キャリア&転職研究室|魂の仕事人|第9回船医・作家 西丸與一さん-その2-常に「初心を忘るべからず」

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魂の仕事人 魂の仕事人 第9回 其の二 photo
仕事が180度変わっても違和感はない 常に「初心を忘るべからず」 72歳からようやく趣味を仕事に
  38年間、監察医を務めた後、西丸氏は全く別の方向へ進む。今後急速に進むであろう高齢化社会を見据え、老人介護、精神病患者のケアなどを請け負う横浜市総合保健医療センターの設立に参画。普通ならとっくに引退している65歳で初代センター長に就任する。物言わぬ死者を相手にする仕事から180度の方向転換。その動機とは?  
横浜市立大学名誉教授・「ぱしふぃっくびいなす」船医・作家 西丸與一
 
初心忘るべからずで
老人福祉に取り組む
 

 確かに老人福祉の仕事は、これまでの監察医や法医学の教授という仕事とは全く違うけど、違和感は全然なかったね。僕は常に初心に戻るから。僕の座右の銘はね「初心忘るべからず」。仕事が変わればぽんっと初心に戻って最初から全力で突っ込んじゃう。その都度その都度切り替えちゃう。

 横浜市総合保健医療センターへ移った経緯はこういうことなんだ。大学にいる頃から、日本が高齢化社会に突入しちゃった場合、どういう問題が起こるかということを、大学の教授や医師会の先生方と話し合ってたの。それで横浜市に「高齢化社会問題に対応するためには、こういうセンターが必要だ」と申請したの。そしたら、市も「それはよい」と思ってくれて、センターを作ってくれた。で、「一緒に立案したんだから、あなたが指揮を執ってくれ」って言われたから、初代センター長に就任したというわけ。65歳のときだったかな。

 「好きなようにやってくれ」って言ってくれたから、好きなようにやったらメチャメチャ金がかかってね。市から「金食い虫」と言われて、すごく叩かれたんだよね。でもね、こういう施設ってお金がかかるわけ。「そんなに簡単にできると思ってるのか」って、よく市のお偉方とケンカしたんだよ。

 スタートしたばかりの頃は若いスタッフが多くて、みんな燃えてたよ。いろいろな資格を持ってやってきて、高齢化社会に向けて何をやるべきかって、そういうことをずっと考えている連中でね。できたばっかりってこともあったし。みんな頑張ったから老人介護の仕方が良いと好評を博していたんだよ。

 でも最近はちょっと中だるみだなって感じる。というのは、どんどん高齢化社会になってきて、社会全体にとっても高齢者が当たり前で、珍しさがなくなってるよね。これからが本当は大事なんだよね。予算も削減されて、高齢者も人口全体の2割3割となり、どんどん時代が変わっていくでしょ。高齢者にも厳しい時代になっていく。これから日本はいろいろな試練に立ち向かっていかなければならないと思う。

 若い人たちはどんどん減る。若い人たちが出してくれたお金によって老人福祉はまかなわれていた。それが減ってきて、どうしても年寄り自身の負担が増える。今、そういう転換期でしょ。今こそお年寄りがもっと自覚を持って、それこそ人に頼るんじゃなくて自分で立ち上がる、そういう時代が来ていると。僕が今、センターにいたらがんばって強く言うんだけどね。

センター長を7年間務めた後、西丸氏はまたしても全く別の方向へと人生の舵を切る。切った先は海。豪華客船「ぱしふぃっく びいなす」に船医として乗り込み、1年の半分は大洋の上にいる。
海へのあこがれで船医へ
 

 僕の叔父のひとりがやっぱり医者だったんだけど、それが日本郵船の船医やってたの。子供の頃によく船に連れてってもらって「いいなぁ」と思って見ていた。そんなのが頭の中のどこかにあったんじゃないかな。だから船とか海は昔から好きだしね。大学のときはヨットやってたし。 

 昔から船とか海が好きだったんだけど、若いときは船医になろうという気持ちはなかったね。そのときは目の前の仕事で精一杯だったから。でもいつかもっと歳をとって、もう自分がやるべきことをやり終えたと思えるようになったら、自分の好きな仕事をしたいなと思ったことはあったけどね。

 だから船医にならないかという誘いを受けたときは、「もうそろそろいいかな」って気持ちになって。よくあるじゃない「あなたは十分頑張った。もう楽していいんじゃないですか」っていう言い方。あいにく誰からも言われないから自分で言ってあげたの(笑)。

「趣味を仕事に」で船医に
 

 今はだいたい1年の半分くらいは海の上にいるね。世界一周だけで105日だから、それで約3分の1は乗っちゃう。

 船医になった経緯もおもしろくてね、今はもう運行してないけど、「おせあにっくぐれいす」って船があったの。平成元年に日本で初めてできた客船で、5218トンの小さな船なんだけど、オール1等の豪華客船で夢を持って造られた船なんだ。

 その船は、乗る人があまりいなくて結局9年くらいでつぶれちゃったんだよ。まだクルーズなんていう時代じゃなかったんだね。でも我々は「クルーズ元年」なんて呼んでた。平成元年のことをね。

 その頃に僕は客としてよく乗ってたんだ。当時はいろんな船に乗ってたなあ。「飛鳥」や外国の船にも乗ったしね。その過程で『クルーズ』っていうクルーズ雑誌の編集長と知り合いになってね。その人に「先生、"おせあにっく"に乗るなら取材してきてよ」って言われた。で、小笠原へ行ったときに取材をしてきたんだ。そのときにいろんな人と知り合いになってね、で船会社の人に「船医として船に乗りませんか?」って誘われたのが最初のきっかけ。

 南太平洋を回る40日くらいのクルーズに乗ってくださいって言われて、すごく乗りたくてね。でもこのときはまだ医療センターにいたから1カ月も休めないんだ。そこで辞表を出したんだよ。そしたらすぐに市長とか助役から連絡があって「なにかマズいことでもありましたか?」って言われた。「いや、僕のわがままだから認めてくれ」って言ったら「理由を説明してくれなきゃ許さん」と。だから「コレコレこういうワケで船に乗りたいんだ、ごめんなさい」て言ったんだ。

 そしたら「いや、それだったら1カ月でもいいから行ってください」と。でもそうはいっても1カ月以上空けるのはいかがなものかって言ったんだけど、「いや、先生はセンターの立ち上げから今まで頑張ってやってくれたんで、お祝いというかボーナスということで大丈夫です」って。

 それで行けることにはなったんだけど、センターの職員連中にとってみれば「半分遊び」って感じだよな? だから職員には詳細を内緒にして行ったの。

 当時、僕には秘書がいてね。航路と緊急連絡先を書いて紙を箱に入れてね、玉手箱だといって置いて行ったんだ。「緊急事態が発生したらこれを開けなさい。指示を書いたものが入ってる」と言ってね。でも、何もないときに開けると煙が出てお婆さんになっちゃうから開けちゃダメだよって言っておいた。そしたら船に乗って10日くらいしてセンターから電話がかかってきてさ。ギョッとなって「何かあったのか?」って聞いたら「先生、いいですね。 海はキレイでしょ!」ってイヤミたっぷりにさ(笑)。

 このときのクルーズがとても楽しくてね。すっかりセンターを辞める腹を決めて、市長に正式に辞めたいって言ったんだ。「海に行って、自然の中で自由に生きたいんだ」って。そしたら「後任がいないから1カ月待ってくれ」って言われて。普通ああいうところって年度で区切るから3月に辞めるんだけど結局4月いっぱいまでいたんだよね。

 正式に船医として働き始めたのが98年の5月から。71歳のときかな。これのキッカケもやっぱり船関係のパーティ。そこで「日本クルーズ客船」って会社の社長に「じつはウチの新客船ができた。『ぱしふぃっく びいなす』っていうんだけど、これの処女航海から乗ってくれないか」って言われた。それを聞いたときは「うぉー! 来たー!」って感じでさ。「乗りましょう」と即答だよ。ところがセンターに意地悪されて1カ月延ばされたから(笑)、日本からじゃなくてバリから乗ったんだ。それ以来今年で9年目なんだよ。

海でも陸でもやりがいは同じ
 

 船医のやり甲斐? もともと「“なんにもせん”い(船医)」って言ってね。何もしない(笑)。いや本当にそういうことあるんだよ。ずっと病人が出なかったらほんとにヒマだからね。あと、「“何もせん”ちょう(船長)」「“言うこと聞かん”ちょう(機関長)」「“頭がパー”サー」っていうのもある(笑)。

 冗談はさておき、やりがいの話ね。クルーズ客船で船旅を楽しむとなると、少しお金に余裕があって時間がたっぷりある人ってなるよな。となると、お客さんは大抵もうリタイアした人、だいたい65〜70歳以上のお客が一番多い。ロング(長距離)になると特にね。

 そうなるとみんなもってるわけだよ、高血圧とか糖尿病とかいろいろ持病を。そういう人たちには「病気と一緒にクルーズしましょう」と言ってるよ。でもやっぱり、航海中にいろんな発作、例えば糖尿病の発作を起こしたり、高血圧でひっくり返ったり、「小便が出なくなった」だとか、そういうのを診てあげて「ありがとう」って言われることもあるけど、それは船だろうと陸だろうと仕事は同じなんだよね。医者の「業」みたいなもんでさ。

 病気を治して喜んでもらったりするけど、我々としてはやるべきことをやってるというだけ。もちろん死んで恨まれることもあるだろうな。色々なケースがある。いいところだけ見れば感謝されて「生き甲斐」なんて言う人もいるけど、まぁ当たり前のことをしてるだけなんだよね。

 そうじゃなくて「船の医者」としてのやりがいや喜び? もちろんあるよ。それはね、人命救助。あれはニューカレドニアのヌーメアっていう港を出て5日目だったかな。次の日の9時か10時にはグアムに着く予定でクルージングしてた。それが2月28日のことだった。夜、部屋にいたら11時半頃にキャプテンから「まだ起きてるか?」って電話がかかってきてね。「ちょっと相談がある」って言うんでブリッジへ行ったら、グアムのコーストガード(海上保安庁)からFAXが入っててね。人命救助の依頼だったんだ。

 

海でも陸でも医師としての仕事ややりがいは同じだと語る西丸氏。しかしやはり船医ならではのやりがいもあった──。

次号は航海中に遭遇した事件、これまでの航海で最も思い出深い人命救助の一部始終をアツく語っていただきます。請うご期待!

 
2006.3.6 リリース 1 38年間の監察医時代「好き」よりも「使命感」
2006.3.13 リリース 2 老人福祉から海へ ようやく趣味を仕事に
2006.3.20 3 客と船員が一体になった 思い出深い人命救助
NEW! 2006.3.27  4 働くとは生きること 誇りは後からついてくる

プロフィール

にしまる・よいち

1927年(昭和2年)3月 横浜生まれ 79歳 
横浜医科大学卒業後、1954年から1992年の38年間、横浜市立大学医学部に勤務し、法医学の研究、教育、鑑定に尽力。その間3期6年に渡って医学部長を務める。

1956年に神奈川県監察医となり、以後大学教授と監察医の二束のわらじを履く。監察医としては9000体を超える遺体を検死解剖、裁判関係の鑑定を担当。事故と見せかけた殺人を検死で暴くなど、事件解決に尽力。関わった主な歴史的大事件・大事故は、全日空羽田沖墜落事故、JAL御巣鷹山墜落、浦賀横須賀沖第一富士丸と潜水艦なだしお衝突、東海大の安楽死事件、オウムの坂本弁護士一家殺害など。

1992年に大学を退官後、自ら市に働きかけて立ち上げた、横浜市総合保険医療センターに赴任。初代センター長に就任し、高齢者や精神障害者のよりどころとして6年間勤務。

現在は豪華客船ぱしふぃっく びいなす」の船医として1年の半分以上を海の上で過ごしている。

勤務以外でも横浜夢座実行委員会委員長、テレビ神奈川番組審議会委員長、横浜ジャズプロムナード実行委員長、野毛MONZEN町の創る会会長、横浜遊学校校長など、文化的活動も精力的にこなしている。

表彰も多数。監察医、鑑定医としての数々の功績が認められ、神奈川県警察本部長表彰(1969、1974、1977)、第三管区海上保安庁本部長表彰(1971、1974)、神奈川県知事表彰(1975)、法務大臣表彰(1981)、警察庁長官表彰(1981)など、表彰多数。2005年11月には瑞宝・中綬章(国家または公共に対し功労があり、公務等に長年従事し、成績を挙げた者に与えられる勲章)を叙勲した。

医学研究者としては1973年横浜市立大学医学部教授、1981年横浜市立大学医学部長、1992年横浜市立大学名誉教授に就任。海外でも、1987年メキシコ・グアダラハラ自治大学名誉教授に就任。法医学の進歩、後進の指導に国内外の学究機関で多大なる貢献を残す。アメリカコネチカット州ニューブリテン市、ブリッジポート州の名誉市民、カリフォルニア州の名誉州民の称号をもつ。

作家としても活躍しており、これまで14冊の本を出版。特に監察医時代の体験を記した『法医学教室の午後』『続 法医学教室の午後』『法医学教室との別れ』(いずれも朝日新聞社)は文庫化された後も売れ続けている。さらに『助教授一色麗子法医学教室の女』や『法医学教室の事件ファイル』として映画化やテレビドラマ化もされ、こちらも高視聴率を記録している。他にも
・新法医学(中央医学出版)
人生の教科書「よのなか」(筑摩書房)
こころの羅針盤(かまくら春秋社)
ドクター西丸航海記(海事プレス社)
ドクター・トド 船に乗る(朝日新聞社)
など、医学書、エッセイなど著書多数。

海事プレス社発行の船旅専門誌『隔月刊クルーズ』にも長年連載、2014年7月号では引退クルーズの模様を紹介している。
 
おすすめ!
 

『法医学教室の午後』(朝日新聞社)
『法医学教室の午後』
(朝日新聞社)

西丸氏を世に知らしめた代表作。監察医時代に行った検死をエッセイ風に記録。老若男女さまざまな人の検死の模様を通して、人間という生き物の悲哀、愚かさ、暖かさ、法の矛盾を描いた一冊。1984年1月に出版されるや話題を呼び、映画化、ドラマ化された。20年以上を経た今も放映中。文庫版も売れ続けている。

ちなみにこの後、検死本が相次いで出版されたが、その内の上野正彦氏の『死体は語る』は執筆前に西丸氏がアドバイスしたようだ。

 
 
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魂の言葉 感謝されるとうれしいけどそれがやりがいではない。人のために働くのは当たり前だから 感謝されるとうれしいけどそれがやりがいではない。人のために働くのは当たり前だから 感謝されるとうれしいけどそれがやりがいではない。人のために働くのは当たり前だから
インタビューその三へ
 
 

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