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魂の仕事人 第28回 其の二
「スポーツで診る」という新発想で人々のQOLを上げたい──2つの出会いで独立を決意
内科医として4年間勤務した後、「医師としての自分」に疑問をもち、「本当にやりたいこと」を考える過程の中で次第に大きくなっていったスポーツへの思い。そしてついに30歳にして大学を辞職、いよいよスポーツ医学への道を歩み始めた。この決断により、辻氏の運命は大きく変わっていった。  
スポーツドクター・エミネクロス代表 辻 秀一
 
学習院大学チアリーディング部のチームドクターも務めている(写真提供:辻秀一氏)

骨粗しょう症の大家に

 

 実質的にはスポーツ医学研究センターで今の僕の基礎作りが始まりました。僕としてはまたまたラッキーなことに、当時、世の中で骨粗しょう症が流行り始めていたのですが、スポーツ医学研究センターには骨の、特に代謝の専門家って僕しかいなかったんです。

 だから骨粗しょう症という軸でライフスタイルマネジメントの研究を始めたんですね。健康医学とスポーツ医学を結びつけて骨粗しょう症を防ぐための運動療法などを研究して国内やアメリカの学会で論文を発表するようになりました。すると国内外で高く評価され、ボスにも認められて2年後には給料をもらえるようになりました。さらに研究を続けていると、4〜5年で骨粗しょう症の分野で運動療法の第一人者みたいな感じになっちゃったんです。

バスケ部のチームドクターに
 

 さらにタイミングのいいことに、僕がスポーツ医学研究センターに入ったころ、慶應の体育会バスケ部の総監督が「今、世の中でスポーツ医学が流行っていて、いろんなチームがチームドクターを置き始めているらしいけど、うちのバスケ部も1部に上がるためにそういうシステムを取り入れたい。ついてはサポートしていただけないか」と教授に言ってきたんです。

 教授は僕がバスケ大好き人間だってことを知っていましたから、「慶應のバスケ部からこういう話が来てるんだけど、チームドクターをやらない?」って言ってくれました。もちろん僕は「ぜひやらせてください」って言いましたよ。だから僕のチームドクターの第1号は慶應の体育会男子バスケットボール部なんです。

 でも引き受けたのはいいのですが、当時、僕はスポーツドクターとして何も知識もないし、勝たせるノウハウも当然もってなかった。何せ未経験ですから。そんな僕がチームドクターとして一番最初にやったのは、部員のみんなと一緒に練習することでした。まずチームに溶け込むことが大事だと思ったからです。

 当時30歳くらいで、まだバスケがプレイできたので、「一緒に練習させてくれないか」って言ったら、部員もいいですよって言うんで、練習をよく一緒にしてました。1年生と一緒にモップ拭きなんかもしたりね。部員によく「先生、変わってますね」って言われてました(笑)。おかげで短時間でみんなと打ち解けることができたんです。

 一緒に練習していくうちに、やっぱりチームドクターとして部員のために何かやらなきゃっていう気持ちが高まってきて、いろいろ勉強したところ、部員の栄養管理が悪かったから、まずは栄養学を勉強しようと。それからトレーニングの方法ももっといいやり方はないのかといろいろ研究して、独自のトレーニング法を作ったりしました。そんな感じでトライ&エラーを繰り返しながら、少しずつ勉強したことをバスケ部に還元していくうちに、部員が元気になったり、試合にも勝てるようになって2部から1部に昇格したりと結果が出てきたんです。すると、テニス部やアイスホッケー部など、いろんな体育会の部活から「ウチでもお願いします」と声がかかるようになりました。

 バスケットボール協会のメディカルドクターの方も引き続きやってたんですが、スポーツ医学研究センターに移ったら長期休暇が取りやすくなったので、アジア大会やユニバーシアードに選手たちと一緒に行ったりしてました。

 だからスポーツ医学研究センターに移ってからの5〜6年は、研究者としてもスポーツドクターとしてもやりがいのある仕事ができて、とても充実した日々を過ごせていました。だから当時はここで一生働くんだと思っていたんです。

まさに順風満帆な日々。しかし、次第にこのままのやり方ではダメだと思うようになった。そんなとき、後の人生にまで大きく影響を及ぼすひとつの大きな気づき、そして「本当にやりたいこと」に出会う。

メンタルの重要性に目覚める
 

 スポーツドクターとして選手を指導していく過程で、「人を動かしているのは心だな」ということに気づいたんです。だから単にトレーニング方法や運動処方のメニューを渡すだけではダメで、メンタル部分のトレーニングをやらないとダメだなと思うようになったんです。それは研究者としても同じで、骨粗しょう症を含めたライフスタイルマネジメントにも、メンタルトレーニングが必要だと強く感じるようになりました。

 なぜそう思うようになったかはわからないですけどね。特にこれといったきっかけなどはなく、やっていくうちに自然とそう思ったんです。

 メンタルの重要性に気づいたとき、まず自分が勉強しなきゃと思ってスポーツ心理学の学会に行ってみたんですが、これがものすごくつまらなかった。学会には研究者しかいなくて、論文を書くことしかしていなかったから、俺がやりたかったのはそんなんじゃないなと思いました。そんな時に、アメリカからモントリオールオリンピックの射撃の金メダリストのラニー・バッシャムさんという人が来日して、メンタルマネジメント論の講演会を日本でやるというので、聞きにいったんです。その講演は、小難しい学問的な話ではなくて、日ごろのものの考え方を習慣づけていくことがすごく大事で、それが日々の生活を豊かにするという話でした。そのときおぼろげながら、俺がやりたいのはこういうことかもと思って、その後ラニー・バッシャムさんの本を読むようになったんです。

「パッチアダムス」でQOLに開眼
 

 同じ頃、僕の運命を決定付けるものに出会いました。アメリカの実在する精神科医の半生を描いた『パッチアダムス』という映画です。主人公のパッチアダムスは「笑い」という手段を使って、患者のQOLを豊かにするのが、広い意味での医療なんだよと訴えてた。僕も医者をやっていたのでわかるのですが、世の中の多くの医者は、主に目に見えるデータで患者の容態を判断し治療していて、測定できない患者のQOLにはあまり関心がないようでした。でもその映画で、人にとって本当に大事なのはQOLで、僕のドクターとしてのやるべきことはQOLの追求なんだとすごく感じたわけです。

 パッチアダムスは、笑いで患者のQOLを豊かにすることができるけど、僕の場合は笑いでやるのは難しい、だったら元々スポーツが好きだったし、スポーツ医学やスポーツ心理学を勉強していたので、スポーツでやろうと。スポーツという人間を豊かにするすっごく素晴らしい素材を使おうと。世の中にスポーツ選手を診るというスポーツドクターはいるけど、「スポーツを診る」じゃなくて「スポーツで診る」というような新しい発想で人々のQOLを上げるようなことをしたいと強く思ったんです。

 これが今、僕の取り組んでいるいろんな事業のそもそもの出発点です。『パッチアダムス』は今までに30回以上は観てますね。何かに悩んだら観てます。観るたびに新しい発見があるんですよ。どうしても僕らは目に見えるものにとらわれてしまいがちで、ストーリーだけわかるのは簡単なんですが、最後のQOLのシーンなど、もっと人生を豊かに生きる上で重要なことがたくさん隠されているんです。見るたびに、「あぁ、俺もやっぱりとらわれてたな、目の前にあることしか見てなかったな」とかいろいろ気づかされるんです。その時の感性によって感じるものが違うんですよね。

メンタルトレーニングに着手
 

「スポーツで診る」ことをやるにも、メンタルトレーニングについてもっと勉強しないといけないなと思ってたころ、水泳の世界的なメンタルトレーニングのコーチの話を聞きに行きました。この人も水泳でいいタイムを出すのにも、人生をよく生きるのにも、日ごろのものの考え方、生活の仕方が大事だということを訴えていて、それをすごく分かりやすく本に書いていました。

 本のタイトルは「勝つ人は普通ではない」。「普通じゃない」というと、運動能力や努力の度合いが普通じゃないとみんな思いがちなんだけどそうじゃない、日ごろのものの考え方が普通じゃないんだと。だから特別な人だけができるんじゃなくて、誰もが真似できるんだよと訴えてる本でした。例えばイチローの運動能力、野球の技術は普通の人には真似できないけど、イチローのものの考え方は普通の人でも真似できるでしょう? そういうことです。

 それで自分自身の勉強のためにも、スポーツに携わる大勢の人のためにもこの本を訳してわかりやすく紹介したいなと思い、スポーツトレーニングの専門誌の『トレーニングジャーナル』の編集者に企画をもちこんだところ、OKが出て「スポーツドクター・辻のメンタルトレーニング講座」と題して連載を始めました。すると読者の好評を得て、すぐに人気のあるコーナーになったんです。

 さらに、この連載を通して勉強したことを僕が担当していたいろんなチームのみんなに伝えたくなってきて、慶應のバスケ部やテニス部やホッケー部やレスリング部に少しずつ、メンタルトレーニングのやり方を教えていったんです。その際、当時世の中で大流行していた井上雄彦先生の『スラムダンク』というバスケマンガをコピーしてみんなに配りました。このマンガは個人的にも大好きで、メンタルトレーニングの重要なメソッドがふんだんに盛り込まれていたので、僕が教わったことを分かりやすく伝えるためのベストな教材だと思ったからです。

チームドクターを務める慶應大学女子ゴルフ部のみなさんと(写真提供:辻秀一氏)

ついに自分の本当にやりたいことを発見し、研究、実践に全力で取り組む日々。その努力は目に見える成果となって現れた。確かな手ごたえを感じ、さらなる高みを目指す辻氏だったが、思わぬところから横槍が入る。スポーツ医学研究センター入所から6年、すでに辻氏の思いと影響力は小さな組織の中に収まるレベルではなくなっていた。

「自分でやりたい」
 

 メンタルトレーニングの効果が見られるようになり、次第に部員のみんなの心が強くなって、試合にも勝てるようになりました。そしたら他校の体育会からも「ウチの部もみてくれ」という依頼がまた増えちゃって。さらに『トレーニングジャーナル』の記事を読んだいろんなスポーツチームのコーチや監督から「自分のチームをみてほしい」という手紙が届くようになったんです。だけど僕は慶應の人間だから、やりたくても公にはできない。ジレンマを抱えていました。

 また、『スラムダンク』を題材にして教えてたことをさらに多くの人に伝えたいと思って、『バスケットボールマガジン』の編集者に、「今、こんな感じでメンタルトレーニングを教えているんだけど、雑誌でも連載できないだろうか」と言ったら、「それはおもしろいから井上先生に交渉してみる」って言ってくれました。井上先生に企画概要を話したところ、快諾してくださって、連載できることになったんです。

 それで「『バスケットボールマガジン』で『スラムダンク』を題材にした、勝つためのメンタルトレーニング講座を連載します」と研究室の先輩に言ったら、「それは慶應のためになるのか」と言われました。

 そのとき、「いや、僕がやりたいのは慶應のためだけとかそういうレベルじゃないんだけどな」とがっかりしました。他にもいろいろあって、「ここには僕のことを本当に理解してくれる人はいないな」と思ったんですね。

 慶應には心から感謝していましたが、その枠に縛られず、他大学の体育会や一般のスポーツチームのチームドクターもやってみたいという思いもありましたし、このあたりから段々「組織の一員としてではなく、自分でやりたい」と思うようになったんです。

人生を変えたカリスマ漫画家との出会い
 

 雑誌の連載は研究室の先輩に内緒でスタートしました。連載を始めるにあたって井上先生とお会いしたときに、連載の主旨や構想と同時に僕の考える「スポーツ」についても話したんです。スポーツは人のQOLを豊かにするためにある。『スラムダンク』というマンガによって人生が豊かになった人もたくさんいる。僕はそのスポーツで個人のQOLを高めて、世の中を豊かにするという新しいことをやっていきたいと話したんです。

 そしたら井上先生も「それは素晴らしい」って言ってくれて、連載をまとめて一冊の本にするべきだとまで言ってくれたんです。それは後に実現して『スラムダンク勝利学』という本になって、今だに版を重ね多くの人に受け入れられています。

 尊敬する井上先生に僕のスポーツへの思い、やりたいことに関して全面的に賛同していただいたことは、ものすごく強い自信になり、これからやろうとしていることに関してとても勇気付けられました。

 そのときちょうど、「組織に縛られずに、自分でやりたいことをやりたい」と悩んでいたので、この井上先生との出会いでその思いが決定的となり慶應のスポーツ医学研究センターを辞めて、独立することを決意したんです。だからパッチアダムスともう一人、僕の人生を変えたのは井上雄彦先生なんです。

 
 
『スラムダンク』『バガボンド』『リアル』等の名作で知られる人気漫画作家・井上雄彦氏(右)と。車椅子バスケのイベントにて(写真提供:辻秀一氏)
驚きながらも容認してくれた妻
 

 スポーツ医学研究センターを辞めてすぐに独立できるわけじゃないから、それまでは東海大学医学部の教授だった親父のツテで、東海大学の病態診断学の研究者をやりながら、アルバイトをして生計を立てていければいいかと思っていました。

 ウチの家内にそう言うとさすがにびっくりしていました。「せっかく仕事も軌道に乗ってきて、給料ももらえるようになって、将来大学に残れる道も見えてきたのに、どうして辞めるの?」って。まあ当然ですよね。当時、子供も小学校に上がる頃でしたしね。

 でもやっぱりここでの仕事は何か違うんだよって言うと、それ以上は反対しませんでした。でも、家内はスポーツはあまり好きじゃないんですよ。僕がやりたかったこともよく分からなくて、説明しても「スポーツで何するの?」みたいな(笑)。

 でもどうして強行に反対しなかったかというと、家内の父は元々銀行員だったんですが、銀行員を辞めて政治家になったんですよ。市議会議員から県議会議員になって、僕と結婚したころは倉敷の市長を務めていたんです。だから通常のサラリーマンじゃない家庭で育ったから、サラリーマンでも辞めるのが普通だとか、自由でリスクを負うのも普通だみたいな家で育ってたから、ある種の免疫があったんでしょうね。

38歳で独立
 

 それでまたアルバイトで生活費を稼ぎながら、慶應時代にはやりたくてもできなかった慶應以外のいろんなチームのチームドクターをやったり、本を書いたり、講演をしたりと、1年間好きなことだけをやりました。その結果、独立してもやっていけそうだなという確信を得て、辞職してから1年後の1999年4月に「エミネクロス」を設立したんです。37、8歳くらいだったのですが、ここでようやく僕の人生の方向性が決まりました。だからここまで来るのに何回も転職してるんですよ。

 でも独立してしばらくはものすごく苦しかったですね……。

 

38歳で独立後、しがらみという鎖を断ち切った辻氏はスポーツとメンタルトレーニングをキーワードに、次々と会社やNPOを設立していった──。

次回は独立後、4つの会社と1つのNPOを設立するに至るまでのドラマ、そして人知れず抱えていた苦悩について熱く語っていただきます。乞うご期待!


 
第1回 2008.1.7リリース 個人のQOLを上げて 豊かな世の中に
第2回 2008.1.14リリース自分と向き合い内科医から スポーツ医学の道へ
第3回 2008.1.21リリース QOLの重要性に開眼 運命的な出会いで独立
第4回 2008.1.28リリース スポーツで社会貢献 次々と組織を設立
第5回 2008.2.4リリース 5年後の夢は学校創立 仕事とは楽しんで生きること

プロフィール

つじ しゅういち

1961年生まれ、46歳。東京都出身。「スポーツで社会貢献」という理念の下、4つの会社、1つのNPOを運営するスポーツドクター。大学卒業後、慶應義塾大学付属病院の内科医となるが、医師としての適性に疑問を抱き、スポーツ医療の道へ。映画「パッチアダムス」でクオリティ・オブ・ライフの重要性に開眼。慶應義塾大学スポーツ医学研究センターを経て、37歳のときに独立。以降、トップアスリート、芸術家、ビジネスマン、企業などのメンタルトレーニング、複数のバスケットボールチームの運営、講演、セミナー、書籍執筆など、スポーツ、医療、教育、芸術、ビジネス等の世界で八面六臂の活躍を見せている。

【主な資格・役職】

  • 日本体育協会公認スポーツドクター
  • 日本医師会公認スポーツドクター
  • 認定産業医
  • 医療法人杏会理事
  • NPO法人キッズチアプロダクション理事
  • 都立三田高校学校連絡協議会委員

【主な監督チーム】

  • バスケ・クラブチーム「エクセレンス」監督
  • 車椅子バスケ「No Excuse」アドバイザー
  • 聾バスケチーム「Rough」監督
  • チアリーディングチーム「ライブリーズ」監督

【主なサポートチーム】

  • レラカムイ北海道バスケットボールチーム 2007〜
  • ラグビー日本代表チーム 2006〜
  • NECラグビー部 2005〜
  • 慶應義塾大学バスケットボール部 1990〜2001
  • 全日本車椅子バスケットボールチーム 1999〜2004

【主なサポート選手】

  • 和智健郎 / 喜理子(競技ダンス) 2005〜
  • 柳沢将之(プロサッカー) 2005〜
  • 小池葵(プロボディボーダー) 2002〜2004
  • 芹澤信夫(プロゴルファー) 2000〜2004
  • 佐藤文机子(プロライフセーバー) 1998〜2004
  • 平澤岳(プロスキーヤー) 1995〜2003
  • 野田秀樹(プロレーシングドライバー)1999〜2000

【カンパニーチームドクターとしての主なサポート企業】

  • 株式会社東京スター銀行
  • 株式会社ジャパネットたかた
  • 全日本空輸株式会社 客室本部
  • 株式会社ドリームコーポレーション

【主な書籍】
『仕事に活かす集中力のつくり方』(ぱる出版)
『感じて動く』(ポプラ社・指揮者佐渡裕氏との共著)
『スラムダンク勝利学』(集英社インターナショナル)
『ほんとうの社会力』(日経BP)
●そのほかの書籍についてはコチラ

【関連リンク】
■オフィスドクター・辻

■公式ブログ・元気!感動!仲間!成長!DIARY

■エミネクロスグループ

 
おすすめ!
 
『スラムダンク勝利学』(集英社インターナショナル)

社会現象にもなった井上雄彦氏の漫画作品『スラムダンク』を題材に、スポーツの社会的価値、人生との共通点を伝えようと、渾身の想いを込めて書き上げた一冊。2000年の発行から現在もなお版を重ね、30万部を記録しているベストセラー。

『仕事に活かす集中力のつくり方─“辻メソッド”でフローに集中する人生を獲得する』(ぱる出版)

長年研究してきたスポーツ心理学をビジネスに応用し、「最高の集中力を生む、揺らがない、とらわれない心のつくり方」、「ここ一番で集中するための方法、切れた集中を取り戻す方法」、「降格人事等でモチベーションが維持できないときどうするか?」などのメンタルノウハウを伝授。仕事の成果を挙げたい、充実した職業人生を送りたいと願っているビジネスマンは必読!

『ほんとうの社会力』(日経BP)

「社会力」とは「自分を元気づけ、自分らしく社会で生き抜く力」だと辻氏は定義している。その「社会力」を自分軸、他人軸、時間軸という3つの観点から分析し、更にアメリカバスケットボール界のスーパースター、マイケル・ジョーダンと、『スラムダンク』や『リアル』で大人気の井上雄彦氏の漫画作品『バガボンド』の宮本武蔵を実例にする事で、人生に必要な「社会力」をわかりやすく解説している。自分らしく生きたいと思っている人は必読。

 
 
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