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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第45回(後編) 難波哲平さん(仮名)42歳/研究職
不採用の連続で自信喪失 突破口はコンサルタントとの出会いで開けた

国内トップクラスの大企業に入社後、順調にキャリアを重ねてきた難波哲平さん(仮名)は、42歳で退社。知人と起業するも、半年で経営が成り立たなくなり頓挫した。私生活でも離婚、再婚が重なり、借金まで出来てしまった。さらに妻の妊娠が発覚。日雇い派遣で働きながら本格的に転職活動を開始するも、現実の壁は高く険しかった。

まずはハローワークへ
実績と年収がアダに
 

 転職活動のため難波さんがまず訪れたのはハローワークだった。

「転職活動をするのは初めてだったので、ハローワークしか思いつかなくて。あまり条件のいい求人はありませんでしたが、とにかく家族を食べさせていかなければならなかったのでぜいたくなんて言ってられませんでした」

 とにかく早急に低くても安定した収入源を確保しなければならない。難波さんは悪条件の求人でも片っ端から応募した。しかしなかなか内定は出なかった。

「どの会社に行っても“あなたのような優秀な人はウチにはもったいない”と断られました。前の会社での実績や年収が逆にアダとなったようです」

 どんなに給料が安くてもいいと思っているのに……。難波さんの焦りは募る一方だったが、ある日妻がこう言った。

 お金のためだけに働こうとするのは違うんじゃない? 納得する仕事が見つかるまでじっくり探せばいいのよ────。

「目からウロコが落ちる思いでしたね。そうだ。なんのために俺は会社を辞めたんだ。本当にやりがいのある仕事をやるためじゃなかったのか。焦って、目先のお金だけに捕らわれているとまた同じことの繰り返しになってしまうと…」

不採用の連続で自信喪失
負のスパイラルへ
 

 心機一転して転職活動を再開したがしかし、思うような求人は見つからないし、見つかったとしても採用には至らなかった。こうしている間にもどんどん生活は苦しくなるし、妻のおなかも大きくなってくる。

 そんなとき、突破口を開いてくれたのはまたしても妻だった。

「“こんなのがあるよ”と教えてくれたのがある求人サイトでした。妻はネットでいろいろ調べてくれてたんですね。そのサイトには魅力的な求人がたくさん掲載されており、給与面等の条件もハローワークの求人とは比べ物にならないくらいよかったんです」

 インターネットにはこんなにも好条件の求人があふれているのか。他のサイトも探そうとネット検索する過程で【人材バンクネット】に行き着いた。一度登録してキャリアシートを匿名公開するだけで、多数の人材バンクのコンサルタントからスカウトを待つことができる。「こんな便利なサイトがあったのか」と思った難波さんは早速登録してキャリアシートを匿名公開。しかし、1、2カ月経ってもコンサルタントからのスカウトメールは届かなかった。それでも難波さんはめげなかった。

「年齢も42歳でしたし、前職の給料も高かったので、最初からスカウトメールはそんなに来ないだろうと思っていました。だからそれほど落ち込みませんでしたね」

 だからといってそのまま放置する難波さんではなかった。届かなかったら届くように工夫すればいい。転職サイトを巡回して、キャリアシートの書き方を研究、ブラッシュアップを重ねていった。すると少しずつスカウトメールが届くようになった。すべてのスカウトメールに返信、コンサルタントの元へ面談へ赴き、興味を引かれた求人には積極的に応募した。しかし結果は惨憺たるものだった。

「一番つらかったのは、面接で落ちることですね。不採用になるということは“いらない人間”、“価値のない人間”の烙印を押されるのと同義ですから。それが続くと、どんどん自信がなくなっていくんです。面接で自信なさげに回答していた自分が思い出されます」

 面接に落ちることで自信を失い、さらに消極的になる。自信のなさそうな人間を採用する企業などありえない。まさに負のスパイラルに陥ってしまっていたのだ。

 そんな折、妻が無事子供を出産。ますますあきらめるわけにはいかない。妻と子供の生活がかかっているのだ。難波さんはスカウトメールを待つだけではなく、【人材バンクネット】で求人検索を行ってみた。

「仕事の内容にはあまりこだわりがなかったですね。研究から管理部門、経営企画まで一通りの職務は経験していましたから。ただ目先のお金に惑わされて、やりたくない仕事をやろうとは思っていませんでした」

 興味を引かれた求人には積極的に応募したが、いい返事はもらえなかった。

一通のスカウトメールから
とんとん拍子のスピード内定
 

 なかなか突破口が見出せない苦しい毎日が続いたが、それでもあきらめず、転職サイトの記事を参考に、こまめにキャリアシートの更新を続けた。そんなある日、一通のスカウトメールが舞い込んだ。2008年4月に入ったばかりのことだった。

 送り主は東京のアシル技研株式会社の江部忠行氏(※1)だった。まず紹介されたのは、品質管理の求人。経験があったので即応募を決めたが、書類選考で落選。またか……。落胆する難波さんだったが、そこで話は終わらなかった。江部氏は別の企業を紹介。某外資系メーカーの研究職だった。前職の経験も生かせるし、年収も悪くない。もちろん即、応募を決めた。

 そこからはとんとん拍子に事は運んだ。応募して1週間後の4月末に1次面接、5月末に2次面接が行われた(※2)。元同じ業界ということもあり、面接は大いに盛り上がり、2次の社長面接では入社してからのことにまで話が及んだ。数日後、当然のように江部氏を通じて内定が知らされた。応募から1カ月。これまでの苦戦が嘘のようだった。

「うまくいくときはこんなもんだなと思いましたね。ひとつのきっかけですべてがいい方へ進んでいく(※3)。転職も“いい流れ”を見つけてそれに乗るということが重要なのだと思いました」

自分の役割をまっとうすることが
人のためにつながる
 

 前職と同じ業界の会社で職種も同じ研究職。業界トップシェアを誇る大企業。年収も前職より下がりはするが、当初の予想をはるかに上回る額となった。しかし、難波さんは前の会社を辞めるときにこう悩んでいたはずだ。「今度こそは自分の本当にやりたいこと、人のためになる仕事をやりたい」と──。

「今ならわかるんですが、あの頃の私は視野がものすごく狭くなっていたと思います。なかなか思うようにならない状況の中で、“自分”は何をやりたいのか、“自分”の仕事の意義とは何か、“自分”が幸せになる働き方とは何かなど、どこまでいっても自分、自分、自分でした。でもそれが間違いだったことに気づいたんです」

 難波さんが見ていたのはあくまで自分の欲求だけだった。趣味ならばそれでいい。しかし仕事となると話は違ってくる。そこに目を向けようとしなかった。そして自分のやりたいことを追求して起業した。でも一銭にもならなかったどころかマイナスだった。

「一銭にもならないということは、この社会では人から必要とされていない、人のためにならないということです。しかし今は毎月数十万円のお金を得ることができる。私という人間は変わっていないのに。私を必要とする場所で何かをすればお金をもらえる。お金をもらえない場所は私がいる場所じゃないということです。それがわからないでただ“俺がやりたいことをやりたい”と言っても誰も相手にしてくれません。“俺が俺が”じゃダメなわけです」

 誰かが必要とする仕事だからこそ報酬が発生する。その価値を決めるのは自分ではない。会社であり、クライアントという他者だ。

「お金を稼げる仕事がその人の“能力”であり、社会から与えられた”役割”。それを果たすことが結果的に人ためになるとわかったんです」

回り道をしたからこそ
得られたものもある
 

 新しい会社で働き始めてそろそろ5カ月が経とうとしている。この転職は難波さんにとって成功といえるのだろうか。

「仕事のやりがいもとてもありますし、職場の雰囲気もいい。年収も思った以上にいただけましたので、最高の転職といっていいでしょう。妻も喜んでいます」

 業種や職種だけを見たら転職前後であまり代わり映えしないように思えるが、難波さんの価値観は大きく変わった。転職という回り道を通して。

「【人材バンクネット】を知るきっかけを作ってくれた妻、今回の会社を紹介してくれたアシル技研の江部さん、面接して、採用してくれた今の会社の人たち……みなさんのおかげでここまで来れました。決して自分の力じゃないですからね。自分だけで生きてるつもりでも、本当はそうじゃない。私は大勢の人に生かされているんだということをこの転職を通じて実感しました。特に人材バンクのコンサルタントには頭が下がる思いです。豊富な人生経験でありがたい助言をたくさんいただきましたから」

 みんなのおかげで生かされている──そう実感できたなら、働くことに意義と喜びを感じることができるだろう。どんな会社、どんな仕事であっても。

「今はサラリーマンであることに全く不満を感じません。前の会社を辞める前に気づいていればよかったのですが(笑)」

 最後に、少しバツが悪そうにこう語った難波さん。しかしその顔は新しく得た働く喜び、生きる喜びに満ち溢れていた。

コンサルタントより
アシル技研株式会社
江部忠行氏
コンサルタント
  絶妙なタイミング
企業、求職者双方にとって
ラッキーな転職でした
 

 通常、人材バンクは、企業の人事部から求人の依頼を受けて、その企業のニーズに合う人材を探して紹介しますが、今回の難波さんの転職は少し特殊でした。

 というのは、難波さんが転職した会社(A社)の人事部から正式に人材紹介の依頼を受けていたのではなかったのです。つまり、非公開求人どころか、正式な求人募集そのものがされていなかったのです。

 私どもアシル技研株式会社の場合、人材紹介業はいわば副業でして、メーカー向けの技術コンサルティングが主業務です。その技術コンサルティングを通じて知り合った方の中にA社の技術者がいたのです。

 とはいっても、難波さんにすぐにA社を紹介したのではなく、匿名公開キャリアシートを拝見した段階では、別の企業の求人を紹介するスカウトメールを送りました。実名のキャリアシートを提出いただき詳しいご経歴を拝見して、予定していた企業よりもA社に相応しい人材ではないかと思いました。先に紹介した別の企業は書類選考で落ちてしまいましたが、難波さんもA社のほうが今までの知識や経験を活かせるということで、あらためてA社を紹介することにしました。

 その時点でA社から正式な依頼はありませんでしたが、「実はこういう方がいるのですが」と先ほどの技術者の方を通じてA社の研究所長に伝えると「ぜひ会いたい」となり、その後は記事の通り、とんとん拍子に内定が決まりました。

面接前から内定を確信

 実は面接の前からほぼ100%採用されると確信していました。なぜなら、難波さんが在籍していた会社とA社は同じ業界でしかも特殊な技術分野のため、ここまでぴったりの知識・経験の方はそうそういらっしゃらないからです。

 ご経歴以外でも、難波さんは全く問題ありませんでした。遠方だったので電話でお話を伺いましたが、難波さんは相手の話をよく聞き、的確に応答し、お人柄も明るい印象でした。面接時に初めて対面しましたが、お会いしてさらに採用を確信しました。面接での企業側の評価も高く、一次面接開始数分後には採用が決定したようです。

 今回の転職は難波さんとA社の両者にとって、とても幸運だったといえるでしょう。なぜなら特殊な業界なので、難波さんのような人材も、A社のような求人も、なかなか求人市場に現われないからです。まさにピンポイントでお互いのニーズが合致した稀有な事例といえます。人材バンクネットを利用する利点はこういうところにもあると思います。お一人での活動ではこのような潜在的な求人の機会を捉えられませんから。

自分を客観視できる人に相談する

 これから転職を考えている人には、まず職務経歴書やキャリアシートを書く際に心掛けていただきたいことがあります。それは「自分のことを全く知らない相手が読む」ということを前提に書くということです。当たり前のことですが、これをきちんと念頭に置いた上で職務経歴書を書くのはなかなか難しいのです。自分をなるべく客観視して、相手が自分の強みやセールスポイントを正しく理解できるように、違う専門の人にもわかりやすく書くことが重要です。そのために、応募する前に、友人や家族など第三者に見てもらうのも有効な手段ですし、もちろん我々のような専門の人材コンサルタントに相談していただければ、さらに確実と思います。

 客観視という意味では、自分を過小評価してしまう人も大勢います。長らく同じ業界で同じ仕事をしていると、自分の身につけた技術や能力がそれほど価値の高いものには思えず、折角の魅力がかすんでしまうことが多いのです。しかし、ほかの企業から見ると十分強みになりえることも多々あります。それを知らないと非常にもったいないと思います。自分の客観的な市場価値を測る上でも、沢山の経歴書を読んできている人材コンサルタントに一度相談してみることをお勧めします。

 

 待ち合わせのカフェに現れた難波さんは、実年齢よりもかなり若く見えるハンサム紳士といった感じで、終始フランクに、本音で今回の転職経験を語ってくれました。

 そんな難波さんが眼を曇らせたことが一度だけありました。応募した会社に落ちまくったことを語ったときです。

  不採用が続くと自信がどんどんなくなり、面接でも自信をもって話すことができなくなるんですよね──。今、目の前で生き生きと話す難波さんからは想像もできませんでした。

 そもそも前職を辞めた理由は「自分の本当にやりたいことをやろうと思った」から。そのため、社内での重要なポジションも1000万円の年収も捨ててしまいます。しかし苦労の末転職した後はあの頃の自分は間違っていたときっぱり言い切りました。自分の欲求だけを追い求めてもだめ、周りがいて初めて自分という存在が生きてくるのだと。

 人は人に生かされている。このことに気づけたことが今回の転職で得られた一番の収穫だったのではないかと思いました。なぜなら、そう思えたら、どこでどんな仕事をしていても幸せに働けるし、地に足の着いた生き方ができると思うからです。

 現在の職場はすべてにおいて最高だと難波さんは言います。その最高の職場に入れたのも、江部氏の存在なくしては語れません。そもそも江部氏がその会社の技術コンサルを務めていなければ求人の話もこなかったし、江部氏の推薦でなければ、応募後もこれほどスムーズには進まなかったでしょう。企業に直接応募するやり方ではまずありえないケースだと思います。

 難波さん自身も「今回の転職は自分の努力の結果ではなく、周りのみなさんのおかげだった」と言います。しかし、難波さん自身の力も大きかったのだと思います。何度も面接に落ち、自信をすっかりなくしてしまうほどのつらさを味わいながらも決してあきらめず、そのときにできる最大限の努力をしました。
 
  あきらめず、自分を信じて頑張り続けていれば、いつか道は開けるということを改めて認識させられた今回の取材でした。

 
プロフィール
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神奈川県在住の43歳。地元の国立大学を卒業後、大手メーカーに入社。研究職→品質管理→生産管理と順調に上流行程へとステップアップし、42歳で会社の経営の中枢を担う事業企画部へ栄転となるも、半年で退職。恩師とともに起業するが半年で頓挫。借金を抱え、日雇い派遣で働きながら転職活動を開始。苦戦が続いたが、【人材バンクネット】に出会ってからわずか1カ月で転職が決定した。

難波さんの経歴はこちら
 

※1 江部忠行氏
江部氏とは一次面接で初めて会ったが、江部氏も元技術者で共通点が多かったので電話だけでも意思の疎通は問題なく図れたという。

 

※2 4月末に1次面接、5月末に2次面接が行われた
1次面接と2次面接の間が1カ月も空いてしまったのは、面接する役員のスケジュールがなかなか合わなかったため。合っていれば1週間以内で決まっていた。まさにとんとん拍子。

 

※3 すべてがいい方へ進んでいく
今回の転職活動で内定を獲得できたのは5社だったが、入社を決めるのにこの企業ともう1社とで最後の最後まで悩んだ。悩んだ末に今回入社した企業に決めたとたん、その企業から大阪から東京までの引越し費用を出す旨の連絡が入った。「応募から入社まですごくいい流れで行けました」(難波さん)

 

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