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魂の仕事人   photo
魂の仕事人 第34回 其の二
事件以後は地獄の日々 でも自分の人生に負けたくない 泣きながらでも前へ
日本に来て29年。やりがいのある仕事を見つけ、結婚し、ふたりの娘に恵まれた。そんな幸せな日々がひとりの男によってある日突然奪われた。犯行の動機は「日頃のうっぷんを晴らすため」。こんな身勝手な動機でふたりの尊い命を奪っておきながら、犯人は無期懲役にしかならなかった。この信じられない判決がストッキ氏を全国行脚の旅へと向かわせた。  
終身刑設立を目指し全国行脚 ストッキ・アルベルト
 

剣道の修業のため、19歳で来日

 

 私が初めて日本に来たのは19歳のときです。今、53歳ですが、当初はまさかこれほど長く日本にいるとは思ってもみませんでした。最初は1年だけの予定だったんです。

 そもそもの来日理由は剣道の修行のためです。でも元々は柔道をやっていたんです。私は子供の頃、小児麻痺で片足が不自由で、よく友達にいじめられたんです。でも抵抗できなかった。そこでいじめっ子と戦うために、中学生のときに柔道を学び始めたんです。すると段々強くなって友達にも勝てるようになった。あいつは強いと思われて、いじめられなくなりました。

 そこで今度は同じ武道である剣道に興味を持って、18歳から学び始めました。剣道は奥が深く、剣道の本場の日本で修業したいと思うようになり1975年、19歳のときに日本の大学に留学しました。

 大学の剣道部に入部して修業していたのですが、やればやるほど剣道の奥深い魅力に取り付かれました。学び足りない、もっともっと学びたいという気持ちですね。それで大学卒業後も剣道の修行を続けたいと思い、日本に残ることにしました。

家族旅行に出かけたときの思い出の写真

 そのためには仕事をもたなければなりません。いろいろと探したところ、宮崎県の高校が語学教師の募集をしていたので、教員免許を取得して試験を受けて採用になりました。それで1980年、25歳のとき、京都から宮崎に移住したんです。そのほかにも個人的に語学教室を開いて、幼稚園児から大人まで、英語やドイツ語やイタリア語を教えていました。そこで公子さんと出会い、28歳のときに結婚したんです。1983年12月22日に長女の美由紀が生まれ、1992年の2月26日には次女の友理恵が生まれました。家族はみんな仲良しで、よくいろんなところへ旅行にいきました。一家4人、とても幸せな日々でした。2004年5月27日の夜、放火されるまでは……。

無期懲役では軽すぎる
 

 日本には終身刑がないから、重い罪を犯したら、死刑か無期懲役。この差は大きすぎる。妻や娘の死に方わかりますか? 一番おそろしい死に方ですよ。私は、妻と娘を焼き殺した犯人の死刑を望んでいます。なぜなら犯人に二度と社会に出てきてほしくないから。無期懲役はいつか社会に出てきます(※1)。間違った死刑は反対ですよ。でも今の日本の法律で犯人を二度と社会に出てこられないようにするのは死刑しかないんです。裁判所は犯人を死刑にすると思っていました。私は裁判長に言いました。犯人を二度と刑務所から出られないような判決を出してくださいと。でも無期懲役になってしまった。

 私の家に火をつけて、家内と娘を殺した犯人は、それ以前にも刑務所を出たり入ったりしています。なぜ8回も刑務所に入ってなぜまた犯行に及ぶのか。刑務所が全く機能していない。

 また私の家を放火した後も、何軒も放火してます。犯人は法廷では私の家内と娘が死ぬとは思わなかったって言っていますが、獄中から私に送ってきた手紙には、私たちが放火によって死んでもかまわないと思っていたと書かれてあります。また、その手紙には放火をしたことを反省していると書いてありますが、人が亡くなったとわかってて、次も放火をやってるってことは反省してなかったってことですよね。だから法廷で自分の言ってることは嘘ですって言ってるのと同じじゃないですか。それでも裁判では死刑にはならない。

犯人からストッキ氏に送られてきた手紙

 また、犯行の動機を、仕事がうまくいってなかったから、借金もあってむしゃくしゃしてたから、精神不安だったからと語りました。そんな身勝手な動機なのに無期懲役で許される。冗談じゃない。アブノーマルだったから、普通じゃなかったから。それは当たり前でしょう。人を殺す精神状態が普通であるわけがない。そしたらいつが犯人の普通状態なの? それは弁護側も考えてほしいね。

 犯人は殺すとき、殺した後も何も感じていない。反省していない。許すべきじゃないと思います。

※1 無期懲役はいつか社会に出てきます───無期懲役といっても全員が死ぬまで刑務所の中で過ごすというわけではなく、服役期間が10年を超えると「仮釈放」の可能性が生まれる。とはいえ、近年では服役年数は長期化の傾向にあり、平成18年の平均服役年数は25年1カ月(無期懲役服役囚3人の平均)。さらに仮釈放者数も年々減少傾向にある(法務省調べ)。よって、巷に流布している「無期懲役になっても10年もすれば出所できる」という認識は間違い。しかし、社会復帰してくる可能性もあるので、死刑との差が大きすぎるという声も以前高い。政治の世界でも、2008年5月には超党派による新たな議員連盟「裁判員制度の導入の中で量刑制度(死刑と無期懲役のギャップ)を考える会」(仮称)が発足。仮釈放のない終身刑として「重無期刑」を導入しようとする動きが始まった。

全国行脚開始
 

 自分の身勝手な欲望を満たすために人を殺した犯罪者をなぜ生かさなければならないのか。なぜもう一回社会に出さなければならないのか。私にはいまだに理解できません。

 私は裁判のとき、最初から、検察に犯人を死刑にしてほしいとは言いませんでした。それは私のミスかもしれない。だから、その代わりに何かをしたかった。一度判決が確定してしまった以上、もう犯人を死刑にすることは不可能です。だけどこれから先のことを考えて、また、私たちと同じような思いをしている犯罪被害者のために、日本に終身刑を成立させたいと強く思うようになりました。私の家を放火して妻と娘を殺した犯人を含め、犯罪者たちは責任をとって、刑務所の中で死ぬまで反省してもらいたいのです。

 許すことも大事だという人もいますが、すべてを許すことはできません。それは無理です。でも犯人が心の底から反省してるのがわかれば、少しは許してもいいかなとは思います。しかし犯人が反省しているとは到底思えません。こんな状態で仮釈放されたらまた同じことをしますよ。だから一生、刑務所の中で反省してもらいたい。

 それで無期懲役が確定した2週間後の2005年7月14日から、仮釈放のない終身刑の創設を目指し、日本全国をバイクで回って署名活動を始めたんです。判決から14日以内に控訴できなかったから、その期間が終わってすぐにスタートしたわけです。47都道府県、すべて回ってます。ひとつでも外したら全国とはいえないから。

 判決が出たらこういう活動を始めようとずっと思っていました。どういう判決が出ても、たとえ死刑判決が出たとしても、日本には終身刑が必要だと思ったから、やろうと思っていました。

 確かにあの事件以来、毎日地獄で、今も同じだけど、負けたくないからね、人生に。こういう事件に巻き込まれて、どうしようもない、やむを得ない、しょうがない、そうは思いたくない。人生を投げ出したくない。自分にできることがあるなら、まだ望みを残してあるならば、それに懸けようと思った。

1周では終わらなかった
 

 でも、当初はバイクで全国を回るのは、1周だけにしようと思っていたんです。でも苦しんでいるのは私たちだけではない。多くの犯罪被害者は泣き寝入りせざるをえない。活動を続けていくうちに、他の犯罪被害者のためにも続けなきゃと思うようになったんです。これまで全国3周回って、今も各地に出かけています。これまで走破した距離は約16万5000キロです。

 1周目は全国の皆さんに呼びかけるため。私たちの事件を知ってもらいたかった。なぜ何度も同じ罪を犯して、放火によって人を二人も殺しているのに無期懲役にしかならないのかということを訴えたかった。でも市民のみなさんに訴えるだけじゃなくて、法律をつくらないとダメだということが段々わかってきて、2周目は各県知事、市長さんを訪ねて、終身刑の必要性を呼びかけました。3度目は各都道府県の自民党、公明党、民主党の本部へ行って、終身刑の設立をお願いしました。法律を作るのは政治家だから、政治家を回ったわけです。

 現在、4度目の主な目的は講演会です。全国をしらみつぶしに回るのではなく、講演の依頼があったところに出かけていくという感じです。学校やいろんな市民団体などからの依頼が増えています。また、マスコミからの取材も増えました。

 最初はマスコミに全く相手にしてもらえなかったんですよ。でも今は新聞やテレビなど、多くのマスコミに取材に来てもらえます。発言の機会が増えてきました。集まった署名も9万5000人を超えました。4年間に渡り訴え続けてきた、活動してきたかいがあったと思っています。でも私たちの戦いはまだまだこれから。道のりは遠いからね。予想もつかないほど。

マスコミに取り上げられる機会も増えている

泣きながら走っている
 

 全国各地を回るためにバイクを使っている一番大きい理由は、殺された次女の友理恵がバイクが大好きだったから。小さい頃は友理恵も美由紀(長女)もバイクに乗せて宮崎から関西まで何回も来ていたんです。

 日曜日に教会に行くときに友理恵ちゃんは雨が降ってもバイクで行きたいと言ってた。だからバイクに乗っているときに、後に友理恵ちゃんがいるなあと感じることがあります。しかし深く考えたら涙出るんですよ。そうしたら途中でバイクを止めないといけない。1回涙が出始めたら止まらないんですよ。ひどいときは30分も涙が止まらない。顔が真っ赤になってしまう。警察には飲酒運転と思われてしまう。だから涙が収まるまで待って、よし、また出発と、バイクを走らせます。

ストッキ氏はこのバイクで全国を回っている

放火犯がストッキ氏から奪ったのは愛する妻と娘の命だけではない。家、財産、そしてやりがいを感じていた仕事や長女の夢までもがたった一晩で失われてしまった。与えられたものはただひとつ、絶望。それでも気力を振り絞って前に進み続けたが、収入が絶たれた状況での活動の継続は困難を極めている。

仕事までもが奪われた

 今はほとんど仕事はしていません。したくてもできないんです。放火される前は、高校で英語を教えていました。仕事をしなければ生きていけないから、学校に教師として復帰させてほしいとお願いに行きました。でも受け入れられなかった。学校の理事長には、「教壇に立ってかわいい子供たちを見ると、亡くなった子供のことを思い出して、教えることができないのではないか。もう少し時間が経ってからの方がいいのではないか」と何度も言われました。とりあえず連絡先だけ教えてくださいと言われ、それっきり。事件のことを伏せて応募した教師の採用試験も結果はいつも同じ。不採用。雇ってもらえない。

 あの当時は理事長のいうとおり、確かにすぐに復帰するのは無理だったかもしれない。ひどいPTSDだったから。でも1年後、再びお願いにいったけど、無理だった。

 まるで犯罪者みたいになってしまいましたね。被害者なのに。長女も精神的にひどいショックを受けて大学進学どころではなくなりました。そういう夢が一晩でバン!……なくなってしまいました。

 だから仕事もできない。どうやって生活する? 銀行強盗でもしましょうか。だって犯罪者は許されるでしょう? むしゃくしゃしてたからやった、でも許される。おかしいですよね。

 私はもうひとつ仕事をもっています。建築材、主にタイルの輸入の仕事で、15年前、平成5年8月15日に会社を設立しました。設立してしばらくは景気もよかったので、順調でした。

 将来はこの建築材の輸入業だけをやろうと思っていましたが、心の中に不安もありました。収入源がひとつだけだったら、それがダメになったらどうやって家族を養う? だから学校の教師をキープしながら、両方やっていました。ところが、家内と話し合い、両方はできないからとりあえず輸入業を優先しよう、それだったら仕事が多い関東に引っ越そうということになり、その準備をしていよいよ翌日に引越しというときに放火されたんです。そして全部、失ってしまった。

 事件後はPTSDになってしまったので、まともに仕事に取り組めなくなりました。さらに、昨今はユーロが高すぎるから仕事そのものができなくなっています。ユーロが安ければまだ少しは仕事ある。去年は売り上げゼロ。今年もまだゼロです。

 それから姉歯事件(※2)のおかげで、設計の審査の許可が降りるまでかなり時間がかかるようになっているのも大きな痛手です。待ち時間が長すぎるから、地方の小さい会社はそれまでもたない。いろんな設計事務所が潰れて、多くの人が仕事を失ってる。私も3つのプロジェクトを失ってしまいました。だから今、とても困っているんです。半年以内に仕事が見つからなければたいへんなことになります。

※2 姉歯事件──元一級建築士の姉歯秀次やヒューザーなどの建設会社が耐震強度を偽装していた事件。人命よりも儲けを優先して偽装を行った姉歯被告には懲役5年、罰金180万円の実刑判決が下された。

 

バイクで全国各地を回るのは莫大な経費がかかる。2005年7月以来、3年2カ月でかかった費用は2000万円超。しかしわずかしかもらえなかった犯罪被害者給付金は1年目で使い果たし、仕事もしたくてもできない。貯金も底を尽き、活動の継続に赤信号が点灯しかかっている危機的状況の中、ストッキ氏はある重大な決断を下した。

シリーズ最終回の次回は、現在取り組んでいる活動の真の目的と今後の目標を語っていただきます。乞う、ご期待!


 
第1回 2008.9.15リリース ある日突然妻と娘を奪われた 地獄の毎日の始まり
第2回 2008.9.22リリース 終身刑設立を求め バイクで全国行脚開始
第3回 2008.9.29リリース 「犯罪者を生み出さない社会」の実現が究極の目標

プロフィール

すとっき・あるべると
Stucki Alberto

1955年イタリア生まれ。1975年、剣道の修業のため来日。1年で帰国するつもりが剣道の魅力に取り付かれ、語学教師、建築資材の輸入業などを営みながら日本に定住。1983年、日本人女性と結婚。ふたりの娘をもうけ、幸せな日々を送っていたが、2004年5月、引越しの前日、連続放火魔により自宅を放火され、妻と次女の命を奪われる。犯人の竹山裕二(当時37歳)に下された判決は無期懲役。以降、終身刑の創設を目標に2005年からバイクで日本全国を回っている。これまで全国3周、約16万5000キロを走破。約9万5000名分の署名を集めた。活動費はすべて自費で、これまでにかかった総費用は2000万円。現在も講演のために全国を走り回っている。署名はメールでも受け付けている。

■署名・講演の問い合わせ
minervai@rhythm.ocn.ne.jp
携帯TEL:090-2505-1210
電話:072-762-3702
Fax:072-762-3703
住所:〒563-0036
大阪府池田市豊島1-5-27
シャーメゾン豊島106号

■募金口座
郵便振込口座
口座名義:ストッキ・アルベルト終身刑設立活動募金
口座番号:00990-7-107238

■署名協力
署名を希望する方は、こちらより署名用紙をダウンロードして、住所、氏名、サインもしくは捺印の上、〒563-0036 大阪府池田市豊島1-5-27 シャーメゾン豊島106号 ストッキアルベルト署名係まで送付してください。

 
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