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TOP の中の転職研究室 の中の魂の仕事人 の中の第24回 日本ダルク代表・NPO法人アパリ理事長 近藤恒夫-その3-民間初の薬物依存者のための回復施設・ダルク誕生

第24回
近藤 恒夫氏インタビュー(その3/全5回

近藤氏

民間初の薬物依存症のための
回復施設・ダルク誕生
仲間の死を乗り越え
今日の回復への道のりを共に歩む

日本ダルク代表/NPO法人アパリ理事長近藤 恒夫

薬物依存者の回復施設の開設には周りのすべての人に反対されて行き詰まりを感じていた近藤氏だったが、大きな力を貸してくれたのはまたしても当初反対していたロイ神父だった。薬物依存者の支援には非協力的だったマックに愛想を尽かした近藤氏は、ロイ神父に強引にお金を借りて、1985年7月、日暮里に1軒屋を借りた。ここに民間初の薬物依存者リハビリセンター・「ダルク」の第1号が誕生した。

こんどう・つねお

1941年秋田県生まれ。30歳のときに覚せい剤を覚えて以来、薬物乱用者となり、37歳で精神病院に入院。それでも覚せい剤をやめられず39歳のとき逮捕。半年の拘置所生活を経て執行猶予付き判決で出所。
釈放後は回復を誓い、アルコール依存症者の回復施設の職員を経て、1985年日本初の民間による薬物依存者回復施設「ダルク」(現東京ダルク)を開設。以降薬物依存者の回復支援に尽力。
2000年にはアジア太平洋地域の国々の依存症問題に取り組む研究機関「NPO法人 アパリ」を設立。国家行政機関、法律家、医療者、研究者などと連携し、国内外の薬物問題に取り組んでいる他、学校や刑務所などでの講演も精力的に行っている。
1995年、東京弁護士会人権賞を受賞
2001年、『薬物依存を超えて』(海拓舎)で吉川栄治文化賞受賞

ダルク誕生

マック(注1)があまりにも薬物依存者をなおざりにするから、頭にきてね。こうなったらみんなの反対を押し切ってでも自分で薬物依存者のための回復施設を作ろうとロイさんの家に行ったら、ロイさんはベッドで横になってた。その背中に向かって、「もうこんなところにはいられない! マックを出て薬物依存者専用の回復施設を作るから金を貸してください」って言ったら、ロイさんはまともに返事もせず寝たままうなずいてた。だからこれはOKってことかなと思ってそのままロイさんの机の引き出しから勝手に通帳と印鑑を持ち出して、70万円下ろして日暮里に一軒屋を借りたんだ。

でも後から聞くと、ロイさんは持病の糖尿病が悪化して寝込んでたんだって。だからうなずいてたんじゃなくて、心臓が苦しくて動こうにも動けなかった。後でひどいことしたなと思ったけど、そのおかげでダルクは生まれたからこれも大きな力が働いたんだと思うよ(笑)。

日暮里に借りた一軒家の名前は「DARC」と名づけた。ドラッグ・アディクション・リハビリテーション・センターの略で、薬物依存者のリハビリセンターって意味。「ダーク」じゃイメージ的に暗いからフランス語読みっぽく、ダルクって読ませるようにしたんだよ。

1985年7月日暮里で立ち上げたダルク第1号(写真提供:日本ダルク本部)

ダルクの公式の事業目的は「薬物依存者に、身体的、精神的、社会的援助を提供することによって、薬物依存からの回復を手助けし、将来自立できるように組み立てられた薬物を使わない生き方のプログラムを提供する」ってこと。

ダルク最大の特徴は、薬物依存という共通の悩みを抱える人間同士が集まり、共同生活をしながら、ともに語り合い支え合うことによって、問題を解決していこうとする自助グループの方法論を取っているってところにあるんだよ。

メリノール宣教会が運営してたアルコール依存者のための回復施設「マック」の薬物依存症者版だよ。だからダルクを作ろうと思ったのは、マックでの経験が大きかったね。札幌マックや帯広マックを立ち上げて軌道に乗せたことが、ダルクを作る上で大きな自信になったからね。

注1 マック──メリノール宣教会が設立したアルコール依存症者の回復施設。出所後、近藤氏はマックで働いていた。

来る者拒まず

ダルクを始めたときに決めたのが、「ダルクの扉を叩いたすべての人を受け入れる」ってこと。たとえ入寮費を払えそうにない人でもね。そういう人たちはダルクが見放したら行くところがないし、ロイさんがお金を集めてきてくれたから若干余裕もあったしね。

だからほんとにいろんなヤツが来た。精神病院に10年も入院していたシャブ中や、全身に刺青を彫った現役のヤクザや、シンナー中毒の若者、浮浪者など、病院や警察、社会から見放されたやつが続々やってきた。

そいつらはダルクに来てもなかなかクスリをやめられずによく騒ぎを起こしてた。クスリや万引きをやって警察につかまってたよ。クスリを使ったらほとんど歯止めが効かなくなるからね。

俺は責任者ってことで、シャブなんかやってないのに警察に事情聴取で呼ばれて、警官に「あんたもやってんじゃないの?」って顔されてさ。「100万積まれたってこんな仕事やらないよ」って言われたこともあったよ。ほめられてんのかバカにされてんのかよくわかんなかったけどさ(笑)。

あと俺自身、入寮者に殺されかけたこともあったしね。そういうことが続くとダルクなんてやるんじゃなかったなと思ったこともあったよ(笑)。

今でもダルクにいるのはそういうヤツらだよ。でも仲間なんだよな。俺もやつらも薬物依存から抜け出したいと思ってる仲間。だから見捨てられないんだよ。

ダルクを立ち上げた当初、意気に燃えていた近藤氏は「薬物の使用は禁止」、「門限は夜の11時」などさまざまな規則を作って入寮者を厳しく管理することで、薬物依存から回復させようとした。しかし入寮してくる薬物依存者たちの中で規則を守る者はひとりもいなかった。ストレスが頂点に達した近藤氏は自暴自棄とも取れるような行動に出た。

規則を撤廃

俺自身も回復を目指しているひとりの薬物依存者であって、警察官でも刑務官でもないから、あまりにも入寮者が規則を守らないとものすごくストレスがたまっていった。規則を作ることで、いつのまにか俺自身が規則の番人になっちゃってたんだな。

だから「冗談じゃねえ、こんなんで俺の精神状態を犯されちゃうんだったら規則なんてなくしちまえ」って、ほとんどの規則をなくしちゃったんだ。

入寮者がクスリをやってても絶対やめろって言わない。根競べだよ。ロイさんのようにね(注2)。でもやめろって言わないのは大切なことなんだよ。もう体の中にクスリが入っちゃってるヤツは、やめろって言ってもやめられないんだよ。日本中でやめろって言わない施設はダルクくらいじゃないの?(笑)

注2 ロイさんのようにね──ロイ神父は絶対にやめろとは言わなかった。

唯一の規則は「ミーティング」

でも規則を全部なくすだけじゃただのヤク中の溜まり場だよな。そこで「1日3回のミーティングに出る」っていうルールだけにしたんだよ。これだけは厳しく守らせた。そして俺も入寮者を監督しようなんていう考えは捨てて、自分自身の回復を第一に考えて、回復へのプログラムを第一ステップからやり始めた。

これが結果的によかった。俺もストレスでつぶれないですんだし、不思議と入寮者も以前よりもクスリをやらなくなったから。それにクスリを使ったらミーティングに出られないから、「1日3回のミーティングに出る」というルールを守ろうとしたら結果的にクスリは使わないようになるんだよ。

そういうルールだけにしたら中には仕事をやり始めるヤツまで出てきてさ。そのときはほんとに奇跡が起こったって思ったよね。

言いっぱなし、聞きっぱなしのミーティング

ミーティングでは、「かつて何が起きて」、「いつもどのようだったか」、そして「今どのようであるか」、この3つだけを話す。将来はどうなるかわかんないから、今日までの話だけ。そして聞く側は感想や意見などは一切何も言わない。だから言いっぱなしの聞きっぱなしが基本。

写真:ダルクで行われているミーティング(写真提供:日本ダルク本部)

でも、かつて俺自身がそうだったように、最初のうちはなかなか素直に自分の気持ちを話せないし、他人の言うことに素直に耳を貸せない。どうしてか? 依存症という病気は、「他者との距離をうまくとれない」という関係性の病なんだよ。だから依存症者は常に対人関係にストレスを感じている。ミーティングは他者との距離感を少しずつ取り戻していくひとつの方法なんだな。

それから依存症者は非常に自己中心的で、他人のことなんてどうでもいいと思ってる。だからミーティングは、他人の言うことに黙って耳を傾ける訓練でもあるんだ。この、「人の話を黙って聞くこと」ができるようになれば、自分とは異なる考え方や人生をもつ「他者」の存在を認められるようになる。それができて始めて、適切な関係性を築けるようになるでしょ。

だから素直になること、そして人の話を黙って聞くこと。これが回復への第一歩なんだ。クスリをやってよかったという話を延々とだらだら話すやつは回復にはまだ時間がかかる。回復してくると「今どのようであるか」についての話が多くなる。それは今日を生きてる証みたいなもんだな。

俺も出所後、初めてAAのミーティングに出たとき、素直に自分の気持ちを語ったらすごく心が軽くなったからね。ミーティングに出ると自分に正直になってくる。それが回復への第1歩なんだよ。

正直に話せる場は大事

そもそも依存症者に限らず、人間にとって自分の気持ちを正直に話せる場はとても大切なんだよ。「嘘つきは泥棒の始まり」じゃないけど、嘘をつくと自分でも気分悪いじゃない? それまで虚勢張っていいことばっかり言ってたヤツはほんとに気分悪いと思うよ。自分では気がつかないけど。

自分のことを正直に話さないでさ、格好いいことばっかり話してるとミーティングの場で浮いちゃうんだよ。結局何のためにミーティングに出てるのか、わかんなくなっちゃう。そうするとミーティングがつまんなくなる。そして回復への道のりがどんどん遠くなる。かつての俺のようにね。

あとはガス抜きの効果もあるよね。一般社会では昔クスリをやってたとか、そんなこと言えないでしょ。同じような仲間が集まってる場でしか言えない。ガス抜きすると気持ちが楽になるからね。

ダルク開設から1年後、今度は昼間もミーティングが行えるデイケアセンターを設立。これにより朝から晩まで1日3回のミーティングを中心にしたダルクの回復プログラムが定着。回復者も少しずつ増えてきた。

目標なんてもたなくていい とにかく今日一日だけ頑張る

朝10時に起きてデイケアセンターで朝の1時間のミーティング、その後昼食をとって、再びデイケアセンターで2時間のミーティング。その後夜はNAのミーティングに出席する。この1日3回のミーティングを中心とした生活を約3カ月送るのがダルクの回復プログラムなんだ。

まずはこの1日3回のミーティングを1日も休まないで3年間続けられれば、回復者リストに入れてもいいかな。だけど「安心」からは程遠い。いったんは回復プログラムを終了してダルクから離れても、5年から10年の間にクスリをやってまた戻ってくる者もいる。だから10年経っても安心だとは言えないよ。

だからダルクに来る人には、ダルクだけじゃなくてNAとかいろんな自助グループのミーティングに行くことも大事だし、観光旅行に行ける力がついたら世界のいろんな国の薬物依存の人たちと仲良くするのもいいと言ってます。世界中どこでもミーティングをやってるし、1回ミーティングに行くと10人は友達が増えるからね。

ニュージーランドで現地の薬物依存者と(写真提供:日本ダルク本部)

僕自身もいろんな国のリハビリ施設に行ってるんだけど、観光目的でもどこか海外旅行に行くときは、必ずミーティングがあるかどうかチェックしてから行く。そして夜は必ず地元のミーティングに参加してるんだよ。

薬物依存者のために奔走する近藤氏だが、ダルクに入寮してくるすべての人が回復にいたるわけではない。中には回復半ばでこの世を去る者も少なくない。ときには悲しみや無力感に耐えられなくなるときもある。そんなとき、近藤氏は別の方向へ目を向ける。

死んでくれてありがとう

ダルクにつながってきた人で、回復半ばで死んでしまった人も少なからずいます。入寮者第1号は死んでるしね。やっぱり仲間の死はかなりショックだよ。

仲間の死に潰されないためには自分自身をケア、メンテナンスしてないとダメ。どうするかっていうと、死んでしまった人よりも、回復した人たちに目を向けるってことなんだよな。ちゃんと回復していく人も少ないけど確かにいるわけだから、その人たちの方をしっかり見るようにする。

死は大切なんだよ。ある仲間が死んだとき、他の仲間はなぜ彼が死んだかを考える。そうすると反面教師じゃないけど、ああいうふうにならないためにはどうすればいいか、例えばもう大丈夫だと思っても油断しないで12ステップをしっかりやろうとか思うわけ。

だから死んでいくやつは役に立ってるんだよ。死は宗教上では復活っていうけど、俺はそうは思わないんだよな。死んだ人たちはすごくいいものを残してくれる。それは「おまえもうかうかしてたら俺と同じようになっちゃうよ」というメッセージなんだよ。だから死んでいったやつらにはありがとうと言う。死んでくれてありがとうと。

もちろん最初からそう思えたわけじゃなくて、仲間の死を何回も経験していくうちに身についた考え方なんだけどな……。

我々が覚せい剤や麻薬などの違法ドラッグの常用者に抱くイメージは、凶悪・凶暴・乱暴などが一般的だろう。しかし多くの薬物に依存してしまう人はその正反対なのだと近藤氏はいう。

薬物依存者は「いい人」

みんな誤解してると思うけど、薬物依存者ってみんな基本的にはいい人なんだよ。いい格好しいの弱い人間ばかりなんだよ。ダルクに来る人を見てればわかるんだけど、ヤクザでもいじめにあってるようなヤツばっかり。外側は怖いよ。全身に刺青を入れて指も何本かなくてさ、でもそれは強がるために入れてるわけ。相手にいじめられないように自己防衛してるわけだよ。そうしないと生きられない。一番多いのが、子供のころからずーっといじめにあってる人だよ。そうすると他人の顔色ばかりうかがうような生き方しかできなくなっちゃう。

つまりヤク中になっていく人たちはノーの言えない弱い人たちなんだな。みんなでクスリをやろうぜっていうときに自分だけイヤだっていうのは格好つかないから本当はやりたくないと思っててもやってしまうわけ。その後周りがどんどんやめてっても最後まで自分は残ってたっていうパターンが多いね。

クスリを使う人と使わない人の境界線

でも確かに同じ状況にあってもクスリをやっちゃう人とやらない人はいるよ。その違いは「自尊心」だろうね。正しい自尊心があれば「自分は人のために生きてるわけじゃない、自分自身のために生きてるんだ」という考え方を持てるでしょう。そういう人は自分を大切にするからクスリなんてやらない。

クスリをやっちゃう人は自分がどう思うかよりも、周りからどう思われるかの方を大切にするんだよな。アディクション=病的依存ってのは「関係性の依存」だからね。ゆえに依存症者は酒やクスリだけじゃなくて、人にもギャンブルにも仕事にも依存する。たとえば人に依存する人はいつも人の目が気になる。社長が見てるから頑張るとかさ。でも社長のために働く人は、社長がいなくなったらどうすることもできなくなっちゃうでしょ? 自分のために働いてないんだから。

他人のために一生懸命仕事しなきゃなんないってことほど苦痛なことはないよ。仕事なんてのはおもしろいはずがなくて、嫌なことばっかりだよ。それなのに他人のためにやるってなると、同じ時間でも2倍にも3倍にも長く感じると思うよ。学校だってそうでしょ? 嫌な先生や嫌いな授業ってやたらと長いでしょ?

そうなるとクスリを使いたくなるんだよな。クスリをやると時間感覚が早くなるから。例えば夜の12時に覚せい剤をやると朝が来るまで30分くらいの感覚。夕方、メガネのネジが緩んでると思って直しだすと、いつの間にか朝になってるとかね。それくらい時間の経つのが速く感じる。ばーっと集中しちゃうから。

関係性の依存になりやすい人

「関係性の依存」の度合いは、子供のころに育った環境に大きく影響される。例えば子供がやんちゃしたら、親がしつけと称して叱ったりするよね。でも一方で「おまえのこういうところは悪いけど、こういうところはすごくいいんだよ」って、ちゃんとほめられて育った子供は自尊心を持つようになるから関係性の依存にはなりにくい。

だけど叱るばかりでほめることをしなかった場合、子供たちは自分の存在そのものが悪と感じるようになっていく。俺は悪い子供だと。多いのが、お父さんとお母さんの関係が悪かったり、離婚して片親で育った子供。親からの愛情のバランスが悪かったり、愛情を十分に感じられないとそうなる。俺の場合も幼いころに両親が離婚してつらい時期があった。母親に一緒に死んでくれって言われたこともあるしね。そういうことが自分を大切にしないような人間になってしまったひとつの原因であるかもしれないよね。ただ俺が救われたのは片親だったけど親の愛があったことだね。

依存の連鎖は社会的損失

そもそも離婚の原因はだいたいお父さんの浮気とか酒とかバクチとか多重債務でしょ。それもやっぱりアディクションだよね。それが子供に連鎖していく、次の世代に同じような依存症者を作っていくということなんだよな。一時期流行った「アダルトチルドレン」も元々はアルコール依存症の親の子供って意味だしね。

そういうアディクションの連鎖は社会的な損失なんだよな。ヤク中になってる人たちは社会的に死んでるわけだから。将来的な社会的損失を食い止める意味でも、薬物依存者の回復支援は重要なんだよ。

ダルクを運営していく過程で、個人のため、そして社会のために薬物問題に取り組む必要を痛感した近藤氏は2000年にNPO法人の研究機関を立ち上げた。 次回はどのようにしてより大局的な立場から薬物依存者の回復を支援しているのか、その具体的な方法論に迫る。

薬物依存者はみんな仲間 だから見捨てられない

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