キャリア&転職研究室|魂の仕事人|第31回 大工育成塾 塾長 松田妙子-その2-家づくりは人づくり

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魂の仕事人 第31回 其の二
家づくりは人づくり 日本建築の復権を目指し文武一道で「侍」を育成
日本ホームズを設立した松田氏は「よりよい住宅をより安く」をモットーに、日本で初めてツーバイフォー方式を導入し、通産省や建設省と協働し「ハウス55計画」を推進。その結果、家を購入できる人が急増し、日本ホームズも順調に成長した。順風満帆かと思われたが、しかし、ある出会いで松田氏の人生は大きく変わっていった。  
大工育成塾 塾長 (財)住宅産業研修財団 理事長 (財)生涯学習開発財団 理事長 松田妙子
 

運命を変えた少年のひとこと

 

 あるとき、閑静な住宅街を歩いていたら、向こうから小学生の男の子がやってきました。すれ違うときに、男の子のズボンのジッパーが開いているのに気づいたので「坊や、ズボンのジッパーが開いているよ」と教えてあげました。てっきり「おばちゃん、ありがとう」と言ってくれると思ったら、その子はすれ違ってしばらくして「スケベババア!」と私に向かって怒鳴ったんです。

 そのとき私は予想外の言葉に驚いたと同時に、「この子はどういう家に住んでいるんだろう」と思ったんです。その当時は昭和50年代の中ごろで、すでに一世帯一戸は達成されていて、一人一部屋時代に突入していました。その結果何が起こったかというと、礼儀を知らない子供、家庭内暴力、引きこもり、青少年犯罪の急増です。今もこの問題は全く解決されておらず、むしろ深刻化の一途を辿っていますが、当時はこれらが社会問題となり始めた時代でした。おそらくその子も個室をあてがわれていているのだろうなと思いました。その結果、家の中では食事どき以外は個室の中に閉じこもりっきりで、親から礼儀作法や言葉遣いなどの基本的な躾をろくにされていないんじゃないかと想像したんです。

家づくりは人づくり
 

 そう思ったとき、はっとしたんです。そういう家を普及させてきたのは他ならぬ私なのではないかと。欧米のように、より良い家をより安くより多くの人が買えるようにと頑張ってきて、ほぼ実現させたという自負はありましたが、果たしてそれが「本当に世の中の役に立ったのだろうか、本当に良い人格を育ててきただろうか」と思ったのです。

 そして「良い住まいとは何か」ということを自分に問うてみたんです。もう数の上では、雨露をしのぐ家を作る必要がなくなっていましたのでもう数はいらない。問題は質。利便性や広さ、将来高く売れるとかそういうことではなくて、家族の絆が固く結ばれ、そこで生まれ育った人たちが立派な人になるような、立派な人格が育まれるような住まいこそが良い住まいだろうと。つまり家づくりは人づくりでなければならないと思ったのです。

すばらしい日本建築を復権したい
 

 そういう意味で一番優れているのが日本の伝統的な建築なのです。日本の昔の家屋は、ふすまや引き戸、障子で区切られていて、必要なときは閉めておいてそうでないときは開けておけます。そうすれば家族のコミュニケーションが密に取れるので、親や目上の者を敬う心、「長幼の序」、礼儀作法や一般常識、生活の知恵などが親から子へと自然に受け継がれていくのです。また、親としても子供たちの声が聞こえて誰が何をしているのかがわかるので安心できますし、子供たちも他人の話が聞こえても聞こえないふりをするという遠慮の心が自然と身につきます。孟子も言っています。「いい住まいとは働く物音が聞こえる家。子供の歌声とか泣き声とか話し声が聞こえる家」とね。もちろん私の家でも子供に個室を与えませんでした。その結果、家族の絆が育まれ、礼儀ややさしさを備えた人間に成長したと思っています。

 また、日本建築の大きな特徴である畳の部屋も素晴らしいですよね。畳の部屋は世界にひとつ、日本だけなんです。私には優れた建築家の友人が世界中にたくさんいるのですが、彼らは口をそろえて「日本はどうして畳の部屋を少なくしたの?」と言います。畳の部屋はテーブルを置けば食堂や勉強部屋に、一家団欒のリビングルームや遊び場に、布団を敷けば寝室にと、何にでも使えます。井草は健康にもいいですしね。

 それから和室には障子や床の間があって、そこに一輪の花が生けてあったりするとそれだけで心が和みますよね。畳、床の間、障子などで造られていることによって、家具が何もないのに、ただそれだけで雅で美しいのが和室です。一方、洋間は家具がなければただの倉庫です。こういう先達の残した創意工夫を生かした住まいづくりにこれから取り組まねばならない、日本の伝統住宅をもう一度復権したいという気持ちがすごく強くなったのです。

国を動かし仕組みを作る
 

 日本の伝統建築の復権、その要となるのが大工や棟梁などの造り手です。日本の伝統文化を踏まえ、日本の美点を認識した上で、きちっとした意思と目標がなければ正しい日本の伝統的住宅を造ることはできません。しかしその肝心の造り手は減少の一途を辿っています。平成2年(1990年)には93万7000人もいた大工は、平成17年(2005年)には55万人にまで減少しているのです。だから日本の伝統文化を伝える職人魂を持った棟梁や大工を育てることが急務だと考えるようになったのです。

 やはり立派な大工を育てるのに適任なのは、立派な棟梁です。だから現役の棟梁に「あなたが親方から教えてもらった技術と職人としての心を、今度は若者に教えていただけませんか」と言ってみたのですが、「伝えたいし教えたいのは山々だけど、金(給料)を払ってまで教える余裕はない」と答える棟梁がほとんどでした。

 ならば工務店が弟子を育てるために、経済的な支援が受けられる仕組みを作ればいいと思いました。それで国交省に、「今後の日本のために、日本の伝統建築の復権を目指さなくてはならない、そのために棟梁や大工を育成しなくてはいけない」ということを話したところ、補助金が支払われることになり、2003年10月に国家プロジェクトとして「大工育成塾」の第1期が始動したのです。

「家づくりは国づくり」「将来の日本を背負って立つ人材の育成」の信念に基づき、75歳で国を動かし、「大工育成塾」を立ち上げた松田氏。それだけに修業も厳しいが、着々と人材は育っているという。

文武一道で侍の育成を目指す
 

「大工育成塾」の教育方針は、私はあえて「文武一道」と呼んでいますが、いわゆる文武両道の人材の育成です。大工は住まいづくりの志士であり、大工育成塾塾生はその国づくりの根本を担う現代の侍です。よって技術面の習得は刀のかわりにノミやカンナなどの大工道具をもって、知識理論の習得は論語の素読のかわりに座学で行います。

 技術の習得に関して一番いい師匠は職人です。20世紀になって、日本が先進国になりましたよね。その原動力となった産業を興した人、松下電器の松下幸之助さん、トヨタの豊田佐吉さん、ホンダの本田宗一郎さん、シャープの早川徳次さんなどなど、立派な企業の創立者はみなさん元職人です。だから師匠としては職人が最適なんです。

 塾生は、塾生の受け入れを申し出ている工務店(受入工務店)の高い技術力と職人としての魂をもった選りすぐりの棟梁の下で、3年間現場修業をします。ひとりの親方がひとりの弟子に、技術はもとより常識、礼儀作法などをしっかり叩き込みます。

 片や座学では、1カ月に2日間、同じ目標を持った同期生が教室に集まって、朝から晩まで勉強します。授業では、伝統的な木造住宅に関する技術・技能の知識・理論はもちろんのこと、一般教養まで教えています。このように現場修業と座学の両方で若者を指導しているのは世界でも大工育成塾だけです。

座学では1泊2日でみっちり理論を叩き込まれる(写真提供:大工育成塾)

修業は超ハード
 

 座学、実技と覚えることがとにかく多いので3年間はハードです。相当の覚悟が必要です。塾生も「大学どころじゃなくて大学院くらい忙しいんじゃないですか」とよく言っていますよ。また1年の過程が終了するごとにテストがあります。点数が悪ければ卒業に響きます。日本の大学のように入れば自動的に卒業できるというわけではありません。さらに1年次50万、2年次40万、3年次30万の授業料もかかります。だからみんな必死で取り組むので、見る見るうちに上達していくのです。

 中には途中で挫折して辞めていく塾生もいるし、こちらから辞めさせる塾生もいます。それだけ生半可な気持ちではできないということです。

 辞めていく塾生にもいろいろな子がいます。以前、志を持って入塾したけど1カ月で辞めた青年がいました。すごくいい子だったんですけどね。お父様が大工で「親父を喜ばせようと思って大工育成塾に入った」という子だったのですが、「僕には向きませんでした」と辞意を伝えに来ました。そのとき「これから何になるの?」と聞いたら「調理師です」と答えたので「それもいいね」と言いました。

 また、美容師の家の子がいて、入塾のための面接のときに「どうして美容師にならないの?」と聞いたんです。そうしたら「調理師や理容士という職業は人を喜ばせるのは一瞬ですよね。今日おいしいものを食べたなって思っても、明日になったら忘れちゃう。髪の毛をきれいにしていい気持ちになっても、次の日頭洗ったら終わっちゃう。だけど住まいというのは一度建てたら何代ものご家族に喜ばれて、何人もの人がそこで育っていく。だから塾長のおっしゃった“家づくりは人づくり”なんですよね」って答えたんです。本質をわかってくれていたので、すごくうれしかったですね。だから「よくわかっているね。あなたも人に喜んでもらえるようないい仕事をやりなさい」って言ったんです。

 塾生として3年間の全過程をやりきった人は技術的にかなりの水準に達しています。修了時の「修了制作」は木造軸組構法の2階建て住宅の建築なのですが、みんなで協力して短時間で立派に一棟を建てますからね。修了後は受入工務店にそのまま就職する子が多く、実家の工務店に帰る子もいれば、ほかの進路を選ぶ子もいます。

修了制作に臨む塾生たち。3年間で驚くべき水準に達するという(写真提供:大工育成塾)

 

これまで松田氏は日本人女性初のアメリカ大手テレビ局プロデューサーとなり、日本初のPR会社を興し、異業種の住宅メーカーを興し、財団法人を2つも興し、大工育成塾を立ち上げ、さらにそのすべてに成功している。まぜ松田氏はひとつの成功でよしとせず、次々に新しい、困難なことにチャレンジできるのだろうか。

次回は松田氏にとって仕事とは何か、誰のために、何のために働くかに迫ります。乞う、ご期待!


 
第1回 2008.5.19リリース 現代日本への危機感で 大工育成塾を設立
第2回 2008.5.26リリース 家づくりは人づくり 日本建築の復権を目指す
第3回 2008.6.2リリース 仕事は世のため人のために 必要だと思うからやるだけ

プロフィール

まつだ・たえこ

工学博士・大工育成塾塾長、(財)住宅産業研修財団 理事長、(財)生涯学習開発財団 理事長

1927年10月、政治家で社会奉仕家の松田竹千代氏の次女として東京に生まれる。1945年空襲で家が消失し、政治家の父が公職追放になったことで18歳のときに歌手を目指し、イタリア人シンガーに弟子入り。進駐軍の将校クラブで歌手として働き始める。その後アメリカ行きを決意し、GHQ特別調達庁で事務員、タイピスト、通訳を経験したのち、ステーキハウスをオープンし大繁盛させる。貯めた資金で1954年、26歳のとき渡米。アメリカ南カリフォルニア大学テレビマスコミ科入学。1年後、NBCテレビに直談判して入社。事務職、プロモーションなどを経て、日本人女性として初のプロデューサー業に就く。
32歳のとき帰国。翌年、日本の実情を世界に紹介する日本初のPR会社のコスモ・ピーアールを夫と共同で設立。1964年、日本の遅れた住宅事情を変えようと建設会社の日本ホームズを設立し、2×4工法による経済的な住宅作りを手がけた。1975年、日本ホームズ経営を退き、「ハウス55計画」を通産省と建設省と共同で画策。国主導のマイホーム開発・持ち家政策と話題になった。
1992年、65歳から日本の住まいの研究を開始。5年かけて執筆した「日本近代住宅の社会史的研究」で71歳のときに東京大学の工学博士号を取得。2003年、大工を育成する大工育成塾を開塾。社会奉仕家としても、1994年には亡父の松田竹千代の遺志を継いでベトナムのビエンホア孤児職業訓練センター有隣園園長に就任。資金援助だけでなく、定期的に視察に訪れた。
建築審議会委員、東京都公安委員他多くの委員を務め、政策提言を行う。1987年、藍綬褒章受賞。主な著作:『一家一冊』、『私は後悔しない』、『家をつくって子を失う』、『親も子も後姿を見て育つ』など多数。

【関連リンク】
●大工育成塾
●(財)住宅産業研修財団

 
おすすめ!
 
『家をつくって子を失う—中流住宅の歴史 子供部屋を中心に』(住宅産業研修財団)

良い住まいとは何か。どんなに住宅のつくりや設備がよくてもそこに住む家族のコミュニケーションや家庭教育がなされていなければ意味がない。近代の中流住宅の歴史とその時代の家族のあり方を検証し真の日本の住まいを考えるための一冊。

 
 
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