キャリア&転職研究室|魂の仕事人|第21回 医療コーディネーター 岩本ゆり-その3-ひとりの患者が仕…

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魂の仕事人 第21回 其の三
初めて死を身近に感じる現場 ひとりの患者との出会いで 仕事観が変わった
岩本氏は助産師として病院に3年間勤務した後、辞職。半ば逃げるようにして海外へ飛び出す。しかし、逃げた先には何もなかった。痛感したのは「やっぱり仕事がしたい」。帰国後は気持ちがブレることはなかった。  
医療コーディネーター NPO法人「楽患ねっと」副理事長 岩本ゆり
 

増大する責任とプレッシャーで辞職

 

 病院を辞めた理由は大きくふたつあって、まずはすごく責任とプレッシャーが大きくなってしまったからです。勤務していた病院は私立の大学病院だったので、3年目にもなると自分がリーダーになって、一人で現場を見ないといけなくなってしまいました。でも、まだそこまで自分は育ってないと思ってた。まだ自分には責任が重過ぎると。世間では医療事故について騒がれていた時期でしたし、病院側の体制もけっこう甘かったから、もしかしたら大きな事故を起こすかもしれないと思って、怖くなってしまったんです。

 もうひとつは、やっぱり自分は死ぬことに興味があると思ったので、次はホスピスに行きたいと。その前にいったん辞めてリセットしようかと思ったんです。

 病院を辞めてからは旅に出ました。母の母国やいとこに会いに、カナダ、アメリカ、メキシコ、エクアドル、オーストラリアなど、海外を転々としていました。

 旅に出た理由は、ちょっと仕事から離れてみたいと思ったんです。過剰な責任から逃げてきたような気持ちもあったので、これから看護師をずっと続けていけるのかな、また、ずっと死に対する仕事をしたいと思ってきたけど本当にこれでいいのかなというのを、一回見つめ直したいと思って。

 でも1カ月くらいでもうヤだな、遊んでいるのがつまんないって思うようになっちゃった。遊んでいるより仕事してる方が好きなんだって、辞めて初めて気づいたんです。でも、せっかく辞めたから1カ月で戻るのもなんだなと思って、1年間は海外をブラブラしてました。でも旅行中も、早く仕事がしたくてしょうがなかったですね。それで予定より早めに帰国しました。

婦人科に再就職
 

 帰国後は産科に戻るか、ホスピスに行くか、考えたんですが、やっぱり死に対して興味を持ち続けているから、ホスピスに行ってみようと。今までは、ずっと死のそばで仕事をやりたいと思いながらも、いざそっちへ行ったら死の恐怖の方が増幅されるんじゃないかって、足を踏み入れるのが怖かった。でもやっぱり行きたいとそこで思いました。

 死への興味が最大の理由ですが、そこから逃げたら、自分が死ぬ時に後悔するんじゃないかなって思ったんです。逃げてちゃいけないって。

 そのとき、次の勤務先は国立の病院にしようと思っていました。なぜかというと、やっぱり国立の方が医師のレベル、病院の体制などいろんな意味で安心して仕事ができそうだなと思ったからです。

 それでちょうど帰国したときに入職試験を受けられるのが東京大学病院くらいしかなかったので、試験を受けて入職したんです。配属先は産科以外のがんの患者さんがいるところを希望したのですが、配属されたのは婦人科でした。

27歳で婦人科の看護師として再スタートを切った岩本氏。しかし疾病をもつ患者のケアは、これまでと何もかもが違った。また壁に当たったが、発想の転換と行動力で乗り越えていった。

レスポンスの違いに悩む
 

 婦人科に入ってみて、産科と婦人科の患者さんってこんなに違うのかと衝撃を受けました。その大きな違いは患者さんからのレスポンス、反応なんですね。産科では、ストレートに聞いたらストレートに戻ってきたんです。不満・要望を含め、本音が返ってきた。

 しかし、婦人科では「どうですか? 大丈夫ですか?」って聞いても「大丈夫です」としか返ってこない。とても大丈夫そうじゃないんですけど、大丈夫ですと言う。看護師さんには忙しくて頼めないとか、よくやってもらっているからこれ以上何も言えないといった、看護師に対する遠慮がすごくあったんです。

 がんの患者さんは病歴も長いですし、抱えているものもすごくたくさんあるんですが、病院の中では一対一でじっくり話を聞く時間もなかなかとれないんですよね。治療をする時は入院して、治療が終われば退院して、という細切れの関わりですから。そんな中でどういうふうにサポートしていったらいいか、すごく悩んだんですね。

打開策が「楽患ねっと」誕生のきっかけに
 

 病院の中ではなかなか答えが見つからなかったので、外に出ていろんな所から話を聞いてみようと、勉強会を見つけて参加するようになりました。婦人科に入って1年くらいのころでした。

 でも勉強会に行くと、医療関係者しか集まってなくて私が聞きたいような話が全然聞けなかった。これじゃダメだと思って医療関係者じゃない、一般市民の勉強会みたいな所に行こうと思ったんです。

 いろいろと探していく中で、ホスピスボランティアを育成する会を見つけました。上智大学の夜間講座だったんですが、アルフォンス・デーケンさん(注1)というすごく有名な教授が主催者だったので参加したんですね。

 そしたら、さすがにみなさん、ホスピスボランティアになりたいだけあって、生や死に対する意識が高かったですね。ほとんどが遺族だったり、身近な人をホスピスで亡くされたという方が多くて。そこで初めて、「病院の中じゃ言えなかったけど──」、という本音をすごくたくさん聞けたんです。言えない理由もそこで初めて聞けました。「人質にとられているようなものだから言えない」、「言っても分かってもらえないから言えない」と。みなさん、「今になって初めてそういうことが言える、病院の中にいた時は言えなかった」って言うんです。そういう話を聞いて、ショックを受けましたね。

 あとはインターネットで、患者さんたちが集まっているサイトがたくさんあって、そこでも患者さんの本音がたくさん出ていました。やっぱり、そういう本音を聞きたいと思っても病院の中では聞けないし、でも一方で患者さんは本心を病院側に伝えたいと思ってる。そこの橋渡しをする役割ってないのかなって考えていたところ、そのボランティア講座に同じように考えている人が何人かいました。その人たちで集まって作ったのが「楽患ねっと(注2)なんです。

 看護師をやりながら「楽患ねっと」もやるのはすごくたいへんでした。睡眠時間を削りながらの作業でしたが、私ひとりじゃなく、夫や仲間と一緒にやってましたから。それに、私にとっては「楽患ねっと」が趣味みたいなもので、やってて楽しかったので全然苦にならなかったですね。

 

注1 アルフォンス・デーケン──1932年ドイツ生まれ。死生学者、上智大学名誉教授。神父でもある。1974年から上智大学で「死の哲学」などの講義を担当。学内だけでなく、広く一般市民向けに、余命僅かな人々のためのホスピスのあり方などの講義、講演活動などに取り組んでいる。(詳しくはコチラ

注2 「楽患ねっと」──詳細はインタビュー其の一を参照

ホスピスだけではなく、婦人科にも死を間近にした人はたくさんいた。初めて身近に感じる死。しかし岩本氏が感じたのは、恐怖よりも安心。そして自らの役目を自覚する。

初めて身近に死に接して
 

 婦人科には末期がんの患者さんもたくさんいらっしゃったのですが、意外とみなさん怖がってなかったんですよね。死にゆく人はみんな、死にたくないって叫んで死ぬのかなと思っていたんですけど、実際はそうじゃなかった。

 死までの長いスパンの中で、死に対して慣れるというか、考える時間がたくさんあって、最後は受け入れられる。「これが当たり前のことなんだよね、寂しいんだけど」って言って亡くなっていける人が、たくさんいるんだなと。以前はそういう、すべてを受け入れて安らかに死んでいけるのは、悟りを開いたような特殊な人だけなんじゃないかと思ってたんですけど、そうじゃなかった。ほとんどの人が当たり前のようにそうやって死んでいけるんだな、自分もそういうふうになれるんじゃないかって、少し安心したんですね。

 でもやっぱりそうじゃない人もいました。最初は、安らかに逝ける人とそうじゃない人との差が分かりませんでした。病院の中だけにいる間は。外に出て初めて本音を聞けて、こうやって生きてきた人は安らかに死んでいけるんだなってことが分かってきたんです。

今日をちゃんと生きてきた人は死を受け入れられる
 

 違いはその人の生き方だと思います。今までの人生に納得や満足をしていたり、自分のやるべきことをやったと思えている人。年齢は関係ないんですよね。若くても今日やることは今日やったと思えるような生き方をしてきた人は、今だろうが先だろうが、人はみないつかは死ぬんだからと、死を受け入れられるみたいなんですね。

 それは何も大きい目標をやり遂げたという満足感ではないんです。人生の目標ってどんどん出てくるんですね。子どもが大きくなったら次は孫とか、孫の結婚式まで生きたいとか、そういう欲求がたくさん出てくる。そうではなくて、本質的な意味で、毎日を満足して過ごせればいいと思える人は、明日でも明後日でも大丈夫というところまで行き着けている気がするんですね。ここまで、という大きな目標を持っていると、逆に不満足になっちゃったりしますから。

 いつも不満足な人、本当はこうしたかったああしたかったと、いつも言っている人は、どこまでいっても不満足のようでしたね。

役割に目覚める
 

 それから、豊かな人間関係をもっている人も安らかに亡くなられていましたね。死が近くなったとき、いろんな人との関わりを持っているので、自分の存在意義というか、私はこんなに幸せなんだなと実感することができる。それで、かなり満足する人が多かったです。

 人との関わりがないと、自分だけで抱え込んでしまって先に進めない。やっぱり死の不安を消化する期間とか、誰かと話し合う期間って必要なんですよね。孤独な人って、不満足な人が多かったような気がします。

 その、死の不安を消化する期間が必要なんだってわかってから、患者さんにそういう話をするのが私の役割なんだなって思うようになりました。普通は、死に近い場所に足を運びたくないですよね。「私は本当に死ぬんですか?」って聞かれる場所に。むしろ私はそんな人のそばにいたいと思っていたんです。

これまでとは勝手が違う婦人科。そこでの経験は強烈だったと岩本氏は振り返る。中でもある患者との出会いは、彼女のキャリア、生き方を決定付けるものだった。

患者ではなく友人として
 

 私が入職して初めて入院してきた女性患者さんで、すごく歳の近い方がいました。子宮がんでしたが、最初は入院して手術すれば治るだろうといわれていました。

 彼女とは歳が近かったこともあって、友人のような関係になりました。今までは患者さんがどんなふうに生きてきたのか分からないまま看護師としてケアしていたのですが、彼女はすごく本音を話してくれたので「こういうふうに病気と関わってきたんだ」というのを知ることができました。

 そういうこともあって彼女を友人のように思ってましたので、これまでの患者さんと違うふうに見えたんですね。

 これまでは患者さんとは一歩距離を置いて、看護師としてどう関わるべきかと考えながらケアをしていたんですが、彼女の場合は、もっと何かをしてあげたいという気持ちがすごく出てきてしまった。私は看護師なんだけど、彼女にどう関わっていいか分からなくなってしまったんですね。だから病院から一歩離れてみようと思ったんです。

 例えば抗がん剤で病院のご飯が食べられない、でもちょっと出かけて何か食べたいという時は、一緒に連れていってあげたいとか、何か買って持っていってあげたいと思ったり。彼女は田舎からご主人と出てきたばっかりで、周りに知り合いが全然いなかったんですね。買い物もできないような状況で、どうやって暮らしてるのかなとか、すごく気になりましたし、そういったサポートが何もないような状況だった。でも、かといって自分が彼女の世話をしていいんだろうかとか、看護師としてどう関わるべきなのか、分からなくなってしまったんですね。

制限のある関わりではだめ
 

 考えた末に出た結論が、何の制限もなく、常に彼女のサポートができる医療関係者がいてもいいんじゃないかなということです。そういう人がいてくれることは、彼女にとっては本当に心強いんだろうなと。彼女とは友人のように関わりたいと思ったんですね。

 「看護師はここまでしかできない」という関わり方はしたくなかった。病院内での細切れの関わりだけでは、心の底まで入っていくことはすごく難しいから。それができないと心のケアもできないから。また、病院の中にいると、病院の立場でしか関われないんですよね。他にもっといい病院があるとか、もっとこういう治療をしたらいいのにといったことを、知ってても言えない。そういったやりたいことが病院の中ではできないと分かった時に、別の働き方がしたいと思うようになったんです。

職業観が変わった
 

 彼女は入院して1年後くらいにがんが再発して亡くなりました。亡くなる直前に彼女は家に帰りたいって言ってたんですけど、医師が心配だから帰せないって、結局家に帰れず病院で亡くなりました。そのときもっと他のやり方があるはずだったんだけど、その選択肢を見せられなかったんですね。

 だから結局私は彼女に対して何もしてあげられなかったと思っていたんですけど、最期の最期に、彼女に「辞めないでね」って言われたんです。「絶対看護師は辞めないでね」って。「あなたがいてくれてほんとうによかった」って……。

 悲しかったんですが、そういってもらえてすごくよかったなと思いました。今後も患者さんとこういうふうに密に関わっていきたいなと思ったんですよね。何のしがらみもないひとりの個人として患者さんと向き合いたい。必要な時に駆けつけられる存在でありたいと。

 だから、仕事も適当にやって、結婚して子供ができたら辞めるというような働き方は絶対したくないって思いました。

 そういう思いが現在の職業である医療コーディネーターになろうと思った最初のきっかけだったんです。彼女の存在があったからこそ、今の私があると思っています。

 

ひとりの患者と深く心を交わした体験は、岩本氏の看護観、仕事観を確かなものにした。この後、念願のホスピスに異動。そして医療コーディネーターとして独立する。

次回の最終回では、岩本さんにとって仕事とは何か、働くということとはどういうことか? に迫ります。乞うご期待!

 
1.2006.4.9リリース 患者と社会をつなぐ仕事に
2.2006.4.16リリース 死への興味から、看護の道へ
3.2006.4.23リリース ひとりの患者が仕事観を変えた
4.2006.4.30リリース 仕事とは人生そのもの

プロフィール

いわもと・ゆり

1972年神奈川県出身、34歳。医療コーディネーター、NPO法人「楽患ねっと」副理事長。看護師、助産師、看護学士の資格をもち、日本看護協会広報委員も務めている。医療コーディネーターとして、「楽患ねっと」副理事長として、日夜患者のために尽力している。2児の母でもある。

幼少期に感じた死への興味から看護師の道へ。産科、婦人科、ホスピスの看護師など7年間の看護師生活を経て、2003年医療コーディネーターとして独立。死期が近い患者の「自分らしい人生を送るための」自己決定をサポートしている。

看護師時代の2000年に「もっと患者の本音を医療機関・社会に届けたい」と「楽患ねっと」を設立。2002年にはNPO法人格を取得、副理事長に就任。

また、2006年には看護師とケアギバーのコミュニティブログ「Not Only Nurse」を開設、患者本位の医療を実践する看護師とケアギバーに有益な情報を発信している。

■岩本さんの詳しいプロフィールはこちら

※医療コーディネーターの活動に興味のある方は、 yuri@rakkan.net までご連絡を。

■「NPO法人 楽患ねっと」のWebサイト
■「Not Only Nurse」のブログ

 
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