キャリア&転職研究室|魂の仕事人|第10回弁護士 宇都宮健児さん-その2-絶望の底で出会ったサラ金事…

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第10回
宇都宮健児氏インタビュー(その2/全5回

宇都宮健児氏

2度のクビ宣告で全人格を否定
絶望の底で出会ったサラ金事件で
弁護士人生が変わった

弁護士宇都宮 健児

見事在学中に司法試験に一発合格し、24歳で弁護士事務所で働き始めた宇都宮氏。弁護士になれば自動的にメシが食えるようになるだろう──入所前に抱いていたその思いが幻想だと分かるまでにはそう時間はかからなかった。挫折と屈辱の12年間が始まった。

うつのみや・けんじ

1946年(昭和21年) 愛媛県明浜町(現西予市)生まれ 59歳 サラ金問題の草分け的弁護士
東京大学に現役合格(1966年)後、社会運動と出会い弁護士を目指す。1968年に司法試験に一発合格、経済的事情により翌年東大中退、司法修習生となる。71年に弁護士登録。2度のイソ弁生活を経て1983年に独立。以降現在に至るまで、「東京市民法律事務所」を経営する傍ら、サラ金、ヤミ金被害者救済をはじめとする消費者問題に取り組む。 東京弁護士会法律相談センター運営委員会委員長、東京弁護士会民事介入暴力対策特別委員会委員長、東京弁護士会外国人人権救済センター運営協議会議長、日弁連消費者問題対策委員会委員長、東京弁護士会副会長などを歴任。現在は全国クレジット・サラ金・商工ローンの高金利引下げを求める全国連絡会代表幹事、武富士対策連絡会議代表、全国ヤミ金融対策会議代表幹事、日弁連上限金利引き下げ実現本部本部長代行の要職に就いている。
■被害者救済のために手がけた主な事件/ 豊田商事事件・地下鉄サリン事件・KKC事件・オレンジ共済・全国八葉物流事件・旧五菱会のヤミ金融事件
【主な著書】 ●『サラ金地獄からの脱出法』(自由国民社) ●『消費者金融—実態と救済』(岩波書店) ●『自己破産と借金地獄脱出法』(主婦と生活社) ●『自己破産と借金整理法』(自由国民社) ●『ヤミ金融撃退マニュアル 恐るべき実態と撃退法』(花伝社)
※宮部みゆきの最高傑作との誉れも高い、多重債務問題をテーマにした作品『火車』に登場する弁護士のモデルにもなっている。

7年目に1回目のクビ宣告 絶望にまみれた空虚な日々

普通、司法研修所を出たばかりの弁護士は、当然すぐに自分の事務所をもてるはずもないので、大きな弁護士事務所に入ってそこの事件をやりながら給料をもらいつつ、徐々に自分のクライアントを増やしていくんですね。

そういう他の弁護士が経営する事務所に勤務している弁護士のことを、業界用語で「イソ弁」っていうんです。これは、「居候」弁護士からきたっていう説と、「いそぎんちゃく」弁護士からきたっていう説があるようです。まあどっちでもいいんですけどね(笑)。

ちなみに雇っている方は「ボス弁」というんです。それで多くの人はイソ弁生活を3年から長い人でも5年して独立する。仕事をこなしながらライオンズクラブとかロータリークラブに出入りして人脈を増やすというようなことを熱心にやるんですけど、僕にはそれを上手にやることができなかったんです。社交性がある方ではないし、人付き合いも苦手ですしね。

だからイソ弁生活で、事務所の事件はやって給料はもらっているんだけど、なかなか独立できる基盤が作れなかったわけです。スケジュール帳なんか真っ白でね、仕事がないから。で、最初の弁護士事務所で7年くらい経ったとき、ボス弁から、「他の人は独立しちゃったし、宇都宮君ももうそろそろどうですかね」というような、肩たたきにあったわけです。31歳のときですね。こりゃあたいへんだ、安穏としてぬるま湯に浸っていたようだけれど、もう自分もそういう時期になったんだと思った。でもいきなりは出て行けないから、ボス弁にもう一年猶予をもらえませんかと言って、事件を増やそうと努力したんです。でもなかなか増えない。

クビを言い渡されたときは本当にショックでしたね。「おまえは要らない」といわれるのは、全人格を否定されることなんですね。それまで僕は貧しいながらエリートコースを歩んできてると思っていただけに、相当落ち込みました。

最初の頃はまだいいんですよ。1年目とかはね。ところがだんだん、5年、6年経つと、だいたい同期はみんな独立するわけですよ。弁護士会の控え室なんかに行くと、みんなたむろしてるんだけど、やっぱり独立して自分の弁護士事務所を構えたやつは、意気に燃えて輝いているんですよ。

それに引き換え自分はまだ独立のメドすら立たない。「宇都宮、おまえどうしてるの? まだイソ弁なのか」なんて言われるのが嫌だから、弁護士会からもだんだん足が遠のくわけです。みんなに会いたくなくてね。

モーニングを食べながらモーニングを読む日々
専門学校でアルバイト開始

その頃、事務所に行っても自分の仕事はないと。事務所としての仕事はあるけど、自分がとってきた仕事はない。当然展望も全くないわけですね。だから午前中は喫茶店で漫画雑誌ばっかり読んでました。モーニングを食べながら『モーニング』を読んでた(笑)。マンガ雑誌のね。あの頃は『ああ播磨灘』とか『課長島耕作』とか読んで、みんな苦労しているなあと(笑)。俺だけじゃないんだと。そういうところでずいぶん励まされたというか、気を紛らわせてましたね。

仕事がないから給料も減らされました。だからとにかく収入を増やさなきゃならないということで、水道橋にある公認会計士とか税理士を育成する大原簿記専門学校で講師のアルバイトを始めたんです。公認会計士や税理士は、必須科目で商法を必ずとらなきゃいけなくて、その商法を教える先生がいないから、講師をやらないかという話があったんですね。僕はあまり商法は好きな法律じゃないんだけど、この際、背に腹は替えられないということで、専門学校の教壇に立って商法を教えることにしたんです。1年間くらいやったのかな。

でもこれがおもしろくなくてね。「なにをやってるんだ俺は……。こんなことをやるために弁護士になったんじゃない」っていつも思ってましたね。

それでも続けたのは、独立するための資金を貯めなきゃと思っていたから。でも結局は、1年たってある程度貯金が増えても、それだけじゃとても独立できないわけです。ある程度のクライアントを抱えてあるとか、コンスタントに依頼が来るような状況じゃなかったら、独立だけはできたとしても、毎月の事務所の家賃や人件費などの運営費は払えないからね。

それと平行して、とりあえず食っていかなきゃいけないんで、新たにイソ弁として雇ってくれる事務所も探していました。弁護士会にはイソ弁募集の求人情報もあるので行ってみたんです。そしたら、僕は結構早く司法試験に受かったのと比較的若作りだったからかもしれないけど、弁護士会の職員は誤解して、「今司法修習生で、今度4月に司法研修所を卒業される方ですね」って。いや、もう私8年間くらい弁護士やっているんですけどって(笑)。あまり求人はなかったんですが、少ない中からある弁護士事務所の面接を受けたら運よく採用になったんです。

弁護士会の斡旋でなんとか次のイソ弁先に再就職できた宇都宮氏。しかし、新しい事務所でも相変わらず顧客はつかず、苦しい毎日。年齢もすでに32歳になっていた。結局事務所が変わっただけでなんにも変わらないのか。自分は弁護士に向いてないんじゃないか──。そんな鬱屈した日々を過ごしていたある日、弁護士会から一本の電話がかかってきた。それは宇都宮氏の人生を大きく変える運命の電話だった。

運命を変えたサラ金問題との出会い

2度目の事務所に移れたのはいいけど、ここでもなかなか顧客がつかなくてね。相変わらず離婚訴訟や相続問題とかを細々とこなす毎日でした。

そんなある日、弁護士会から「サラ金の多重債務者の相談に乗ってくれないか」って連絡が来てね。ちょうどそのころ、サラ金被害者が急増し、弁護士会にサラ金被害者の相談が殺到するようになってたんですね。サラ金の被害っていうのは、ひとりの人が複数のサラ金から、多い人は50社60社から借りてる。当時は、貸金業規制法(注1)、俗に言うサラ金規制法などの法律がなかったから、もうむちゃくちゃな取り立てが横行してたんですよ。利息も年100%くらいで貸して、「てめえ金返せ、ぶっ殺すぞ」というような取立てを、みんなやっていたわけです。今のアコム、アイフル、武富士、プロミス、レイク、みんな当時の取り立ては今のヤミ金と同じですよ。

そういう相談が弁護士会に来るんだけれど、受ける弁護士がいない。今ならサラ金事件の処理方法が確立されてますけど、当時はどうやればいいのかやり方が分からない。それにガラの悪い連中を相手にしなきゃならないし、相談者から弁護士費用がもらえる保証もない。それでサラ金被害者の事件はたらい回しにされる。依頼者は怒りますよ、頼ってきたのになんだ! とね。

そこで、困った弁護士会の職員が、どうも宇都宮っていう暇そうなやつがいる(笑)、人も良さそうだし、8年経ってもイソ弁でウロチョロしているから、やってくれるんじゃないかって、僕にその事件を回すようになったんです。  で、他に仕事もないから受けることにした。でも僕自身も、やり方が全然分からなくてね。だからもう、直接、債務者と一緒にサラ金業者の店に行ってね、債務者が借りてるのが50店舗なら50店舗全部まわってね、店先でチンピラみたいな従業員とやりあったり、そういうことから始めた。そしたら僕が受けてくれるということで、弁護士会もどんどんサラ金被害者の事件を回してくるようになったわけです。

注1 貸金業規制法──1983年に制定されたサラ金業者の行き過ぎた取り立てなどを規制する法律。正式名称「貸金業の規制等に関する法律」。俗称「サラ金規制法」。1.貸金業を従来の届出制から登録制にする、2.過剰貸付・誇大広告の禁止、3.取り立て行為の規制などを規定した。貸金業規制法と同時に制定された出資法改正法では、上限金利(違反すると刑罰が科される)が引き下げられた。

支払いに分割を初めて導入 弁護士の固定概念を破壊

1980年ころから私の所属している弁護士会でサラ金の相談窓口づくりをやりだしてから、どんどんサラ金被害者の相談が来るようになりました。サラ金苦により自殺・蒸発・夜逃げが多発してるといった状況ですからね。ひどいときは相談者が殺到してさばききれなくなり、相談希望者が予約してから2カ月後でなければ相談が受けられない状態になった(注2)。その間、サラ金の取り立てを受けているから、相談当日になると相談に来る予約者は半分以下になるんです。蒸発してしまって。相談者に対して弁護士の数が圧倒的に足りなかったんですね。

だから、弁護士会に出かけていって、他の弁護士にサラ金相談の担当になってくれと、チラシを配ったりしたんだけど、それでも全然増えないんですよ。なぜ増えないか。みんな被害者に対して同情はしているんだけど、相談に乗ってもお金がもらえないんじゃないかということを心配してたんですね。当然サラ金被害者救済もボランティアじゃやれないから弁護士費用はかかるわけですよ。

今でもそうなんですが、大抵、弁護士っていうのは、離婚訴訟などを請け負うときにまず着手金を一括でもらうんですよ。そうしないと動かない。仕事をしない。それで終わったら一括で報酬をもらう、というようなやり方でやっているんですね。ところが、相談に来るのはサラ金から借金するような人だから、一括で弁護士費用なんて払えないわけです。一括で払えるくらいならサラ金から金なんて借りないわけですよね。弁護士もそこを心配してた。

そこで、私がサラ金の被害者からどうやってお金をもらっているかという講演をやったんです。そうすると講堂が満杯になった。立ち見が出て、講堂の床が抜けるんじゃないかと思うくらい、弁護士が集まったんです。

そこで私が言ったことは極めて単純なんですよ。「一括じゃなくて分割にすればいい」と。私は相談者には「サラ金、クレジットだって分割で払っているでしょ、弁護士費用だって分割でいいんですよ」って言ってると(笑)。だから、5000円でいい人は5000円ずつ、1万円の人は1万円ずつもらえばいい。弁護士が入れば取り立ては確実に止まりますからね。20万円の給料の人でも、月々そのくらいは支払いができるんですよというお話をしたんです。

そうしたらね、みんな、「宇都宮先生、目からウロコが落ちました」と(笑)。でもね、そんなのは世間一般から見たら常識ですよね。弁護士ってのは一括で弁護士費用をもらうもんだという固定観念があった。それをぶち壊したら、協力してくれる弁護士が大勢出てきたんです。

それでもサラ金被害者の数の方が圧倒的に多いから、夜間の一斉相談も行いました。夕方の5時から夜の9時ころまで講堂に何十人か弁護士を集めて、一回に数百人のサラ金被害者の相談に乗るということをやっていたんです。

注2 相談希望者が予約してから2カ月後でなければ相談が受けられない状態になった──あまりの殺到振りに予約番号を1つ10万で売るダフ屋まで出現したという冗談のような本当の話も

サラ金相談は増え続けるも まさかの解雇 2度目の屈辱

私の勤めていた事務所にも、青白い顔で、目が充血して、やせ細った人、生活に疲れきった人が列をなして事務所に来るわけですよ。そういう人たちの相談をひとり受けたら50~60社のサラ金業者から、「なんだこのヤロウ、てめえが代わりに払うのか!」というような脅迫まがいの電話がじゃんじゃんかかって来る。当然イソ弁先の事務所の事務員もそういった電話を取ります。特に女性の事務員は怖がっちゃってね。

あと、だいたい日本のボス弁は、中小の顧問会社を何社も持って、顧問料収入で安定的収入を得て、さらに個別事件で報酬を得て、事務所をきりもりしているんですね。だから事務所に相談に来るのは、中小企業の課長・部長、あるいは社長さんがメイン。でも僕の方に来るのは、明日死にそうな感じの人ばっかりですし、そういう人が来たらすぐ、サラ金何十社から電話がかかってくるでしょ。当然メイン顧客は眉をひそめる。

それで2回目の事務所でも、2、3年経ったころ、ボス弁に「宇都宮君は将来私のパートナーとしてやってもらいたいと思っているんだけれど、あの品の悪いサラ金事件から一切手を引いてくれないか。それができないんだったら辞めてくれ」と言われたわけです。ところがそのころ私も、弁護士会でサラ金相談窓口をつくって、みなさん一緒にやりましょう! と呼びかけているしね。すでにサラ金事件から手を引けなくなっている。それでしょうがないから事務所を辞めて、独立する決心をしたんです。

だから私は結局2度のクビ、あの全人格を否定されるような屈辱感を2度も味わってるんですよ。私の知り合いに、解雇問題など労働事件専門の弁護士がいるんだけど、あんた自分がクビになったことないだろう、とよく言うんだよね。それで本当にクビを切られた人の気持ちが分かるのかってね。

2度目のクビで事務所を辞めた宇都宮氏は、1983年4月、弁護士になって12年目にしてついに独立、銀座に事務所を設立した。当時、サラ金問題一本で勝負しようという弁護士事務所は日本で「宇都宮健児法律事務所」ただ一つだけだった。 次回は厳しい取り立てで時には債務者を死に追い込むサラ金・ヤミ金・クレジット会社との戦いについて熱く語っていただきます。

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