さらにタイミングのいいことに、僕がスポーツ医学研究センターに入ったころ、慶應の体育会バスケ部の総監督が「今、世の中でスポーツ医学が流行っていて、いろんなチームがチームドクターを置き始めているらしいけど、うちのバスケ部も1部に上がるためにそういうシステムを取り入れたい。ついてはサポートしていただけないか」と教授に言ってきたんです。
教授は僕がバスケ大好き人間だってことを知っていましたから、「慶應のバスケ部からこういう話が来てるんだけど、チームドクターをやらない?」って言ってくれました。もちろん僕は「ぜひやらせてください」って言いましたよ。だから僕のチームドクターの第1号は慶應の体育会男子バスケットボール部なんです。
でも引き受けたのはいいのですが、当時、僕はスポーツドクターとして何も知識もないし、勝たせるノウハウも当然もってなかった。何せ未経験ですから。そんな僕がチームドクターとして一番最初にやったのは、部員のみんなと一緒に練習することでした。まずチームに溶け込むことが大事だと思ったからです。
当時30歳くらいで、まだバスケがプレイできたので、「一緒に練習させてくれないか」って言ったら、部員もいいですよって言うんで、練習をよく一緒にしてました。1年生と一緒にモップ拭きなんかもしたりね。部員によく「先生、変わってますね」って言われてました(笑)。おかげで短時間でみんなと打ち解けることができたんです。
一緒に練習していくうちに、やっぱりチームドクターとして部員のために何かやらなきゃっていう気持ちが高まってきて、いろいろ勉強したところ、部員の栄養管理が悪かったから、まずは栄養学を勉強しようと。それからトレーニングの方法ももっといいやり方はないのかといろいろ研究して、独自のトレーニング法を作ったりしました。そんな感じでトライ&エラーを繰り返しながら、少しずつ勉強したことをバスケ部に還元していくうちに、部員が元気になったり、試合にも勝てるようになって2部から1部に昇格したりと結果が出てきたんです。すると、テニス部やアイスホッケー部など、いろんな体育会の部活から「ウチでもお願いします」と声がかかるようになりました。
バスケットボール協会のメディカルドクターの方も引き続きやってたんですが、スポーツ医学研究センターに移ったら長期休暇が取りやすくなったので、アジア大会やユニバーシアードに選手たちと一緒に行ったりしてました。
だからスポーツ医学研究センターに移ってからの5〜6年は、研究者としてもスポーツドクターとしてもやりがいのある仕事ができて、とても充実した日々を過ごせていました。だから当時はここで一生働くんだと思っていたんです。 |