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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第18回(前編) 高木美香さん(仮名)30歳/プランナー
ゼロから築き上げた事業が縮小 失意の中、自分をリセットしたとき新しい人生が開けた!
「あなたの企画力が生かせる会社がある」——食品会社で販促企画をしていた高木美香さん。営業部門に異動になって悩んでいたとき、取引先の社長からある会社を紹介された。「新規事業を任せたい」という経営者の言葉に、意気揚々と入社。しかし、そこには思いもよらない現実が待ち構えていた。

「申し訳ないけど、工場の製造ラインを縮小することになった。商品はもう作られへん。ネット販売も辞めてもらう」。

 ある日、社長に呼ばれ、そう告げられた。まさに青天のへきれきだった。

 会社は、中華レストランやラーメン店をチェーン展開していた。セントラルキッチンの製造ラインを利用した新規事業を立ち上げるスタッフとして、高木さんは5年前に入社した。

 入社以来、何もないところから必死で中華惣菜の企画・開発・営業を行ってきた。努力の甲斐あっていい商品ができ、取引先も次々と増えた。ネット販売も好調。「御社の肉まんは、本当においしいですね。大好きです」。感想を寄せてくれるファンも大勢いる。——それなのになぜ?

「社長、商品を待ってるお客さまがいるんです。なんとかなりませんか?」

 食い下がってみたが、ムダだった。

「ウチの中華レストランをすべて閉店することが決まったんや。もともとはレストラン用の食材を作る製造ライン。ネット販売とか、小さい商売のためだけに残すわけにはいかん。会社に貢献するほどの利益にはなってないし、この事業だけ、特別扱いするわけにはいかへんのや」

 そ、そんな……。

 ウチの商品を気に入って、いつも買ってくださるお客さまに、何て言うたらええの……? 取引先にはどう説明すれば……?

 怒りと悔しさと悲しみが、胸に押し寄せてきた。同時に苦闘の日々が頭をよぎった。毎晩遅くまで残業して、やっと事業を軌道に乗せたのだ。社内の人間関係に気を遣い、体調を崩したこともある。

 せっかくここまで頑張ってきたのに……。こんな状態では、今後の積極的な商品開発や拡販はムリだろう。何もかもが絶望的に思えた。

「この会社でやるべきことは、もうないな……」。

 高木さんは、転職を決意した。

 

英語が生かせるかも…と思って入った会社で
「食」の仕事に魅せられる
 

 大阪の短大を卒業後、高木さんが就職先として選んだのは食肉専門商社だった。

「短大では、英語科でした。この食肉専門商社はアメリカに支店を持っていたので『将来、英語が生かせるかも』と思ったのが入社の動機です」

 会社は食肉販売の直営店を運営しており、高木さんは販売促進企画や通販の企画などを担当。顧客に一番近いところで働くのはおもしろく、やりがいがあった。

「この直営店は消費者のニーズをつかむ、マーケティングの場でもありました。肉の部位に合った料理や簡単でおいしい調理の方法などを提案するなかで、お客さまの意見をダイレクトに聞けるのがおもしろかったですね。『食』への興味も今まで以上に湧いてきましたし」

 商品の良さをお客さまにわかっていただくにはどうしたらいいか、お客さまが喜ぶことは何かを徹底的に考え、企画・実行する仕事にやりがいを感じていた。

 ところが、入社5年目に変化が訪れた。

「営業部への異動を命じる」——高木さんが手にした通知にはそう書かれていた。

 社内の人脈を当たってみたところ、理由がわかった。会社は営業部門の人員を増やして取引先を増やし、業績不振の危機を乗り切ろうとしていたのだ。

 異動後は持ち前のバイタリティーとコミュニケーション力を発揮。取引先と信頼関係を築くのには時間がかからなかった。営業先は百貨店、スーパー、料亭など。業務用の卸売りが中心。提案力よりも価格交渉に比重が偏りがちであることは仕方がなかった。

 

「まぁ、しょうがないかと思って、営業に移ったんですけど、だんだんと『これは私のやりたい仕事とちょっと違うな』と思うようになったんです。もっと商品に近いところで仕事をしたい、一般消費者に関わる仕事をしたいと思う気持ちが強くなってきて。親しい取引先では、そんな思いを口にすることもありました」

 そんなある日、取引先の社長からこんな提案があった。

「高木さんの企画力が生かせそうな会社があるんやけど、ちょっと、考えてみてくれへんかな?」

 紹介されたのは、関西で中華レストランとラーメン店をチェーン展開する会社。食材を調理するセントラルキッチン(※1)の工場機能を使って、一般消費者向けの中華惣菜の商品開発を始める予定だという。その新規事業の立ち上げスタッフとして来てくれないか、との話だった。

 消費者向けの商品開発と聞いて、高木さんの心は躍った。

「お客さまの声を聞きながら商品開発できる。ぜひ、やってみたい!」

 躊躇なく転職を決め、出社第一日目を迎えた。

事業計画は社長が書いた手書きメモ1枚
工場スタッフからは冷たい視線が
 

「こんなん売りたいねん」

 初出社の日、社長からB6用紙を1枚、手渡された。

「エビのチリソース280円」「シュウマイ250円」「肉まん」……

 そのメモには、料理の名前と値段が並んでいた。

「外販向けの商品開発いうても、俺はしたことないから細かいことはわからん。全部、高木さんに任せるさかいに、自由にやって。困ったことがあったら、なんとかするから」

「え……!?」

 高木さんは目がテンになった。新規事業なんて名ばかり、要するに社長の頭の中にある構想の一つでしかなかったのだ。

「これは、えらいとこに来てしまったな……って思いましたよ(笑)。新規事業の専任スタッフは自分ひとり。今まで、上司や同僚がいるなかでしか仕事をしたことがないでしょう? とても不安でしたね」

 さらに高木さんの不安を駆り立てたのは、工場のスタッフたちの反応だった。30名ほどの工場スタッフは高木さんよりも年長者ばかり。あいさつに行くと、一斉に冷ややかな視線を浴びせてきた。

 新規事業だかなんだか知らないけど、社長が勝手に決めたこと。俺らにとっては、余計な仕事が増えて迷惑なだけなんだよ——彼らの目はそう語っているように見えた。無理もない。彼らは今まで、決められた仕事を決められたとおりにやっていればよく、商品開発などしたことがなかったのだ。負担が増えることへの反発は当然のことだった。

「要するに、私なんて社長がどっかから連れてきた新参者。こんなとこで満足のいく商品が作れるのか、どうやって協力してもらえばいいのか、めっちゃ悩みましたよ」

 結局、社長から直接声をかけられていた50代半ばの調理師と2人(※2)で商品開発を行うことに。いよいよ、レシピづくりが始まった。

3カ月後に行われる展示会に向け
連日深夜におよぶ試作品づくり
 

 目標は3カ月後に行われる展示会。ここに商品を出品して認められれば、一気にビジネスチャンスが広がる。

 しかし、工場では毎日、レストランやラーメン店用の食材を作らなければならない。日中、製造スタッフは通常業務に追われるし、調理機械を使うこともできない。結局、商品開発の実質的な作業は夕方からになってしまうのだ。

「1日に10〜14時間働いて、終電で帰ることも多かったですね(※3)。でも商品が完成するまでは、って歯を食いしばってがんばりました」

 ようやくレシピが完成し、次は工場で量産するというハードルを迎えた。この段階では、調理師だけではなく、製造スタッフ全員の協力が必要だ。

 

「お客さまが待ってるんです」——高木さんは、このセリフでしぶるスタッフをなんとか説得したが、製造はなかなかうまくいかなかった。

 慣れない仕事に同じミスの報告が相次ぐ。特に飲茶は人の手による作業が多く、丁寧な仕事が必要だ。 飲茶製造に限らず、製造から保管、品質管理、出荷まで、ミスが発生するたび、作業の仕方を一つひとつ提案し、理解を得ていくことは並大抵のことではなかった。

 こうした努力の甲斐あって、中華素材5品、飲茶8品が完成。展示会に間に合わせることができた。評判は上々。テレビショッピング会社から「ウチの番組で紹介したい」と声がかかった。

「テレビショッピングって、メーカー側の誰かがゲスト出演して商品紹介をするんです。だから、出ましたよ。テレビに。商品には絶対の自信がありましたけど、なんだか、気恥ずかしかったですね」

 続いて、横浜にある中華食材専門店などのプライベートブランドの商品開発も手がけることになった。ホッと一息つく暇もないくらい、仕事に追われた。でも高木さんはうれしかった。何もないところから、どんどん道が開けていく喜びに今までの苦労は吹き飛んだ。

インターネット販売もスタート
「週間MVP」の知らせに社内の反応は……
 

 高木さんは商品開発と同時にインターネットでの販売も画策。ネット販売なら、消費者の意見をダイレクトに聞くことができる。高木さんにとっては、もっともやりたい販売方法だった。

「さっそく楽天に登録したんですが、今までホームページなんて作ったことがなかったので、まさに試行錯誤でしたね。できるだけ、いい写真を載せたくて写真の勉強までしたくらいですよ(※4)

 ある日、彼女のところにうれしい知らせが届いた。ネット販売の売上が楽天の「週間MVP」に輝いたのだ。

「膨大な数のお店がある中で、ウチの会社がMVPを取るなんて、夢のようでしたよ。今までの苦労が報われた、やった!スゴイ!って、本当にうれしかったんです」

 早速、社長に報告。全社員の前でこの快挙が発表された。ところが……

「へぇ、すごいね」「ふうーん、よかったなぁ」「あぁ、そうなんや」

 社員の盛り上がりはイマイチ。高木さんが予想していた反応とはかけ離れていた。

「インターネットになじみのない社員が多かったんでしょうね。ネット販売で上位の売上を獲得することが、いかにすごいことなのか、誰も価値をわかってなかったんです。別にほめてほしいと思っていたわけじゃないけど、なんか、拍子抜けしちゃいました」

 それでも高木さんはめげることはなかった。

「御社の肉まんはおいしいですね。もう他店のものは食べられません!」
「対応が他店に比べとても丁寧で信頼できます」

 商品を買ってくれた顧客から寄せられた感想を読むのが楽しみだった。メルマガも発行していたのだが、「いつも楽しく読んでいます」の感想もうれしかった。一人ひとりの声が仕事へのモチベーションになっていった。

中華レストランの閉店が決定
開発した商品の製造も打ち切ることに
 

 2005年9月。入社5年目を迎えるころには、高木さんが立ち上げた事業は軌道に乗り、これからの展望も見え始めていた。何人かの部下もできスタッフも増え、もう一人ではなかった。

 会社が運営する中華レストランの経営状態が思わしくないことは、以前から伝え聞いていた。店舗のメニューや味についてのレポートを書いてくれと社長に頼まれたこともある。決して味が悪いわけではなかったが、どの店舗も集客力が期待できるような立地ではないのがネックだった。

 そしてある日、ついに中華レストラン全店の閉店が決まった。

 製造ラインを縮小するため、高木さんが手がけていた商品も作れなくなる。なんとか考え直してほしいと社長に詰め寄ったが、徒労に終わった。

 

「私が開発した商品は、たしかに売れてはいましたが、会社にものすごく大きな利益をもたらすほどじゃなかった。結局、この仕事は数字でしか評価されない。だから、あまり強気になれなかったところがあったのは事実です」

 決まったことは仕方がないとしても、腹立たしいのはその後の会社の対応だった。

 ある取引先とは、ギフト商品としての取り扱い契約が済んでおり、カタログの印刷も終わっている。契約がある以上、こちらの都合で簡単にはやめることはできない。重い気持ちで先方に事情を話すと、血相を変えて「今からそちらに行きます!」と電話を切られた。その様子を伝えたとき、社長はのんきにもこう言い放った。

「忙しいから、あさってにしてもらって」

「社長!何を言ってるんですか!? 遠方のお客さまが今から飛んでくると言っているんです! それほど大きなことなんですよ!ウチだけの問題じゃないって、わかってるんですか!?」

 ついに、高木さんはキレた。

「自分たちの都合だけで物事を決定し、取引先にはそれを一方的に通達するだけ。取引先のことを考えないやり方には、本当に腹が立ちました。お客さまあっての商売だという意識が足りない。ものすごく、不信感がわきました」

 転職の二文字が頭をよぎったのは、このときだ。

 高木さんを一層悲しませたのは、インターネットショップの閉鎖を告知したときの顧客の反応だ。

「やめないで!」
「これからはどこで買ったらいいの?」

 どの声も閉店を惜しむ声ばかり。涙があふれて仕方がなかった。

 結局、インターネットショップは閉店するが、今後は個別に注文を受け付けることで落ち着いた。取引先に対しても、契約済みのものに関しては、期間が終了するまで、商品を提供することになった。それが、顧客に対する高木さんの精一杯の誠意だった。

 そんな状況の中、自分自身の今後のことも気になり始めていた。

 製造ラインが縮小すれば、新しい商品開発はほとんどできなくなるだろう。社長は残っているラーメン店に関する仕事をしてほしいと言っていたが、激務が続いたため、高木さんの体は悲鳴を上げていた。ちょっと休んで、また新しい仕事を探そう。心は決まった。

「私の企画力を生かせる会社がほかにあると思います」(※5)

 引き止める社長に高木さんはそう告げ、2005年12月、会社を辞めた。

後編」に続く

 
プロフィール
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大阪府在住の30歳。愛媛県生まれ。短大卒業後、食肉専門商社の企画職を経て、外食チェーン店を経営する会社に入社。新規事業の立ち上げを任され、中華食材の商品を企画・開発。ネット販売も軌道に乗せた。しかし、会社の都合で突然、商品の製造打ち切りが決定。取引先のことをまったく考えない経営姿勢に不信感を抱き、退職した。現在は、通販会社のプランナーとして商品企画を担当。
高木さんの経歴はこちら
 

セントラルキッチン(※1)
レストランチェーン店や学校・病院などの集団給食のために、一カ所で集中して調理する施設のこと。これにより、チェーン店は「どの店に行っても同じ味、同じ品質」を保つことができる。

 

50代半ばの調理師と2人(※2)
仕事を成功させるには、社内に敵を作ってはいけない。そう考えた高木さんは、この調理師とできるだけ仲良くすることを心がけようと決めた。

 

終電で帰ることも多かった(※3)
夕方から商品開発の作業を始めると、終わるのはどうしても深夜になった。当時、高木さんの通勤時間は往復3時間。自宅と会社は距離的にはそれほど離れていないのだが、会社が交通の不便なところにあったので通勤はたいへんだった。

 

写真の勉強までしたくらい(※4)
撮影や画像処理の講座を自ら受講し、以前の仕事で一緒だったカメラマンに見てもらったりした。写真の面白さがわかった今では、趣味のひとつになったという。研究熱心な彼女らしいエピソードだ。

 

「私の企画力を生かせる会社がほかにあると思います」(※5)
「会社のやり方に相当腹が立っていたから、こんなセリフを口にしちゃったんですが、今考えれば、大胆ですよね。でも何もないところから事業を軌道に乗せたことは、私にとって大きな自信になりました」

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