キャリア&転職研究室|魂の仕事人|第3回 野田義治さん-その1-逃げなかったことで仕事の基礎を築けた

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魂の仕事人 魂の仕事人 第2回 其の三 photo
最初の夢が破れても、挫折は感じなかった 他にもっとやりたいことが見つかったから 辞めたくなるほどつらいこともあったけど 逃げなかったことで仕事の基礎を築けた
 
多数の人気"巨乳"タレントの生みの親、元イエローキャブ社長の野田義治さんも新人マネジャー時代は失敗と挫折の連続だった。まず最初についたタレントはマネジャー仲間も物怖じする大物芸能人。地獄の日々の始まりだった……。
  サンズエンタテインメント代表取締役 野田 義治
 
役者の夢を断念も挫折は感じず 演じる側から、プロデュースする方へ
 
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 そもそもこの世界に入ろうと思った動機は非常に不純なものでした。「芸能界に入って有名になりたい」──そう思って18歳のときに広島から上京、住み込みでアルバイトをしながら、役者修行を始めました。劇団には、芸能雑誌に載っている「劇団員募集」の広告を見て応募。実は私自身が、今ウチの事務所に来るタレント志望の女の子と全く同じスタートだったんです。

 若い頃から高い志よりハッキリとした目的と行動の方を重視していました。役者になって「演じることで人びとに何かを伝えたい」とかじゃなくて、「テレビに出て売れて有名になる」。それが目的。そのための行動が上京、劇団員応募、住み込みで仕事、だったわけです。

 最初は埼玉の鋳物工場に住み込みで働いていたのですが、都心に近づくと楽しいものが増えるじゃないですか。それで、鋳物工場を辞めて新宿のモダンジャズ喫茶でアルバイトを始めました(1960年代後半から1970年代前半)。これがとても私の性に合ってたんです。思い返してみれば、子供の頃から音楽は大好きだったし、成績もよかったからね。だから仕事としても楽しかった。

 

 お店には'70年安保の直前で作家や音楽、テレビ、芸能関係者といった文化人が集ってました。世間もメディアも大きく変わっていこうとする高度成長期の終盤という時代に、もっとも刺激的な場所で影響力のある人達と接しているうちに、芸能の提供とそのビジネスに関する興味が大きくなっていったんです。

 役者修行も続けてはいましたが、もらえる仕事はエキストラのようなちょい役、オーディションにも受かったり落ちたり。そんな日々の繰り返しよりも、モダンジャズ喫茶での仕事の方が刺激的で楽しいと感じるようになったんです。自分が演じたり歌ったりしたいという欲は次第にフェードアウトしていき、演出したりお客さんに楽しんでもらう側へと仕事に対する興味が移っていったんですね。そして5〜6年やって劇団を退団。そのときは役者としてはダメだった……というハッキリとした挫折感はなかったですね。今でもあきらめたという感覚はない。むしろもっとおもしろいものを見つけた、という高揚感の方が強かったかな。

 
はじめの一歩はディスコのマネジャー 未経験の仕事でも体当たりで突破
 
 演じる側からお客さんに提供する側に移ったとはいえ、芸能という同じジャンルに関っているという意識は持っていました。どちらの立場でもお客さんに喜んでもらいたい、という気持ちは同じですからね。幸い、オーナーが責任者に近い立場を与えてくれたので、より強いやり甲斐を感じていました。お客とてして来ていた才能のあるクリエイターたちと話をするうちに、世間のニーズは常に移行する、つまり同じことをやっていると飽きられるということが分かってきました。だから飽きられないためには何をすればいいか色々と考えました。そしてゴーゴークラブ、ディスコをやることを決めたんです。
 

 当初のディスコはDJだけでなく生バンドが入っていましたから、オーナーに「おまえ、役者やってたんなら芸能界に詳しいだろ。ちょっと事務所いってバンド仕込んでこい」と命じられました。詳しいも何も、こっちはオーディションを通過するかしないかの役者修行の身。芸能界のことは何も知らないに等しかったのですが、オーナーはソッチ(=芸能界)に首を突っ込んでいる者として見ているわけだからやるしかないですよね。私も私で「そんなの簡単だろう」と軽く引き受けました。

 どうすればいいか、自分で考えて色々と調べた結果、案外あっけなく打開策は見つかりました。時代はグループサウンズがはやり始めた頃。その頃からタレント名鑑はあったから誰がどこに所属してるかなんて一目瞭然。あとは出演してほしいと思うバンドが所属する事務所に片っ端から出演依頼の電話して、担当者と交渉しました。そのとき、これまで水商売で人と話をしてきた経験がすごく役に立ちましたね。

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未経験の仕事でも「やったことがないからできない」じゃなく、「どうすればできるか」を自分の頭で考え、道を切り開いてきた若き日の野田社長。その後、さまざまなお客さんと接して学んだことや芸能プロダクションとの交渉を通じて得た人脈、ノウハウを元に仲間と芸能プロダクションを興すも、準備と経験不足ですぐに倒産。その後芸能事務所に勤めるも、長く続かず退職。自暴自棄になってキャバレーの支配人として働いた時期もあった。そんなとき、ある大手芸能事務所の社長からお声がかかり、「大物タレント」いしだあゆみさんのマネジャーに抜てきされた。これが野田社長の将来を決定づける大きな転機となる。
つらかった新人マネジャー時代 このときの経験が今の自分の基礎を築いた
 
 いちタレントのマネジャーがある日突然総理大臣の秘書をやれと命じられる。いしだあゆみさんのマネジャーになるということは、それほど大変なんです。

 あゆみさんの担当になった初日から壁にぶつかりました。最低限の業務連絡以外は一言も口をきいてもらえないんです。何度となく「アンタなんか来なくていい!」と言われました。そばにいるマネジャーとして人間扱いされていないようなつらい日々が3年間続きました。

 
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 自分なりに頑張っているつもりだったんですが、もうどうにもならなくなって上司に泣きを入れました。担当を変えてほしいと頼んだんです。そうしたら「変えるのはいいけど、代わりを連れてこい」と言われました。社内で呼びかけたんですがなにせ相手はあのあゆみさん。マネジメントの難しさは業界でもつとに有名だったので、誰も手を挙げなかった。そうなるともう自分でやるしかないんです。「アンタなんか来なくていい!」って言われても、必要最低限のことしか口をきいてくれなくても、続けるしかない。

 なぜなら、「もう自分には無理です」と言って会社を辞めたら、「あそこでケツをまくったヤツ」というレッテルが、同じ業界にいるかぎりついて回るからです。広いようで狭い業界ですから、一度そういうレッテルがつくと、どこも雇ってくれないし、雇ってくれたとしても、重要な仕事は任されないでしょう。

 

 私にとっては「逃げる」=「この業界から去る」だったので、辞めること自体、あまり深刻に考えませんでした。仕事や業界自体は好きでしたから、どうすればこの局面を突破できるかを体を張って考えていくしかありませんでした。

 でも、今ならわかりますが、あゆみさんの私に対する態度は当然だったんです。'70年代当時から彼女は大スター。子役時代からの長いキャリアのある女優であり、当時日本を代表するレベルの歌手だったんですから。同じ芸能界というだけで違うジャンルのキャリアが少しあるだけの人間の言うことなんて、まともに聞いてもらえるわけがない。

 あゆみさん担当になった私がまずしなければならなかったのは、彼女自身とその仕事を理解することでした。身体を張って働くタレント(女優)のことをもっと勉強しなければならなかったんです。だけど当時の私は彼女自身のことも、やっている仕事の難しさも理解しようとしていなかったんですね。なのに、私はあゆみさんを仕切ろうとしていた。そこが大きな間違いだったのです。

 

 そこに気づいて、今までのキャリアや自信は一度すべて捨てて、あゆみさんのことをもっと知ろう、あゆみさんに教わる姿勢で行こうと考え方を180度変えました。すると状況が好転し始めました。今までは話してもらえなかった仕事に関する重要なことや、仕事以外のことも少しずつ話してもらえるようになり、最後には「好きにしていい」と仕事を仕切らせてくれるようにまでなったんです。このときが初めてですね。ようやくプロのマネジャーになれたと感じたのは。

 結局あゆみさんの担当は7年間も続けさせてもらったんですが、マネジャーという仕事、そして芸能界でやっていくための考え方をすべて勉強させてもらいました。だから今でも担当を変えなかった上司やあゆみさん、そのとき関った人達には感謝しています。あのとき、あっさり担当を変えてもらえていたら、今の私はありません。そのくらい大切なことを学ばせてもらったんです。

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プロマネジャーとしての自信を身に付けた野田社長はその後、34歳のときに独立。イエローキャブを設立し、巨乳ブームの火付け役となりました。しかし設立当初はこの先生き残るためにどうしたらいいか全く展望が見えず、不安の日々だったといいます。次回は所属タレント第一号でこれからという時期に亡くなった堀江しのぶさんのこと、タレントを預かるということ、苦しい局面を乗り越えられた原動力などを語っていただきます。
 
 
2005.9.5リリース 1.役者からのスタート
2005.9.12 2.堀江しのぶの死に絶望
NEW! 2005.9.19 3.仕事とは人生そのもの

プロフィール
 

野田 義治
(のだ・よしはる)
1946年富山県生まれ。広島市の高校を卒業後に役者を志し上京。数々のアルバイトを経験しながら劇団に所属。モダンジャズ喫茶やクラブでバンドのブッキングなどに携わり芸能界との接点をもつ。その後、大手芸能プロダクションからマネジャーとしてスカウトされいしだあゆみの担当に。1980年にイエローキャブを設立。第1号タレントの堀江しのぶの逝去を乗り越えて、かとうれいこ、雛形あきこ、山田まりや、MEGUMIなどの人気タレントを育てた。2004年11月、イエローキャブを離れ、サンズエンタテインメントの代表取締役に就任。現在でも現場至上主義社長として辣腕を奮う

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