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魂の仕事人 第20回 其の一
長年築き上げた評価や実績を捨て46歳から未知なる世界へ 大学と社会をつなげる仕事を志す
コオプ・コーディネーターという仕事を知っているだろうか。大学と社会をつなげていこうという、これからの仕事である。そんな未知の領域に46歳で飛び込んだのは、元埼玉県庁の伝説のキャリアカウンセラー・小島貴子氏。なぜ小島氏は14年も勤めた居心地のいいはずの場所を捨て、職業定義すらも定まっていない未知の領域へと足を踏み入れたのか。その仕事観を聞いた。  
立教大学大学院ビジネスデザイン研究科・准教授 コオプ教育・コーディネーター キャリアカウンセラー 小島貴子
 

コオプ・コーディネーターとは

 

 2005年5月から立教大学のコオプ教育・インターンシップオフィスという部署で「コオプ・コーディネーター」として働いています。

 「コオプ・コーディネーターって何?」って皆さん思うでしょうが、それも当然で、まだ日本では「これこれこういう仕事です」とは職種として確立されてないんです。だから現時点で具体的な仕事について説明するのは難しいのですが、今立教大学が考えているのは、「社会と大学をつなげていく仕組みを作る仕事」ということです。

 アメリカにはすでにコオプ・コーディネーターがいるのですが、地域産業とコミュニティカレッジを連携していくというような職種の教員なんです。立教大学でこれから作ろうと考えているものは、もう少し広範囲な、社会と大学をつなげていくということなんですね。

 学生に関して言えば、個人のキャリアについても当然学ばなければならないのですが、今、社会はどんどん激変していますので、そんな社会の中で生き方とか働き方を考えていけるような仕組みをこれから作っていこうとしています。

 だからコオプ・コーディネーターという職業の定義づけはこれからですね。今年の4月以降から、具体的に研究と実践を進めていく予定です。

立教大学に転職する前は、埼玉県庁の職員・キャリアカウンセラーとして14年間もの長きにわたり、若年者や中高年の就職指導に携わってきた。入庁以来、7年連続で就職率100%を達成し、著作も多数出版するなど数々の結果を出し、行政内外からも高い評価を得てきた小島氏だが、なぜ46歳にして居心地の良いはずの場所からすべてがこれからの新天地への転職を決断したのだろうか。

制限のある仕事のやり方に違和感
 

 埼玉県庁を辞めたのは、立教大学に呼ばれたからではありません。私自身のキャリアを考えてのことです。

 理由はいろいろあるんですが、まず、行政って当たり前ですが制限のある仕事なんですよね。特に年度でする仕事が中心です。本来、キャリアというのはずっとつながっていくものですので、年度で仕事を切っていくということに、非常に違和感を感じ始めてしまったんです。

 また、埼玉県に14年近く勤めて、これから先、定年まで自分がどういうステップを踏むかというのが見えたような気がして。行政だから、たぶんこうなるんだろうなあというのが、ある程度読めるんです。

 私が県でやってきたことの多くは「自分の思い」の部分が強かった。自分の思いとかやりたいことと社会が一致したので、たまたまうまくはまったと思うんです。だけど、一方では、県や仲間にすごく迷惑もかけてたんだとも思っているんですね。正直言うと、すごく協力してもらいました。私単独では絶対あの仕事はできなかった。上司の理解、仲間の協力、そういう目に見えない支えがあって最後の10年間は頑張ってこれたんだけど、今後もそのまま60歳の定年までやっていくのかと思うと、それもしんどかったというのも正直あるかな……。

46歳のときの「3年後」には「県」がなかった
 

 でも最大の理由は、私の3年後に「県」がイメージできなかったことです。どういうことかというと、私は3年ごとにやりたいことや、なりたい自分をイメージして、それを実現するためにやるべきことを決めるんです。46歳のとき、「もうすぐ50歳だな、50歳のときの私はどこで何をしているんだろう、何をしていたいんだろう」と考えたんですが、初めて「県」が頭に浮かんでこなかったんです。それまでは、埼玉県の公務員として、キャリアカウンセラーとして、やりたいこと、やるべきことをイメージして仕事をしてきたんですが、それが浮かんでこなかったんです。

 いつも、自分に尋ねるときにはできるだけ正直に自分の内なる声に耳を傾けていたんですが、「公務員じゃない私だったら何をしたいのかな、何ができるのかな」と思ったときに、自分の中で、「公務員を辞める」という選択肢が無意識にあるんだなと思ってけっこうショックだったんです。

 たぶん、自分の中では行政を出るというのは、辞める3、4年くらい前から無意識のうちにあったと思いますよ。言語化もしてないし、意識にもなってないけれど。仕事自体はうまくいってて、やりがいも感じてましたが、このままではいつか、壁にぶち当たるだろうと潜在意識の中で思ってたと思いますよ。

自分で自分をはめ込んでいた
 

 入庁以来、県庁の中でずっと新しいものを作ってきました。だから、今後も常に新しいことをってやっていかないと自分じゃないのかな、って思いこんでたんですね。

 そういう意味ではけっこう苦しかった。というか行き詰ってましたね。よくあるパターンで、自分をはめ込んじゃってたんですよ。苦しいときってそういうふうにはめ込むほうが楽ですから。カウンセリングで私が、四面楚歌になった人に「そういうふうに自分で自分を決め付けていたら、再就職はなかなか難しいですよ」って言ってたことを、その時、自分でやってたのね。私が今まで就職支援した方と同じような状況だったんですね。

 考えてみると40歳を過ぎても新しいことを始めたりしてたのは、たぶん自分の職業興味が低下してたからなんですよ。新しい何かを作ることによって仕事のモチベーションを上げていたところがあったのですが、そのタイマーが切れたという感じでもあったんですね。

 その時に初めて、キャリアカウンセリングをするときにクライアント(相談者)にやっていただくような手法、「天秤にかける」っていうことを自分でやってみたんです。

 県を辞めることで失うもの、デメリットは、まず「生活の安定」、そして「社会的な信頼度」ですよね。やっぱり公務員だからキャリアカウンセラーとして信頼されていた部分があるわけで、それがなくなってフリーで仕事ができるとは思いませんでした。また、経済的にも、実際にフリーという立場で、キャリアカウンセリグを生業にできている方って、基本的にまだいないと思うんです。そういった事実を十分に分かっていたので、それでもあえて県を離れるメリットってあるのかなって考えたら、非常に不安になりました。

 しかし、その不安よりも自分をもっと活かせる、新しいことをやってみたいという気持ちの方が強かったんです。

離れることよりもい続けることが怖かった
 

 実績もあるし、慣れ親しんだ場所を離れることに怖さは感じなかったか? いえ、そういう怖さよりも、自分が煮詰まったまま腐っていくことの方が怖かったんです。だからここを離れて未知のフィールドで働いていたほうがいいなと思ったんです。また、確かに居心地のいい場所を離れるのは怖いけれど、反対に全く未知の場所で居心地の悪い場所にいる自分を知るというのも、今後のキャリアのためにいいかもしれないとも思ってました。

 それに 自分のポリシーに、「一番にはなれないけど、一番最初にやることはできる」というのがあるんです。いろんな人の中でトップになることは難しいけれど、一番最初にやることはできるんじゃないかというふうに思って、実際これまでやってこれたので、まあなんとかなるかなと。

 さすがに50歳を越えたら、辞めるが勇気なくなるかもしれないと思って、2年前、今辞めようって決意したんです。

 辞めるかどうか迷ってたとき、イタリアに住んでる私の親友がすごくいい言葉をくれたんです。「ひとつの扉が閉ざされたら、100の扉が見える」って。ああ、なるほどな、と思って。公務員という扉を閉ざしたら、100のチャンスが見えてくるということですね。そのひとことが私の背中を強く押してくれたんです。

小島氏は自分のキャリアを3年ごとに考えるという。なぜ3年後なのか。そこにはさまざまな理由があった。

3年ごとになりたい自分を想像する
 

 なぜ3年ごとに目標を立てるかというと、5年先、10年先を想像するのは難しくても、3年先なら考えることができるからです。3年先がわからないと、今何のために生きているかわからないですよね。

 私がキャリアカウンセリングを最初に学んだときに、「10年後のあなたはどこでどんな朝を迎えていますか? 眼を閉じて浮かんだことを正直に答えなさい」というグループワークをやったんです。その時、私の脳裏には「朝起きたら、今日はどんな仕事をしようか、考えてる自分」っていうのが浮かんだんです。当時は公務員だったんですが、「ええ!? 私って自分の一日の仕事を考えるようなことを、自分の無意識の中に持っているのかな」というのに驚いて。

 その時から、やっぱり常に自分のちょっと先の未来を意識しないと、今日の私は何のために生きているかわからないな、無意識に生きているわけじゃないけれど、無自覚には生きたくないなと思ったんですよ。だからちょっと無理でも、プライベートでもいいし、仕事でもいいし、生き方っていうかライフスタイルでもいいから、3年後の自分を考えたほうがいいと思うんですね。

 そもそも、3年先の未来を基準にすると、今がその3年前の過去なわけだから、私たちは未来に向かって生きていて、常に過去を生きていることになりますよね。

 人生っていつも後悔の連続なんですね。あの時ああすればよかった、こうすればよかったって思う。でも絶対に時間は戻らないわけですよ。

 「あの時ああすればよかった、こうすればよかった」というのは、実は、「あの時」っていうよりも「今、この時」がわからなかったから、「あの時」できていない、ということなんですね。

だから、3年後の自分はこうなっていたいと思ったら、そのためには今、何をすべきか見えてくる。

 私もいつも3年間は突っ走れるようなものを目標にしてました。そのために、いろんな障害を自分で取り除いて前に進んで、というふうにやってきました。そのエネルギーは3年くらいしか続かないなっていうのがわかってたから。

 でもね、しょっちゅうキャリアのことを考えてなくてはならないかというと、そうでもないと思いんです。じゃあいつ考えればいいかというと、閉塞感を感じるときですね。なんだか今やっている仕事っておもしろくないなっていうとき。勢いのあるときやうまくいってるときって、何も考えないのね。考える必要がないから。

県庁を辞めると決断したはいいが、それからのことは何にも考えていなかった。在職中の転職活動もしなかった。キャリアカウンセラーとして大勢の老若男女の就職・転職指導をしてきた小島氏にしてはいささか意外だが、その裏には譲れないこだわりがあった。

「予定は未定」で退職
 

 辞めると決断してからも、これからこういう仕事をしていこうというような確固としたものは全然なかったんです。だから無謀といえば無謀なんですけどね。

 でも、私と夫の間で決めたポリシーがあるんです。それは生きていく上で人とお金に借りを作らないということ。これまでもとりあえず借りを作ってないので、次の仕事が決まらなくてもしばらくはぎりぎりの生活だったら生きていけるだろうと思ってて。もう子供も大学生だし、あとは学費だけだからなんとかなるかなって。でも、本当はたくさんの人に助けられて「借りっぱなし」なんですけどね。

 それに、やっぱり自分が公務員だったから就職支援ができたり、キャリアカウンセラーの現場を持てていたわけなので、公務員でいる間は絶対にそれ関係の転職活動はしないって決めてたんですよ。

 もうひとつは、県庁を辞めてからも、今まで培ったノウハウを民間企業に切り売りすることはしないと決めてました。これはある意味県のものですから。退職するときに「どこかの就職支援企業に引き抜かれたんじゃないか」とよく言われたんですが、それはしないということだけは職業倫理的にないと決めてたんです。

 辞めるとき、「3年間は民間に行きません」って上司にも伝えたんです。3年ごとに自分のライフスタイルを考えてるので、職業倫理としてもそれは絶対守りますと。ただ、また3年経ったときの自分のスタンスとか考え方、生き方は変わっていると思うので、3年後については今は言及できませんっていう話をしたんです。とにかく上司や同僚には、辞めた後に、なんだよ小島、って言われないような生き方をしようと固く心に決めていました。

 でもね、それはキャリアカウンセリング的に一番ダメな再就職の仕方なんですよ。自分を追い込んでたんですね。本当はもっと広い視野でいろんな角度から考えるべきなんですよね。

名刺がないつらさ
 

 県庁を辞めた後はものすごくブレてましたよ。私は何をしたいのかなって。3月いっぱいで退職したんですが、4月1日から全然行く場所がないわけですよ。だから大学院でも行って勉強しようかなとか思ってたんです。

 県庁を辞める少し前から、そろそろ勉強しないとまずい思ってたんです。これまではキャリアカウンセリングの現場でがむしゃらにやってきたんで、実践での経験はたくさん持っていても、カウンセリングのきちっと体系だてた勉強ができなかった。だからこの辺りで少し勉強するというのも、自分にとって必要なのかなと。14年間ずっとアウトプットばっかりだったんで、これはもう、早晩、自分が苦しくなるだろうと思っていました。

 でも辞めた後も、メディアから取材を受けたり、本の原稿の締め切りとか、いろいろと忙しくて。

 今では笑い話なんですけど、4月の半ばに毎日新聞の取材を受けたんですね。その時、名刺がなかったんです。何回も取材を受けてても名刺がないんですとか、フリーターですとか言っているうちに、だんだん顔がひきつってきちゃって。今まで相談に来られた再就職志望の人に、名刺がないつらさは聞いていて分かってたつもりだったんですけど、自分が同じ立場になったら、これは想像を絶するなと。

 その時に、自分の居場所がない、肩書きがないということは非常に不安だと、改めてわかったんです。だからこの団塊の世代が離職していく世の中で、あの自分の体験はムダじゃなかったなと思います。自分も40代半ばで組織から離れるということを経験したわけですから、離職する中高年の気持ちもこれまで以上によくわかるかなと。

 だからやっぱりどこかに所属しようと思いましたね。私という人間はフリーランスでは生きていけないって。それで、どこがいいかなと思ったときに、私が一番やりたいことができるのは大学かもしれないと思ったんです。大学の中で社会とつながっていけたらいいかなと。

大学を選んだ理由
 

 大学って、いろんな意味ですごい資源を持ってるんですね。まず教員というすばらしい資源でしょ、それからキャンパス、学生という可能性の宝庫。やっぱり学びって魅力なんですよ。学びたいという意欲は、誰の中にでもある成長の意欲ですから。そう考えると、少子高齢化の中で大学というのは社会を引っ張っていくものになるんじゃないかなって。

 また、自分のキャリアアンカーのひとつは「公共性」なんですね。これがすごく強いんです。教育って基本的に利益追求ではありませんよね。国や社会が取り組む問題で、かなり公共性が強い。その点でも、「大学」はたぶん私のやりたいことと合致してると思うんです。

 それで大学で働けるポジションがないかなと思って、立教大学の知り合いの先生や職員の方たちに連絡を取って相談したんです。そしたらたまたま、立教でも新しい形の教員をこれから探そうと思ってたところだって。それならぜひ私にやらせてください! って言ったらOKをもらえて立教に入ったんです。

 タイミングがよかったんですね。それと、就職支援でもいつも言っているんですけど、自分でおぼろげにでもいいから「こっちかな」という方向が見えてきたら、その方向に近い人たちに話すことが大事なんです。だから私も大学かなと思った瞬間に、「大学で何か仕事ないですか?」って、いろんな大学の人に声をかけました。そうやって自分から発信していたのもいい結果に結びついたんだと思います。

 

14年の間に、埼玉県庁の職業訓練指導員、そしてキャリアカウンセラーとして驚異的な実績を残した小島氏。しかし、埼玉県に就職する前の小島氏はごく普通の主婦、さらにその前は銀行員だった──。

次回は夢も希望もなかった少女時代、そして銀行員から普通の主婦を経て、カリスマキャリアカウンセラーとなるまでに迫ります。乞うご期待!

 
2007.3.12リリース@大学と社会をつなぐため 46歳から新たな世界へ
2007.3.19リリースA普通の主婦から キャリアカウンセラーへ
2007.3.26リリースB仕事のやりがいは 人生の支援
2007.4.2リリースCワークステーションを 作りたい

プロフィール

こじま・たかこ

1958年、福岡県生まれ、48歳。立教大学大学院ビジネスデザイン研究科・准教授/コオプ教育・コーディネーター/キャリアカウンセラー。

高校卒業後、三菱銀行(当時)に入行。7年間、窓口業務、社員教育などを担当した後、出産のため退社。7年間の専業主婦生活の後、32歳で職業訓練指導員として埼玉県庁に入庁。以後、県庁の中に初めてキャリアカウンセリングを取り入れたり、中高年を1000人以上再就職に導くなど、14年間で数多くの老若男女のキャリア支援において驚異的な実績を残す。

2005年3月埼玉県庁退職。同年5月から大学と社会をつなぐコオプ・コーディネーターとして立教大学に着任。2007年4月からは立教大学大学院ビジネスデザイン研究科の教員として教鞭を執る予定。平行して人材育成プログラム開発・企業の定着支援から就職・セミナー講師や、キャリアカウンセラーとしても活躍中。

『働く女の転機予報』、『我が子をニートから救う本』、『もう一度働く!55歳からの就職読本』など著書多数。

■主な実績
02年 緊急地域雇用創出交付金事業として、就職アドバイザー雇用と職業訓練生への就職支援プログラムを企画・運営

03年 「彩の国キャリア塾」として多方面のキャリアデザインの研究および講座の企画のほか、キャリアカウンセラーの養成に携わる

03年 日経ウーマン・オブ・ザ・イヤーキャリアクリエイト部門を受賞

05年 6月〜、厚生労働省「若者の人間力を高める国民運動」実行委員

05年 6月 埼玉県「ニート対策評議」委員

06年 11月〜、東京都「青少年問題協議会」委員・秩父市政策アドバイザー

 
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魂の言葉 魂の言葉
一番にはなれないけど、一番最初ならできる 一番にはなれないけど、一番最初ならできる
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取材・構成/山下久猛
写真/bushi-HONDA
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