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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第46回(前編) 宮崎紗江子さん(仮名)25歳/営業職
高い年収とやりがいのある仕事 惜しげもなく両方捨て 24歳で自分探しの世界放浪へ

外資系IT企業に転職し、社内唯一の女性Webアプリケーションコンサルタントとして働いていた宮崎紗江子さん(仮名・当時24歳)は、持ち前の積極性で次々と新しい仕事に取り組み、会社から高い評価を得ていた。当時の年収は同世代のOLの2倍。仕事にも大きなやりがいを感じていた。しかし傍目には最高にみえるそんな会社をわずか1年で退職。いったんビジネス社会から離れ、もう一度自分を見つめ直す旅に出たのだが──。

 2008年夏。宮崎紗江子さん(仮名・24歳)は自室で頭を抱えていた。

 目の前のテーブルに置かれているのは3通の内定通知。

 通常ならばうれしい悲鳴といったところだが、宮崎さんには悲壮感しかなかった。

 なぜなら「どの会社を選ぶか」ではなく、「どの会社にもいけない」と思っていたからだ。その前に獲得した3社もの内定もすべて辞退している。

「私は一生、働くことなんてできないのでは……」

 つい1年前までは、常に自信に満ち溢れ、同世代の男性よりも高い年収を誇っていた彼女に何が起こったのか──。

SEからコンサルタントへ
順調にステップアップ
 

 2003年4月、宮崎さんは短大を卒業後、システム開発会社に入社、SEとしてキャリアの第一歩を踏み出した。しかし、元々SEになりたかったわけではなく、「就職難だったので、特に何も考えず、内定をもらった会社に入っただけ」だった。

 1年間SEとして勤務した後、異動となり、企業のWebサイトやWebアプリケーションの安全性を高めるために戦略を練り、方策を考え、アドバイスするWebセキュリティコンサルティング職に就いた。その1年半後、所属していた会社が倒産(※1)したのを機に、以前仕事を一緒にしたことのある知人の誘いで外資系のIT企業に転職。前職と同じくWebセキュリティコンサルタントとして間をおかず働き始めた。

 転職先でも積極的に仕事に取り組み、数々の成果を生み出した。Webセキュリティコンサルティングという専門的かつ、まだその道の専門家が少ない職種の上、社内で唯一の女性コンサルタントということも手伝い、宮崎さんの年収は1年間で100万円もアップした。同世代の女性の平均年収の2倍強、男性のそれをも大幅に上回る額(※2)だった。さらに仕事のやりがいも感じていた。

「顧客企業が抱える問題解決策の提案だけに終わるのではなく、顧客ニーズを基にした報告内容の検討・方法の実施にも取り組んでいました。自分の力で企業を救える事に強いやりがいと優越感を感じていました」

反比例する仕事のやりがいと充足感
 

 やりがいのある仕事と高い年収。周りからは若くして最高の職業人生を送っているかのようにみえた。しかし、やりがいを感じれば感じるほど、物足りなさもより強くなっていった。

「私は“仕事は人の生活を変えることのできる道具”だと思っているのですが、そのためにはよりエンドユーザーに近い仕事、直接消費者の役に立てる仕事でなければなりません。転職した会社は、確かに1社目よりは顧客との距離は縮まりましたが、所詮は対企業。理想にはほど遠かったんです」

 確かに社内からは高く評価してもらっている。しかし、その評価ほどには自分の仕事が社会で生活する人びとに直接役立っているとは思えない。むしろ「企業ため」が最優先になり、「生活する人のため」とはほとんど考えられない。さらに自分の仕事が自分の生活ともあまりにもかけ離れている──。そんな思いが徐々に宮崎さんの中で大きくなっていった。

「仕事のやりがいが大きいからこそ、もっと消費者に近づきたいという思いも強くなっていったんです。仕事中はとてもやりがいを感じているのですが、終業後、一歩会社を出ると自分の携わった仕事が全く見えないし、周りの知人も私がどんな仕事をしているのか全く理解できませんでした。そういった、やりがいと物足りなさの葛藤が日を追うごとに強くなっていったんです」

 転職してちょうど1年後、プロジェクトの終了をきっかけに辞表を提出した。今度こそより消費者に近い仕事を目指して。

「そもそも、最初のソフトウェア開発会社に在籍していたときから、次の転職先は異業種にしようと考えていました。しかしその思いにまだ確信が持てなかったので、知人に誘われるまま、同じような業種・職種に転職したんです。つまり、その確信が持てたら即辞めようという転職ありきの転職だったんです。そして1年後に、我慢せずに本当に自分がやりたいこと、“人びとの生活を直接変えることができる仕事”に取り組みたいという思いに確信がもてたので、退職を決意したというわけです」

自分を見つめ直したい──
海外放浪の旅へ
 

 2007年8月、会社を辞めた宮崎さんだったが、しかし、すぐに転職活動を開始したわけではなかった。それも単なる休養ではなく、日本を飛び出し、海外放浪の旅へ出てしまったのだ。

「前職では同世代の人たちよりもかなり高いお給料をいただいており、移動もほとんどタクシーを使うとか、贅沢が当たり前になっていました。職種に寄っかかって、会社名に寄っかかって、給料に寄っかかって、気づくと自分の中に何にもなかった。そんな自分が嫌でした。だからもう一度、自分を見つめ直したい、ゼロからスタートしたいと思って海外へ行くことにしたんです」

 アジアを皮切りに、ヨーロッパ、中東、アフリカなど20カ国を渡り歩き、現地の人々の暮らしを生で感じた。7カ月後に帰国したとき、日本は春になっていた。

「最高の旅でした。この旅で常識というものが壊されましたから。日本での当たり前が決して世界では当たり前じゃないってことに気づけたことが最大の収穫でした。当初の目的だった、自分を見つめ直すいい機会になりました」

 ここから宮崎さんの本格的な転職活動がスタートした。

 
プロフィール
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大学卒業後、ソフトウェア開発会社に入社。SEとして2年勤務した後、外資系IT企業に転職。Webセキュリティコンサルティング業務に携わる。1年後、退職して海外放浪の旅へ。アジア、中東、アフリカなどを歴訪したのち、帰国。2008年4月、転職活動を開始した。

宮崎さんの経歴はこちら
 

※1 所属していた会社が倒産
所属していた部署が分社化となり、宮崎さんもそのまま転属となったが、その会社が倒産。元々在籍していた親会社に戻る道もあったが、退職を選んだ

 

※2 同世代の女性の平均年収の2倍強、男性のそれをも大幅に上回る額
国税庁「民間給与実態統計調査」による

 
第46回・後編 7社からの内定を辞退 苦悩・迷走の果てに辿り着いた“これが私の生きる道”
 

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