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第12回
山本一力氏インタビュー(その1/全3回

山本一力氏

幾度もの転職の果てに辿りついた
時代小説作家という職業
はじまりは新聞配達だった

作家山本 一力

53歳のとき、『あかね空』で第126回直木賞を受賞した山本一力氏。それまでは、旅行企画・添乗、広告制作、営業、雑誌編集とさまざまな職を経験。作家を目指したのは46歳のとき。2億の借金を返済するのが目的だった──。初の単行本出版からわずか6年で約20冊とハイペースで作品を上梓している人気作家に仕事に懸ける思いを聞いた。

やまもと・いちりき

1948年高知県生まれ。58歳。中学3年生のときに上京、新聞配達をしながら都立工業高校に通う。
卒業後はトランシーバー会社で品質管理、旅行会社で企画・添乗・広告宣伝、広告宣伝制作会社で営業、コピーライター、デザイナー、制作会社経営、商事会社でMDなどさまざまな職を経験。
46歳のとき、事業の失敗で作った2億の借金を返済するために作家になることを決意。以後97年に『蒼龍』で第77回オール讀物新人賞を受賞。2000年に初の単行本『損料屋喜八郎始末控え』(文藝春秋刊)を上梓、2002年、53歳11カ月で『あかね空』(文藝春秋刊)で第126回直木賞を受賞。
作中では江戸時代中期の市井に生きる職人・町人の人間模様が生き生きと描かれている。主に仕事・義理・人情・信頼・愛憎がテーマになっているため、現代人のわれわれが読んでも深く共感できる。その作風が多くの人びとの心を魅了、現在複数の雑誌で連載をもつ人気時代小説作家。

新聞配達で大事なことを学んだ10代 カツオ船に乗るのが夢だった

俺が一番最初になりたいと思った職業は、カツオ船の漁師だったんだ。中学3年のときだったかな。そのころ一家で高知から東京に移り住んでいたんだけど、高校進学するのが嫌だった。だから中学を卒業したら高知へ帰って、カツオ船に乗りたいと思ってたんだ。別に漁師に強い思い入れがあったってわけじゃないんだ。船に乗って海に出て行きたいって。カツオ船ってのは世界中に行くわけだから。単純にそういう憧れだったってだけのこと。

俺は高知で生まれて高知で育ったんだけど、中学2年のときに一家で上京するという話が持ち上がったんだ。でも俺はイヤだった。親しい友達や好きな女の子もいたから。で、とりあえず俺だけ高知に残ることにして、母親と妹だけが先に上京したんだ。最初は一人残っても大丈夫だと思ってたんだけど、やっぱりなんていったってまだ子供だからね。しばらくは親戚の家に世話になってたんだけど、耐えられなくなって1年後に自分も上京することにしたんだ。

東京では母親と妹が世話になってた新聞販売店で俺も配達員として住み込みで働くことになった。でも汽車と船を乗り継いで上京したのに、いいきなり翌日から配達やれっていわれたときはびっくりしたね。

でも新聞配達時代に学んだものは大きいよ。最大の収穫は、「今、目の前にあることを片付けないと先へは進めない」ってこと。それがすべて。その後の生き方を決定付けたと言ってもいい。

当時は毎朝4時起き。真冬の朝起きたとき、氷雨が降ってたりしたら本当に気持ちが萎えた。自転車で400部の新聞を配っていたんだけど、坂が多い区域だったからどんなに全力疾走で配っても2時間はゆうにかかる。でも配り終えなければ学校にも行けない。氷雨が降ろうが雪が積もってようが、どんなつらい状況でも、どんなにイヤでも、自分が配らなければ配達は終わらない。「先に進みたければ、まず目の前のことを片付けることが大事」ってことを、中学三年から高校卒業までの4年間の新聞配達で学んだんだ。

目の前のイヤなものを途中で放り投げて別の何かをやるっていっても、人生、簡単にそういうわけにはいかないんだよ。途中で放り投げるにしても、放り投げるケリだけはつけないことには。やりっ放しということは許されないから。これはその後の人生にとても役に立ったね。

もうひとつ大きかったことは「英語力」。新聞配達を始めてから3カ月後、先輩に頼み込んでワシントンハイツ(注1)ってところの配達担当になったんだ。そこで実践的な英語力や、アメリカ文化、アメリカ人の気質などを学んだ。これは確実に今につながってるね。

そもそもはアメリカ人のペンフレンドがいて、なんとかその子とうまくコミュニケーションを図りたい、英語がわかるようになりたいっていう一心だったんだよ。 ちなみにあれから40年も過ぎてるんだけど、その人とは今でもまだやりとりしてるんだよ。同い歳だからお互い58歳かな。俺が作家になったときもすごく喜んでくれてね。

ワシントンハイツで新聞を配るようになってそこで暮らしてるアメリカ人の友達もたくさんできて、彼らにもらったコーラの缶をクラスメートに見せてやったら、それでスターになった。そんなものはまだどこにも売ってなかったんだから。

それまではクラスで孤立してたんだよ。俺は土佐弁しかしゃべれなかったから。やっぱり言葉が全然違うから、クラスメートに馬鹿にされて。それが一変してスターだから。 これまで寄ってこなかったやつまで話しかけてきたりしてさ。そういう意味でもありがたかったね。

ワシントンハイツ(注1)──昭和20年に米占領軍の要求によって現在の代々木公園あたりに建設された都心最大規模の米軍基地(集合団地)。ワシントンハイツ自体がひとつの大きな町で、東京駐留の米軍の空軍将校たちが暮らしていた。ワシントンハイツの中はアメリカそのもので、許可をもった人間しか入れなかった。その後東京オリンピックの選手村になり、終了後はオリンピック記念国立青少年総合センターとして残された。

中学卒業後は帰郷するつもりだった山本氏だが、教師に工業高校の受験を勧められるままに受けると見事合格。3年間の高校生活で東京の水にも馴染み、卒業するころには東京で就職することに抵抗を感じなくなっていた。卒業後は学校の紹介でトランシーバーを製作する会社に入社。しかしここから耐えがたい毎日が始まった。

高卒でトランシーバー会社に就職も
単純作業に嫌気がさし、半年で辞職

社会に出て初めての仕事はトランシーバーの品質管理。ラインを流れてくるトランシーバーを手に取って、ショックテストをやるっていう仕事。今はそういうのは全部ロボットがやるんだろうけど、当時はないから。そんなものは。全部人間の手作業だった。朝から晩までそんな単純作業の繰り返しだったから、もう嫌で嫌でしょうがなかった。時間の自由が全くないし。入ってすぐにこれは俺には無理だ、向いてねえと思って。結局半年ももたなかったんだよなぁ。

次に勤めたのは大手旅行会社。でも俺が自分で見つけて応募したんじゃないんだよ。その当時付き合ってた彼女が求人広告を見つけて俺の代わりに履歴書を出してくれたんだ。で、ある日突然、「ちょっとここの試験受けてきなよ」って言うんだよ。そのときはいきなり何だよって思ったけど(笑)。でもうれしかったね。そのとき俺はもうトランシーバーの会社は辞めると決めていて、その俺の気持ちを汲んでやってくれたんだから、それはうれしかったね。

大手旅行会社だから倍率もけっこうすごかった。今思えばよく通ったもんだと思うけど。面接で特にアピールしたことも全くないし。英語のテストができたのがよかったのかな。

旅行会社の仕事はすごく楽しかったよ。周りにはすごいと思える人がたくさんいたし、いろんなことを経験できた。旅行企画、広告宣伝、添乗にももちろん行ったし。しかも海外だよ。俺が行ってた頃というのは、海外旅行がまだ黎明期だからね。海外に行けるなんてチャンスはほとんどないから、すごく見聞を広めることになったな。入社テストもそうだったんだけど、海外添乗でも英語力がとても役に立った。

旅行会社を退職→独立

でも結局旅行会社も約10年勤めて辞めた。楽しかった会社を辞めたのは、一言でいうと先が見えたからなんだ。俺は高卒の中途採用で入ったわけだから、このまま会社にいても一営業所の所長になるくらいで終わるかなと。あの頃すでに「学歴」という壁はあったしな。俺自身に学歴に対する不安とかコンプレックスなんてのは皆無だったけど、現実問題、高卒は高卒だからその程度で終わりだろうと。そう思ったら、もういいやって感じになったんだよ。これからはもっと自分自身でやれることをやってみようと。

で、個人事業主として事務所を借りて、紙媒体の広告宣伝の仕事を始めたんだ。辞める直前までずっと広告やパンフレットのコピーを書いたりデザインをやったり、アドマンみたいなことをやってたんだよ。俺自身、広告宣伝の仕事が好きだったから、そっちの世界でやっていこうと決めたんだ

独立してからは、コピー、デザイン、営業まで全部自分ひとりでやった。でも仕事がなかなか取れなくて。前の旅行会社から仕事を回してもらえばよかったじゃないかって? いや、独立するときに、それだけはしないと心に決めてたんだ。だって辞めた会社へ仕事くださいって行くくらいだったら最初から辞めなきゃいいんだから。それは潔しとはしなかったんだ。でも結局1年やったけど、もうほとんど食えなくて。事務所を畳んだんだ。

この後、山本氏は10数回にも及ぶ転職時代に突入していく。そして3度目の結婚後に背負った2億の借金が、彼の職業人生を決定づけた──。次回は作家を目指したいきさつについて語る。

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