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魂の仕事人 魂の仕事人 第14回 其の三 photo
どうしていいかわからない……40代で訪れた人生最大の危機 脱出のきっかけは「ブログ」だった
 
『サルまん』のヒットで業界内でも一目置かれるようになった竹熊氏。以降、編集、執筆の仕事も次々と舞い込むようになり、単行本も出版、信頼できる編集者との出会いもあり、充実した30代を送る。しかし40代に入ったころ、雲行きが怪しくなってきた。仕事そのものがおもしろいと感じられなくなったのだ。フリーの表現者である以上、命取りにもなりかねない危機的状況に陥った竹熊氏。脱出のきっかけを与えてくれたのは、あるネット有名人の一言だった。
編集家 竹熊 健太郎
 

生活が安定したことはない

 

 俺の場合、これまで一度も就職せずに、フリーの編集者・ライターとしてやってきたんですが、そもそもまずフリーの編集者って食えないんですよね。よほど人脈があって、売れてる人を何人か抱えてて、業界内をうまく立ち回ったりとかできないと。あるいは若い人を使って編集プロダクションを経営するとか。そういう立ち回りの才能がないと難しいですよね。これまでフリーの編集者としてだけで食えてるって人にほとんど会ったことがない。みんな兼業ですよ。

 もちろんそれは俺も同じで。だからね、これまで生活が安定したことってほとんどないんですよね。稼いだ時期っていうのは一瞬あるんだけど……そんなものはすぐなくなっちゃうしね。『サルまん』(注39)とかで稼いだ金も3年も経てばなくなっちゃいますよ。ああいうヒットが連続して出せてればいいけどね。だから、そういう意味ではこういう場所で偉そうに人に勧められる生き方はしていないな。「こうやったらダメだよ」っていう反面教師的な生き方だと思うけどね(笑)。

 まあ俺の場合は文章が書けるからライター仕事でなんとか食えてた。そうやってると、ほとんど9割がたライター仕事になりますよね。でも雑誌で4、5ページもらえたとするとラフは俺が切るとかね。普通のライターよりは一歩、編集の側に踏み込んだことはずっとやってたんですけど。でも、もらうギャラはライターの分だけです(笑)。

 そんな感じで基本的にライター専業みたいにここ15年くらいきちゃってるわけです。編集っぽい仕事といっても俺が編集するときは俺がライターもやりますからね。でもそういう仕事ってなかなかないわけですよ。最後に編集らしい仕事がやれたのは『クイック・ジャパン』の特集でやった『新世紀エヴァンゲリオン』(注40)庵野秀明(注41)監督のインタビューですかね。

注39 『サルまん』──小学館から発売されるIKKIコミックス『サルまん サルでも描けるマンガ教室 21世紀愛蔵版(全2巻)』のこと。当時の担当編集者・江上氏が編集長のIKKIコミックスにラインナップされる。

注40 新世紀エヴァンゲリオン──1995年から1996年にかけてテレビ東京系列で放送されたアニメーション作品。また少年エース(角川書店刊)誌で現在も連載中の貞本義行によるマンガ。アニメに関してはTV放送終了後に口コミでブームとなり、主人公が当時話題となっていた酒鬼薔薇聖斗と同じ14歳だったことなどを含め一種の社会現象になる。様々な出版物やTV番組が制作され、1990年代後半のサブカルチャー的アイコンにもなった。現在、ハリウッドで実写映画化の計画が進行している。

注41 庵野秀明──アニメーション作家、映画監督。『新世紀エヴァンゲリオン』を作ったことにより一躍"時の人"に。もっともアニメやSF好きにとっては第3回大阪SFコンベンション(通称:DAICON3)のオープニング・アニメや『風の谷のナウシカ』などで見せた激しい噴射シーンや破壊シーンを作画したアニメーターとして、すでに有名人だった。その他の監督作品に『ラブ&ポップ』『式日』『キューティーハニー』等がある。奥さんは人気マンガ家の安野モヨコ。

『エヴァ本』がヒット
編集家として充実の30代
 

 『サルまん』で10代、20代で培ってきたものをすべて出し尽くしたから、終了後はまさに出がらしのような状態になっちゃってました。困ったな、次は何をやろうかなと思っていたちょうどその頃、赤田裕一(注42)君という編集者に「『クイック・ジャパン』という雑誌を創刊するから外部スタッフとして参加してくれないか」って声をかけられたんです。90年のはじめ頃でした。コンセプトを聞くとおもしろそうだし、好きなようにやってくれていいからっていうんで、やることにしました。

 実際に雑誌が創刊されたのは93年なんだけど、この『クイック・ジャパン』、赤田君がサラリーマンでありながら自腹を切って創刊した雑誌なんですよ。どうしてかっていうと、赤田君が勤めていた出版社の社長が『クイック・ジャパン』のコンセプトが理解できず出版を許してくれなかったから。じゃあ自分で金を出して作るって言って、彼自身が700万円くらい自腹を切ったんですよね。そんな赤田君の心意気にほれ込んで、俺とか中森明夫さん(注43)とか大泉実成さんとか、みんなノーギャラで寄稿したんですよ。ギャラなんて請求できませんよ、編集長自身が自腹切ってるわけですからね。

 そのかわり好き放題やらせてもらってた。『クイック・ジャパン』で俺が50ページもらうと、企画とか構成は全部自分で決めるという、いちライターというよりは担当編集者的なやり方でやれてたんですよね。

 インタビュー仕事が多かったんだけど、自分の好きな人、興味を引かれた人にしかインタビューをやらなかった。だいたい俺がこういう企画をやりたいとか、この人のインタビューをやりたいとかいうと、ほぼ通ってました。そういう編集長との深いところで信頼関係ができていたからやってて楽しかったですよね。

 そういう中で『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明監督インタビューをやったわけです。

 庵野さんとはある日たまたま吉祥寺で知り合って、そのまま飲みに行ったんですよ。そこで意気投合しちゃってね。「『クイック・ジャパン』という雑誌でインタビューやりませんか?」という話をしたら「やります」ってなって。当時は彼もアニメ雑誌とかアニメマスコミに対して非常に飽き飽きしていた時期なんですよね。むしろアニメ色のない『クイック・ジャパン』あたりの方がうれしいって感じでね。

 庵野さんは基本的には口下手な方なんだけど、あのときは出会ったタイミングが良かった。『エヴァ』が終わった直後で壊れかけてたっていうか。初対面で石森章太郎(注44)の話を俺がしたんだよね。石森章太郎には『サイボーグ009』(注45)とかの代表作を描く以前に、実は結構試行錯誤というか暗中模索の時期があって。確かヨーロッパまで自分探しの旅に行ってるんですよね。出版社からギャラを前借りして。で、帰国して「今までの自分はアマチュアだった」という反省をするんですよ。これまでは自分の好きなものとか描きたいものだけを描いてきた、と。デビューから天才といわれていた彼が、行き詰まっちゃったんだね。それで「これからはプロになろうと思った」と。そう思って『サイボーグ009』を始めた。そういう話をしたら庵野さんの目が輝きだしちゃってさ(笑)。「俺もそうなんですよね……プロにならなきゃならないんですけど」って。でも、石森さんが一番輝いていたのは、まさに「アマチュア」だった頃なんだよね。

 庵野インタビューは後に単行本になるんですが、そのとき俺は台割作成から、デザイナーとの打ち合わせ、原稿執筆、最後のまとめまでトータルでやったんですね。そして幸いにしてけっこう売れたんです。上下巻でトータルで20万部も。だからこれまでやった中でもけっこう満足のいく仕事なんですよね。

注42 赤田祐一──編集者でありライター。1961年東京生まれ。1984年に飛鳥新社に入社。『磯野家の謎』をヒットさせ、1993年に『クイック・ジャパン』を創刊。会社の猛反対にあい、自費で創刊準備号を作ったことは有名。2000年にまんだらけ出版部に入り、雑誌「あかまつ」を作るがすぐに終了。最近では再び飛鳥新社にて書籍編集に携わる。2006年には団塊の世代向けの新雑誌『団塊パンチ』を創刊した。

注43 中森明夫──コラムニスト、編集者。1960年三重県生まれ。1982年に遠藤諭たちと共に『東京おとなクラブ』を創刊し、発行人を務める。1983年に『漫画ブリッコ』誌で「おたくの研究」を開始。この連載で"おたく"を命名(世の中で"おたく"が一般化するのは1989年頃から)。1985年には田口賢司、野々村文宏とともに「新人類3人組」として脚光を浴び、以後この世代を代表するコラムニストとして著作を重ねていく。特に週刊SPA!連載の「ニュースな女たち」の仕事ぶりは"女を誉める職人"の異名をとるほどに秀逸。

注44 石森章太郎──漫画家。(1938-1998年)宮城県出身。プロ30周年を期に〈石ノ森〉に表記を変更。読み方は以前から〈イシノモリ〉だった。"漫画の神様"と称された手塚治虫に対して、多種多彩なジャンルの作品を数多く生み出したことから"漫画の王様"と評される。代表作に『サイボーグ009』『仮面ライダー・シリーズ』などがある。過去には永井豪、竹宮恵子、すがやみつる等のマンガ家がアシスタントを勤めた。他にも特撮番組(『怪傑ズバット』『ジャッカー電撃隊』等)やドラマの原作、原案も多く手掛け、さらに自ら出演している作品(「仮面ライダー」等)もある。

注45 サイボーグ009──石ノ森章太郎のSFマンガ、およびそれをベースとしたTVアニメと劇場アニメ作品。未完。1964年の『少年キング』にて連載開始。以降、さまざまな雑誌で連載し続けた氏のライフワークとも言える作品。ネーミングの由来は『007シリーズ』から。ブラックゴースト(BG)団に拉致されサイボーグに改造されてしまった青年たちが、人間でも機械でもない悲しみを胸に、復讐と殲滅をかけてBG団へ戦いを挑む物語。

その後、竹熊氏は戦後サブカルチャー偉人インタビュー集『箆棒(ベラボー)な人々』、自分の体験を踏まえつつオウム真理教の真実に迫った『私とハルマゲドン』を出版。さらに、各メディアでの連載、マンガ原作など、編集家として充実した30代を過ごした。しかし、40代に入って思わぬ影が忍び寄る・・・・・・。

仕事がつまらなくなった…
人生最大のピンチ
 

 40代に入ったあたりから、だんだん本業の方があやしくなってきた。仕事が来なくなっちゃたんです。

 やっぱりひとつには、フリーで40歳くらいになるとまず担当編集が自分より年下になりますよね。下手すると親子かっていうくらいだと、向こうだってやりづらいですよ。俺が向こうの立場だったら仕事したくないですよ、そんな歳の離れたライターなんかと。しかも実績だって大したものがあるわけでもないし。

 もうひとつ大きかったのが、『サルまん』以降、マンガに詳しいと思われてマンガ評論とかマンガ紹介記事の執筆の仕事が増えてきたこと。「少年ジャンプはなんで売れるんでしょう? 」とかさ。そんなこと知るかって(笑)。要するに、そういうマンガがらみのトピックがあるとコメンテーターみたいに駆り出されるようになった。最初は良かったんですけど、段々うっとうしくなってきてね。俺自身はマンガ評論家と名乗ったことは一度もないのに、世間からは「マンガ評論家」みたいに見られて、ずっときちゃってるんですよね。

 で、その専門と思われていたマンガ評論とかマンガ情報に関して、俺は評論家として段々とダメになってきたわけですよ。一番の理由が今のマンガを読むことがつらくなってきたってこと。読むとしたら昔のマンガばかりなわけですよ。もうこの時点で評論家としてはダメだなと。今のマンガがおもしろいと思えないんだもの。

 『(ビッグコミック)スピリッツ』とかが今、すごく部数を落としてるらしいんですが、これは要するに俺の世代の人間がマンガを読まなくなったということですよ。別の言い方をすると、俺の世代のニーズに合ったマンガが載らなくなったってことだと思うんですよ。ほかにもいろんな理由が複合してそうなってると思うんですけど。それでもう段々書評を書くためにマンガを読むことがつらくなってきた。頼まれなくたって読んでいた時期ならどうってことないんだけど。

 俺としてはマンガ評論的な仕事ばかりじゃなくて、作家として、あるいは編集者として新しいことがやりたいわけですよ。連載やマンガ原作や単行本とかいろいろ新しい企画は常にあるわけだけど、なかなか通らない。こっちが本当にやりたい新しいことっていうのは一般の出版社では通りづらいわけですね。俺の企画は特にクセがあったり、リスキーなものが多いんで。正攻法で出版社に企画を持ち込んだとしても、まず通らない。そもそも俺自身も通らないと思ってるわけ。「これは俺が出版社の人間だったら通さないな」って。ただ俺はおもしろいと思うからやりたいんだけど。これが一番キツかったですね。

サラリーマン化する編集者
 

 もっと言っちゃうとね、社員編集者と「共犯関係」が結べなくなったということなんですよ。これも大きいですね。だから例えば『サルまん』をやってたときのスピリッツの編集部との関係とか、初期の『クイック・ジャパン』でいろんな企画をやってたときの赤田編集長との関係とか。あの時期はある意味での「共犯関係」が結べたと思うんです。そういうときって何でもできるんですよね。編集部側にも「どんな企画でも通してやる」みたいな気迫や情熱があるわけですよ。「上を騙してでも通すから安心して思う存分やってくれ」みたいな。そうしたらこっちも「乗る」わけですよ。ギャラとかは関係なしにね。そういうことが30代後半あたりからあまりなくなっちゃった。いわゆる「お仕事」的な関係が編集者と続くとやっぱりおもしろくなくなってくるんですよね。 まぁ無理もないんですけどね。ただ……編集者はサラリーマンかもしれないけど、こっちは人生懸けてるっていうかさ。サラリーマンはサラリーマンなりの人生を懸けてるんでしょうけど。こっちは自分の身ひとつで、あまり組織に頼らずにここまできちゃった人間だから……根本的には分かり合えないですよね。

 あのー、何ていうのかなぁ……例えばね、安定した生活を求めるのであればサラリーマンになった方が全然良いわけですよ。でも、フリーでこんなことをやってるっていうのはさ、自分のやりたいことがあってね、それを実現させたいっていう強い欲求がどこかにないとさ、やる甲斐がないんですよね。こんな仕事や働き方を選んでいる必然性がないわけで。

「共犯関係」は滅多に結べないし
長く続くとも限らない
 

 で、逆にいうとサラリーマンである編集者もさ、やっぱり編集者であるからには微妙なところがあって。モノ作りとビジネスの間に挟まれる人たちじゃないですか。赤田君なんて見てると、ほとんどもうクリエイターなんですよね。頭の中の発想が。自分の作りたい雑誌を作るというのが彼の目的であって。そういう意味ではね、とりあえず会社は置いといて、この二人の結びつきでやっちゃうか、みたいなね。ココなんですよね。こういう関係が結べるってことは幸せなことで。めったにないんですよ、やっぱり。長く続くとも限りませんしね。ある時期それができた編集者とも、状況が変わったらできなくなるんですよ。何がキッカケかわからないですけど。妻子抱えちゃうとか、家のローンがあるとか、単に歳を取ったとか、そういうつまらないことでそうなっちゃうかもしれないし。あるいはお互いのやりたいことの方向性が変わるとか。赤田くんとは喧嘩別れしたわけじゃないんだけど、やっぱりある時期からお互いの興味が微妙に違ってきたんです。だから今は一緒にやってないです。

 だからそのときは「ああ、なるほど。音楽性の違いという理由でバンドが解散したりするのはこういうことか」と思いましたけどね。大抵はギャラの取り分でモメたりすることが多いんでしょうけど。でも純粋に「音楽性の違い」とはこういうことかと思いましたね。ユニットやグループが常に一枚岩ということはありえないですよ。

 ただ人生のある時期に、ある人と俺との歯車がたまたま噛み合って、いい仕事ができたっていう、そういう時期があったというだけで、幸せなことなんだろうと思ってますけどね。

43歳がつらさのピーク
このままでは病院か……
 

 そんな感じで自分のやりたいことができずに、マンガ評論とかやりたくもない仕事ばかりが相変わらず来る。そうすると段々こっちも腐ってくるわけよ。仕事も荒れてくるしさ。しまいにはやる気すらもなくなっちゃって。仕事は来るけど断っちゃったりとか。貧乏になるのが目に見えててもさ。

 それで、断ってると本当に仕事が来なくなるわけですよ。2年くらいほとんど仕事をしなかったから、経済的にかなり厳しくなって。もちろん貯金はないしね。しかも20代のときと比べると生活水準が上がっていたので、それを収入に見合うレベルにまで下げるのに数年かかりました。その過程で借金もしちゃったから、いざとなったら食うために出版業界とは全然関係ないバイトをしようかな、とか思ってました。

 43歳くらいが一番ひどかった。つい2〜3年前の話ですよ。ちょうどその頃に離婚もしましたしね。厄年って本当にあるんだなぁと思って。離婚前後のゴタゴタなんかでも疲弊しましたね。さすがに公私共に疲れ果てた。

 だからこのままだと本当にヤバいなって思いました。20代前半のヤバさとはレベルの違う……。何がヤバいかっていうと、やることが見えなくなった、やりたいことがあるんだけど、それを実現させるための道筋が見えなくなったってこと。しかも若くはないわけでしょう。正直いってあのときはヤバかった。生まれて初めて、このままいったら病院かな、みたいな。40超えると新しい人生のステージに行くんですよ。

この先どうしていいのかわからない……出口のない迷路にはまってしまったかのように悶々と日々を送っていた竹熊さん。しかしある日、ひとりのネット界の有名人と出会う。その出会いが本来の竹熊さんに、ミニコミ制作が大好きだった頃の竹熊さんに戻るきっかけを与えてくれた。

立ち直ったきっかけは
ブログへの誘い
 

 なにかの会合で、ネット界では「切込隊長」という名で有名な山本一郎さん(注46)とたまたま知り合ったんです。彼は「俺様キングダム」という大人気ブログをやってるんだけど、「竹熊さんもブログを書いてみれば?」って言ったんです。

 もともと俺はミニコミをやっていた人間ですからインターネットとかWebサイトには非常に興味があったんです。俺も自分のWebサイトを作りたかったんだけど、やるからにはすごいサイトを作りたい、という構えがあったんですね。そうするとなかなかやらないわけですよ。それで2年経ち3年経ちって状態だったんですね。

 で、そんなときにちょうど切込隊長と出会って。彼の言葉でやってみようかなと思って始めたブログが「たけくまメモ」なんです。

注46 山本一郎──1973年東京生まれ。"切込隊長"の異名を持つネット、ブログ界の著名人にして企業経営者。自身の公式サイト「俺様キングダム(http://oresamakingdom.net/)」は一日数万アクセスを誇るといわれている。

ブログで本来の自分に戻った
 

 やり始めたらこれがハマった。ハマった一番の理由は、やりたい企画をやりたいようにできるってことですね。やりたい企画があっても出版社とかで企画が通らなかったらそこで終わりじゃないですか。企画が通らない理由っていうのは、当然こちらも業界長いからわかるわけですよ。ただ企画が「通らない」ってなったときに、文章でできることであればブログで書いて出しちゃえばいいやと思ったら、精神的に非常に楽になったんです。ボツがなくなったから。間に編集者がいないというのはこんなに良かったのか、と。

 それをやったら高校時代にミニコミ誌の『摩天楼』を作ってた頃に気持ちがシュッ!と戻った。自分のメディアをもって、好きなこと・興味のあることを自由に発信してたあの頃に。「あぁ、本来の俺のスタンスはコレなんだ」と思ったね。

 つまり今まで雑誌で書いたり出版社の仕事をしていた時には、自分の書いたものを世に出すための「回路」というか「システム」を自前でもってなかったということなんですよね。その「回路」なり「システム」は出版社が担っているわけで。

 でも今なら、出版社側とか編集部側にボツを食らったときに、「俺のやりたいことができないのであればインターネットでやる」ってことができる。やるとしても基本的にタダ、かかったとしても月に数百円で自分のメディアが持てて好きなことを好きなように発信できるわけじゃないですか。

 自費出版じゃこうはいかないですからね。ものすごくお金がかかるわりに影響力はそれほど大きくない。効率が悪すぎるので今となっては自費出版やろうなんて考えは全くないですね。

 だからいい時代ですよね、今は。あとはインターネットの進化に自分がどこまでついていけるかっていう話で。今のところはなんとかついていってるって感じかな。

 やり始めたタイミングもよかったと思います。2004年の暮れから始めたんですが、だいたい2003年あたりがブログ元年と言われてて、2005年になるとブームが定着しちゃうんですね。だから、そういう意味ではパイオニアの時期に始めることができた。だからより注目されたのかもしれません。切込隊長に会わなければブログを始める時期はもっと遅れてたでしょうね。

 切込隊長が「竹熊さん、ブログやらないんですか? 今なら間に合いますよ」って、彼がどういうつもりでそう言ったのかわからないんだけど、ちょうどブログブームの最中だったから、「来年になったらブームが去っちゃうかもしれませんよ」という意味で言ったのかもしれないけど。まぁいろんな意味でね、彼の意図とは関係なく、俺にとっては「いいところで背中を押してくれたな」と思っています。だから彼にはすごく感謝してるんですよ。結局、会ったのは3回しかないんですが。

お金にならなくてもいい?
 

 でもただブログに好きなことを書くだけじゃお金にならないじゃないかって? 確かにブログは読むほうはタダですからいくら書いても直接的には収入に結びつきません。でも実はね、お金になるかならないかっていうのは大きな問題ではない。

 確かにお金になるに越したことはないですよ。また、全然ならないと食えなくなっちゃうから、いずれはなった方がいい。でもそれ以前の、純粋にメディアを作る喜びのようなものが、ブログにはあるんですよ。

 そういう「好きなことをやること」と「お金になるかならないか」という問題は、俺のように趣味を仕事にしちゃったような人間が20年くらいやると、たぶん一度はぶつかることじゃないかと思うんですよね……。

 

現在は編集者、ライターの仕事のほかに、新しいネットアニメーションの振興に尽力したり、多摩美術大学や桑沢デザイン研究所で講師を務めるなど、多方面で活躍している竹熊氏。シリーズ最終回の次号では、竹熊氏にとって「働くということ」とは、そして今後の「野望」に迫ります。乞うご期待!

 
2006.8.7 1 いつの間にかアマからプロへ
2006.8.14 2 10年に1度の仕事で運命が変わった
2006.8.21  3 40代で訪れた人生最大の危機
2006.8.28  3 「生活」と「自己実現」の両方が人生最大の目標

プロフィール

たけくま・けんたろう

1960年、千葉県生まれ。45歳
1981年、21歳からフリーランスとして編集・文筆活動を開始。主活動ジャンルは、マンガとアニメーションを中心としたサブカルチャー領域。新聞、雑誌、書籍、マンガ、Web等で編集、執筆、マンガ原作など幅広く表現活動を展開。主な作品に『さるでも書けるマンガ教室』(8月に21世紀愛蔵版が出版予定)、『庵野秀明パラノ・エヴァンゲリオン』(大田出版)などがある。

自身が運営するブログ「たけくまメモ」は開設からわずか2年足らずで800万アクセスを突破するなど絶大な人気を誇る。

編集・文筆業のほかに、多摩美術大学で「漫画文化論」非常勤講師、桑沢デザイン研究所でゼミ講師として教鞭を取っている。

詳しいプロフィールはこちら

 
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魂の言葉 「やりたいこと」とか「目標」があるとお先真っ暗な状態でもなんとかなる! ブログで表現者としての原点に戻れた ブログで表現者としての原点に戻れた
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