キャリア&転職研究室|魂の仕事人|第18回 ラリードライバー 篠塚建次郎-その二-人生を変えた初ラリ…

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魂の仕事人 魂の仕事人 第18回 其の二 photo
人生を変えた初ラリー ドライバーとしても会社員としても一流を目指した
 
ラリーを戦い続けて40年。三菱時代はサラリーマンドライバーでありながら数々の伝説を作ってきた稀代のラリースト・篠塚氏だが、ラリーの世界に入ったのはほんのささいな偶然からだった。  
ラリードライバー 篠塚 建次郎
 

病弱だった子供時代

 
現在ダカールラリーに参戦中の篠塚氏
 

 よく意外だっていわれるんですが、僕は子供の頃、すごくひ弱でね。それもいつ死んでもおかしくないくらいの病弱だったらしいんです。その頃を知っている人からは、「ぴいぴい泣いてばかりいた子があんな過酷なラリーをね・・・・・・」とよくいわれるんですよ(笑)。

 身体が弱いから、強くなるために何かやらせようと親は考えたのでしょう。小学校の2年生のときから、親父が見つけた乗馬クラブに通うようになり、だんだん体が強くなっていったんですよ。3年くらいやっていたんですが、東京都の大会で2位とか3位にはずいぶんなりました。乗り物をコントロールするのが、そのころからうまかったのかもしれないですね。

 最初に車に興味を持ったのもそのころですね。僕らの世代って、子供の頃、車のある家は珍しかったんですが、親父がけっこう車が好きで、うちに車があったんですよ。だから休みの日にドライブに連れて行ってもらったりして、小さい頃から車に親しんでたから、自然に好きになったんでしょうね。

 小学校高学年から中学生の頃は自転車にハマってました。別に、レースをやるわけじゃなくて、ただ乗ってるというだけだったんですが、東京から小田原まで往復したりしてましたね。理由はないんです(笑)。16歳になるとすぐに自動二輪の免許を取って、バイクに乗るようになりました。でもこちらもレースに出たいとかじゃなくて、普通にその辺をツーリングするという感じでした。

 部活は、僕の通ってる高校に珍しく自動車部があったんで、子供の頃から車に興味があったということもあり、迷わず入部しました。とはいえここでも、別にレースに出るとかサーキットで車を走らせるわけでもなく、車の整備をちょこちょこやる、みたいな感じでした。だから子供の頃からレーサーになりたい!とかではなく、おとなしい普通の少年だったんです(笑)。

ラリーとの出会いは偶然だった
 
2005年11月にイタリアで行われたテスト走行にて
 

 高校卒業後は付属の大学に進学しました。そのころ将来の夢なんてなくて、ただ化学が得意だったから、付属の大学の工学部に入っただけのことです。まったく平々凡々、何も変わったところはなかったですね。

 18歳で普通自動車の免許を取ったんですが、なぜか自動車部には入りませんでした。大学の自動車部って体育会系で、すぐに車を運転できるわけじゃないでしょ。1年生とか2年生の間は車の整備とかナビゲーター(注1)しかやらせてもらえないから、全然興味がなかったんです。だからって、自分で運転して走りたかったわけでもない。

 そもそもモータースポーツには全く興味がなかったんです。というかね、モータースポーツなんてまるで知らなかったし、ラリーという言葉も全然聞いたことがなかった。まだまだ一般的じゃなかったしね。ほんとにごく一部のお金持ちがサーキットでレースをやる。モータースポーツってそういうものだったんだね。

 そんな僕がラリーの世界に入ったのは、まさに偶然だったんです。たまたま大学の友達がラリーをやっていて、通学のバスの中で、「今度ラリーに出るんだけど、一緒に出ないか?」って誘われて。そのときは、「ラリー何だ???」って感じでしたよ。

 レースには興味はなくても、車自体は昔から好きだし好奇心もあったから、参加することにしました。それで初めてラリーに出たんですが、初めてだからドライバーじゃなくて、ナビゲーターとして助手席です。その時に、車が走行中にスライドするというのを初めて体験したわけですよ。それが衝撃的におもしろくて「ウオォー!」って感じでしたね。別にその友達が速かったとかすごかったというわけでは全然ないんだけど、そこそこ車がスライドするわけですよ。

 へぇー、こんな走り方が世の中にあるのかと、もうびっくりしてね。自分の中に全く経験のなかったことだからね。車が横滑りしながら走るなんて、考えられないでしょ。そうなると、当然今度は自分で運転してみたくなっちゃったのね。

 それからは、ラリー一色の生活ですよ。ラリー仲間の中に家が自動車屋をやってるやつがいて、普段はそこに溜まって、自分たちなりに適当に車をいじくりまわしたりしてね。暇があればアルバイトして、お金が貯まると一緒にラリーに出る、そういう生活がスタートしたわけです。

注1 ナビゲーター──ラリーは、車を運転するドライバーと助手席に座ってコースを指示するナビゲーターの二人一組で争う。ナビゲーターの主な仕事には、道案内、ペースノート作成、タイム確認などがある。地味な仕事だが、上位入賞を狙うには、経験豊富かつ有能なナビゲーターの存在が不可欠

初勝利の思い出
 

 学生時代は毎月2回、年に10回以上はレースに出ていたんですが、自分で言うのもなんですが、やればやるほどうまくなっていきました。ラリーが楽しくてしょうがないという感じでしたね。そのうち三菱自動車チームの人達と顔見知りになって、ある日「チーム員がひとり抜けるから、入ってみないか」って声をかけられたんです。

 またまた最初はナビゲーターだったんですが、大学4年生のときにドライバーとして出場するチャンスがめぐってきて、そのレースで優勝してしまったんです。

 勝ったときはそりゃうれしかったですよ。優勝するっていうのは、こんなに気分がいいものかと思いましたね。やっぱりね、表彰台の真ん中に立つというのは全然違うんですよ。そのときの気持ちは今でも鮮明に覚えてますね。

大学4年で三菱のファクトリードライバーとしてスカウトされた篠塚氏は、そのシーズンで4戦3勝2位1回という好成績を残す。そしてラリードライバーとしての才能を買われ、三菱自動車に入社。この瞬間、日本でただひとりのサラリーマン・ラリードライバーが誕生、以後32年の長きにわたる二足のわらじ生活がスタートした。

サラリーマンドライバーとして
 
2005年11月にイタリアで行われたテスト走行にて
 

 大学卒業後はプロのドライバーとして生きていきたいという気持ちもあったから、三菱から入社の話があったときには、かなり悩みました。サラリーマンとして仕事をやりつつラリーに出るか、プロのドライバーとして契約してラリーだけをやるか。

 最終的には、先輩からの「プロドライバーは不安定だし、走れなくなったら終わりだから、社員として走る方がいいんじゃないか」というアドバイスを聞いて、社員とドライバーの二足のわらじを履く生活を選択したんです。

 入社後は宣伝部に配属されました。三菱自動車の場合は、入社後1年間は本社勤務で、その後販売会社に出向して2年間セールスマンをやらされるんですね。

 で、その後通常ならば本社に戻るんですが、僕はラリーをやっていく上ではやっぱりメカニックの知識も必要だと思い、整備会社に出向させてもらうことにしました。そこで4年間、メカニックの知識を学んだんです。

 ドライバーといえども、やっぱり車の構造は多少でもわかってた方がいいですからね。走ってる途中で車が壊れることもあるし、そのときは自分で直さなきゃならないでしょう。メカにも強い方が絶対有利だと思って。幸いメカいじりは苦手ではなかったんで、充実した4年間でしたね。

 入社して3年間は国内ラリーに出ていましたが、シーズン中は月曜日から金曜日の夜まで会社で仕事をして、そのまま地方のラリー会場へ出発、土、日と走って、月曜日からまた会社という生活でした。九州でラリーがあったとすると、帰ってくるのが日曜の夜中ですからね。睡眠不足のまま会社へ行く状態でした。レース後にイベントがある場合は、そのまま日曜日も泊まって月曜の朝に会社へ直行ということもよくありましたよ。

会社の仕事もめいっぱいやる
 
現在参戦中のパリダカ、6日目を終えて。「今日もとりあえずちゃんとゴール出来ているので、喜ばないと」(篠塚建次郎オフィシャルウェブサイトより)
 

 そういう生活は確かに楽ではなかったけど、全然つらくはなかったですね。だって好きなラリーができて、ちゃんと給料ももらえるんだから。

 でも、その分、会社の仕事もめいっぱいやりましたよ。一緒にラリーをやっていた仲間たちと、会社の中で好きなことをやるためには、発言力を持たなきゃダメ。そのためには、人並み以上にきっちり仕事もやらないとダメだよねって、よく話し合っていました。

 確かに僕はラリーで入社したようなものですが、あくまでも一社員なわけですから。それがラリーばっかりやっていて仕事をおろそかにしていたら、周囲から「なんだあいつ」って反感を買うことになるじゃないですか。でもきっちり仕事をしていれば、「あいつはちゃんと仕事もやるから、ラリーもやらしてやろうよ」ってなりますからね。それに、せっかくだからサラリーマンとしても一流を目指してやろうと思ってたんです。

 だから社員としても頑張りましたよ。遅刻なんてしたことないし、結果も出していました。例えば車のセールスを担当していたときはちゃんとノルマを果たしてたし。他の人がやらないようなことでも率先してやろうと心掛けていました。月に残業100時間なんてザラだったかもしれませんね。

すべてが手探り
 

 だけど、「本格的なラリードライバーの社員」というのは、三菱の中でもこれまで例がなかったので、すべてが手探り状態でした。誰が教えてくれるわけでもないので、全部自分で考えて行動しなきゃいけなかった。ラリーに出るための企画書も自分で作って会社に提出していましたしね。

 まあいろいろとたいへんだったけど、あんまり苦労とは感じていなかったですね。好きなことができるのだから、まあいいかなという方が強かったです。でも会社だって困ったでしょうね。僕のためにいちいちいろんな特例を作らなきゃならなかったわけですから(笑)。

三菱自動車に入社後、社員ドライバーとして全日本ラリー選手権に出場した篠塚氏は、いきなりデビューイヤーで、11戦中4勝を挙げてシリーズチャンピオンを獲得。翌年も4勝して2連覇を達成した。国内では若き最強のチャンピオンとしてラリー界に君臨した篠塚氏は、次の戦いの場を海外に求める。しかしそこで待っていたのはかつて経験したことのない衝撃だった。

海外で感じたレベルの差
 

 1974年、25歳のときにサザンクロスラリーというオーストラリアのラリーに出ました。ちなみに、海外ラリー参戦の場合は海外出張扱いです(笑)。

 そのラリーでの結果はリタイヤだったんですが、それまでリタイヤする直前まで2位を走っていたんです。でもそのときはリタイヤして2位になれなかったことよりも、トップとのタイム差の方がショックだった。

 トップは同じ三菱のチームのコーワンというイギリス人ドライバーだったんですが、彼とのタイム差が、とてつもない差だったのね。自分もドライバーだからわかるんですよ。大人と子供の差。もう全然、勝負にならないなと愕然としました。海外ラリーで優勝するなんてことは、途方もなくたいへんなことだと痛感しましたね。

 サザンクロスにはその翌年も出て、そのときは4位入賞。76年にはWRC(注2)のサファリラリーに出て6位になりました。サファリラリーでの6位は日本人初だったんですが、しかしそれでもやっぱりトップとのタイム差たるやすごかった。

 日本国内のラリーの場合は、スペシャルステージの平均速度が4〜50 kmなんですが、サザンクロスは7〜80km。サファリにいたっては100 kmくらいですからね。こうれはもうレベルが全然違う。だからWRCに出て日本人が優勝するのは、自分はおろか、自分の世代では無理だろうと思いましたよ。僕の息子か孫くらいの世代でやっと優勝できるやつが出てくるかもしれないな、と思えたくらい。海外レベルとのスピードの差に打ちのめされたんです。

注2 WRC──World Rally Championship 世界ラリー選手権。国際自動車連盟(FIA)が主催するラリーの世界最高峰選手権。世界各国で行われる全16戦の総合ポイントでチャンピオンを決定する

 

海外ラリーで大きなショックを受けたが、その直後さらに大きな不運が篠塚氏を襲う。1978年、三菱ほか国内自動車メーカーが排ガス規制とオイルショックのあおりをうけ、モータースポーツ事業から撤退してしまったのだ。以後8年間、ラリードライバーとしてもっとも脂の乗る貴重な時期にほとんどハンドルを握れなかった篠塚氏だったが、ただ絶望に打ちひしがれているだけではなかった──。

次回は、篠塚氏は暗黒の8年間をどう乗り越えたのか、そして「人生最大の決断」に迫ります。乞うご期待!

 
2007.1.8 現役にこだわり続ける理由
2007.1.15 サラリーマンドライバーとして
2007.1.22 やっぱり俺はラリースト
2007.1.29 ラリーこそ人生のすべて

プロフィール

しのづか・けんじろう

1948年東京都生まれ、58歳。フランス在住。2007年、23回目のパリ・ダカに出場。今なお現役で走り続ける世界的ラリースト。

1967年、大学1年生でラリーデビュー、在学中に三菱自動車のラリーチームにスカウトされ、1年目で国内チャンピオンに輝く。大学卒業後はその手腕を買われ、三菱自動車に入社。以後32年間、サラリーマン・ラリードライバーとして国内外で活躍。世界ラリー選手権優勝、パリ・ダカールラリー優勝など数々の「日本人初」の偉業を達成。全盛期は稲妻のような鋭い走りから「ライトニング・ケンジロー」と呼ばれ、その名を世界に轟かすと同時に、4WDブームと世界的ブームを巻き起こし、現在も続くSUVという一大市場を作り上げる。

2002年のパリダカ3位を最後に三菱自動車から引退勧告を受けるも、現役にこだわり退社。2003年に日産へ移籍。2006年からフリードライバーとしてレースに参戦している。

●主な戦績
1967   ラリーデビュー
197172  
全日本ラリー選手権 シリーズチャンピオン獲得
1976  
サファリラリー 総合6位(日本人初)
1987  
パリ〜ダカールラリー 総合3位
1988  
パリ〜ダカールラリー 総合2位
アジアン・パシフィックラリー選手権 シリーズチャンピオン獲得
1991  
アイボリーコーストラリー(WRC) 総合優勝(日本人初)
1997
パリ・ダカールラリー総合優勝(日本人初)
1998
パリ〜ダカールラリー 総合2位
2002  
アラス〜ダカールラリー総合3位

●詳しいプロフィール、戦績、近況などは、篠塚建次郎オフィシャルウェブサイト

 
おすすめ!
 
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「サラリーマンだからこそできることがある」「サラリーマンだって、イケているさ」「サラリーマンでひとつの仕事を頑張り抜けば、文字通り『世界一』にだってなれるんだぜ」篠塚氏がこれまでのラリー人生を振り返りながら、「サラリーマンでひとつの仕事を続けるすばらしさ」について語る。今、壁にブチあたっていたり、自信や元気をなくしているサラリーマンにこそ読んでほしい一冊。

 
 
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