キャリア&転職研究室|魂の仕事人|第10回弁護士 宇都宮健児さん-その3-自然体で交渉すれば怖くない

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第10回
宇都宮健児氏インタビュー(その3/全5回

宇都宮健児氏

ヤミ金とやり合う際は自然体で
不当な要求に対しては断固拒否
法律に則って交渉すれば怖くない

弁護士宇都宮 健児

2度目のクビで事務所を辞めた宇都宮氏は、1983年4月、弁護士になって12年目の36歳にしてついに独立、銀座に事務所を設立した。当時、サラ金問題一本で勝負しようという弁護士事務所は日本で「宇都宮健児法律事務所」ただ一つ。全国から相談者が殺到し、当時にサラ金・ヤミ金業者との戦いも激化していく。

うつのみや・けんじ

1946年(昭和21年) 愛媛県明浜町(現西予市)生まれ 59歳 サラ金問題の草分け的弁護士
東京大学に現役合格(1966年)後、社会運動と出会い弁護士を目指す。1968年に司法試験に一発合格、経済的事情により翌年東大中退、司法修習生となる。71年に弁護士登録。2度のイソ弁生活を経て1983年に独立。以降現在に至るまで、「東京市民法律事務所」を経営する傍ら、サラ金、ヤミ金被害者救済をはじめとする消費者問題に取り組む。 東京弁護士会法律相談センター運営委員会委員長、東京弁護士会民事介入暴力対策特別委員会委員長、東京弁護士会外国人人権救済センター運営協議会議長、日弁連消費者問題対策委員会委員長、東京弁護士会副会長などを歴任。現在は全国クレジット・サラ金・商工ローンの高金利引下げを求める全国連絡会代表幹事、武富士対策連絡会議代表、全国ヤミ金融対策会議代表幹事、日弁連上限金利引き下げ実現本部本部長代行の要職に就いている。
■被害者救済のために手がけた主な事件/ 豊田商事事件・地下鉄サリン事件・KKC事件・オレンジ共済・全国八葉物流事件・旧五菱会のヤミ金融事件
【主な著書】 ●『サラ金地獄からの脱出法』(自由国民社) ●『消費者金融—実態と救済』(岩波書店) ●『自己破産と借金地獄脱出法』(主婦と生活社) ●『自己破産と借金整理法』(自由国民社) ●『ヤミ金融撃退マニュアル 恐るべき実態と撃退法』(花伝社)
※宮部みゆきの最高傑作との誉れも高い、多重債務問題をテーマにした作品『火車』に登場する弁護士のモデルにもなっている。

ダメだったら田舎に帰ってみかん農家に
背水の陣で覚悟を決めた

独立した当初の事務所は、今いる銀座のビルの3階の一室、8坪くらいの部屋でした。当然顧問会社はゼロ。あるのはサラ金事件だけでしたから、僕自身、とても事務所経営が成立っていくとは思ってなかったです。

また、これまでの泣かず飛ばずの12年間、2度のクビ経験で自分は弁護士には向いてないんじゃないか、性に合わないんじゃないかって思ってたんです。

でもサラ金に苦しめられている人びとは日本中にごまんといる。そんな今日一日を生き延びることに必死なたくさんの人びとが、僕らの助けを待ってるわけです。彼らを助けるためには独立しかなかったんですね。

心情的にはまたしても背水の陣でした。もし今回独立してうまくやれなかったら、田舎へ帰って、実家のみかん農家を継ごうと思っていました。

いきなり銀座で独立 まずは事務員採用からつまづく

なぜ銀座に事務所を開いたか。これも奇縁というかおもしろいいきさつがあってね。事務所を開くに当たって事務員を採用しなきゃならんと。今なら朝日新聞に募集広告を出してるんですけど、当時はそんなお金はないですからね、弁護士会に行くんです。弁護士会の控え室には弁護士事務所で働きたい人の履歴書が置いてあります。それは必ず他の弁護士の推薦が必要なんです。その履歴書は、だれでもコピーして持って帰ってよくて、好きな人と面接していいっていうんです。ああ、こういうのがあるんだって、コピーして、何人かに電話して面接したんですね。その中の一人が川口に住んでるお嬢さんだったんですけど、喫茶店で面接したときに、「事務所が銀座なら勤めます」といわれて、えらいショックを受けましてね(笑)

当初は、まあ下町の亀戸あたりのビルの一室を借りてやろうかと思っていたんですね。でも銀座なら勤めるって、じゃあ亀戸なら勤めてくれないのかと(笑)。理由を聞いたら、地下鉄の沿線にこだわってた。丸の内線沿線に事務所があるのか、日比谷線なのか、銀座線なのかね、いろいろあるらしいですね、選り好みが。こっちはそんなのわかんないけど(笑)。でも事務員が来てくれないと事務所が開けないので、じゃあ銀座で探すかということで、今のビルに決めたんです。当時は銀座といっても安かったんです。8坪で坪1万円切っていましたからね。すごく狭いところだったから。

ところがそのお嬢さんにね、面接のときに、「ウチはサラ金事件専門だよ」と言ってなかったんです。まず来てもらうことが先決だったから(笑)。それでその人は来てくれることになってね、ああよかったよかったということで事務所を開設したら、前の事務所のときと同じくサラ金業者から電話がじゃんじゃんかかってくるわけですよ。サラ金業者は弁護士にだって「バカ野郎、この野郎」って罵倒するくらいだから、事務員に対しても同じかそれ以上キツいからね。

で、事務員のお嬢さんはもちろんそういう対応をしたことがないから、1日か2日でね、真っ青になって、「先生、お話があります」って。こりゃやべえなと(笑)。もっと早く言っておくべきだったなと思ったんですけど、まあしょうがないということで話を聞くと、案の定「辞めさせてください」と(笑)。どうして? って聞いたら、「サラ金業者の電話に耐えられません」と。そこでね、もう率直に謝ってね、「ごめん、本当は採用するときに言うべきだったんだけど、ウチが扱うのはほとんどサラ金事件なんだよ」って、そこで初めて明かしたんですよ(笑)。

こっちとしては辞めてもらうと困るから、一生懸命説得してね。「あなたとしてはつらいだろうけど、こちらに電話がかかってくるっていうことは、その分、債務者への電話が減って、債務者の救済になっているんだよ」とか、「でも、ずっと電話に出るだけじゃたいへんでしょ、だから、疲れたら電話に出なくていいよ。近くに三越もあれば松坂屋もある、ちょっと銀ブラでもしてらっしゃい」とか。ダメ押しで、「考えてみたら給料ちょっと安いね、じゃあ上げましょう」って(笑)。そしたらその人も考え直してくれて、その後もだいぶ長く勤めてくれたんですよ。

不安を抱えながらのスタートだったが、悪いことばかりではなかった。独立した1983年は、サラ金業者による苛烈な取り立てにより、夜逃げや自殺者が続出。国会でも問題となり、貸金業規制法と出資法改正法、俗に言うサラ金規制法が4月に成立、11月1日から施行された。マスコミもサラ金問題を大きく取り上げた。そんな時代の追い風に乗って、宇都宮氏は大きく羽ばたき始めた。

本出版で波に乗る

ちょうど独立した年の12月に『サラ金地獄からの脱出法』という本を出版したんです。きっかけは出版元の自由国民社の社長が、ぜひサラ金規制法の本を書いてくれといってきたんですね。

元々この出版社の出してる本は『債権何がなんでも回収法』とか『悪質借家人の追い出し方』とか、そういう強者の立場に立つ本が多くて、それはそれでニーズがあって売れてたんですが、新しく社長になった人は弱者の立場に立つ本も出したいんだと言ってね。

その社長さんの意気にほれ込んだという面もあるし、こっちはまだ独立したばっかりだから、少しでも収入になるならと、書くことにしたんです。これが正解でした。当時はこういう本がなくて、マスコミも大々的かつ好意的に紹介してくれてね。爆発的に売れちゃったんですね。

おかげで独立したばかりのころは経営が危うかったんですが、持ち直しました。弁護士費用は分割でもらってますから、事務所を経営していくためには、数をこなさなきゃならないわけですね。でも本が売れたおかげでたくさん相談が来るようになったんです。例えばひとり月に1万円でも、百人やれば、毎月100万円ずつ入ってくるわけですよ。

そもそもそういう経営の仕方は非効率だし、たいへんなんじゃないかって? そりゃ楽じゃないですよ、決して。とにかく手数がいるしね。弁護士一人に多くの事務員が必要になるし、何かと手間隙かかる。さらに、ときには弁護士費用を踏み倒されることもあります。でも裏切られるのは覚悟の上です。だって、そういう人たちは見捨てられたら他に行くところがないわけですからね。

それでも何とかね、数をこなして贅沢を言わなきゃ、事務員に給料を払って、銀座で家賃を払ってやっていけるんですよ。

収支は今でもトントンですが、それでも十分だと思いますよ。2回クビになったことを考えたらね。当時はスケジュール帳が真っ白でしたから。手帳が仕事の予定で真っ黒になってる人はうらやましくてね。予定があるっていいなあって。それから考えると今は独立できて弁護士も6人もいるしね。夢みたいなことですよね。

急増するサラ金被害者とともに事務所も拡大。サラ金問題といえば宇都宮弁護士──。今でこそ消費者問題解決の代名詞になっているが、その道のりは決して平坦ではなかった。サラ金問題に取り組み始めた当初はまだサラ金を規制する法律ができていなかったため、暴力団と深いつながりのあるサラ金・ヤミ金との戦いはときに身もすくむ恐怖をともなうものだった。

事務所にドスを隠し持った取り立て屋が
法律で勝負すれば恐くない

まだイソ弁でサラ金問題をやり始めたころは、やり方が分からないから被害者と一緒に実際にサラ金の店舗を50、60店回ってね。社員と直接交渉してたんですよ。でもサラ金を規制する法律がまだできてないから、やっぱり脅されたりすごまれたりで全然埒があかなくてね。  今までで一番怖かったのは年配のサラ金業者が若い暴力団風の取り立て屋を連れて事務所まで乗り込んできたときですね。事務所には他の相談者もいたので、近くの喫茶店で対応したんですが、暴力団風の取り立て屋はドスをちらつかせながら「一切手を引け、引かないんだったらおまえが全額払え」っていうんですね。

そのときは慣れてないこともあり、さすがに怖かったですが、ここでビビってナメられたら終わりだと思って「あんた方、交渉に来たのか、それともケンカしに来たのか、ケンカに来たなら話し合う余地はありません! 弁護士のケンカは裁判ですから、本件は訴訟提起します!」って他の客にも聞こえるような大声で言って店を出たんです。事務所から近かったんですが、帰る道のりが普段の何倍にも長く感じましたね。事務所から自宅に戻るときも怖かったですね。つけられてるかもしれないってね。

で、その日から毎日、夜中の2時3時に無言電話がずーっとかかってくるんですよ。電話の向こうはわいわい騒いでいるから事務所に乗り込んできたサラ金業者と取り立て屋に間違いないと。そこですぐ裁判所にそのサラ金業者を被告として債務不存在確認訴訟を提起したんですが、そのとたんに無言電話はぴたっと止まりました。  そして裁判所の文書提出命令で、サラ金業者に帳簿とか全部出させた。そして利息制限法で計算すると、150〜160万円請求していたのが数万円で済むとわかった。被害者はそれを払って解決したんですね。  この話には後日談があって、裁判が終わった後、サラ金業者に裁判所の廊下で「頼みたいことがある」と話しかけられたんです。話を聞いてみたら、「先生の事務所に連れて行った若い衆が主婦を恐喝して警察に逮捕されてしまったから、その弁護をやってくれないか」ということでした。もちろん「私に頼むと弁護料は高いよ」って断りましたけどね(笑)。

当時の取り立てはこういう感じだったんです。被害者から、朝5時6時に自宅に電話がかかってくるんですよ、眠いのにね。当時は自宅の電話番号も教えてたから。で、どうしたの? って聞いたら、「サラ金の取り立てが来てて、子どもが学校に行けないし、ダンナも会社に行けないから帰るように言ってくれ」っていうの。その頃はサラ金を規制する法律ができてない(注1)からね。しょうがないから電話口に取り立てに来てるサラ金会社の社員を呼んで、「朝っぱらから何やってんだ!」とガンガンやるでしょ。するとその社員は「自分も来たくて来ているんじゃない。店長に金取って来いと言われてるからしょうがなくやってるんだ。店長と話してくれ」と言うんですよ。しょうがないから、じゃあ店長の電話番号教えろって、今度は店長と話すわけです。何やってんだってね。そしたら後から取り立てに来てたサラ金会社の社員から、「先生ありがとうございました、やっと帰れました」ってお礼の電話がかかってきたこともありました。  そういうのが一日中ですよ。夜中も11時12時に押しかけて、眠らせないわけです。そういうときも電話がかかってきて、「夕方から取り立て屋が来て座り込んで帰らないから、何とか先生の力で帰らせてほしい」と。同じく取り立てに来てる社員を電話口に出させて、「何やってんだ」とやりあう。朝と同じことをやってたんですね(笑)。

注1 サラ金を規制する法律ができてない──現在はサラ金を規制する法律ができて、夜9時以降朝8時以前の取り立てはできなくなっている

慣れてないころは怖かったけど
被害者のことを考えたら引けなかった

れまで脅迫を受けたりして怖くなって辞めようと思ったことはないかって? やっぱり慣れてないころは怖かったですよ。でもそこで辞めようとか逃げようとかは思わなかったですね。

まず当時、サラ金問題をやり始めたころは、他に仕事がなかった。スケジュール手帳は真っ白でしたから。で、サラ金をやれば少しでもお金が入ってくる。ゼロと1万円というのは無限大に違うんです。そういう、「仕事があるだけでありがたい」というのはあった。

それ以上に強かったのが、僕を頼ってくる困ってる人を助けたいという思いですね。事務所にはサラ金からお金を借りて家庭崩壊、夜逃げ、手首切ったり、睡眠薬を大量に飲んで自殺を図ったりする人たちがたくさん来てるわけです。僕らはそういう人たちのついたてになっているわけですね。後ろを見たら脅されている人がたくさんいる。背中を必死で押されているような気がしてね。我々が逃げたりこけると、サラ金業者の取り立てが全部被害者に行くでしょ。だから我々が頑張って踏ん張らなきゃならない。ここで怖いっていって引っ込んだら、そういう人たちを助けられないしね、サラ金にバカにされちゃうしね。引けませんよ。

まさに身体を張って弱者を守り続ける宇都宮氏。敵があまりにも強大で危険な組織の場合、警察による身辺警護がついた時期もあるという。これまで戦ったさまざまな敵の中で、もっとも危ないのは? との質問には、意外な答えが返ってきた。

暴力団と交渉するには

これまで暴力団を相手にしてきて、命の危険を感じたことはないかって? あなた方は暴力団が怖いと思ってるかもしれないけど、実はそうでもないんですよ。殺すとか子供をさらうとか脅しはあるけど、だいたい口だけです。実際やったら自分たちも刑務所に入らなきゃいけないから。

昔は刑務所に入るのが暴力団の勲章だったんですが、今はほとんどが、刑務所に入るのが大嫌いなやつばかり。だから刑事告発すると、すぐ慰謝料払うって謝罪して和解を求めてくるケースが多い。

つまり今の暴力団はほとんどが経済ヤクザでね。シャバで金儲けして贅沢したいヤクザばっかりですよ。他人のことなんか考えずにね。ヤミ金で、社会的に極めて弱い立場にあるじいさんばあさんを暴力的、脅迫的取り立てで追い込んで、死に追いやってるんですよ。

これまでの経験で分かったのが、だいたい暴力団ってのは経済原理で動いてるってこと。たとえば、今人を一人殺したらだいたい懲役15年です。2人殺したら死刑になるかもしれない。だから組のためとか団体のために人を殺すと、15年は刑務所に入らなきゃいけない。そして15年間はその暴力団員の家族の面倒を暴力団組織が見なきゃならないってことなんです。そうすると、だいたい2億円から3億円はかかる。そのような保障がない限り、誰も組織のために人殺しとかはやらないわけなんです。暴力団も2億、3億経費がかかっても儲けのある仕事でなければ組員に人殺しなんかやらせない。10億20億儲かるならやるかもしれないけどね。だけどヤミ金なんて5万10万ですよ、それで15年も懲役食らえないですよ。だからだいたいが脅しなんですよね。その程度じゃやらない。そういうことが暴力団と交渉していくうちにだんだんわかってきたんです。

そうはいっても弁護士が撃たれたり刺されたりすることもあるじゃないかって? あるにはありますが、あくまでレアケースですね。確かに僕の自宅周辺が警備対象になった時期もありますよ。あれは山口組の抗争事件のとき。山口組の組員が誤って一般市民を殺してしまった。それで被害者の遺族が当時の山口組5代目組長を相手に損害賠償請求訴訟を提起した際、その代理人になったんです。代理人の弁護士が襲撃されたらいけないからって僕の事務所と自宅周辺を警察官が警備に回ってたという時期があります。今は警備はないですね。そもそも警察はあまり頼りにならないからね。セコムには入ってますが、使い方がよくわかんないんだよね(笑)。

交渉する際は人の多い場所で 自然体でやるのがいい

暴力団のような危ない連中と直接会って交渉せざるをえない場合は、僕の事務所などこちらのテリトリーか、外であれば喫茶店やホテルのロビーなど人の多いところで会うようにしてます。向こうの事務所に行くと監禁されたり、ブスっとやられたりするかもしれないでしょ。大勢の人がいるところでは暴力団もなかなか手を出せないからね。

そのときはできるだけ自然体でやるのがいい。相手を特別視すると、それで卑屈になったりするし、怖いのを隠すために弁護士バッチをちらつかせて威張ったりすると、相手を感情的に刺激してブスっとやられたりする。効果的な対処法は、黙って聞くことですよ。無言ほど怖いことはない。「てめえぶっ殺す!」って言われても、「あとなんか言いたいことあるの?」と言うと向こうは怖がります。そういうもんなんです。

だから私は暴力団だろうが右翼だろうが左翼だろうが、普通の一般市民と同じように接します。どのような団体であろうと、不法・不当な要求に対しては当然のことながら断固拒絶します。文句があるなら裁判やりなさいと。不服があれば、暴力団にも裁判をする権利があるわけです。ただし暴力団が暴力に訴えれば犯罪になります。その場合は断固として刑事告訴すればいいわけです。だから法律に則って交渉すれば危なくないんですよ。

一番怖いのはカルト宗教団体

暴力団よりも注意しなきゃいけないのは新興宗教やカルト宗教と呼ばれている集団です。なぜかというとね、カルト教団は信者にアルバイトさせて、例えば月20万円稼がせたら、17万はお布施として吸い上げてるんですよ。信者は3万くらいで生活してる。1日2食くらいで睡眠時間も削られて、ふらふらになって働いてる。信仰のためにね。そういう信者が自分たちの教団に敵対する人を殺したりして刑務所に入っても、教団としては痛くもかゆくもないんですよ。信者やその家族の面倒を見るにしても、2億も3億もかからない。もともと月3万くらいで生活してる信者だから。しかも信者も敵対集団をやったら殉教者になりますからね。英雄になる。だから、カルト教団はある意味暴力団より怖い。

カルト宗教の典型的な事件がオウム真理教による坂本弁護士一家殺害事件です(注2)。坂本弁護士の奥さんが一時期、私の事務所で働いていたことがあったので非常に悲しい思いをしました。

注2 坂本堤弁護士一家殺害事件──1989年に坂本堤弁護士一家がオウム真理教(現アーレフ)の信者に殺害された事件。坂本夫妻と宇都宮弁護士のつながりは深く、坂本堤弁護士は宇都宮弁護士の事務所の勉強会に参加したことがあり、妻の都子さんは出産直前まで事務員として働いていた。坂本弁護士一家が失踪した後、宇都宮弁護士は一家の救出活動を開始、犯行発覚後もオウム被害者救済のため、教団の破産申し立て、財産凍結、特別立法の制定に尽力。被害者に、当初の予定額を大きく上回る13億円を配当した。

弁護士1名、事務員1名でスタートした事務所も、現在では6人の弁護士と10名の事務員を抱える事務所にまで発展。現在、1年間に受ける相談数は約600件。6台の電話がやむことはないといいます。なぜこんなにもサラ金・ヤミ金被害者が後を絶たないのでしょうか。次回ではサラ金・ヤミ金、そして被害者救済の実態に迫ります。

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