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魂の仕事人 魂の仕事人 第16回 其の一 photo
悲しい思いもその現場だけ 次の災害現場に進むため 救助の質を高めるため
 
レスキュー隊に入隊して12年後の1999年、37歳でレスキュー隊長に任命された宮元氏。人命救助のプロとして、さらにひとつステージを上げ、数々の災害・事故現場で指揮を執る。さらに増す責任感。しかし宮元隊長はいう。プレッシャーなどないと。  
東京消防庁第二消防方面本部 消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー) 機動救助隊長 宮元隆雄
 

責任感と広い視野と柔軟性が必要

 

 隊員と隊長の大きな違いはやはり「責任感」でしょう。自分の判断で、自分の隊員を現場へ向かわせなきゃいけないですから。それも、災害や事故現場で最善策を一瞬で判断して指示しないといけない。その判断が間違ったら逃げ遅れた人を助けられないばかりか、自分の隊員まで危険な目にあわせることにもなりかねない。自分の判断がいかに大切かということですよ。そのためには現場全体を俯瞰できないといけないので、隊長は先に行っちゃいけないんです。現場では一歩引いていないといけない。

 プレッシャーも大きいだろうって? いやいや、プレッシャーを感じてる暇なんてないですよ。隊員も、「これやるぞ」って言うだけで、いちいち、誰々は何々をやりなさいとは言わなくても、みんなばっと動きますからね。何をやるべきかを瞬時に理解して、周りを見て、足りないところは自分でやる。救助の訓練の成果のひとつです。

 基本的に大元の判断・命令は隊長で、それに付随する判断・行動は各隊員がやる。でも逆に隊員は、隊長からの命令を、自分で危ないと思ったら、「それは危ないからだめだ」って、隊長に言います。それは言わなきゃいけないんです。隊長が言ってるから少しくらい危なくてもいいや、っていうのはダメなんです。

 なぜなら、隊長が気づいていない箇所を隊員が気づいている場合もあるからです。すべてはチームワークです。

 現場の命令は基本的に絶対です。隊員の知り得た情報はすべて隊長へ報告されます。その中には重要なものも含まれている場合も少なくないので、隊長はそれを確認し、総合的な見解から、命令を変更する場合もあります。これも逃げ遅れた人と隊員の安全のためです。

小さい事故・災害の方が印象深い
 

 これまでレスキュー隊として救助活動してきた中で、印象に残ってるというか、なんていうか、さびしさを感じたのは、ある交通事故です。事故現場に駆けつけたときには、すでに運転手は亡くなっていたのですが、車のそばにお弁当箱が落ちてたんです。たぶん運転手の奥さんが作ってくれたものだと思うのですが、今、奥さんはまさか夫がもうこの世にいなくなってるとは夢にも思ってないだろうなって……。そう思うとやりきれないというか、さびしさを感じました。

 逆にいい意味で印象に残ってるのは、あるアパートの火災で、窓から1階の部屋へ入っていったら、人はいなかったけど玄関で猫が泡を吹いて倒れてたんですよ。それで自分の呼吸器を外して、猫の顔にかぶせてやって救助したら、見ず知らずの人がそのままその猫を抱えて、動物病院へ走って行ったんです。人であろうと動物であろうと目の前の命を救おうという、周りの人の気持ち、やさしさが人間らしいなって。それを見て気持ちが高ぶったのを覚えてますね。

 大規模な災害や事故・事件の方が印象に残ってると思われがちですが、私の場合はそうではないんです。私も地下鉄サリン事件も救助に行きましたし、他にもある程度の規模の災害に行った経験はあるんですが、災害の規模は大きくても、消防職員一人ひとりがやってることは、どの災害でも同じなんですよ。小さいボヤでも、ホテルニュージャパンのような大火災でもね。違いがあるとすれば、出場する消防職員の数だけで。

 だから、大きい災害ってのは、大きく報道されて後々まで騒がれますが、現場的には小さいもののほうが印象に残ってるんですね。先ほどの交通事故にしても、その人の人生が一瞬で終わっちゃったとか、お弁当を作って送り出した奥さんはまだ知らないんだなとかって思うとね……。

 地下鉄サリン事件なんかは、駆けつけたときははっきりいって何が何だかわからない状況ですから。今配備されているような十分な装備はなかったので、とにかく一刻も早く救助するために、万全でない装備でプラットフォームに入ってますし。中には、入って気分が悪くなった隊員もいます。すごい事件だったんだと分かるのはずっと後ですからね。

 

宮元氏はレスキュー隊長として多くの事故・災害現場で指揮を執り、人命救助に尽力。そして2005年4月、一通の辞令が届いた。東京消防庁が誇る人命救助のスペシャリスト、消防救助機動部隊、通称「ハイパーレスキュー」への異動。しかも「隊長」として。それは意外な形での「異動」だった。

人命救助の頂点・ハイパーレスキューへ
 

 ここでしか行けない現場、積めない経験があるので、機動部隊への入隊を希望する消防士は多いですね。私ももっと自分を磨きたいと思っていましたから、機動部隊に入りたいという気持ちはありました。

 機動部隊の隊長になったのは、異動の辞令が出たからです。そのときはびっくりしましたよ。ウソだろ?って。というのも、入隊の辞令が出たときには、もうレスキュー隊を降りてたんです。当時は麹町消防署でポンプ隊の中隊長として、ポンプ隊員のまとめ役をやってたんです。

 人事異動にも大きく二つあって、東京消防庁全体の中での人事異動と、所属する消防署内での人事異動があるんです。レスキュー隊からポンプ隊は所属する署内での異動、ポンプ隊から機動部隊は東京消防庁全体の中での異動です。

 一般のポンプ隊員から機動部隊の隊長として異動することはないと思っていましたから、さらにびっくりしました。普通は現役のレスキュー隊員からの抜擢ですからね。なぜ自分にそういう辞令が出たのかはわかりません。心身ともに鍛えなおして来いということでしょうか(笑)。

 
「オレンジ」に対する思い
 

 辞令が出たときはうれしかったかって? うーん……正直複雑な気持ちでしたよ。もちろんより自分を高めたいという気持ちはあったのですが、はっきりいって、この「オレンジ」(レスキューの制服)を一回脱ぐと、高まっていたもの、いつも高いレベルで保っていた緊張感というか気持ちの持ちようが変わってくるんですね。

 レスキュー隊の隊長として災害の最前線で動いていた人間が、消防学校から卒業してきたばかりの新人が来るような部署に配属になったわけですから。もちろんポンプ隊の中隊長も新人教育を含め重要な仕事ではあるんですが、やはり置かれた立場で気の持ちようも変わりますからね。いったんそうなった人間が、さらに厳しい現場で指揮を執らなければならない機動部隊の隊長として、再びレスキュー隊長時代と同じかそれ以上の気持ち、緊張感をすぐに取り戻せるかどうか、一抹の不安はありました。

 でもここに着任してオレンジを見た瞬間、気持ちがばっと変わるのが分かりました。牛じゃないけど、色を見ると変わっちゃうんですよ(笑)。やっぱり、オレンジに対する、なんていうか、誇りってあるんですね。

レスキューとハイパーレスキュー、ともに人命救助を目的として活動するプロフェッショナル集団という点は同じ。しかしハイパーレスキューは体力、精神力ともに、より過酷な条件が求められる部隊だった。

レスキューとハイパーレスキューの違い
 

 救助機動部隊(ハイパーレスキュー)では、他の消防隊、レスキュー隊でも経験できないことができるんです。まず、他府県で起こった災害に対しての緊急救助援助、あとは海外で起った災害への国際緊急援助、これらは機動部隊の隊員でないと行けないんです。

 レスキュー隊とハイパーレスキュー隊の求められるものとしての大きな違いは、いま持ってる、資機材、車両、すべてを使って、長時間の救助活動を行い、目的を達成する、ということだと思います。

 車両、機材などの資機材関係も、レスキュー隊が持っていないものが多数あります。すべてに精通しなければならないため、ローテーションを組んで使い方の訓練をやってます。

ハイパーレスキューにのみ配備されている資機材は多い。写真左は、画像探査装置2型(通称ボーカメ)。屈曲可能な細長い棒の先端には小型カメラ、ライト、マイク、スピーカーが付いており、救助者が入れない瓦礫の隙間に突っ込んで生き埋めになった生存者とコンタクトが取れるようになっている。写真右はボーカメの進化型で、胃カメラに使われるファイバースコープを要救助者探査用に応用させたもの。細くて長い管の先端には同じくCCDカメラとライトが取り付けられ、手元で180度回転できる。より小さな隙間から挿入でき、より遠くまで伸ばすことができるので、ボーカメでは届かない奥の方の様子までわかる。撮影した画像はコンパクトフラッシュに記録できる。
訓練の指示を出す宮元隊長

 車両も18台あるのですが、車両によっていろんな使い方がある。消防署所属の消防士は、自分の乗る車1台、多くて2台の車両と資機材の特徴を覚えればいいんですが、ここでは全員がすべてを覚えなきゃいけない。

 
ハイパーレスキュー隊員には重機の操縦も求められる

 そういう特殊資機材・重機・車両を使いこなして、長時間、1、2時間じゃなくて、何日、何週間と活動し続けないとならない。災害、特に地震が発生した場合、人命救助は72時間が勝負ですから、その72時間をぶっ通しで集中して活動し続ける、というようなことが求められるわけです。

 また、機動部隊の隊員は視野をもっと広く持たなければなりません。レスキュー隊は各消防署の所属なので、限られた出場区域で起きた災害や事故に対応するのでよいのですが、機動部隊の場合は常に東京全域をカバーしています。例えば足立区でこういう火災が発生してる、豊島区ではこういう災害が発生してる、それが拡大したら都内がどうなるか、一報が入った時点で判断しなければならない。事故や災害の情報は、訓練中だろうが何をしてようがスピーカーで流れますから、全員が瞬時に対応する心構えが必要です。18台ある車両の中から、今発生してる災害に対して、どの車、どういう資機材を持っていったらいいのか、そういう判断も瞬時にできなければならない。そのためには常に、頭の中に情報を入れてなきゃいけない。ですから情報に対しての敏感さというのも、持ってないとだめなんですよ。

2004年7月の新潟・福島豪雨災害でゴムボートで住民を救助するハイパーレスキュー隊。宮元隊長も出場した(写真提供:東京消防庁)

 基本的に消防っていうのは、体力、精神力はもちろん、機械、水力学などの知識、手先の器用さ、方向感覚、車の運転技術など、いろんな要素が求められるんですよね。それが機動部隊になると、全員にすべての要素が、高いレベルで求められる。

 だから、例えば夜中まで、自主的に資機材の使い方を勉強してる隊員、車庫で車両を見ている隊員、体力トレーニングをしてる隊員などがいます。そうしないと部隊としてのレベルが維持できないからです。部隊として高いレベルへ持っていくためには、自分自身がレベルアップしないとならない。1人が足りないと、全体が落ちちゃうんです。だからここでは、自分の足りないところは、言われなくても補うように訓練してます。そういう日々のコツコツした積み重ねが大事なんです。ここではそれが当たり前になっているので、そうしなければならないことに対して隊員が疲れたとかいやだとかグチを言っているのは聞いたことがないですね。

ハイパーレスキュー隊が出動するのは、大規模災害・事故が多い。それだけ凄惨な現場に出くわす可能性も高くなる。宮元隊長自身、幾度となくそんな場面を目の当たりにしてきた。

引きずっていたら次にいけない
 

 この仕事は人の死に直面する機会が多いんですよね。特にレスキュー隊をやってると。電車や車などの事故で、人がバラバラだ、頭が陥没してる、内臓が飛び散ってるとか。

 そういう凄惨な現場に直面すると、いくらレスキュー隊員といえども、精神的にダメージを負ってしまい、夜眠れなくなったり、食欲がなくなったり、わけもなく憂鬱感や疲労感を感じやすくなったりする場合もあります。これを「惨事ストレス」といいますが、そのまま放っておくとPTSD(心的外傷後ストレス障害)につながる可能性もあるので、消防庁では、阪神淡路大震災を契機に、「惨事ストレス」対策も行っています。やはり救助する側に心的外傷が残ると、非常にマイナスになってしまいますからね。私の場合はそれほど強いストレスを感じることはないのですが、隊長として「デブリーフィング」というグループカウンセリングに参加したことがあります。

 負傷された方や亡くなった方に対しては、すごく失礼かもしれませんが、仕事上、立場上、あまり引きずらないようにしてます。事故や災害で人の死に直面するたびに落ち込んでいたら的確な行動が取れなくなりますから……。だからあえて、悲しい思いもその現場だけという形にしてるんです。

 引きずるとしてもいい意味で引きずるようにしてます。無理矢理にでもプラスに取るようにしてるというか。あの事故がいろんなことを教えてくれたんだなとか、助けるために、もっと他にやり方はなかったかとか……。そしてこの先の事故や災害に役立てようと。ひとりでも多くの人を救えるように。

 

ときには自らの命を危険にさらし、人命救助に尽力するハイパーレスキュー隊。しかし災害・事故現場でただ人を助けるだけでは仕事をしたことにはならない。そう宮元隊長は語る──。

次号は宮元隊長にとって仕事とは何か、誰にために、何のために働くかについて語っていただきます。乞うご期待!

 
2006.11.6 1.自分の性格に最も合っていた 消防・人命救助という仕事
2006.11.13 2.レスキュー隊へ 極限の現場で大きく成長
2006.11.20 3.人の死に直面しても あえて引きずらない
2006.11.27 4.ひとりでも多くの 笑顔を見るために

プロフィール

みやもと・たかお

1962年鹿児島県生まれ、44歳。

高校卒業後、東京消防庁消防学校に入学。半年の訓練を経て19歳で大田区矢口消防署に配属。以後、ポンプ隊員、はしご隊員、レスキュー隊員、レスキュー隊隊長を経て、2004年4月、東京消防庁第二消防方面本部・消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー)機動救助隊長に就任。以後、6人の精鋭隊員を率い、災害・事故現場で人命救助と訓練に励んでいる。

主な経歴は以下のとおり。

19歳 消防学校入学
大田区矢口消防署に配属。

21歳 レスキュー隊の試験にパス。

23歳 港区芝消防署へレスキュー隊の予備隊員として赴任。

25歳 正規のレスキュー隊員に。

33歳 消防士長として目黒消防署へ。

37歳 消防指令補として麹町消防署へ。レスキュー隊隊長に就任

41歳 ハイパーレスキュー隊長として第二消防方面本部・消防救助機動部隊

 
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