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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第12回 前編 大川由佳子さん(仮名) 25歳/システムエンジニア
悪循環プロジェクトで体はボロボロ ここにいても成長できない──3年目で決意した初めての転職
子供の頃から進学、就職と自分の進路は自分で決める。そんな毅然とした"ブレ"のない人生を送ってきた大川さん。就職も希望通りの情報システム業界へコマを進め、意気揚々と社会人生活をスタートさせた。ところが2年後、思わぬカベにブチ当たってしまったのだ……

 「いったいいつまでこんな生活が続くのだろう」

 2週間かけてクライアントの要望どおりに作ったにも関わらず、ダメ出しを食らったプログラムを書き換えながら、大川さんは朦朧とした頭でそんなことを思っていた。

 昨日の朝から30時間以上会社にいる。顔と頭は洗ったものの、頭の中まではさっぱりというわけにはいかなかった。先週の土曜日も休めなかった。たまには週休二日というヤツを味わってみたい……。

 「いったいいつまで……」

 同じ考えが頭の中をグルグル回る。周りには目の下にクマをつくったうつろな顔でキーボードを叩く同僚たち。その音だけがオフィスに響いている。

 そのときだった。突然、胸の内側を高速でノックされるような激しい動悸を感じた。そして全身から噴出すねっとりとした冷たい汗。

 大川さんは思わずその場に座り込んだ。そして思った。

 もう限界だ───。


父の後姿にあこがれて……
高校時代にSEの道を決意
 

 大川さんの父親はコンピュータ関係の仕事に就いていた関係で、自宅のリビングには子供時代からPCがあった。まだ企業でも「ひとり1台(PC)」にはほど遠い時代だったので、リビングにPCがある家庭はクラスでもごく少数だった。

 やがて自宅でPCに向かって働く父親の姿を見るうちに「なんだか楽しそう」と感じるようになった。そして少しずつPCに興味を持つようになり、高校生を卒業する頃には自分の進路もコンピュータ(IT)関係と決めていた。
 

「親は、私が子供の頃から、ああしなさい、これはダメとか、あまり口やかましく言いませんでした。何でも自分の責任で自分で決めなさい、という感じで。だから進路を自分で決めることは当然だったし、その時期が早いと感じることもなかったんです。ただコンピュータに馴染みやすい環境があったことはラッキーでしたね」

 大学ではプログラミングを勉強、4年生の春にはシステム企業に内定。卒業後はプログラマとして従事する日々が始まった。実際の仕事の中で学べることは多く、いくつかのプロジェクトをこなしながら、知識とスキルを身につけていった。そして2年目に入るころにはクライアントとの打ち合わせや、新人教育といった業務も増えてきて、プログラマの仕事だけやっていれば良いという状況ではなくなってきた。
 

 「新人の育成も大切な仕事だからと上司から言われたときは、別の意味で責任が生じると感じて気が進みませんでした。プログラマとしてのスキルを上げ、はやくSE、プロジェクトリーダーになって上を目指したいのに……。でも自分だけが逃れることはできないと思い直して新人育成に取り組みました」

 そんなとき、あるプロジェクトに加わるよう、上司から通達があった。中身を聞いてみると、キャリアの浅い大川さんでもわかるほどメチャクチャな案件だった。これだけのシステムをこんな少ない人員で4カ月で作れなんて、どう考えても不可能だ。大川さんだけではなく、もちろん現場スタッフは全員でその場でムリだと主張したが、上司は聞き入れてくれなかった。

 さらに上司は、作業スピードを上げるための増員も許可しなかった。増員が即赤字につながるからだ。それほど見積もりも甘かった。

 「誰がこんな無茶な要件定義をしたんだろうって思いました。でも今思えば、会社の中に、ちゃんとした要件定義のできる上流SEはいなかったんですね」

 しかしいちスタッフの大川さんは「これでやれ」といわれればやるしかない。ここから地獄の日々が始まった。

激務の末「合宿」
過労とストレスでとうとう……
 

 「徹夜、泊り込みは当たり前の生活でした。休日も週に1回休めればいい方で……。それでも最初の納期には全然間に合いませんでしたけどね」

 無謀な見積りとその契約を成立させるために、大川さんたち現場のスタッフは切れ目がないほど仕事を詰め込まぜるをえなかった。しかしまだ20代前半のうら若き女性が会社に泊り込みで仕事をすることに抵抗は感じなかったのだろうか。

 「男性もたくさんいましたので確かに最初はためらいがありましたけど、一回泊まったら慣れてしまって。完全に泊まりでやると決めた日はジャージとか持ってきてましたね。みんなで"合宿だー!"とか言って(笑)。仕事がキツいのでせめて気持ちだけは楽にしなきゃってムリヤリテンション上げてたというか(笑)。仮眠室などはないので、限界まできたらサーバ室で電磁波に囲まれながら寝るんです。今考えたらめちゃめちゃ体に悪そうですよね(笑)」

 そんな休みの取れない激務の日々は続いたが、状況はなかなか好転しなかった。納期を過ぎてクライアントからの厳しい催促を受けながら、打開策を講じられない焦り。さらに仕上げたプログラムがイメージに沿わないとリテイクをくらったりもした。最初からやり直しとなる場合もあり、スタッフのテンションを保つことも並大抵のことではなかった。

 2004年夏。納期まであと1カ月と迫った時点でもリリースの見通しのつかないプロジェクト(※1)。大川さんたち担当チームは絶望の色を隠せなかった。そんな彼らに対して上司はこう言った。

 「ムリならムリとどうしてもっと早く言わないんだ」

 大川さんは耳を疑った。次の瞬間、怒りがこみ上げてきた。

 「だからずっとムリだって言ったじゃない!」

 喉の先まで出かかった言葉を必死で飲み込んだ。

 こんな無責任な上司のいる会社にいて、果たして私は成長できるのだろうか……。

ここにいても成長できない
転職の2文字が頭をよぎる
 

 大川さんがそう思うのも無理はなかった。当時大川さんの勤めていた会社は、IT企業としては珍しく年功序列制が強かった。よって能力があっても若いというだけで責任のあるポジションにはつけなかった。逆に仕事ができなくても長く勤めてさえいれば役職がつき、権限も大きくなる。もちろん、そんな無能な上司が起こした判断ミスのしわ寄せはすべて部下に来る。

 「社内で30歳を過ぎてもリーダー未経験という先輩社員を見るうちに『いったい私は何歳になったらマネジャーになれるんだろう? そしてそのとき、ポジションにふさわしい実力はちゃんとついているのだろうか』という不安が徐々に大きくなっていったんです」

 そんな、身体的かつ精神的に強いストレスを受ける毎日を過ごしていたある日、大川さんは身体に異変を感じた。仕事をしている最中に突然激しい動悸に襲われ、全身から汗が噴き出した。かと思ったら次の瞬間、体の芯から寒気を感じ、震えが止まらなかった。

 最初は何が起こったんだろうとパニックに陥りかけたが、こんなことぐらいで作業の手は止められないと平静を装って業務を続けた。続けながら「身体に無理な負荷をかけてきた反動かもしれない」と思った。

 医師の診断は「自律神経失調症」。即、休養を命じられた。しかし納期は目の前。ただでさえ少人数のプロジェクト。ひとりでも欠けたら、絶対に納期に間に合わない。大川さんは2日休んだだけで仕事を継続。いつ襲ってくるかもしれない発作の不安と戦いながら。

 でも仕事って体を壊してまでやるものなのだろうか。このままでは倒れてしまうかもしれない。ウツ病になって業界を去った友人のことも頭をよぎった。

 そして何より、こんな会社にいても成長は見込めない。

 23歳の大川さんの頭の中に「転職」の2文字がちらつき始めた。


転職を意識しはじめた大川さんは情報収集を開始。しかし、すぐには具体的な行動を起こしませんでした。

次回は転職に向かった彼女の心にブレーキをかけたのは何か、そして次のステップに踏み出すためにどんなアクションを起こしたのかに迫ります。
以下「後編」に続く

 
プロフィール
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埼玉県在住の25歳。大学卒業と同時に情報システム系企業にSEとして就職。同社にてシステム開発等いくつかの現場を担当するが、入社2年目には激務がたたって体調を崩す。将来の目標をマネジメント等上流行程と決め、そのためのスキルアップを果たすため転職を決意する。9月に転職。現在は同じく情報システム系企業でSEとして活躍中。某人材紹介会社に出向してシステム開発に従事している。
大川さんの経歴はこちら
 

プロジェクト(※1)
プロジェクトがここまで遅れたのはもうひとつ理由があった。「普通、プロジェクト作業を進行していくために最初に"仕様書"を作るんですが、それが存在しなかった。このときの会社では担当SE自身が把握するスタイルをとっていました。担当者の頭の中にしか"設計図"が無いため、その当人が仕事を休むとプロジェクトそのものが止まってしまうのです。非常に効率が悪いのですが、慣例ということで改善されません」(大川さん)

 
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