キャリア&転職研究室|転職する人びと|第6回・前編 突然の不当解雇が人生を変えた

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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第6回 前編 中野和弘さん(仮名) 33歳/経営コンサルタント
突然の不当解雇が人生を変えた 33歳からのキャリアチェンジ挑戦
ある日突然おまえはクビだと言われたら・・・・・・。中野さんが33歳にしてキャリアチェンジに挑戦しようと決断した裏には、そんなつらすぎる体験があった。
突然の退職勧告
不安と絶望の日々
 
 2002年もあと一カ月を切った12月のある日、中野和弘さん(仮名・当時31歳)はうつろな目で営業車を走らせていた。街は年末特有のきらびやかなイルミネーションに彩られ、街行く人々の目を楽しませていた。

 しかし中野さんの目にはそんな風景は映っていなかった。

 「パッパー!」

 突然後方でクラクションが鳴った。はっとして前方を見ると、信号が青に変わっていた。

 「どうして俺なんだ……」

 ため息とともに車を発進させた。今朝突然居場所を奪われた会社へ戻るために。

 

 「中野、ちょっといいか」

 12月某日、出社してデスクにつくや否や、課長に呼ばれた。

 「応接室で話そう」

 なぜわざわざ応接室で? なんとなくイヤな感じがしたが、ドアを開けソファに座る部長の姿を確認したとき、イヤな予感は確信に変わった。

 

 「中野くんには来年1月20日付で辞めてもらうことになった。会社の決定だ。この件に関して質問は一切受け付けないし、相談にも乗らない。2日後の朝にこの用紙にサインをして提出するように」

 部長から発せられたこの言葉に、頭の中が真っ白になった。それは俺に言っているのか? 用紙には「退職願い」と書かれてあった。

 「私がクビにならなければならない理由を教えてください」

 「質問は一切受け付けないと言ったはずだ。引継ぎさえきちんとやれば、辞めるまで何をしても構わん。以上」

 「退職願い」には「一身上の都合により」と書かれてあった。自己都合に見せかけた不当解雇(※1)だった。

 「どうして俺なんだ」

 この問いだけが果てしなく頭の中をめぐっていた。

「自己都合」で退職
つらすぎる正月休み
 
 当時中野さんは、主に雑誌や書籍用の紙を印刷会社に卸すA社で営業マンとして働いていた。A社に転職して2年半、常に予算を達成していたわけではないが、ほぼルート営業の中、新規開拓で結果を出すなど、会社に貢献してきたという自負はある。仮に予算未達成がクビの原因だとしたら、他の営業マンもみんなクビになってしまう。

 仕事上で大きなミスもなく、当然始末書など書いたことはない。事前通告なども全くなかった。さらに入社以来、無遅刻・無欠勤と、勤怠面でもほめられこそすれ、非難されるような材料は見当たらない。にも関わらず突然の退職勧告。

 「とにかくショックでした。クビになる心当たりが全くなかったので」

   どうしていいか皆目検討がつかなかった中野さんは、とりあえずその日の夕方に区の労働相談窓口に電話をかけた。以前営業車で移動中にラジオから流れてきた人生相談コーナーでその存在を聞いたことがあったからだ。だが、まさか自分自身が当事者になる日が来ようとは……。

 労働相談窓口の職員の回答はそっけないものだった。

 「出るところに出れば勝てるけど、かかる時間、労力、金額の割に、得られる慰謝料は少ないので退職勧告を受け入れた方がいいって言われたんです。要するに『運が悪かったと思ってあきらめろ』ということでした」

 職員の説明に納得したわけではなかったが、温厚な性格の中野さんは会社と徹底的に争う気にもなれなかった。よしんば争って会社に残れたとしても、突然何の説明もなく従業員をクビにするような会社で、その先も働く気にはとてもなれなかった。

 2日後、中野さんは「退職願」にサインした。

 「この年の正月休みほどつらい休みはなかったですね。クビになったショックと将来の不安とで頭がおかしくなりそうでした」

 

 ある日突然会社から「おまえは要らない人間だ」といわれたら……。中野さんの苦悩は想像するに余りある。

 前職の建設機材のリース会社ではひとりで年間2億円以上を売り上げ、全社でトップを取ったこともあった。それが転職したら突然のクビ宣告。

 しかし、このつらすぎる体験が、今後のキャリアの方向性を決定づけることになる。

順調な仕事、良好な人間関係を手放し
経営コンサルタントを目指し転職を決意
 
 解雇された中野さんが次に選んだ転職先は紙の加工会社だった。職種は引き続き営業。転職雑誌で見つけ応募したところ、書類選考、面接ととんとん拍子で進み、退職する前に内定を獲得、ブランクなしで働き始めることができた。

 同じ紙業界ということもあり、違和感なくスタートを切った中野さんはその後も順調に成果を上げた。

 「紙業界の知識と経験があったので、仕事はうまくいってました。人間関係も悪くなかったですし」

 1年後には営業部長付きの営業に。通常の営業業務に加え、拡販企画、数値管理なども担当するようになった。

 さらに仕事の傍ら、中小企業診断士(※2)の資格取得を目指して勉強していた。そもそものきっかけは一回目の転職活動で味わった苦渋にあった。年間2億円以上も売り上げて年間営業マントップの座に就いた実績があるにも関わらず、転職先が決まるまで4カ月も要した。だから実績の裏づけとして資格を取ろうと思ったのだ。

 しかし、勉強を続けるうちに、身に付けた知識を中小企業の経営コンサルティングのために使いたいという欲求が高じてきた。

 その動機の根本には前職を突然解雇されたあの忌まわしい記憶があった。

 「突然理由もなしに従業員を解雇するような企業はあってはならない、でも同時に、もしあの会社の経営がうまくいっていたら、突然自分がクビを切られることはなかったんじゃないかと思うようになったんです」

 自分自身、もう二度とあんな思いはゴメンだし、他人にもあのときのような絶望を味わってもらいたくない。そのために、今勉強していることを役立てたい。その欲求が最高潮になった2004年11月、中野さんは転職を決意した。経営コンサルタントを目指して。

 
 


転職した先では仕事も順調、人間関係も良好だったにも関わらず、経営コンサルタントを目指して転職を決意した中野さん。だがやはり、33歳からのキャリアチェンジへの挑戦は困難を極めた──。
以下次号「後編」に続く

 
プロフィール
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東京都出身の33歳。大学卒業後、建築機材のリース会社(約5年半)→印刷用紙の卸会社(約2年半)→紙加工会社(約2年)で営業職を経験。今年3月から会計業務と経営コンサルタントを行う会社に転職。業務の傍ら、ファイナンシャルプランナーと中小企業診断士の資格取得を目指して勉強中
中野さんの経歴はこちら
 

※1 不当解雇
「戒告などの事前通告もなく、解雇理由なしに突然解雇することはもちろん、本来は解雇であるにも関わらず、自主退職に見せかけ、無理矢理サインさせるのも違法行為。もし突然解雇を言い渡された場合、相談窓口として挙げられるのは次の3つです。

1.ADR JAPAN
裁判外紛争解決・消費者相談から仲裁機関まで、さまざまな分野の紛争処理機関の総合窓口

2.最寄の社労士事務所に相談
相談、書類作成、事務手続きにかかる費用は5〜10万円ほど

3.労働基準監督署に相談
対応はしてくれるが、裁判沙汰になるなど、ことが大きくなる可能性大」
(取材協力:経営労務管理センター南雲事務所代表 社会保険労務士・キャリアコンサルタント 南雲高志氏)

このほかにも日本労働弁護団、労政事務所、連合ユニオン東京なども相談に乗ってくれます(編集部)

 

※2 中小企業診断士
日本における経営コンサルタントとしての唯一の国家資格。経営に関する幅広い知識とコンサルタントとしての思考プロセス、応用力が試される。一次試験と二次試験があり、合格率18%の狭き門。
「資格の参考書を読むと、今まで営業の仕事として意識的に行動してきたことが理論として書かれてあったので今後の仕事にも役立つかもしれないと思い、飛びつきました」(中野さん)

 
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