でもそういう生活にはやはり限界があって。基本的には自前の畑がないし、まして僕の下には2人の妹がいるんですが、子どもが3人もいたら、やっぱり食べていけないんですよ。それで、私が小学校3年のときに、一家で大分県の国東半島に開拓入植したんです。海辺から山の上へ。愛媛県の漁村から、漁船にいろんな家財道具、猫とかヤギとかを積んで海を渡ってね。当時、終戦直後は食糧が足りないから、食糧増産で開拓を奨励していたんですよね。
山の中腹は険しいですから、山の頂上近くのなだらかなところを開墾して畑にしたわけです。だから入植した当時は、電気なんてもちろん引かれてない。家も天井なんかありませんでした。そういう状況で海から山の開墾生活が始まったわけです。
なんせイチから生活する場を切り開いていかなければならないわけですから、何かと大変でした。木を一本引っこ抜くのも一苦労。今みたいにブルトーザーとか重機があれば大きな木でも簡単に根こそぎやれますけど、昔はそんなもんはないですからね。当時は「バチ」と呼んでいた重くて頑丈な鍬で開墾してました。まず木の周りを1メーターくらい掘り起こすんですね。周りにはだいたいいろんな竹とか木が生えていますから、その長い根を引っこ抜いてね。そしたら木や竹の根を掘り起こした底の土が畑になるわけですね。
そうやってひと鍬ひと鍬起こして畑にしていくような作業をやったわけです。僕が小学校3年のころね。だいたい父親は朝の3時とか4時に起きて仕事を始めて、星が出るころやめる、そういう仕事をひたすらやってたんです。特に冬場はつらい。地中にはたくさんの石がありますから、鍬が当たると衝撃で手がしびれるんですね。それを繰り返してると手の皮が裂けるんです。下に肉なんかが見えてね。でもそこにワセリンをすりこんで、またやる。非常につらい作業だったんだけど、親父は脚をケガしていながらグチひとつ言わず黙々と働いてました。
開墾して畑ができて、作物ができると子供たち含めて家族総出で収穫作業や出荷作業をやってね。生活は苦しかったけれど、家族の連帯感はありました。そういう親の姿を間近で見て育ったんですね。
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