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第12回
山本一力氏インタビュー(その2/全3回

山本一力氏

転職時代を経て作家へ
2億の借金を返すため
時代小説で勝負をかけた

作家山本 一力

楽しくやりがいもあった旅行会社を辞めてから、さまざまな会社を渡り歩くこととなる山本氏。しかし3度目の結婚をした後に背負った2億の借金が山本氏の職業人生を決定づけた──。

やまもと・いちりき

1948年高知県生まれ。58歳。中学3年生のときに上京、新聞配達をしながら都立工業高校に通う。
卒業後はトランシーバー会社で品質管理、旅行会社で企画・添乗・広告宣伝、広告宣伝制作会社で営業、コピーライター、デザイナー、制作会社経営、商事会社でMDなどさまざまな職を経験。
46歳のとき、事業の失敗で作った2億の借金を返済するために作家になることを決意。以後97年に『蒼龍』で第77回オール讀物新人賞を受賞。2000年に初の単行本『損料屋喜八郎始末控え』(文藝春秋刊)を上梓、2002年、53歳11カ月で『あかね空』(文藝春秋刊)で第126回直木賞を受賞。
作中では江戸時代中期の市井に生きる職人・町人の人間模様が生き生きと描かれている。主に仕事・義理・人情・信頼・愛憎がテーマになっているため、現代人のわれわれが読んでも深く共感できる。その作風が多くの人びとの心を魅了、現在複数の雑誌で連載をもつ人気時代小説作家。

個人事業主からふたたび社員へ セールスの基本を学ぶ

旅行会社辞めた後独立して、パンフレットなどのデザイン・コピーを請け負う仕事を始めた。でも顧客のあてもなく始めたもんだから、仕事がなかなか取れなくて。ほとんど食えなかった。で、1年くらい経ったころ、当時、仕事をくれていたデザイン会社に「どうせだったらウチの会社に入りなよ」と誘われた。俺もいい機会だと思ってその会社に入ったんだ。

16人しかいない小さな会社でね。ちゃんとしたデザイナーが4人くらいで、あとはみんなほんと小僧だよ。そこで初めて本格的なセールスっていうのを学んだんだ。この会社にはほんとに入ってよかった。今でも付き合いがあるけどね。今はもう180人くらいの会社になってる。

そこでは営業、プランニング、コピー、何でも一人でやるんだよ、ちっぽけな会社だから。「私はコピーライターでござい」なんて言ってられないんだから。コピーを書くための仕事は自分で取りに行かなきゃいけなかった。

仕事のやり方も誰も教えてなんてくれないから、全部自分で考えるんだよ。ただひとつだけ掟があった。「営業電話をかけるときは売込みだと真正面から言え」。これは社長のポリシーだったんだ。だから営業電話をかけるとき、まともに真正面からぶつかって最初から「売込みです」って言うんだよ。

でもさ、そんなの聞くわけないでしょう。ほとんど「ばかやろう!」なんて電話を切られるよ。まあ最初のうちは9割8分アウトだな。100本の内1、2本だよ、聞いてくれるのは。ただゼロじゃないんだよ。ゼロだったらどっかでめげちゃうだろうけど1、2%は可能性があるわけだから。

確かにたいへんだし面倒だけれども、しょうがないよ、それしかやりようがないんだから。最初から売り込みですって言わないで電話かけたら社長に怒られちゃうんだから。「ばかやろう、そんな姑息なこと言うな!」って。でも、たいしたもんだね、その社長は。自分でセールスの電話をするんじゃないんだよ。ただ見てて、文句言うだけなんだよ。でも、従わせる力があったよな。やっぱり、言ってることが正しいと思えるから。

そりゃ、電話をかけるたびに断られるわけだから、もう辞めたいと思ったことも一度や二度じゃなかったよ。でも、そこで辞めるのは癪だよな。結局、そこで辞めちゃうってのは負けを確定させちゃうってことなわけで。やっぱり断られるだけで負けたくない。やり続けていればチャンスはあるわけだから。

で、歯を食いしばりながら本気になってぶつかっていくと不思議とアポが取れる確率も上がっていくんだよ。最終的には、5、6%くらいになったかな。だから倍くらいにはなった。でもそのくらいだよ。2割にも3割にもなるなんてことはありえない。でもすごいよ。100本かけて6本アポイント取れたら。

これは不思議だね。「面白いこと言うなおまえ、じゃあ来いや」って言ってくれる会社もぽつぽつではあるけど増えてくわけだ。だから世の中そういうものなんだよ。やり続けていって、真正面からぶつかって行ってたら、相手に伝わることって何かあるんだよ。

で、会った相手は、最初から俺のことを売込みだと思ってるわけだろ。こっちも最初に言ってるんだから、思いっきり売り込みに行くわけだ。そうすると、お互い勘違いがないんだよ。さらに苦労して取ったアポは必ずモノにしようって自分で決めてくわけだから。事前準備も相当やるし気合いが違うから、アポが取れたものはだいたい契約できたな。

ところが今、山のようにかかってくる売込みの電話は、どれも売込みとは言わないんだよ。「御社のお役に立ちましょう」とかなんとか、もういらないってそんなの(笑)。「あんた売込みか?」って聞いたら、「いや、売込みではありません」っていうから、「じゃあなんだ?」って聞いたら、ああだこうだ言う。あれはきっとああいうトークの仕方を会社が教えてるんだろうな。それはカスだよ、絶対ダメ。やっぱり真正面からぶつかっていけって。どの道、どっかで売込みになるわけで。その瞬間に相手は冷めちゃうよな。よくある「当選おめでとうございます」っていきなり電話かけてくるのと同じだよ。話聞いてたら、ああだこうだ言って、結局ものを買わされる。あの手の姑息なこと。

やっぱりセールスの王道は「真正面から」なんだよ。姑息なことをやってなんとか入り込んでも、絶対にもめる。マズい出会いっていうのは、必ずもめるんだよ。これはもうほんとに鉄則。この会社には4年間いて、いろんなことを学んだけど、やっぱりそれが一番大きいかな。ほんとに、セールスの基本はこの会社で学んだね。

社長と喧嘩で退職 転職人生の始まり

会社を辞めた理由? そこの社長と大喧嘩やってさ。もうほとんど殴り合いみたいな感じだった。経営者なんだから部下が一生懸命やって成果を挙げれば素直に喜べばよかったんだろうけど、歳も近かったせいか、どっかで張り合っちゃうみたいなとこがあったんだろうな。それでぐちゃぐちゃになって「そんなんだったら辞めてやらあ」って大喧嘩して。直接の原因は大きい仕事が重なっちゃったときにどっちも手伝ってもらえなくて、さらに文句ばっかり言われて。「なんでもっと段取りよく仕事ができねえんだ」って。こっちは「こんだけやってるのがわかんねえのか」って。まあ、単純なことだよ、考えてみたら。でもその社長とは今でも付き合いがあって、すごく仲がいいんだよ。

その会社を辞めてからはいろんな会社でいろんな仕事をしたよ。自分で会社を経営してた時期もあったし。多すぎて数は覚えてないけどゆうに10社以上はある。宣伝広告のセールスの仕事が多かった。セールスがやりたかったんだな。あとは雑誌編集の仕事もやってたこともあった。  転職時代を振り返って誇りに思うことがひとつあるんだ。辞めるときに、すべての会社から引き止められたってこと。なんで辞めるんだよ、いてくれよウチにって。もういらない、おまえクビって言われたところは皆無だよ。それはもう自分の誇りだね。

さまざまな会社を渡り歩き、いろいろな職を経験する間に結婚・離婚とプライベートでも波乱があった。そして3度目の結婚・現在の妻との運命の出会いで山本氏の人生は大きく変わる。

頑張れば頑張るほど裏目に 2億円の借金で作家を目指す

俺が40歳を越してから今のかみさんと出会って、3度目の結婚をしたんだけど、かみさんの実家が相続で大もめしてた。当時俺はデザイン会社を経営してて生活する分には問題なくやっていけてた。でも相続税が半端じゃない額だった。その助けになればと思ってビデオ制作の会社を作ったんだよ。でも自分の目論見が甘かった。もうやればやるほどドツボにはまっていった。借金だけがどんどんふくれ上がっていく状況の中で、なんとかしなきゃ、やらなきゃいけない、だけだよ。引くことはできないから、前に進むしかないって。でもやることがいちいち裏目に出て結局2億を越える借金になっちゃったんだ。当然会社も倒産だよ。

自己破産は考えなかったかって? それはなかった。だって金を借りてるのはみんな友達とか身内ばっかりで、みんな善意で貸してくれてるものだったから。だから俺は自己破産という手段はとれなかったんだよ。自己破産したらさ、全部がチャラになっちゃうわけでしょう。「私、これから頑張ります」って言われたって、チャラにされた方はふざけるなって感じだよ。これが消費者金融とかの業者だったら、もうおまえらだって儲けてるんだからいいじゃないかってこともあるだろうけれど。でも個人だからそれはできないよ。

で、その借金を返すためにはどうすればいいか。億を超える借金は普通に働いてたんじゃ返せない。選択肢もまた少ないわけでしょう、金がないから。そんな中で俺にできることは何かを考えたとき、原稿なら書けるなと。今まで広告宣伝のコピーライターや雑誌のライターとして散々書いてきたから。あと小説や映画が好きだから、物語を考えることもできる。じゃあ文章は書けるだろうし、物語を組み立てることもできるだろうから、物書きになろうって単純に決めて始めたんだよ。物書きを始めるのに元手はいらないし。本当にやれるかどうかなんて考えなかった。もうやるしかないんだから。

でも周りにそう言うと、もう「アホか」という感じだったよ。「何をバカなことを」「今まで何か書いたことあるのか」とか。それはみんなそう言うよ。これまで小説の1本も書いたことないんだから。債権者は唖然としてた。でも、「ダメだ、やめろ、ばかやろう」とは言われなかった。だからやれたんだろうな。まあみんなやれると思ってなかったんだろうけど。言ってもしゃあないと思っていたんだろう。でもかみさんだけは違った。「やろう、あなたならできる」って支持してくれたんだ。その後もずっと応援してくれてる。たいへんだったと思うよ。ありがたいと思ってる。

作家になることを決意した山本氏が選んだのは時代小説。半年後、働きながら初めて応募した文学新人賞で最終選考に残る。なんとかなるかもれない──。わずかな光明を見出したがしかし、受賞までは長い年月を要した。応募しても応募しても落選の山。しかし山本氏はあきらめなかった。

言葉がきれいだから時代小説 3年後に新人賞受賞

時代小説を選んだのは何より言葉がきれいだからだよ。時代小説は選りすぐった言葉で書くものだから。現代語もカタカナも外来語も使えない。日本語本来の美しさで勝負をしていくしかない。だから、言葉遣いが凛としてくる。それが時代小説なんだよ。

物語だって、自分の中でいろいろと工夫できる。時代小説っていうのはSFなんだよ。みんなSFっていうと未来小説を思うけども、過去だってSFなんだよ。だって江戸時代って誰も知らない、行ったことないわけだから。行ったことのない世界を見てきたように描くんだから。それを自分で思いっきり描いていけるっていうのは醍醐味だよ。

反対に現代の事件とか現象をネタにして書かれた小説もある。ああいうのはイヤだな。例えば、あの9.11のテロが起きた直後くらいに、それを題材にした小説を読んだけれど、吐き気をもよおしたな。よくこういうものを書くもんだと思ったよ。何もそんなもの書かなくたっていいじゃないか。

でも、そういう事件を少し時間をおいて、思いっきり時間軸をずらして、違う話にまとめていけば、物語として人の心に届くってことがあるかもしれない。初めて新人賞(注1)をいただいた「蒼龍」っていう作品もそう。新人賞へ何度応募してもダメっていうそのときの自分の状況を、江戸時代にタイムシフトさせて書いた作品。「自分自身の話じゃないか」って編集者に落とされるか、作品として成立して受け入れられるか、どっちかだと思って腹くくって勝負した一作だったんだ。

小説を書き始めて3年、49歳のときだった。それまでは、昼間は日本航空の商事会社で嘱託社員として、通販用の商品開発の仕事をしていたから、なんとか家族が食っていけるくらいの収入はあったんだ。日航商事の人たちもみんな応援してくれて。賞をいただいたときも良かった良かったってすごく喜んでくれた。

けれど新人賞をいただいて、同時に嘱託の契約も満了になった。それからは執筆一本になったわけだけど、ここからがほんとにつらかった。

新人賞(注1)──1997年に第77回オール讀物新人賞(文藝春秋社)を受賞。過去の受賞者には、藤沢周平氏、乙川優三郎氏などそうそうたる作家が名を連ねている

新人賞を獲得後、次の作品が掲載されるまでに2年の月日がかかった。書いても書いてもダメ出しの日々。さらに執筆一本に絞ったため、収入はゼロ。一家はギリギリの生活を強いられた──。 次週はつらい時期をどう乗り越えたのか、直木賞受賞作に込められた思い、そして、仕事とは、働くということとは?についてアツく語る。

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