キャリア&転職研究室|魂の仕事人|第13回客船船長 由良和久さん-その1-巨大客船船長の喜びと苦悩

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魂の仕事人 魂の仕事人 第13回 其の一 photo
船乗りになりたい——12歳のときの夢を実現 客船船長の喜びと苦悩
 
総トン数約2万6,500トン、全長183.4m、12階建て、総客室数238室、定員696人──。この動くホテルともいうべき豪華客船を自在に操り、世界を巡る男がいる。由良和久船長45歳。船という閉鎖されたひとつの「社会」の中で、200名を越えるスタッフを指揮し、安全にかつ乗客を満足させつづけているプロフェッショナルの言葉の中には、一般社会で働く我々にとっても目からうろこの教訓が隠されていた。
客船船長 由良 和久
 

小学6年生のときに船乗りを目指す

 
由良船長が指揮する客船「ぱしふぃっく びいなす」

 子供のころから海や船に親しんでいました。父親が海軍出身だったこともあり、小さいころから海や船についての話を聞かされていたんです。また父親が釣りが好きだったので、よく海に連れて行かれていたというのもあります。

 船の仕事に就きたいとはっきりと思ったのは小学校6年のときだったかな。あるとき先生に「将来の夢」についての作文を書けと言われた。そのときはまだ漠然としていたので、いろんな職業の本を読んでみようと図書館に行ったんです。そこでたまたま「航海士になるには」という本を取った。元々、海とか船が好きだという気持ちはあったので、その本を取ったときに「ああ、これだ!」と。中身を読んでもいいことが書いてあるんですね、ただで外国とか世界中いろんなところへ行けると。こういう仕事がいいなと思って。それがきっかけです。だから最初の動機は不純だったんですね(笑)。

 でも、船乗りになりたいと言うと、うちの親は反対しましたよ。父親はそれほどではなかったですけど、母親は反対しましたね。「今どき船乗りなんて」って言われました。他にもいっぱいいい仕事があるのに、なんで船なのって。まあ今考えるとその反応は普通です。一般の人が船というと客船じゃなくて、漁船だったりタンカーだったり。どちらかというと、暗いイメージというか、キツく危険なイメージ、荒れる海の中へ出て行って、長い期間帰ってもこないしあまり良くないイメージがあったみたいです。

 そのときは私自身ももちろん客船に乗りたいなんて思ってなくて、貨物船でもいいからとにかく船に乗って外国へ行ってみたいと。でも結果的にこういう客船に乗ることができた。日本にもこういった客船はそれほどないですからね。実際、商船学校に行って勉強して資格を取っても、客船に乗れるチャンスはそれほどないです。私はたまたまめぐり合わせがよかったんです。

なんとしても船乗りになりたい。その思いは中学校に進学しても消えることはなく、卒業後は商船高等専門学校へ進学。15歳で親元を離れ、寮生活が始まった。

商船高等専門学校へ進学
過酷な日々の始まり
 

 小学生のときに見た本に、大型船の航海士になるための最短コースは商船高等専門学校、いわゆる高専に行くことだと書いてあったんですよ。学校を出て資格を取るパターンがいろいろとあるんですが、普通の高校を出てから商船大学へ行くと合計で7年かかる。でもその商船高専だったら、高校と大学の一部が一貫教育ですから、5年半でまとまった教育を受けられて、卒業後も同じ資格をくれるんです。だから、これが一番早いと。それでその道を選んだんです。

 私が行ったのは、広島商船高等専門学校という学校。私は船長になりたかったので航海科を選択しました。勉強はとても厳しかったですよ。高校、大学で7年かけてやるところを5年半でやるわけですからね。カリキュラム、科目数がすごく多い。一般教養課程プラス専門課程ですからね。まさに詰め込みでしたから、すごくたいへんでしたね。入学当時は同級生が1クラス40人いたんですけど、1年後には10人くらいは落第、もしくは辞めていきました。

 3年後にはひとクラス34人くらいになってたかな。上から降ってきた人(落第者)が何人かいましたから(笑)。もともと1年生のときに入った同級生で、およそ3分の1近くがついていけなくて辞めたことになります。

 辞めていく人っていうのは、勉強がたいへんでついていけないっていうのも、もちろんあります。でもやはり「自分の進むべき道は本当にこれでいいのか?」という根本の部分が揺らいで進路変更していった人も少なからずいました。やっぱり中学生くらいの時に、自分の将来を決めてそれを本当に貫き通せるかというと、よほど意思というか、船乗りへの思いが強くないと難しいわけですよ。最初は船乗りへのあこがれで入学しても、やっていくうちにやっぱりこれは違うぞと、自分には向いてないぞと、もっと違うことをやりたいといって他の一般の大学に編入した人もいました。

 私は辞めようと思ったことはなかったですね。やはり船乗りになりたいという思いが強かったですから。とにかくやれるところまでやってみようと思っていました。もちろん自由な遊び時間などほとんどなかったですよ。勉強がきつい上に、テニス部に入っていましたから。いつも朝5時くらいに叩き起こされるんです。朝練があるから。朝練後、寮の掃除をして朝食を食べて。それから学校です。学校もたいてい8時間くらい授業があるわけです。終わったらかなり夕方遅かったんですけど、それから部の練習。それから自分の勉強でしょ。だからいつも寝るのが深夜過ぎ。で次の日また朝5時に起きてという毎日。

 でも土日は休めたんじゃないかって? いやいやとんでもない。土日なんかもっとひどかったですよ。ずっと1日中部活の練習とかいろんな行事があって。たまによその学校へ遠征に行ったり。そういうのが毎日ですからね。だから睡眠時間は毎日4、5時間。それを5年です。もちろん若かったからできたんですけどね。

 学校、部活の上下関係はそれはもう厳しかったです。僕らが入ったときは特に厳しかったですね。当然しごきもありました。基本的に船の世界というのは、特殊な閉鎖社会ですから、そういう上下関係、規律がしっかりしてないと、いざというときに、統制がとれないんですよ。そういう意味では厳しいですね。

 とりあえず3年間の過程を終えると、高校課程教育を修了ということで高校卒業の資格がもらえます。そこから別の大学を受けてもいいし、高卒の状態でやめてもいいし、いろいろ選択肢はあるのです。
 
 高専に残った場合、4年から一部大学課程教育の専門教育が始まります。最後には実習があって、航海訓練所っていうところに帆船の日本丸と海王丸があって、そういう船に乗って実際に勉強しながら航海訓練をするのです。そういうのが全部終わって初めて卒業。

 卒業すると航海士の資格がもらえますから、民間の船会社や僅かですが海上保安庁などへ就職していくのです。

 この5年半は、家族から遠く離れ、いわば逃げ場のない厳しい環境の中でしたが、強い信念を持ち続け卒業することで、逆境や苦労にめげない根性と何事も最後まであきらめない心情が身についたと思います。

勉強、部活と厳しくも充実した5年半を過ごし、無事卒業した由良船長。しかしだからといって簡単に就職先が見つかるわけではなかった。

やっとの思いで卒業するも
待っていたのは就職難
 

 私が卒業した昭和57年当時、オイルショックの影響も長引き海運業界が大不況だったんですよ。就職先がほとんどなくてね。乗りたくても乗る船がなかった。当時は日本人の船員は給料高いからって、どんどん外国人に代わっていった時代だったのです。

 結局、学校を出て資格を取っても就職先がないと。もう在学中からだんだんそういう状況になっていたので、船乗りに見切りをつけた人もいましたよ。いくらここで頑張っても乗る船がないのだったら早めに違う道へってね。その当時、同級生で卒業して船に乗ったのがわずか6人くらいですよ。ほとんどは、陸上の仕事に就きました。ただ、港湾関係の会社とか損害保険関係とか、港や海に関わる仕事に就いた人がけっこう多かった。やはりどこかで海とつながっていたかったのでしょうね。

 私はそんな状況下でも最後まで諦めずに船に乗ろうと思って。何でもいいから船に乗りたいと思って海運関係の会社を受けて、運良く今の会社に就職できたんです。

 厳しい状況の中でも希望する会社に就職できたのは、学業だけではなく部活や生徒会活動、地域社会への奉仕など、学生の内にできることを精一杯頑張ったことが大きいと思います。いろんな知識を吸収したり、経験を積むことは重要です。会社面接の折には思いもよらぬ質問が出ることもありますが、そんな知識や経験、そして強い信念、私の場合は「船乗りになりたい」でしたが、そういうものがあれば相手にも伝わるものだと思います。

 企業はただ成績の良し悪しだけで人を採用するのではなく、真の人材を求めていると思います。常に前向きに怯まず努力を続けることが大切。ただし、謙虚さはいつになっても忘れぬよう心がけることも重要です。

 しかし、もちろん船会社に就職できたからといって万事OKというわけではありませんでした。むしろそこからが再び厳しい日々のスタートだったんです。

 

念願かなってクルーズ会社に入社できた由良船長。しかし入ってからも厳しい日々が続くのだった──。

次回は「船長の仕事」について、熱く語っていただきます。他ではなかなか聞けない話が盛りだくさんですよ!

 
2006.7.3 1 12歳で船乗りを志す つらかった商船学校時代
2006.7.10 2 さまざまな苦難を乗り越え 18年かけて船長に
2006.7.17  3 乗客の笑顔がなによりの喜び その日一日を悔いなく全力で

プロフィール

ゆら・かずひさ

1961年6月大阪府生まれ、45歳。練習船時代を含め、今年で船乗り生活24年目。

海軍の軍人だった父親の影響を受け、幼少のころより船乗りにあこがれる。1982年広島高等商船高専卒業後、西日本汽船に三等航海士として入社。「ゆうとぴあ」「ニューゆうとぴあ」に乗船。

1989年 二等航海士に昇進。5月「おりえんとびいなす」建造に立会。9月日本クルーズ客船株式会社に移籍

1992年7月から1993年9月まで本社海務課主任として陸上勤務、入出港手配・運航管理補佐に従事。

1993年海上復帰。1994年一等航海士に昇進。1996年「ぱしふぃっくびいなす」建造に立会。

2000年39歳で「ぱしふぃっくびいなす」船長に就任。現在に至る。多くの人々との出会いや常に自然と向き合って航海を続けることに生き甲斐を感じている。

ぱしふぃっく びいなす

1998年4月に就航した、総トン数26,518トン、全長183.4m、旅客定員696名を誇る日本屈指の豪華客船。豪華でエレガントなエントランス、ロビー、客室、レストランなど、まさに「洋上のホテル」の名にふさわしい。

2007年、この「ぱしふぃっく びいなす」で行く世界一周クルーズが催行される。2007年4月2日から104日間にわたって世界各地をめぐるもので、由良船長によると「最高のコースを最高の時期に通過できるように考え抜いて作成された」クルーズ。詳しくはこちら

協力:日本クルーズ客船株式会社

 
お知らせ
 
魂の仕事人 書籍化決!2008.7.14発売 河出書房新社 定価1,470円(本体1,400円)

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