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魂の仕事人 第38回 其の六
自殺対策に人生を懸ける 行動する僧侶の仕事魂
日本の年間自殺者数は11年連続で3万人を突破した。100年に1度といわれる苛烈な不況の影響で、今後も自殺者の増加が懸念されている。そんな厳しい状況の中、自殺対策に人生を懸けている男がいる。安楽寺副住職・藤澤克己47歳。2006年、長年勤めたIT企業から自殺対策の世界へ「転職」し、翌年「自殺対策に取り組む僧侶の会」を立ち上げた。今回は苦しんでいる人のために率先して行動する僧侶に、自殺という“いのち”の問題に向き合うことの意義を聞いた。  
「自殺対策に取り組む僧侶の会」代表 安楽寺副住職 藤澤克己
 

多岐にわたる活動

 

現在の私の仕事の立場・役割は大きくわけて4つあります。 1つ目は実家である浄土真宗本願寺派安楽寺の副住職。でも副住職としてお寺の仕事はあまりできていないんですがね(笑)。というのは、お寺の外に出て、 自殺対策に関わることにほとんどの時間を費やしているからなんです。

2つ目は、ここ最近のメインの仕事なのですが、「NPO法人自殺対策支援センター ライフリンク」(※1)(以下ライフリンク)の事務局の仕事です。ライフリンクとは日本の自殺対策 の現場のつなぎ役と推進役であるNPO法人です。 自死(自殺)遺族支援を行っている団体や自殺防止の相談機関など、自殺対策に取り組んでいるたくさんの団体が連携するように働きかけたり、国や社会に対して自殺対策に関する具体的な提言をしていくなど、自殺対策のためのフレームワークを築いていくことが主な活動内容です。その事務局スタッフとして裏方の運営事務全般を主に担当しています。

3つ目は自殺念慮者のための電話相談員です。「NPO法人国際ビフレンダーズ東京自殺防止センター」(※2)(以下ビフレンダーズ)を含む2団体で、1カ月に5回、1回につき3〜4時間ほど、自殺したいと思うほど悩み苦しんでいる人からの相談に耳を傾けています(※3)。もちろん無給のボランティアです。

そして、4つ目は「自殺対策に取り組む僧侶の会」(※4)の代表としての活動です。ライフリンクやビフレンダーズ の活動を通じて、自死遺族や死にたいと電話をかけてくる人たちの生の声を聴いて気付かされたことがありました。そういった “気付き”を私だけのものにするんじゃなくて、より多くの人と共有したい、知ってもらいたい、さらに僧侶だからこそできることがあるんじゃないかと思って、2007年1月から自殺対策に関心を持っていた知り合いの僧侶2名と頻繁に連絡を取り合うようにしました。

一人じゃできないけれど有志で集まればやれることが色々あるんじゃないかと話が盛り上がり、よしグループを立ち上げようということになったんです。それから、主に私の個人的なチャネルを通じて徐々に有志を募り、2007年5月に私のお寺に集まったのが「自殺対策に取り組む僧侶の会」の初期メンバー11名です。

現在は浄土真宗、 曹洞宗、日蓮宗、浄土宗、臨済宗、真言宗の6宗派、総勢25人ほどの僧侶が集まってくれています。メンバーは徐々に増えていますが、まだまだ少ないと思っているんですけどね。

主な活動は、 自死に関する悩みを手紙で受け付ける「自死の問い・お坊さんとの往復書簡」です。現在は月に50通ほど届いており、通算では750通を越えました。(2009年4月6日現在)また、自死遺族支援として、2007年から自死者の追悼法要を、年に1度だけですが開催していますし、自死遺族の分かち合いの会を、もう少ししたら毎月開催するようにしたいと思っています。

※1 NPO法人自殺対策支援センター ライフリンク──自殺対策という「生きる支援」「いのちへの支援」に取り組んでいるNPO法人。「自殺対策基本法」の成立(2006年)において中心的な役割を果たした。「新しいつながりが、新しい解決力を生む。」がモットー。Webサイトはこちら

※2 NPO法人国際ビフレンダーズ東京自殺防止センター──自殺を考えている人々、苦悩状態にある人々に感情面での支えを提供することを目的としたボランティア団体。深夜の電話相談を中心に、自殺したいほどのつらさや苦しみを安心して訴えられる場を提供している。電話番号03(5286)9090(毎日午後8時〜午前6時。毎週火曜日は夕方5時から受付開始)Webサイトはこちら

※3 「自殺したいと思うほど苦しんでいる人の話を聞いています」──ビフレンダーズの電話相談は主に夜から深夜、明け方に行われている。インタビューした日も早朝まで電話相談を行っており、ほぼ徹夜状態だった。

※4 自殺対策に取り組む僧侶の会──自殺(自死)対策に取り組むことで「一人ひとりが生き生きと暮らし、安心して悩むことのできる社会づくり」を目指している。自死者追悼法要「いのちの日 いのちの時間」や「自死の問い・お坊さんとの往復書簡」という手紙相談が主な活動。手紙のあて先は、〒108‐0073東京都港区三田4-8-20 往復書簡事務局。メールでの問い合わせ先はbouz@mbe.nifty.com。Webサイトはこちら

複数の団体での活動に加え、自らも「自殺対策に取り組む僧侶の会」を立ち上げ、僧侶としてまさに寸暇を惜しんで奔走している藤澤氏。そのルーツは子どもの頃の体験にあった。

お寺が嫌だった子ども時代
 

現在、安楽寺の住職は私の父で、私は副住職を務めていますが、元々はお寺の子として生まれたわけじゃないんです。私は1961年、神奈川県で生まれたのですが、当時父は小学校の教師でした。港区にある安楽寺は母の実家なんです。私が小学校1年生のときに父が跡取りとして安楽寺を継ぐことになって、その時からお寺での生活が始まったんです。

子どもの頃は特になりたい職業はなかったのですが、ただ、とにかくお寺は継ぎたくなかったですね(笑)。お寺に生まれた子 どもは十中八、九は継ぎたくないと思ってるんじゃないでしょうか。「葬式仏教」にイメージされるように、お寺は人の死にまつわることを生業としていて、なんか嫌な感じがしましたから。中学、高校の頃はお寺に住んでるということ自体が嫌でした。

「恩返し」ができる職業に憧れる
 

きれい事だと聞こえるかもしれませんが、小学校の頃から、将来、 人や社会に恩返しできる仕事がしたいと思っていました。熱帯の風土病に苦しむアフリカの人たちを救うために一生を捧げたシュバイツァー博士の伝記を読んで感動し、影響を受けた気がします。若い頃には好きなことに没頭し、30歳くらいになったら人の役に立つ仕事に従事する、っていう生き方に憧れたのかもしれません。

当時、一所懸命頑張って も勉強のできない子がいたりする一方で、私は大した努力をしなくても勉強も運動もそこそこできたので、恵まれているなと自分でも思っていました。ラッキーだなと。でも、そのラッキーに甘んじることに抵抗があったのです。

それを当たり前のことだと思って努力しないと、そのうちバチが当たるんじゃないか、とビクついていたんです。自分だけいい思いをするのが当たり前だとおごり高ぶってちゃいけないと、自分のことを律していたと思うんですよね。それはお寺で育ったからというわけではなくて、小学校5・6年の担任の先生の影響が大きいですね。先生がとても厳しく指導してくださって、 常に自分に厳しくしなきゃいけないということを徹底的に覚えこませてくれたんです。 私の名前の「克己」っていうのは、「己に克つ」という意味で、そうして自分を律することに気付かされたんです。

それで将来はまずは学校の先生になりたいなと。中高生になると、多くの人にいい影響を与えられたり、自分の思いを伝えられる作家やマスコミ関係の仕事に就きたいとなんとなく思っていたんです。

高校3年生のときは同時通訳者になりたいという夢も芽生えてきました。当時、英語はできなかったけど好きでした。直接のきっかけは、同時通訳の第一人者が書いた本を読んで、同時通訳者ってすばらしいと思ったことです。同時通訳者はただ単に言語を翻訳するだけじゃなくて、バックグラウンドには両方の国の文化、政治、経済など、いろんなことを理解した上でないとできないある種の芸術なんですよ。そういった芸術的な国際社会の懸け橋になりたいと思ったわけです。

早稲田大学に進学
 

進路選択の時期には、経済学部に入って英語を学ぶか、英語系の学部に入って経済を学ぶかどちらかにしようと、とりあえず文系の大学に進もうと思いました。

でも私自身では、思考回路は理系だと思いますね。理数系の科目や機械 いじりも好きだったし、国語は苦手でしたしね。それでも理系に進まなかったのは、 何かを極めたいという志向がなかったからです。理 系の大学を志望するときに、工学とか化学とか物理など、専門分野を決めないといけないわけですが、それができなかった。広く浅く知りたいと思っていましたから。

それで結局、 経済は独学で勉強すればいいやと思い、早稲田大学の第一文学部に入学しました。というか、そこしか合格しなかったんですけどね。第一文学部では、2年生から専門を決めなくちゃいけないんですが、英語を学ぶというのでなく人文専修っていうコース を選びました。文学部にある科目を何でもいいから取っていいという自由コースです。これを極めようと思う科目が決められなかったから興味本位の履修選びでした。

一応の枠組みとしては哲学科でした。 社会学も履修しました。好きな科目をつまみ食いしたようなものなので、専門的に勉強した科目というのはこれといってないですね。

サークルは、英語を使って国際的な懸け橋のような仕事をしたいなあと 思っていたので、英会話サークルに入りました。大学三年生が終わってから1年間休学し、アメリカに語学留学しました。でも同時通訳者になるほどの英語力を身につけるのは無理だと思ったことと、語学を専門的に扱う仕事への興味が薄れていったので、その道は断念しました。

お寺を継ぐことを決意
 

就職活動を始めたころに、より真剣に自分の将来について考えました。それまではお寺を継ぐのは嫌だと思っていたわけですが、どうして自分はお寺を継ぐことを拒絶しているのかなと改めて自分に問うてみたんです。

中高生の頃からやりたいと思っていた、人や社会をよりよくしようとする仕事は、お寺を継いで住職になってもできる可能性があるなと思いました。

そもそもお寺の住職になりたいと思ってもなれない人はたくさんいます。でも私はお寺に育ったわけだから、なりたいと言いさえすればなれる。論理的に考えると僧侶になることを拒絶する理由が見つからないし、お寺で育ててもらった縁がある。だから、好き・嫌いという感情だけで頑なに拒絶するのではなくて、継ぐというのも 必然だろうなと受け止めたんでしょうね。それで将来的にはお寺を継いで住職になろうと決心したわけです。

実家の安楽寺を継ぐことを決意したが、すぐにお寺に入るのは嫌だった。仏教界のことしかわからないのでは本当に人の役には立てないと思ったからだった。そこで、まずは実社会で経験を積もうと就職活動を 展開した。

IT企業のシステムエンジニアに
 

どんな会社に就職しようかなと考えたところ、自分たちの生活に大きな影響を及ぼすであろうIT業界で働きたいと思いました。当時はコンピューター業界って言ってましたけどね。

今の私たちの生活で コンピューターが関与していないものはないと言っても過言ではないほど、コンピューターが浸透してきていますよね。インターネットはもちろんのこと、一般企業でも病院などの医療機関でも大学などの教育機関でもあらゆる業界、業種はコンピューターのシステムで動いています。当時はまだ今ほど急激にIT化は進んでいませんでしたが、将来必ずそうなるだろうと思い、システムエンジニア(SE)を志したわけです。

IT業界のことをいろいろ研究したところ、下請けでなく元請けの仕事をするシステムインテグレーターの会社が良いと思い、入社しました。職種は、顧客先に出向いてソリューションを提案する営業 SEというのを目指すことにしました。営業に同行して、お客様のニーズを聞いて提案し、システム開発に繋げる役回りです。 それというのも私は昔から現場主義だったので、現場を知るエンジニアになりたかったからです。SEというと、お高く止まっていて自分ではプログラムを作れない人もいるんですが、私はそれじゃ物足りないと思ったので、自分でプログラムを書く仕事に首を突っ込みました。それからプロジェクトリーダー、プロジェクトマネージャーといった役目を任されるようになり、またラインマネージャー、つまり管理職も経験するようになったんです。

ハートのあるプロジェクトマネージャー
 

いろいろな仕事の中でもPM、つまりプロジェクトマネージャーの経験が私の人生の中でとても役に立ちました。単なるSEってどこまでいってもシステム構築をするだけなのですが、PMはプロジェクトメンバーを束ねて、予算やスケジュールを管理して、品質を確保しつつ納期までに システムを仕上げるのが職務なんです。単なる一兵卒と違い、 総合プロデューサーのようなものです。これがやってみないとわかんない世界で、簡単にはいかないんですよね。

今から振り返ると、私は教科書どおりのPMでなく、破天荒な感じのPMでした。プロジェクトを推進するために私とペアになった営業がすごく優秀 で、彼と切磋琢磨しながら、PMとしてのスキルをアップさせていきました。普通のPMよりもハートのあるPMだったと思います(笑)。

例えばあるプロジェクトを引き受けたときは、納期がきつくて、 メンバーを フル稼働させないととても間に合わない。そこで何をしたかというと、ただメンバーに頑張れというだけじゃなく、改めてプロジェクトのゴールの重要性や意義を説明し、達成できたときにどんなに胸を張れるかということを伝えました。

ひとつのプロジェクトを成功に導くためには、みんなで一体感をもって仕事を進めることが大切なんですよ。例えば問題を抱えているプログラマの相談に乗ったりしながら一緒になって解決するようにしていました。

また、メンバーにカゼを引かせないように、営業と相談して予算を確保して、遅くなったときの宿の確保や夜食の差し入れをしました。さらに、うがい薬と専用のコップをトイレに置いたり、みかんをダンボール箱で買ってきてプロジェクトルームの談話コーナーに置く、なんてことまでしたんです。

それから、メンバーがプロジェクトルームから帰った後に残り、明朝の湿気を保つために、深夜に床にやかんで水をまいたりもしました。加湿器だけじゃ足りないから。そのおかげで社内でインフルエンザが大流行したときでも私のプロジェクトチームのメンバーはひとりも倒れなかった。

こんな感じで、プロジェクトの成功のために、目先の進行管理うんぬんではなく、メンバーの体調管理を含めて、本気で働ける環境作り、動機付けといった根本的なことをしっかりやるというマネジメントをしてました。こういうことがIT業界のサラリーマン時代、私のスキルとしては非常に強みとなったし、辞めてからも大いに役に立っていると思います。

31歳で僧侶の資格を得る
 
得道時の写真(写真提供:藤澤氏 ※クリックで拡大)

将来的には僧侶になってお寺を継ぐことは決めていましたので、入社して10年経ったころに僧侶の資格を取ることにしました。

そのためには「得道」という修業を経なければなりません。大抵お寺の子どもは高校生や大学生のときに得道をするわけですが、私は1992年、31歳のときに1年間会社を休職して得道しました。僧侶になる修業は半端にはできないので、会社に1年間休職させてほしい、それができないんだったら辞めると直訴したところ、当時、会社には休職規定はなかったのですが、わざわざ私のために規定を作って1年間休ませてくれたんです。

まずは築地本願寺の中にある東京仏教学院という浄土真宗の仏教学校に1年間通って、仏教の歴史やお経の読み方 、浄土真宗の法話の仕方など、僧侶としての一通りの作法を学びました。それから、途中で京都の西山別院というお寺で3週間の修業生活に入り、 得道という儀式をしてもらえて、晴れて僧侶の資格を取得できたわけです。

藤澤氏が勤めていたのは、IT業界の中でも屈指の業績を上げている優良企業。その中で40代に入る頃には事業部長にまで昇進、将来は経営者にという話もあった。

「やりがい探し」で自殺問題の世界へ
 

2005年頃、住職である父が70代後半に差し掛かり、そろそろ世代交代してほしいという話が出てきました。私としてもサラリーマンを定年まで勤め終えてからお寺の世界に入っても時間的にできることは限られてしまう ので、お寺の世界に入るのはなるべく早い方がいいだろうと思い、「そろそろかな」と近いうちに辞めることを決意しました。

確かに未練というか物足りなさは感じていました。実家のお寺に入ってしまったら、主な仕事はお檀家さん、浄土真宗ではご門徒さんといいますが、 ご門徒さんのための法事が中心になってしまいます。もちろんそれも大切な仕事なのですが、せっかくやりがいのあるチャレンジングな仕事を 辞めるのであれば、それだけだと物足りないと、生意気ながら思っていたんです。

それで僧侶としてできることは他にないかなと考えていたときに、 6〜7年連続で自殺者数が3万人を突破したというニュースが目に飛び込んできました。そして、当時から自殺は大きな社会問題になっていましたが、仏教界ではほとんど関わりをもっていなかったのではないかと思いました。

そのとき、生き死にの問題に関わるのは僧侶の本分たる仕事なのに、なぜ仏教界は自殺の問題を扱っていないんだろうと直感的に思ったんです。それで自殺問題のことをもっと知ろうと 思ったわけです。

そこで頭をもたげたのが元来の「現場主義」。そもそも机に座って指示・命令することや、教学的な 話があまり好きじゃないんですよね。結局、実際のところは現場に行ってみないとわからない。ITの仕事でもトラブルがあったときには真っ先に現場に駆けつけていましたから。

当時、自殺の問題はカウンセラーや臨床心理士の資格をもってないと扱えないと思い込んでいましたが、いろいろ調べたところ、自殺念慮者の相談に対応する電話相談員という活動の存在を知りました。資格不要で、一定期間の研修を受けてある程度のスキルが身についたと認められたら電話相談員になれるというシステムです。「これだ!」と思って、早速、民間の電話相談機関の研修に申し込みました。それは、まだ会社に在籍中の2005年の春先くらいのこと。その頃から、研修が始まったんです。

この時点から自殺問題に関わり始めたのですが、そもそものきっかけは、自分のやりがい探しから始まった、ということなんです。

 

電話相談員の研修に加え、日本の自殺対策を語る上で絶対に外せない団体との出会いで藤澤氏の運命は大きく変わっていく──。

次回は自殺対策に携わり始めた経緯と自殺問題の現状に迫ります。乞う、ご期待!


 
第1回2009.4.6リリース IT企業の敏腕サラリーマンから 自殺対策に取り組む僧侶に転職
第2回2009.4.13リリース 自殺防止の電話相談員として 苦しむ人に寄り添う
第3回2009.4.20リリース 活動を通して得た大きな気付き 「救ってやる」は間違いだった
第4回2009.4.27リリース 安心して悩める社会を目指して「僧侶の会」設立
第5回2009.5.4リリース 仕事は社会の中での役割 生き甲斐とは違う

プロフィール

ふじさわ かつみ

1961年神奈川県出身。安楽寺副住職。
早稲田大学卒業後、IT企業に就職。21年間に及ぶサラリーマン生活を経て、NPO法人自殺対策支援センターライフリンクの活動に従事。また、NPO法人国際ビフレンダーズ東京自殺防止センターの電話相談員としても、自殺したいほどつらい思いを抱える相談者の気持ちに寄り添う活動を行っている。2007年5月、「安心して悩むことのできる社会の実現」を標榜し、「自殺対策に取り組む僧侶の会」を立ち上げ、代表に就任。自死に関する悩みを手紙で受け付ける「自死の問い・お坊さんとの往復書簡」や、自死遺族のための追悼法要などを開催している。浄土真宗本願寺派東京教区自死問題専門委員として仏教界への啓発、提言も積極的に行っている。

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