でもNBCで働き初めて2年目で結婚して、その3年後に長女が生まれたのでNBCを辞めて帰国することにしました。そもそも夫と子供ができたら日本で育てたいと話していたんです。子供が日本のことを知らないと困ると思っていましたから。
帰国したのは昭和33年、32歳のころですが、私が日本を発った時とはあまりにも様変わりしていました。ちょうど高度成長期の入り口に差し掛かったころで、街には高層ビルが建ち並び、自動車もたくさん走っていました。その急激な経済的発展に夫婦ともどもびっくりしたんです。
帰国後はマスコミ業界のオーソリティからどれだけ誘われたかわかりません。NHKの会長、日本テレビの正力さん(※2)、電通の吉田さん(※3)などがしょっちゅう来ていました。
でもその誘いは受けませんでした。当時の日本のテレビ番組のあまりのひどさにあきれたんですよ。できた番組もそうですが、作り方がひどかった。リハーサルもしないで番組がどんどん作られていました。だからこんなの手伝いたくないって断ったのです。
次に何をしようかと考えたとき、日本の現状を正しく世界に伝えたいという気持ちが湧いてきました。ここまで日本が経済的に発展して豊かになったにも関わらず、アメリカではまだ日本はイミテーションや1ドルブラウスなどの安物ばかりを作っている国だというイメージがあったのです。あるとき、アメリカ人に「イミテーションでもオリジナルよりも良いものを作ったら、それはイミテーションとはいわないんだ」って言ってやったことがありました。それほどの技術力を日本は有していたので、これからの日本は違うんだという自信を持っていたんです。そういう日本をアメリカに正しく伝えなきゃいけないと思って、日本初のPR会社「コスモPR」を作ったんです。 |