励会なのかなと思っていました。でもそうしないと上へ上がっていけないんですよね。

 奨励会って、年齢制限(※3)で21歳までに初段に上がれずに退会してしまう人がすごく多いんですよ。仲良くしてた奨励会の仲間がある日突然ぱっといなくなっちゃうのってすごく寂しいんですよね。だから厳しい世界だということはわかっていましたが、自分はずっと努力してれば初段になれるとは思っていました。

 まさか自分が同じような運命をたどるとはこのときは夢にも思ってなかったですね……。

※3 年齢制限──以前は年齢制限がなく、40歳を過ぎても奨励会に在籍できた時代があった。しかしプロ棋士への情熱を失ってしまいただ在籍しているだけの中高年が出てくるようになった。当然そうなると将棋を辞めた後の社会復帰が困難になるので、もっと早いうちから見切りをつけさせようという将棋連盟の親心から年齢制限が設けられた。

 

自分本来のスタイルではない指し方で指さざるをえなかったが、それでも19歳で初段に、22歳でいよいよプロへの最終関門・三段リーグに昇格した瀬川氏。26歳のタイムリミットまであと4年。さらに制度改正でチャンスは8回となり、ここからさらに厳しい生き残り合戦が始まった。

次回は奨励会三段リーグで瀬川氏が味わった孤独と絶望に迫ります。乞う、ご期待!


 
第1回 2007.10.1リリース 将棋に熱中 きっかけは恩師とライバル
第2回 2007.10.8リリース 奨励会退会 後悔と絶望と怨嗟の日々
第3回 2007.10.15リリース どん底からの復活 アマ最強からプロ棋士キラーに
第4回 2007.10.22リリース 不可能への挑戦 最後の希望を恩師がつなぐ
第5回 2007.10.29リリース 厳しくも楽しい勝負の世界 将棋は宇宙、その謎に迫る

プロフィール

せがわ・しょうじ

1970年生まれ、37歳。神奈川県出身。プロ棋士(フリークラス)

小学5年生で将棋に熱中し、小学6年生でプロ棋士を志す。以降、将棋の研鑽に励み、中学2年で全国中学生選抜将棋選手権大会で優勝。安恵照剛七段門下に入り、日本将棋連盟のプロ棋士育成機関・新進棋士奨励会試験に合格。プロ棋士の道へ踏み出すが、26歳までに四段に上がれず、奨励会を強制退会。以降はプロ棋士の夢はあきらめ、大学入学、一般企業へ入社。将棋はアマチュアとして続け、2つの日本一のタイトルを奪取。対プロの勝率も驚異的な数字を記録。最強のサラリーマン棋士としてその名を将棋界に轟かせる。

2004年、周囲のすすめもあり、再びプロ入りを決意。元棋士仲間、マスコミ関係者が一丸となって瀬川氏のプロ入りをバックアップ。2005年、世論と将棋連盟を動かし、不可能と思われていたプロ入り編入試験を実現。6番勝負で3勝を挙げ、61年ぶり、戦後初の奨励会を通過していないプロ棋士となった。

2006年、NECとスポンサー契約を結ぶ。企業と棋士個人のスポンサー契約は将棋界初。

現在、フリークラスのプロ棋士として活躍中。また、執筆、講演、各種将棋イベントへの参加など、将棋の普及にも尽力している。

【関係リンク】

■瀬川氏ブログ
「瀬川晶司のシャララ日記」

■日本将棋連盟

■主な戦績
1984年 全国中学生選抜将棋選手権大会優勝
新進棋士奨励会に6級で入会

1989年 初段に入品

1992年 三段リーグ入り

1996年 年齢制限により奨励会退会

1999年 第53回全日本アマチュア名人戦優勝

2000年 第9期銀河戦で対プロ7連勝

2002年 第19期全国アマチュア王将位大会で優勝
第12期銀河戦で対プロ3連勝

2004年 第12期銀河戦でA級棋士の久保八段に勝利
第13期銀河戦で対プロ6連勝

2005年 将棋連盟にプロ入りの嘆願書を提出
戦後初のプロ編入試験実施が決定
・プロ編入試験六番勝負第1局
 佐藤天彦三段に敗北●
・プロ編入試験六番勝負第2局
 神吉宏充六段に勝利○
・プロ編入試験六番勝負第3局
 久保利明八段に敗北●
・プロ編入試験六番勝負第4局
 中井広恵女流六段に勝利○
・プロ編入試験六番勝負第5局
 高野秀行五段に勝利○
3勝を挙げ、試験に合格。プロ(フリークラス)4段に編入
第33回 東京将棋記者会賞

2006年 NECと1年間の所属契約を締結。所属契約はプロ棋士初

2007年度戦績 6勝5敗
通算 22勝19敗 (9月30日現在)

■関連書籍
『棋士 瀬川晶司—61年ぶりのプロ棋士編入試験に合格した男』日本将棋連盟

『瀬川晶司はなぜプロ棋士になれたのか』(古田 靖/河出書房新社)

『奇跡の一手—サラリーマン・瀬川晶司が将棋界に架けた夢の橋』(上地 隆蔵/毎日コミュニケーションズ)

 
おすすめ!
 
『泣き虫しょったんの奇跡 サラリーマンから将棋のプロへ』(講談社)

将棋に出会ってからこれまでの栄光・挫折・復活への道のりと、そのつど瀬川氏が感じた気持ちが丹念に書かれた一冊。特に奨励会退会とプロ編入にいたるまでの経緯は、「プロジェクトX」さながら! 涙なしには読めません! インタビュー内容をより詳しく知りたい方はぜひご一読を。2007年度全国読書感想文コンクール高校の部の課題図書にも指定。

『後手という生き方』(角川oneテーマ21 角川書店)

将棋に先手と後手があるように、人生にも先手と後手がある。先手の人が必ず勝利者になるわけではない!  奨励会を年齢制限で退会し、アマチュアとして夢を追いかけた私はいわば「後手番」の人間。だが「後手」にも先手にない強みがある! 将棋界に風穴を開けたサラリーマン棋士の革命的プロ論。「早咲きの天才」渡辺明竜王との特別対談も収録。

『夢をかなえる勝負力!』(PHP研究所)

柔道家の古賀稔彦氏、女流囲碁棋士の梅沢由香里氏、「失敗学」で知られる工学博士の畑村洋太郎氏らとの対談集。「挫折は成功の母」というありがちな教えも、その正しさを身をもって実証してきた彼らから聞けば、ずしりと心に響く。

『棋士 瀬川晶司—61年ぶりのプロ棋士編入試験に合格した男』(日本将棋連盟)

「棋士・瀬川晶司」誕生までのすべてを、様々な角度から活写する。瀬川氏ロングインタビューや、「健弥くん」のコメント、プロ編入試験6番勝負の『将棋世界』誌連載観戦記、実戦29局のポイント解説、奨励会3段リーグ表などを収録。多角的な解析・情報で、瀬川氏プロ編入のいきさつがより深く理解できる。

 
 
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魂の言葉 魂の言葉 将棋によってひとりの人間として認められた 将棋によってひとりの人間として認められた
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