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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第44回(前編) 上原孝太郎さん(仮名)53歳/経理(管理部門)
どうしても譲れないものがある…53歳であえて選んだ転職の道

大手企業で20年あまり、財務・経理職として働いてきた上原孝太郎さん(仮名/53歳)は、ただ決められた業務をこなすだけの毎日から脱却、会社の管理業務全体、ひいては組織システムの改革を進めることに意欲を感じ、新しい活躍の場に挑む。経験豊富な上原さんにとって転職はさして困難なものではない。しかし、結果として、総合病院、不動産会社、医療機器メーカーと、この4年で3つの職場を転々とすることになってしまった。しかも、今、これが人生最後の会社だと決めた会社からも離れようとしている。経理・財務のベテラン、上原さんが会社を転々とする理由。今もなお未来に期待する思い。そして、その先にあるものとは——。

 部下に何と告げたらいいだろう……。

 上原さんは、家路に向かう電車の中で、思わずため息を漏らした。目を上げると窓ガラスに自分の顔が映る。50歳を過ぎたその顔は、少しやつれたかもしれない。幾分白髪が増えたようにも見える。

「君を解雇するのは社長の指示だ。その理由は、態度や能力ではない。君の容姿なんだよ」

 そんなことを部下に言わなくてはならないくらいなら……。上原さんはふと思う。自宅の最寄り駅が近づき、落ち着いて考えれば考えるほど、自分の決意が固まっていくのを感じる。

 自分の部下すら守れない会社なら、自分がここに留まる理由などあるのだろうか──。

 家に着き、妻に説明する自分の姿がふと目に浮かぶ。妻は何というだろうか──。

社内の改善・改革を自分の手でやりたい
それにはあまりに大きすぎる会社組織
 

 上原さんは大学で経営学を学んだ後、大手流通企業に入社。支店の庶務課の出納業務からそのキャリアをスタートさせた。若手ばかりで新店舗を任されたときから、組織全体が効率的に稼働できるようさまざまなアイデアを出す(※1)ことにやりがいを見いだしていた。その後、支店の庶務課から本社の経理へ配属。さらに、多数の子会社も含めたグループ全体の人事や教育を担当する部署に配属されることで、経理を越えた多様な業務もこなすようになった。

 経理、財務という部署は、会社全体のおおまかな流れが見えている部署でもある。そこで、この部分の人員を調整してこちらを補強する、この余剰な経費を切り詰めてこちらに回す、といったさまざまなシミュレーションも浮かんでくる。

 もともと、ファイル整理などの日々の小さな取り決め、システムというほどでもない小さな仕組みの部分にも目が行き届き、改善のアイデアが浮かぶ性格だった。そうした細かい部分から改善・改革していくことで全体のボトムアップを図る。これが上原さんのやり方であり、仕事意欲の原動力だった。社内で経験を積み、立場が上がるにつれ、会社全体の改革や改編、システム改革に尽力したいという意欲が強まってくる。

「しかし、自分の立場でそこまでやるには、余りに大きな会社でありすぎました。頑張ってそれなりに昇進したところで、ここまでの会社を自分一人の手で変えていくことは到底不可能だと感じたのです」。

 自分に合った規模の会社、部署で働けないだろうか。そこで思う存分自分の力を試すことはできないだろうか。そう思った上原さんは、20年あまりを勤めた会社を辞め、新しい活躍の場を求めて転職を決断したのだった。

病院の立て直しに成功するものの
〈やり過ぎ〉の声が……
 

 転職したのは、ある総合病院だった。全くの畑違い。しかし、当時の病院は、赤字経営をなんとか立て直すために民間企業の経営手腕を導入したいと動いていた。上原さんのような人にぜひ来てもらいたいと強いオファーがあり、また上原さんにとっても、やりがいがある仕事だと思え、転職先に選んだのだった。

「着任して驚いたのは、病院の事務が、40年前とほとんど変わらないシステムで行われていたことです。筆記はPCではなく、すべて万年筆。PCはあるにはあったのですが、ネットにつながっておらず、部内の連絡もいちいち口頭か、手書きのメモや書類を使っていました。そこで、まずはIT委員会を組織し、そこで院内の通信ネットワークを作り上げました(※2)。ほかにも、需要が急増していた分野の新しい診療所を設置するなど、思いつくさまざまなアイデア(※3)を実践していきました」

 上原さんの行った病院のシステム改革は、経営効率を徐々に高める結果となった。しかし、こうした成功のほかに、「やり過ぎだ」という声も次第に強くなっていた。院内の給与制度の改革に着手したからだった。

「若い意欲的な職員の報酬は低めで、年をとるに従って高給になるといういわゆる年功序列のシステムでは、若い人がどんどん離れていきます。病院全体のやる気も芽生えず、結果、経営を低迷させている元凶ではないかと思い至りました。そこで、能力給制度を導入しようとしたのです。昇級・昇格のシステムを細かく組み立てていきました」

 病院全体から見れば、歓迎の風潮だった。いよいよ上原さんの考えた能力給制度が決定となるその直前、待ったがかかった。

「高給を取っている一部の人たちが裏で理事長たちに働きかけたのでしょう、土壇場で上層部の大反対に会い、案は不採用となり、その結果、私はそこに居づらい立場になってしまったのです(※4)

最後の転職と覚悟を決めた職場も
見切りをつけるしかない……
 

 まだまだ改革も途上で、後ろ髪を引かれる思いではあったが、上原さんはその病院を辞めることにした。病院での勤務はわずか2年余り。すでに上原さんは、50歳に差し掛かっていた。

 ただ、経理、財務の仕事は経験もあり、会社の管理に関しても実績があることから、次の転職先を見つけるのはそう難しいことではなかった。次に選んだ職場は、不動産を扱う会社だった。ここでも、会社の管理面で手腕を振るってほしいという、いわゆる「殺し文句」に惹かれたのだった。

「しかし、勤務3日目にして、当初聞いていた話とは違うと気づきました。会社の管理面を頼みたいという話は、実は建前。その会社には、私の配属された経理のほかに財務と総務の部署があり、それぞれにベテランの職員が配置されていたのです。彼らを差し置いて、自分が何かを動かすということは到底できませんでした。それならなぜ私を甘い言葉まで使って引き入れようとしたのかと、詳しく聞いてみました。すると、自分の前任者が病気で倒れ、どうしても欠員を埋めなければならなかったからだというのです」

 そこで、その会社にも早々に退職願を出すことになる。その頃、株式公開の業務を任されていたため、その処理を済ませた段階で退職するということに決まり、結局1年半でまたも転職することになったのだった。「さあ、いよいよ自分の人生の回り道はここまで。次こそは会社人生の最終地点としよう」と入社したのが医療機器メーカーだった。

「この会社には人材バンク経由で転職しました。コンサルタントが大学時代の友人で、大手商社の子会社だったので、万一、これまでのような上司とのトラブルがあった場合は、別の会社に異動させてくれるということもあり、それならば、と決めました。しかし……」

希望を抱いて入社した会社
大きな誤算が待っていた
 

 実際に入社してみると、理想的な職場とはほど遠かった。事前に知らされていた給料と、実際の額とは大きな開きがあったのだ。また、入社して配属された役職も当初の説明とは異なり権限の小さいものだった。

「友人の紹介ということもあり、あまり会社の待遇について根掘り葉掘り聞くのはどうかとためらって、簡単な口約束で済ましてしまったのが失敗でした」

 しかし、それはそれでいい。いずれ仕事が認められれば給料も役職も上がるはずだ。そもそも自分としては、管理部門の中心となり(※5)、この会社の社員がより効率的に、意欲的に働けるような職場を作り上げることが当面の目標だ。そう気持ちを切り替え仕事にまい進した上原さんは、転職後1年に満たないうちから、管理部門の責任者に任命され、職場の一人ひとりに目を配り、指揮し、うまく管理していた。契約社員を含め、10人にも満たない小さい部署ながら、会社の管理部門として、要になるセクションのひとつだった。対人関係を重んじ、合理的な組織づくりを目指し、それなりの成果が出始めたという時期に、それは起こった。

 会社の体制が変わり、新しい社長が就任したのだ。といっても親会社社長との兼務。週に1〜2日、まるで嵐のようにやってきては、目につく限りの人や物事に対して好き放題に指示を与え去っていく。有無をいわさぬ豪腕で、仕事を拡大させていく馬力がある。しかし、それだけに細かい配慮には欠けていた。こうと決めたら、周囲の意見の一切を聞かず独善的に物事を決めてしまうのだ。暴君。それが新社長につけられたあだ名だった。

暴君社長の信じられない一言で
転職を決意
 

 その日、珍しく会社に来ていた社長は、得意先企業の社員と商談を進めていた。そこに契約社員の女性がお茶を運んだ。いつもの見慣れたシーンだった。しかし、クライアントが帰ったところで、上原さんが社長室に呼ばれた。

 開口一番、告げられたのは「あのお茶を運んだ女性をクビにしろ」という言葉だった。

 なぜですか?──思いもよらなかった命令に一瞬絶句した後、そう聞いた。

「いや、接客態度は問題ない。彼女の見た目だよ。太り過ぎだ。取引相手がどう思うかだ。会社というものはイメージが重要なのだ」

 しかし、彼女の経理事務の能力は、申し分ありません。そもそも容姿で採用したわけではないはずです——。上原さんはもちろん、食い下がった。明らかに不当な命令であり、社長の横暴だと感じた。新社長のこの傲慢なやり方のために、部署全体がぎくしゃくしていたのだった。

「つべこべ言わんでいい。お茶汲みを代えろ。それだけだ」

 社長は、それだけを言って会社を出て行ってしまった。

 上原さんが自分のデスクに戻ると、その女性社員が、不安げな顔でやってきた。

「社長が、私のことで何かおっしゃっていましたか?」

(おまえは、誠実に働いている自分の部下を守ることすらできないのか)

 一瞬、自分の頭の後ろの方からそんな言葉が聞こえた気がした。上原さんは、それを振り払うように首を振り、

「いや……。きみは気にしなくていいよ。私が決着をつけるから」と言って、笑ってみせた。しかし、その力ない笑顔に女性社員はかえってさらなる不安を抱いてしまったようだった。

 会社の管理全般を任せてくれれば、小さなところから合理的な組み立てをしていく自信はある。組織の根本がダメになっていても、自分に任せてもらえるのなら、全力で大改革に邁進しようと決意を固めていた。ところが……。

「この会社は、自分にその権限を与えてくれる意向は全くないのだなと痛感しました。女性社員の配置にまでいちいち口を出してくるなんて……。何より自分の部下の一人さえ守ってやることができない環境で、自分は何をすればいいというでしょうか。こちらが考えに考え抜いたプランも、上司の判断の下、一瞬で却下となるのが日常茶飯事です。説得にも応じてくれるものではありません。あの社長室に呼ばれた日、ここではダメだ、今一度振り出しに戻ろうと決めたのです」

 上原さんは、転職を決意したその日、胸のうちを妻に告げた。すると妻は案外あっけらかんと言うのだった。「そう。残念ね。でもそれなら仕方ないわ。で、次の仕事はどうするの?」──。長年連れ添ったこの妻は、夫の心情を理解し、次の仕事はきっとうまくいくと信じているのだった。

 ダテにこれまでキャリアを積み上げてきたわけではない。次の職場を見つけるのにもそう時間はかからないだろう。しかし、今度こそ、今度こそは、最終地点としなければならない。これまでの過ちをすべて踏まえて、新しい職場を見つけ出すのだ。上原さんは、そう心に決めて、もう随分遅くなってしまった夕食の膳についた。妻のせっかくの手料理も味はよくわからなかった。しかし、その温かさだけはしっかり噛み締めることができたのだった。

 
プロフィール
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神奈川県在住の53歳。大学を卒業後、大手流通企業に入社、経理・財務の部署を中心に、社内教育、人事まで幅広く経験。その後、会社の管理部門全体を仕切る仕事を志し、23年目にして転職。その後、総合病院、不動産会社、医療機器メーカーを渡り歩くが、いずれも1、2年で退社。人材バンクの斡旋で最終的に100余年続く不動産会社の管理部門に転職が決定。最後の職場という気持ちで、新しい仕事に邁進している。

上原さんの経歴はこちら
 

※1 さまざまなアイデアを出す
例えば、店の売り上げとなるお札を束ねる方法ひとつにしても、渡す側がまとめやすく、受け取る側にも判別しやすいよう共通ルールをつくり、徹底するといったアイデアを、新入社員だった上原さんは提案した。さりげないアイデアだが、結果として日々の効率アップにつながった。こうした経験から、「微細な部分からのボトムアップ」というノウハウを培っていったという。

 

※2 院内の通信ネットワークを作り上げました
2003年のこの頃は、電子カルテが普及し始めた時期で、院内の各部署にコンピュータを設置、データ管理から連絡までの一切をPCで行うというシステムはそれほど画期的なものではなかった。だが、この遅れた病院では、一つひとつのマニュアルづくりから、全員が等しく操作を理解できるようにする教育までも必要だった。しかし、そのおかげで、完成したときは、それまですべて紙ベースで行っていた診察室から他部署へのオーダーがPCで瞬時に行えるようになり、患者の待ち時間も著しく短縮できるなど、劇的な効率化を実現させた。

 

※3 思いつくさまざまなアイデア
例えば、その病院が駅に近いという立地を活かし、昼間の比較的空いている時間を休診時間とし、代わりにサラリーマンでも通うことができる時間帯に診療時間を設けることにした。これで新しい患者さんを獲得することができたのである。

 

※4 居づらい立場になってしまったのです
その件があった後、上原さんは医療の専門知識がなければとうてい処理できない部署の会計担当へ降格を命じられたという。経理を中心とする事務業務や経営管理を担当していた上原さんには、かなり厳しい部署だった。見え透いたやり方で退職を迫っていることは、だれの目にも明らかだった。

 

※5 管理部門の中心となり
この会社では、管理部長として、財務、経理、総務、人事などの運営管理全般を任されていた。

 

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