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魂の仕事人
魂の仕事人 第16回 其の一
人命救助は 己のすべてを懸けられる仕事 ひとりでも多くの笑顔を見るために 人命救助は 己のすべてを懸けられる仕事 ひとりでも多くの笑顔を見るために
 

より危険度の高い事故・災害現場のさらにギリギリの最前線で長時間の救出活動を行うハイパーレスキュー隊。隊員はなぜ他人の命を救うために、自らの身を危険にさらしたり、ときには命を懸けたりできるのだろうか。シリーズ最終回では、宮元隊長にとって、人を救助するということとは何か、仕事とは何か、について聞いた。

 
東京消防庁第二消防方面本部 消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー) 機動救助隊長 宮元隆雄
 

辞めようと思ったことはない

 

 確かに自分の命を危険にさらすこともある仕事ですが、これまで消防官を辞めようと思ったことはないですね。

 私たちだって危険な場所にがむしゃらには行きません。危険な場所に突入する際は、常に自分がそれまでに学んだこと、教わったことを基本に、体験したことをすべて合わせて、行けるか、行けないか、危険か、大丈夫か、現場の一瞬で感じて判断した上で、行けるなら行くという感じです。

 そのために重要になってくるのが「引き出し」です。自分でどれだけ引き出しを持っているか。引き出しの数と中身。どの状況のときにどれを選んで対応するか。それがなければ、自分も動けないし、部下にも指示できない。その引き出しは体験を積むことでしか増やしていけないんです。

 でも、何でも同じですよね。みんな自分の体験を元に生活してると思うんですよ。そこで努力して新たな発見を得られれば、一段上に行けますよね。それの繰り返しだと思うんですよ。

 もちろん私たちでも最初は怖いですよ。そこを現場での経験を重ねることによって、恐怖心を克服していくんです。

行きっぱなしでは仕事をしたことにならない

 

 ただ、恐怖心も絶対に忘れちゃいけないんです。忘れちゃうと自分の限界を超えちゃうことがある。すると、自分の身、また他の隊員を、二次的災害というか、危険な目にあわせちゃいますから。

 私たち救助する側が死ぬことは絶対にあってはならないんです。災害現場へ行って救助活動をするだけでは仕事をやったとはいえない。帰ってきて初めて仕事を100%やったといえる。行ったきりで帰ってこなければ、仕事をしたことにはならないと思うんですよ。

 でも、もし災害現場で危険だけれども、どうしてもだれかが行かなきゃいけないという状況になった場合は、自分が先頭に立って行きます。逆に自分で大丈夫だと思わなければ、部下の隊員は絶対に行かせません。それが隊長というものです。

9.11アメリカ同時多発テロから早5年。あの悪夢のような惨劇では、救助に行った多くの消防士の命も犠牲になった。当時、宮元隊長はレスキュー隊の隊長を務めていたが、今思い返してもわが身を切られるような思いだという。

勇気にも二種類ある

 

 9.11のアメリカ同時多発テロ、この前もテレビで特集をやってましたけど、観ていて非常に複雑な思いでしたね。勇気にも二種類あって、行けっていう勇気も必要だし、逃げろっていう勇気も必要。どっちをとるかは現場での自分の判断しかない。結果的には、退避の決断を下した方が生き残りましたが、かといって、ビル内に取り残された人を救助するために上階にどんどん進んでいったのが判断ミスだったかと言えば、そうとも言えないですね。

 あの時は、消防隊に全員退避せよという指令が流れたと記憶してるんですが、ただ、それが届いたかどうか。建物の中ですから、無線が届かないところがあるんですよ。特に上階に行けば行くほど。今、建物はほとんどコンクリート製ですから、電波が遮断されちゃうことがあるんです。

 消防士だけじゃなくて、一瞬にしてあれだけの人が亡くなったわけですよね。ニュースを見ながら、もし日本でああいうテロが発生したらどうなるんだろう、自分はどうするだろうって考えました。もちろん助けたいという気持ちが第一だから、行っちゃうと思いますが、隊員の安全も考えなきゃいけないですからね……。

 地下鉄サリン事件のときに私も出動したのですが、もう最初は何が何だかわからないですよね。9.11のときも飛行機が突っ込んだビルが、自分の経験から考えて、まさか倒壊するとは思っていなかったですね。救助隊はみな、飛行機が激突した階から上の階にいる人を助けようとして行ってるんですから。誰も崩れるということは、たぶん頭にないんです。あの事件以来、建物の構造の違いや温度と鉄の関係から、あのようなビルでも崩れてしまう可能性があることを学びました。

 こういう危険をともなう仕事で、家族は心配してるんじゃないかって? 私は妻と二人暮しなんですが、仕事のことを話すのは好きじゃないのでほとんど話さないですね。ただ機動部隊にいるので、災害があったら海外にも行く可能性は高いよ、ということは言ってあります。妻も心配はしてると思いますが、口に出すことは少ないですね。

 

気持ちの切り替えは大事

 

 機動部隊は各都道府県で災害が起きたら、即救助に行かなきゃいけない。いつ、お呼びがくるかわからないですよね。特に、国際緊急援助隊(通称IRT)に登録されていれば、常に自分の居場所を明らかにしておかなきゃならない。私も登録されてますので常に出動できる、呼ばれたら即対応できるような態勢をとっています。消防職員は地震があったらみんな消防署に集合するので、そういう面ではみんな同じなんですけど、消防署で勤務していた頃よりは気を遣いますね。海外旅行も行ってはいけないというわけではありませんが、私はここ7〜8年は自粛してます。

 でも常に張り詰めていては疲れてしまうので、気持ちの切り替えは完全にしているつもりです。職場へ一歩入ったらON、仕事を終えて一歩外に出たらOFF、というふうに。あと、非番の日は釣りをしたり。海で釣り糸を垂れているときは、何も考えないというか、頭の中から仕事をなくすようにしています。

 ただ、そうはいっても、例えば地震速報のニュースが流れると、どこで? 規模は?というのが反射的に、無意識に出ちゃうというのは、仕事のことがどこか頭の片隅にあるんでしょうね。

消防庁に入庁して25年。救助と鍛錬の日々の中で宮元隊長は何を思い、何を得てきたのか。そして宮元隊長にとって、仕事とは、人の命を助けるということは、どういうことなのだろうか。

自分にはこれしかない

 

 私にとって仕事とは? うーん……一番難しい問題ですね……。一番、集中できるものじゃないですかね。自分のすべてを懸けられるものというか。あとは、「俺にはこれしかない。他にない」というものですね。

 今、置かれてる立場から仕事とは何かと問われたら、目の前で助けを求めている人を一人でも多く救うということです。誰のためかというと、東京都の職員ですから、都民のためがまず第一、あとは災害に苦しむすべての人のためですね。

 この仕事のやりがいは、助けた人の笑顔や「ありがとう」のひとことです。同時にそれがこの仕事に対する報酬だと思ってます。

 でも、感謝されてうれしいっていうのはありますが、ただ感謝されたい、という気持ちはないですよ。それは仕事の結果であって、そのためにやってるわけじゃない。起きてしまった災害を、できるだけ規模を小さくして、犠牲者を出さないようにするというのが、自分の仕事ですから。

夢・目標 笑顔が見たい

 

 今後の夢としては、ひとつでも多くの笑顔が見たいですね。目標としては、消防官としてもっと上の階級に行きたいというのもあります。現在よりも一階級上がって消防司令になると機動部隊20名の指揮を執ることになります。そうなると今まで5歩下がって見ていたのを10歩下がって、もっと広い視野をもたなきゃならない。それだけ、自分の領域が広がっていっちゃう。そういう、より大きい部隊を自分で指揮したいという希望はあります。

 そこから上になると全体の監督、指導をするという立場、いわゆる管理職になりますが、私は現場の方が似合ってますので(笑)。机に座ってる自分は想像できないですから。身体を使って汗水流すほうが自分には向いてると思いますね。

 でも、どの階級に就いたとしても、人の悲しむ顔を見たくないというのは同じです。立ち入り検査など、災害を未然に防ぐ仕事をしている人も、我々のように起きてしまった災害現場で救助活動をする人も、消防関係の仕事をしている人ならみんな同じ気持ちだと思います。この仕事に就いている以上、それが究極の目的ですから。

取材に協力していただいたハイパーレスキュー宮元隊長(中央)と隊員のみなさん
 
2006.11.6 1.自分の性格に最も合っていた 消防・人命救助という仕事
2006.11.13 2.レスキュー隊へ 極限の現場で大きく成長
2006.11.20 3.人の死に直面しても あえて引きずらない
2006.11.27 4.ひとりでも多くの 笑顔を見るために

プロフィール

みやもと・たかお

1962年鹿児島県生まれ、44歳。

高校卒業後、東京消防庁消防学校に入学。半年の訓練を経て19歳で大田区矢口消防署に配属。以後、ポンプ隊員、はしご隊員、レスキュー隊員、レスキュー隊隊長を経て、2004年4月、東京消防庁第二消防方面本部・消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー)機動救助隊長に就任。以後、6人の精鋭隊員を率い、災害・事故現場で人命救助と訓練に励んでいる。

主な経歴は以下のとおり。

19歳 消防学校入学
大田区矢口消防署に配属。

21歳 レスキュー隊の試験にパス。

23歳 港区芝消防署へレスキュー隊の予備隊員として赴任。

25歳 正規のレスキュー隊員に。

33歳 消防士長として目黒消防署へ。

37歳 消防指令補として麹町消防署へ。レスキュー隊隊長に就任

41歳 ハイパーレスキュー隊長として第二消防方面本部・消防救助機動部隊

 
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魂の言葉 消防職員一人ひとりがやってることは、規模の大小に関わらずどの災害でも同じ
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