私と同じ転職を繰り返す放浪児タイプの若者たちに対するサゼッションとしてぜひお勧めしたいことは、「放浪中は課題にこだわるな、そして方法論を楽しめ」ということです。後の豊臣秀吉になる木下藤吉郎は、信長に仕えている間、台所の賄いから、一夜漬けの築城から、敗退軍のしんがりの引き受けまで、時宜に合わせて何でも引き受けてこなしていました。そういう、底辺時代の融通無碍(ゆうずうむげ)の戦略研究が天下を取ってからの戦略にも生きている。秀吉と比べるのはおこがましいですが、私の場合も放浪中は課題のいかんにはこだわらず、方法論を楽しむことに熱中していました。それが、最後の仕事となる鑑定稼業において、さまざまな形で生きています。
そして放浪の過程であっても、少しピントが外れていてもいいので、情熱的に取り組むことが絶対必要ですね。
例えば、高校の教師をしていた時には、教壇に立って生徒に教えなければならないので、元々勉強は嫌いだったけど、一通りは物理の基礎的なことを勉強し直しました。でもやってみると、結構おもしろかった。学生時代にサボっていたことが惜しまれました。また、生徒に教えなければならないことが、物理の論理の核心のところをじっくりと考える動機になるんですね。上っ面の勉学ではなくなる。この時期につかんだ物理、力学の理解力が、鑑定人になってから大いに役立っています。
高校教師を辞めた後に航空自衛隊で学んだエレクトロニクスの知識は、その後に勤めた自動車メーカーや自動車研究所ですごく役に立っていますし、自動車メーカーで実験屋をやっていたときの問題発見・原因究明の発想法は、自動車研究所の研究業務でも生きています。さらに、自動車研究所で取り組んだ大気汚染の研究やエレクトロニクス技術や新材料のテクノロジー・アセスメントや人間工学の勉強も、交通事故鑑定の洞察領域を広げる上で大いに役立っています。これまで放浪中に取り組んだ仕事の体験が、まるで地下茎のように、今の自分を支えてくれていると思いますよ。
ただし、仕事に熱中するばかりで、嫉妬連帯的カイシャ社会の空気が読めず、上司や上役に全く気を遣わないから、組織の中で浮き上がり、結果追い出されることになりますが、あれもこれもというわけにはいきません。これ、多少、言い訳です(笑)。
決してお説教ではなく、こういう生き方をした方が得だよと言っているのです。どのような仕事をするにしても、とにかく近いところに小さな志の目標を見つけて、自分独自の最高の方法を見つけてやろうと張り切ってみるとよい。そういうものの蓄積が、意外に、第二の人生でのあなたの戦力を強化する結果になると思います。 |