キャリア&転職研究室|魂の仕事人|第19回 元プロボクサー 坂本博之-その一-ボクシングは仕事ではな…

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魂の仕事人 第19回 其の一
ボクシングは仕事ではなく生き様 嘘がつけない人生そのもの
 
2007年1月6日、ひとりのボクサーがリングを去った。「平成のKOキング」と呼ばれた男の名は坂本博之。これまで4度世界王者に挑戦するもそのすべてに敗れ、ここ数年は数試合しか戦っていない。にも関わらず最後の試合には後楽園ホールが超満員の観客で膨れ上がり、大歓声に包まれた。坂本の何がここまで人の心を動かすのか。まだ左まぶたのテーピングが痛々しい引退直後、ボクシングにすべてを賭けてきた男の「これまで」と「これから」を聞いた。  
元プロボクサー(元東洋太平洋ライト級チャンピオン) 坂本博之
 

できることのすべてをやった
感謝の気持ちでリングを去った

 

写真左/坂本の最後の戦いを見届けようというファンで後楽園ホールは超満員となった。チケットは発売直後に売れ切れたという。ランカー外のボクサーのノンタイトル戦でここまで観客が入ることはまずない。右/もうひとつのニックネーム「不動心」を背中にしょって最後のリングに上がった坂本(写真提供/角海老宝石ボクシングジム)※クリックで拡大

 

 現役最後の試合を終えてまず感じたことは「ありがたいなあ」という感謝の気持ちでした。試合会場は後楽園ホールだったのですが、関東近県だけじゃなく、北海道や九州など、全国からファンの皆さんが駆けつけてくれて、超満員だったんです。試合を終えてリングを降りるとき、会場全体が揺らぐようなすごい歓声だったんですよ。それを聞いたとき、自分がボクシングを15年やってきた、これが答えなんだなと。何かものすごく熱いものを感じたんです。だから感想としては、一言で言ったら、「ありがたい」ですね。

 だから今はアスリートとして、プロボクサーとして、できるだけのことはすべてやった、やりつくしたという実感はあります。これまで15年の現役生活の中で、腰の手術をしたり、長いブランクを経験することで、限界を感じたことも確かにありました。でも、そこからまた向上しようと、肉体改造の新しいトレーニングを取り入れたりしたんです。でもそれもいよいよ限界だなと。やるだけのことはやった、ここまでだな、と自分の中で線を引けた。そういった意味では、ものすごく満足、現役生活には満足しています。

坂本は現役時代、驚異的なタフネスさとパンチ力を誇ったファイターだった。パンチを浴びても前に出続け、最後は自慢の強打で相手をマットに沈めてきた。坂本が引退を決意した理由は、そんな本来のファイトスタイルに起因するものだった。

自分の身体なのに自分の身体でないような
 

 引退を決意したのは2006年の11月です。直接的なきっかけとなったのは、自分の身体が自分の身体ではないように感じるようになったってことです。そう感じ始めたのはちょうど1年前くらいでした。

 例えば、以前と比べて一歩の踏み込みが、ゼロコンマ何秒かもしれないけれど、遅いんですよ。ボクシングには、そのゼロコンマってすごく大事で、それが一秒、二秒と遅れたら、相手にパンチは当たらないし、逆にパンチをもらってしまう。そうなるとダメージが蓄積されて、脳とかそういったところに影響が出てくる。現に、そういう兆候はあったんですよ。

 そのころから身体がちょっとおかしいなと思い始めた……。熱があるようなないような、ぼーっとした感じ。でも、カゼじゃないし。それで、MRIとかCTとか脳の検査をやった。結果は影とかは認められなかったんですが、医師は脳にむくみがあるかもしれない、きっとそういった写真には写らないような異変だろうと。だからそういう症状があるうちは練習や試合もやっちゃいけませんって言われて。ほかにも尿蛋白値が高かったり白血球値が高かったり、そういう異常はあったんです。だからといって白血病とか腎臓病とかではなかった。長年のダメージで目には見えないいろんなところにガタがきていたんでしょうね。

 でもボクシングは続けたかった。そこで、トレーニング方法を変えたんです。ボクシングのハードな練習だけではなくて、体幹の中、インナーマッスルを鍛え上げたんです。1年と4カ月かの間で。

 その効果はもちろんありましたよ。去年の1月と6月に2試合やってどちらもKOで勝てたんですが、体調が悪い中でもここまで身体がスムーズに動けたのは、そのトレーニングのおかげかなと。

 だけどそれでもやっぱり、世界を狙えるレベルにまでは回復できなかった。僕もこれまで世界タイトルマッチを4度経験してるので、試合までにどこまで身体のマックスを持っていかなきゃならないかを知っています。引退試合の前に、その世界タイトルマッチに挑戦するようなレベルのトレーニングをやったんです。でも、ついていけないんですよ、体が。

練習でできないことは試合でもできない
 

 一番大事な練習はスパーリングなのですが、世界戦を戦うレベルのスピードやパワーが発揮できなかった。たとえば相手のパンチへの反応が遅れてしまったり、パンチをもらったとき、以前ならかまわず前に出られていたのに下がってしまったり。

 やっぱり、練習でできないことは試合でもできませんからね。トレーニングしてきたことが、リングの上では正直に出る。あの畑山戦(注1)のような、打たれても打たれても前へ出るスタイルができるか、それは僕のプロボクサーとしての生命線というか、一番のパフォーマンスだったしね。それができなくなって、リングの上でごまかしごまかしはやりたくない。こんな状態でリングに上がることは、お金を出して見に来てくれる人たちや、テレビを見てくれる人たちに対して嘘をつくことになる。それは果たして「俺」なのかなと。いや、そうじゃないだろうと。そうすると、俺が俺らしく全力で戦える試合はあと一戦だなと。そういうわけで、去年の11月、ジムの会長に「引退します」って伝えたんです。

 そのときの気持ち? ……まあ、ぷっつりと線が切れたというか。しばらくはぽかーん、という感じだったかな……。ボクシングは僕の人生そのものでしたからね。

 でも、だからこそ最後の試合は僕のこれまでのスタイルで、これまでのすべてを出し尽くそうと思って臨みました。

注1 畑山戦──2000年10月にWBA世界ライト級チャンピオンだった畑山隆則に挑戦、1ラウンドから両者一歩も引かず、激しい打ち合いを展開。坂本は10ラウンドに畑山の右ストレートで初のダウンを喫し、TKOで敗れる。お互いの魂をぶつけ合うような壮絶な試合はボクシング史上に残る名勝負と評されている。

最後の試合、47戦目の相手はタイ国内1位、若さと実力を併せ持つ17歳のカノーンスック。試合開始直後から、身体のキレ、パンチのスピード、スタミナにおいて坂本を上回るカノーンスックが試合の主導権を握る。パンチを浴びてロープ際に追い詰められるなど、全盛期の坂本からは考えられない苦しい展開が続いた。結果は7ラウンド、レフェリーストップによるドロー。しかし坂本は何度倒れそうになりながらも、最後まで坂本らしさを失うことはなかった。

最後の試合ですべてを出し尽くした
 
最後の試合では、ボロボロになりながらも前に出てパンチを繰り出し続けた坂本。彼の生き様そのもののようなボクシングで観客を沸かせた(写真提供/角海老宝石ボクシングジム)
 

 試合は相当きつかったですね。まず、相手のパンチに対しての反応が鈍ってますし。ちょっと前の僕だったら、パンチをかいくぐって、得意のパワーでねじ伏せることができたと思うんです。でもそれが思うようにできなかった。

 
偶然のバッティングにより左まぶたを切ってドクターチェックを受ける坂本(写真提供/角海老宝石ボクシングジム)

 試合は、5ラウンドに相手の頭が当たってまぶたが切れたんですが、その傷が深くなって7ラウンドでストップ。判定の結果ドロー(引き分け)になったんですが、その結果に対しても後悔やわだかまりはありません。6ラウンドにレフェリーに止められそうになったんですが、「いや、まだ大丈夫だからやらしてくれ」って言って。そしたらレフェリーも、「これ以上深くなったらダメだぞ」ってやらせてくれたんです。だから、あれ以上試合をやってたら僕の目がひどいことになっていたかもしれない。そこは医師の判断ですから。喧嘩じゃないんで、ボクシングは。

 でも、確かに、結果としてはドローで終わったけど、僕自身の打たれてもあきらめずに前に出てパンチを出すという姿は、最後の試合でファンの皆さんに見せられたと思ってます。もうこれが最後なんですっていうね。

 リングの上では嘘をつくことができないんですよね。トレーニングでやってきたこと、思っていることがリングの上に出るわけで、まさにそれが出ましたよね。トレーニングを精一杯やってきて、あれなんですよ。でも、あれで倒れなかったのは、トレーニングだけはきちっとやってたから。やってなかったら、もう、ころっと倒れちゃってますよ、もっと早いうちに。パンチをもらって足にきてるの、分かってましたからね。カクン、カクンって。トレーニングをやってきたから耐えられたんです。でもあんな試合はもうできない。

 
現役最後の試合は47戦の内、初となるドロー。試合後、「これもまた人生かなと」と語った(写真提供/角海老宝石ボクシングジム)

プロボクサーとしては驚異的ともいえる15年にも及ぶ現役生活。途中、腰のヘルニア手術を受け、2年7カ月のブランクを乗り越え、最後の最後まで現役にこだわった。最後にはまさしく満身創痍となっていたが、それだけの魅力がボクシングにはあるからだと坂本は語る。

リングの上では嘘はつけない
 

 ボクシングの魅力は、嘘がないってことですね。自分のやってきたことがリングの上ですべて表現できて、そのまま自分に返ってくる。嘘がつけなくて正直にやってきて、真っ向勝負でいって、その結果はどうであろうが、真面目にコツコツやってきたものが返ってくる。それが15年やってきた中で思ったことですね。

 ボクシングって、試合に向けて欲という欲を殺すんですよね。人間の三大欲である食欲、性欲、睡眠欲、この3つ全部、試合に向けて断ち切らなきゃいけない。そう考えたらボクサーって修行僧に似てるよね。

ボクシングを通して愛情をもらった
 
大勢のファンの拍手と歓声を浴びながらリングを後にした(写真提供/角海老宝石ボクシングジム)
 

 ボクシングから得られたものはたくさんありますが、中でも、人から愛情を受け、また、それに応える喜びを感じられたことが一番大きいですかね。そういう人の情を教えてもらった気がしますね。

 ファンの皆さんはよく、僕の戦う姿を見て、勇気づけられたとか感動したとか言ってくれますけど、僕もまた、その人たちの熱い声援があるからこそ頑張れたわけで。ファンレターの中には、思わず熱いものがこみ上げてくるものもたくさんありました。

 たとえば、刑務所の中から手紙を書いてくれた人もいましたね。僕の試合を見て子供のためにももう一度やり直そうと思ったとか、脊髄を痛めて入院中のおばあちゃんが僕の試合を見て私も頑張ろうと思ったとか。僕も腰の手術をしてますからね。ある学校の先生は、僕のドキュメンタリーのテレビ番組を道徳の時間の教材に使ってるとか。ほかにも印象に残ってるファンレターはほんとにたくさんあります。ものすごく熱い人たちが多いですね。だから僕自身もファンの人たちに支えられてきたというのはすごく感じているわけです。最後の試合が終わったとき、ものすごい歓声や熱い思いを感じて、15年の成果はこれだったな、みんなありがとうって心底思ったんです。

ボクシングは生き様でやる
 

 僕は20歳のときにプロボクサーになって、確かにボクシングで生活してきましたが、「ボクシングが自分の仕事」という意識はないんですよね。僕にとってボクシングは生きがいというか、「生き様」でした。自分の生き様を表現できるものでした。

 僕の友人にもいるんですが、仕事って、嫌々やっている人たち、生活があるからしょうがなくやってる人たちも多いじゃないですか。そういう人たちって生き生きしてないんだよね。僕も友人の仕事や職場の愚痴をよく聞くんですが、「そうじゃないだろ?」ってよく言うんですよ。「自分でそういうふうに持っていってるんじゃないの? もっとその持ち場を自分色に変えてみろよ、そういう気持ちで仕事に接してる? ああだこうだ、できないって言ってるばっかで止まってるだけじゃん、生き様でやんなよ」って。

 仕事をどうやって生き様にするかというのは、その人の頑張りようなんだよね。ある目標を立てたとしても明日から頑張るという人は、まず達成できない。ボクシングだって明日からやるというヤツは絶対強くなれない。大事なのは今。今、やらなきゃダメ。これもボクシングを通して分かったことなんだよね。

 
試合には和白青松園の子供たちや元世界チャンピオンの辰吉丈一郎なども駆けつけ、声援を送った(写真提供/角海老宝石ボクシングジム)
 

今でこそ大勢のファンと熱い交流を交わしている坂本だが、幼少期に死をも思ったつらい経験から、長い間他人を信じることができなかったという。

次回はそんなつらい幼少期を乗り越え、ボクシングを始めたきっかけ、そしてプロボクサーとして生きるということに迫ります。乞う、御期待!

 
2007.2.5 ボクシングは「生き様」
2007.2.12 死をも思った幼少期
2007.2.19 練習で泣いて、試合で笑え
2007.2.26 突然襲った不幸 絶望の日々
2007.3.5 子供たちのために

プロフィール

さかもと・ひろゆき

1970年福岡県生まれ、36歳。日本ライト級チャンピオン、東洋太平洋チャンピオンに輝いた元プロボクサー。2007年1月に現役引退。

幼少時代を過ごした児童養護施設でボクシングのテレビ中継を見て、プロボクサーを目指す。

現役時代のニックネームは「平成のKOキング」。KOの山を築いた強打と打たれても前へ出るファイトスタイルで熱狂的なファンをもつ。4度にわたる世界挑戦の敗退、さらに椎間板ヘルニア手術による2年7カ月のブランクを乗り越え、最後の最後まで現役にこだわる。特に2000年に行われた畑山隆則とのWBA世界ライト級タイトルマッチは伝説の試合としていまだに語り継がれている。

困難や逆境にへこたれず挑戦し続けるその生き様は多くの人々に生きる勇気を与えた。記録よりも記憶に残る不撓不屈のボクサー。

●主な戦績
通算47戦39勝(29KO)7敗1分

1991年12月 デビュー戦をKOで勝利

1992年12月 東日本新人王ライト級チャンピオン(デビュー以来6戦連続KO勝利)

1993年12月 全日本新人王ライト級チャンピオン、日本ライト級チャンピオン

1996年3月 東洋太平洋ライト級チャンピオン

1997〜2000年 4度世界ライト級タイトルマッチに挑戦、敗れる

2002年 腰のヘルニア手術〜リハビリで2年7カ月のブランク

2005年5月 復帰戦に敗れる

2006年1月 3年7カ月ぶりの勝利

2007年1月 現役引退

●詳しいプロフィール、戦績、近況は、
角海老宝石ボクシングジム・オフィシャルWebサイトか、坂本博之さんのブログ:「ラストファイトまで不動心」へ!

●こころの青空基金
坂本氏が2000年7月に設立。各種チャリティイベントなどの募金活動を通じて、全国の養護施設にいる子供たちを支援している。
 
おすすめ!
 
『僕は運命を信じない 不滅のボクサー坂本博之物語』(西日本新聞社)

絶望の中でも夢を追い続け、はい上がってきた坂本の壮絶な半生を通じて、「生きる」という意味を問いかけている一冊。いじめによる自殺、児童虐待などが相次ぐ中、坂本さんは「どんな環境や境遇に生まれようとも、生きてさえいれば人は前に進むことができる」と訴えている(西日本新聞社Webサイトより)。

 
 
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協力/角海老宝石ボクシングジム
http://www.kadoebi.com/boxing/

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