高校進学後はいじめっ子たちとは別れたので、いじめからは解放されました。いい友達にも恵まれて、安心感のある毎日、新しい人生が始まったって感じでした。
当時好きな女の子がいて、その子が「須藤君のしゃべり方って長渕剛に似てるね」と言ったんです。僕は長渕のことは知らなかったんですが、その子が好きだったので、長渕のコンサートに行こうよと誘って、一緒に行ったんですよ。それが生まれて初めて観たコンサートだったんですが、長渕のギターとハーモニカのコンサートに感動しちゃって。その翌日、楽器店に行ってギターを買ったんですよ。
そこから好きな女の子のための作詞作曲活動に夢中になっていくわけです。恥ずかしいですよねえ、ほんとに(笑)。友達とふたりで「根性フォークの会」というデュオを結成して文化祭などで長渕の曲やオリジナルの曲を2人で歌ってました。
結構人気で、特に後輩の女の子からは騒がれましたね。中学時代はいじめられてたから、人から認められるってことがよけいうれしくてね。いじめられないだけで十分なのに、ちやほやされて夢のような毎日でした。それまで虐げられた人生が一変していきなりスポットライトが当たって、はじけちゃったんですよね。でも肝心のギターを始めるきっかけとなった好きな子には全然相手にされなくて、ずっと片思いだったんですけどね(笑)。
一方で、まだ第一企画に入って「宇宙戦艦ヤマト」の続編を作るという夢は持ち続けていたので、引き続きストーリーを考えていました。その頃「さらば宇宙戦艦ヤマト」など、続編が劇場公開されていたので、早く俺もやりたい、みたいな。時代は「機動戦士ガンダム」に移り変わりつつあったんですが、僕は浮気をせずにヤマト一筋でした(笑)。
こんな感じで、高校時代は、放課後は教室でバンドの練習、家に帰れば作詞か作曲か宇宙戦艦ヤマトの続編づくりに明け暮れてたので、勉強なんて全くしなかったですね。当然成績は最悪で偏差値は30台。でも親は一言も勉強しろとは言わなかったですね。両方とも教育関係者なんですけどね。
だから当然、高3になって大学受験してもどこにも受かりませんでした。正直、友達がどんどん受かっていく中で、誰も聞いたことがないような5流大学にすら落ちた時はかなりへこみましたね。「俺、ほんとに行くとこない、やばい」みたいな。卒業後は認めてくれる後輩とか友達もいないわけですから、ひとりぼっちになることへの不安を感じてました。また、あまりにも偏差値が低すぎたので、来年もどこも受からなかったらどうしようという恐怖感もありました。暗かった中学時代からせっかく急上昇したのに、高校卒業したらまたドーンと落ちたわけです(笑)。
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