キャリア&転職研究室|魂の仕事人|第7回武装解除人 伊勢崎賢治さん-その2-武装ゲリラ相手のDDRは…

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魂の仕事人 魂の仕事人 第7回 其の二 photo
武装ゲリラ相手のDDRは危険を伴うが 命懸けという意識はない 日本にいたって死ぬときは死ぬから
理事会と大ケンカして国際NGOの日本支部を退職した伊勢崎さんは、国際協力系のシンクタンクに転職。調査役主任研究員として中東和平に尽力する日々を送る。そして1999年10月、伊勢崎さんの運命を変える電話が鳴った。かけてきたのは外務省。ここから「紛争屋」としての人生が始まった。
武装解除人・日本紛争予防センター理事・立教大学教授 伊勢崎賢治
 
紛争屋の始まりは東チモール
 

 外務省の国連政策課の役人から「国連へ行ってくれないか」っていう電話が掛かってきたんです。それが始まりですね。詳しく聞くと、無政府状態に陥っているインドネシアの東チモールで国連が行うPKOのミッションに参加してくれってことだった。内戦を終結させて、国をゼロから作っていくという仕事。これはおもしろそうだと思って参加することにしたんです。

 僕に依頼してきたのは、内戦中の国で開発事業や治安維持の指揮を採った日本人なんてほかにいなかったからでしょうね。

 というわけで、国連の職員として、2000年3月から東チモールのコバリマという県に県知事(編集部注 国連東チモール暫定統治機構・上級民政官)として赴任したんですが、そのとき、そこはまさに焦土でした。前年に行われたインドネシア軍と併合派民兵により、電力、上下水道、医療などの公共インフラに加え、警察、裁判所などの法的インフラ、そして一般家屋などがほぼ100%破壊しつくされていました。住民への攻撃も凄惨を極め、殺人、強盗、放火、レイプが日常的に行われ、多くの住民が殺され、生き残った人々も避難生活を余儀なくされていました。

 そんな状況の中、治安維持、インフラの復興、西チモールからの難民帰還、そして武装ゲリラ(東チモール民族解放戦線)のDDRを含む県政全般を行いました。指揮下には約1500名の国連平和維持軍、45名の国連文民警察、22名の国連軍事監視団、50名の国連民政官と事務官がいました。

県知事としてガン・シップ(武装ヘリ)に乗り村々を視察しに行く伊勢崎さん

 

コバリマ県知事時代、国連平和維持軍司令官・将校たちと

 

コバリマ県知事として主宰していた治安運営会議で。隣で肩を組んでいるのが、「文民統治」する相方の国連平和維持軍ニュージーランド歩兵大隊隊長

 

コバリマ県知事として、同県に国連平和維持軍として派遣されたネパール中隊を訪問

 

国連平和維持軍PKF最高司令官が伊勢崎さんが県知事として統治するコバリマ県を訪れた際の一枚

 
DDRという仕事
 

 さまざまな任務の中でも、DDR(注1)が一番たいへんでした。DDRとは、Disarmament(武装解除)、Demobilization(動員解除)、Reintegration(元兵士の社会復帰、もしくは社会再統合)の略。ゲリラや軍閥と交渉、説得して武器を捨てさせ、部隊を解体し、そして元兵士を社会復帰させる一連のプログラムのことです。要するに紛争や内戦が勃発している国へいって、戦争をやめさせ、平和を取り戻す仕事ですね。

(注1 DDR) 責任者として本格的に指揮を採ることになったのは次のシエラレオネから

 やっぱり一番難しいのはDDの部分、武装解除と動員解除ですね。彼らにとって武器は命ですから。

 最初のD。武装解除とは文字通り武器を捨てさせること。その際には、自分の携帯している武器の分解・組み立てをさせるなどして、訓練を受けた兵士かどうかをチェックします。その上で自分で自分の武器を壊させます。このとき、何を思うのかほとんどの兵士が涙を流します。

 次に2番目のD、動員解除とは軍事組織を完全に解体すること。組織が残っていればまた内戦が勃発してしまいますから。だけど、巨大な武装組織になればなるほど、一気に全体を解体することはできない。

 どうするかというと、まず部隊の指揮系統を整備し直すんです。解体とは逆の方向では?と思うかもしれませんがそうじゃない。特に長期化している紛争では、指揮命令系統そのものが疲弊して使い物にならなくなっている場合が多い。すると統率力も弱まり、末端まできちんと命令がいかなくなってしまう。そうすると武装解除の命令なんて誰も聞かない。

 だからまず指揮命令系統から立て直して、司令官→隊長→兵士と命令が行き届くようにして、末端の兵士から順々に解体させていくというわけです。

 つまり「自分たちで自分たちを解体させる」んです。

 でも兵士を丸腰にして、軍事組織から解放しただけではまだ不十分です。銃がなくても社会の中でちゃんと生活できるようにしてやる必要があります。そのために行うのが最後のR。元兵士の社会復帰、もしくは社会再統合作業なのです。

 ゲリラ兵は何のために戦っているのかというと、自分の利益のためです。だから、紛争が終わることによって彼らが失うものを補填するとか、デメリットを少なくしてあげるというわけです。たとえば何百人も虐殺したゲリラ兵でも罪に問わない、仕事がなくなる人であれば職を与えたり職業訓練を受けさせる、選挙に出たい人にはそのチャンスを与える、利権が好きな人にはそれにふさわしいポジションを与える、など。そうやって、殺し合いをしなくても社会生活を送っていけるような仕組みを作るわけですね。

東チモールを皮切りにシエラレオネ、アフガニスタンと次々に紛争国へ飛んではDDR、治安維持、インフラの整備など国の基盤を築いてきた。伊勢崎さんはDDRをどのように成功させてきたのだろうか。その成功の秘訣とは?
DDRを成功させるために
 

 和平の交渉というのは利害調整なわけです。握手をして、双方が何を得られるかということを話し合う。どっちもそれなりの対価がないと銃は降ろしませんよね? その対価をみつけてあげる。それに向けて、日本のODAなど、血税からくる国際援助のお金を効果的に投入するんです。

 紛争介入のタイミングは、国連で国際的な決議が行われるのがキッカケですね。で、紛争当事国政府が、僕らの介入を許すわけですよ。それまでは、当事国サイドも自分たちの力で解決しようとする。傭兵を雇って。イラクで傭兵会社の斉藤明彦さんという方が殺されて(注2)有名になったでしょ? あれで、やっと日本人は軍事産業というものの存在に気付いた。でもね、国に雇われる傭兵の存在は、ずっと前から顕在化していたんですよね、国際的に。警備会社って自分たちでは名乗ってるけど、実際は傭兵会社なんです。ゲリラと戦うためのね。なぜ国が傭兵を雇うかというと、自分たちの国軍があてにならないから。クーデターとか仕掛けられちゃったりするから(笑)。あてになんないでしょ? そうすると、お金の力で兵を集めるしかないと。これが紛争、対ゲリラ戦の現実なんですね。

(注2 斉藤明彦さん〜) イギリスのグローバル・マリーン・セキュリティシステムズ社のスタッフとして、イラクのバスラ空港の警備にあたっていた斉藤明彦さんが、武装勢力・アンサール・スンナ軍の攻撃を受け死亡した事件

 武装解除と動員解除はあくまでも武装勢力を精神的に追い込んだ状態でやらなきゃならない。大体僕らが紛争に介入するときは、ボクシングでいうとタオルを投げ入れる状態。ほんとうに打ちあっている状態ではなくて、どちらも疲れてきてグッタリしているとき。じゃないと介入できませんから。その前に入っていくと、こっちも殴ることになっちゃうから。そうすると三つ巴になっちゃって武装解除どころじゃなくなる(笑)。

 その一番悪い例がイラク。疲れてないのに武力介入したから。しかもどんな武装勢力も上回る国際部隊としての軍勢力で行っちゃって、結果的に数万人殺してるわけですよね。女性、子供含めて。あれは平和目的の軍事介入としては完全な失敗です。でも失敗を認めたら、ブッシュ政権がダメになる、すると小泉さんもダメになるから日本も一応頑張ってバックアップしてる。泥沼みたいになってますもんね。ああなったら最悪ですよ。

 で、ぐったりしているところへ、もうやめようよ、このまま続けててもいいことないよ、と持ちかけるわけです。さらに戦争を止めたら恩恵まで与えるからってね。つまり彼らにとっては渡りに船の状況を作ってあげるんです。

DDRの問題点
 

 でもね、このDDRの最後のR=恩恵を前提に話をしてはいけないと思うんです。

 現状ではほとんどの兵士が罪に問われていないのですが、一番いいシナリオは、全員無条件に許すんじゃなくて、どこまでが許されて、どこまでが許されないのかという線引きをして、それをベースに和平を進めていくということなんです。でもその線引きが難しい。特にアフリカの場合はそれが一番問題になってます。

 司令官、いわゆる命令した人間は裁かなきゃいけないというのは常識としてあるんですよ。でも、どこまでを司令官とするか? 軍にもランクがあるじゃないですか、中佐とか少佐とか。アフリカの場合は、またこれも複雑なんですけど、みんな「将軍」みたいな(笑)。

 だから名称だけでは判別できない。指揮官といっても、何人指揮していたのかなどを把握しなきゃいけない。これは記憶をたどるしかないし、証言を取るしかないでしょう? で、調査したら指揮官が数百人になっちゃうと。そうすると、これは裁けるわけがない。正義を執行しようとして兵士を裁くとなると、国際法廷を維持するだけでも、莫大な金と時間と労力がかかります。ひとり裁くのに何年もかかるわけですから。時間が経てば経つほど、記憶も薄れて証拠もなくなっていくわけだし。調べていくうちに大量殺人の跡の墓地とか出てくるでしょ? あんなのも、発掘しなきゃいけないんですよ。それをするのにも大変な金がかかる。地雷を探すのと同じようにやってるわけですから。過去の例を見ても、10人未満でも、裁くのに10年以上かかる。だから裁けるのは10人以下ですよね。

 もうひとつは、未成年の問題があります。国際的な取り決め、「子どもの権利条約」に違反するから、通常は18歳以下の子供は裁けないんですよ(注3)。国際社会は、少年兵にはあくまでも同情するべきだっていう見方なので。

 こんなふうに正義を執行しようとすると相当な根気とエネルギーとお金がかかる。その割りにちゃんと裁ける人数はごくわずか。だったら全員許しちゃったほうがいいんじゃないかって、そういうふうに動いてるわけですよね。やっぱり国際正義は金次第です。そういうもんなんですよ。それで収めなきゃいけないというのが現状です。

(注3 通常は18歳以下の子供は裁けない)例外もある。シエラレオネの場合はその基準が15歳以下に引き下げられた。国際的な基準を内戦に適用すると裁けなくなる可能性があるからというのがその理由。伊勢崎さんは「これは画期的なこと。国際的に、日本も含めて少年犯罪を考える意味で、かなり意義がある」と語る
正義は執行されるべき
 

 でもね、正義を執行しないと虐殺は再発しますよ。だって、何百人も殺した兵士が罪に問われることもなく恩恵まで受けられるんなら、本人も、そういうのを見た子供たちも、同じことしようと思いますよね。何やっても許されるんだって思ったら。悪循環ですね。

 紛争被害者にしてみればたまったもんじゃないですよね。自分の親、兄弟、妻子を殺したり、手足を切ったり、レイプしたり、やりたい放題してきた兵士を、平和のために銃を捨てたんだから、許してあげましょう、和解しましょうって言われても、はい、そうですかってすんなり受け入れられるわけがないじゃないですか。そこはやっぱり被害者にも感情移入してあげなきゃいけないんですよね。でも日本を筆頭に先進国の人たちはそれができない。日本の若い人たちは、自分の立場に置き換えて考えてみてといっても「許せるんじゃないかな?」とか「暴力では何も解決しない」とか「復讐は暴力の連鎖を招くだけだ」なんていうんですよ。

 だからDDRという言葉を定着させてしまうと、これからの紛争予防に全くつながらないばかりか、逆に大量殺人を誘発してしまうようなことになるんですよ。だから、僕は武装解除はRは見せずにやるべきだ、DDRはパッケージ、つまりひとつのものとして考えるべきではないと主張しています。ところが今、DDRはどこでも出てくるんです。日本のODA大綱にも出てくるし、国際社会もDDR基金をつくるとか、大げさなイニシアチブができている。これは非常に危険だと思います。

武装したゲリラ兵がひしめく紛争地へ非武装で乗り込んで行く伊勢崎さん。もちろん交渉が長引くことは日常茶飯事。ジレンマの連続。そして一瞬の気のゆるみが即、死につながる世界。イラクでは日本人ジャーナリストや外務省職員が武装ゲリラに襲撃され殺された事件も記憶に新しい。死の危険と隣り合わせの極限の世界のように思えるが、「命なんて賭けてない」と伊勢崎さんはあっさり言い切る。
うまくいくコツなんてものはない
 

 武器を頼りに生きてきた人間に武器を捨てろというんだから、交渉が長引いたり、なかなか理解してもらえない場合ももちろんあります。うまくいくことばっかりじゃないですよ。そのくり返しが成功に見えるだけで。スムーズになんか絶対行きませんよ、全てが。でもあきらません。あきらめたらおしまいですからね。武装解除の現場で、交渉が決裂したからやめるということはありえない。僕らは平和への活路を開くためにやってるわけなんで。

 うまくいくコツなんてものはないです。忍耐力が勝負ですから。やっぱりあの手この手考えてやるわけですよね。だから、すごく粘りが必要な仕事です。それは説得する相手に対してだけじゃなく、逆に後ろ側=味方に対しても同じです。僕を送り出してる国連や日本政府が思うように動かないってことも多々あります。そっちのジレンマの方がつらい。アフガンのときはホントにつらかった。だからそうされないように身内の中でも自分の組織をがっちり固めることが一番大事なんですよね。

日本にいたって死ぬときは死ぬ
 

 PKOの現場は、いつ戦闘状態になってもおかしくない状況です。交渉の席で兵士がいきなり銃を撃ち出したりとか、事故は起きますよ、いろんな形で。たぶんそういうことをやる連中っていうのは、ちょっと頭がおかしいんですよね。まあ、尋常じゃないから戦争が長引いているわけで(笑)。やっぱり我々は、常識のある指導者を通して、活路を開こうとするでしょ? それに反発する鉄砲玉みたいなのがいるんですよ。そういうのが発砲したりするわけです。

 僕らの仲間が拘束されて数カ月間、人質みたいな状態になったり。ときには殺されちゃったりする人もいます。国連PKO活動では、必ず死者が出ますから。シエラレオネの活動では100人以上の殉職者が出てますしね。

 でも基本的にそれほど危険な仕事ではありませんよ。確かに武装解除や交渉の現場では、あちらは当然武装しているけど、僕らは非武装です。でもこちらは暗黙の抑止力として周辺地域を多国籍軍で固めたりしますから。そうやって治安を確保してから出ていくわけです。

 命懸けでやってるように見える? 全然! そんなことないですよ。僕にはSPがついていたこともあったし、本当に危険なところには絶対行きませんからね。だから身の危険を感じたことはないですね。紛争地ですから事故で死ぬ場合もありますけど、それはしょうがないですよね。日本にいたって事故で死ぬときは死ぬんだから(笑)。

 

次回は実際に指揮を採ったシエラレオネとアフガンでのDDRについて詳しく語っていただきます。特に激しい内戦で大量虐殺が行われ、国そのものがボロボロになったシエラレオネでのDDRでは、兵士のおこなった行為を聞くだけで全身にトリハダが立つほどのおぞましいものでした──。

また、そもそも縁もゆかりもない遠い異国で、危険を冒してまで働くのはなぜか。そのモチベーションの源泉に迫ります。

 
2006.1.9リリース 1 インドで40万人を指揮し アフリカで国づくり
2006.1.16リリース 2 東チモールから始まった 紛争屋への道
2006.1.23リリース 3 僕がDDRをやる理由 日本の右傾化に危惧
NEW! 2006.1.30リリース 4 やっぱり根底にあるのは ものづくりへの情熱

プロフィール
 

1957年7月東京生まれ。建築家を志し、早稲田大学理工学部建築学科に入学するも途中で「建築学」に失望し、インド国立ボンベイ大学大学院に留学。

●1983年4月〜1987年6月
大学院で学んだコミュニティ組織論、交渉術等を駆使し、スラム街に住みながらプロのソーシャルワーカーとして40万人の住民運動を指揮。ボンベイ市当局と壮絶な戦いを繰り広げる。大学院は前期で中退。あまりに苛烈さからボンベイ市公安局から国外退去命令を受け帰国。

●1988年1月〜1997年2月
世界最大規模の国際NGO「PLAN INTERNATIONAL」に就職。シエラレオネ共和国の現地事務所所長として、農村総合開発を計画、実施。国のインフラを整える。ケニア、エチオピアでも同様の事業に従事

●1997年3月〜1998年9月
財団法人 日本フォスター・プラン協会に転職。国際援助部長として予算管理、広報戦略を担当

●1998年10月〜2000年2月
財団法人 笹川平和財団に転職。主任研究員として中東和平に関わる

●2000年3月〜2001年5月
国連東チモール暫定統治機構の上級民政官としてコバリマ県の県政を指揮。DDR、治安維持、開発インフラの復興を手がける

●2001年6月〜2002年3月
国連シエラレオネ派遣団、国連事務総長副特別代表上級顧問兼DDR部長として、内戦後のシエラレオネでDDRを総合的に指揮

●2002年4月
立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科の教授に就任

●2003年2月〜2004年3月
日本主導で行われたアフガニスタンDDRを指揮。軍閥の解体、国軍の再構築を実現

●2004年4月〜現在
立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科の教授に復職
リスクマネジメント、コミュニティ組織論を教えている
立教大学・伊勢崎研究室

●2005年12月
外務省の依頼で内戦終結したインドネシア・アチェへ。目的は日本がアチェの復興にどう協力できるか、視察。


『武装解除 ─ 紛争屋が見た世界』(講談社)、『東チモール県知事日記』(藤原書店)、『NGOとは何か ─ 現場からの声』(藤原書店)、『インド・スラム・レポート』(明石書店)、『紛争から平和構築へ』(論創社)など著書多数。講演、新聞、雑誌、テレビ等各メディアに出演、NGO、国際平和実現、国際援助のあり方等について発言している

 
 
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これまでの伊勢崎さんが手がけた国際援助、途上国開発、DDRが詳細に書かれた一冊。キレイごとではなく、国際援助、和平実現の在り方が本音で書かれてあるため、今後こっちの方面に進みたい人は必読。特に幼少期のエピソードに国際援助へのモチベーションの源泉が垣間見えて興味深い。

 
 
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photo 魂の言葉 仕事を成し遂げるために最後の最後まで粘る あきらめたらそこですべてがおしまいだから 仕事を成し遂げるために最後の最後まで粘る あきらめたらそこですべてがおしまいだから
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