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魂の仕事人 第26回 其の三
限りなく不可能に近い挑戦 失われていく最後の希望を つなぎとめたのは「恩師」だった
2004年、将棋仲間を中心に瀬川氏のプロ入り実現のための「プロジェクトS」が結成。瀬川氏も翌年、将棋連盟にプロ入りの嘆願書を提出し、前代未聞のプロジェクトは本格的に始動した。この時点で瀬川氏がプロ入りへの第一関門にまでたどり着ける可能性はほとんどなかった。無謀な挑戦。将棋界の常識を知る者はみなそう思ったがしかし、男たちはあきらめなかった。  
プロ棋士 瀬川晶司
 

プロジェクトS、始動

 

 アマ強豪で、友人の遠藤さんを中心にみんなで、どうしたら僕がプロになれるか、喧々諤々議論してくれました。僕もプロになりたいという意思を世間に表明すべきだと思って、将棋連盟発行の『将棋世界』2005年1月で「プロになりたい」と初めて公言したんです。

 遠藤さんが知り合いの大手新聞社の記者に協力を仰いだら、実現は難しい(※1)とは言いながらも賛同してくれて、この問題を紙面で訴えかけてくれました。そのうち他紙やテレビもこの問題を取り上げてくれるようになったんですが、予想外に反響があったんです。将棋を知らない人からも応援メッセージがたくさん届きました。夢を叶えたくとも叶えられない人が僕に自らを重ね合わせてくれたみたいで。将棋界だけの問題じゃなく、広く世間一般にアピールできたことはとても大きかったと思います。

 さらに2月にプロ編入の嘆願書を日本将棋連盟に提出しました。当初はこのことを議題にすら上げてもらえないんじゃないかと思ってました。それくらいありえないことですから。

 でも将棋連盟は僕にプロ入りへのチャンスを与えるかどうかを棋士総会で取り上げることを発表したんです。とりあえず恐れていた門前払いにならずに済んでほっとしました。でも問題はここからでした。

※1 大手新聞社の記者に協力を仰いだら、実現は難しい──読売新聞文化部の西條耕一氏。遠藤氏の大学時代の親友。遠藤氏から瀬川氏のプロ編入の相談を受け、主旨に賛同。「プロジェクトS」の中核メンバーとして戦略立案等に尽力するほか、新聞紙面でこの問題を訴えかけるなど、プロ編入試験実現の立役者のひとりとなった。将棋界に造詣が深い西條記者のこの時点での予想は「再度三段リーグ編入の可能性が1%、プロ編入試験実施が0.1%、即フリークラス編入はそれ以下。奨励会を経験していない、いわゆる“純粋アマ”ならまだしも、三十代半ばの元奨励会員がプロになるのは事実上不可能」というものだった(参考:『棋士 瀬川晶司−61年ぶりのプロ棋士編入試験に合格した男─/日本将棋連盟編』

不可能への挑戦
 

 将棋連盟は5月に行われる棋士総会で、僕にプロ編入試験を受けさせるかどうかを多数決で決めると発表しました。投票は現役のプロ棋士約150人プラス現役を引退した棋士30人の計約180人。ここで過半数の賛成票を取れればプロ編入試験を受けることができます。

 でも4月の段階では反対派の方がかなり上回っていましたし、中には「絶対に許せない」と強硬に反対する棋士もいました。

 あまりの状況の厳しさに、「いきなりプロ入りを狙うんじゃなくて、奨励会三段リーグへの編入に目標を落としたほうがいいんじゃないか」という声もありました。確かに奨励会の掟を重んじるその方策なら可能性はより高くなるでしょう。もう一度三段リーグを戦えるチャンスが与えられるだけでも御の字かもしれません。でもそういう「僕だけ特例」じゃ意味がないと思ったんです。

プロになる別の道筋を作りたかった
 

 というのは、このころには、僕自身がプロになりたいということのほかに、奨励会以外でプロになるための道筋を将棋連盟に考えてほしいということも強く思うようになっていたからです。

 従来の、奨励会で26歳までに四段に上がれなければ絶対にプロになれないというルールだと、プロを目指せる人が本当に限られるんです。そもそも奨励会に入ることが難しくて、幼い頃に将棋を覚えて、10代である程度の強さを身につけないとダメですから。つまり、環境に恵まれたごく一部の人しかプロを目指せないわけです。

 だけど、世の中には才能があっても親の仕事の関係で奨励会に入れなかった人や、あるいは大学で将棋を覚えて強くなる人たちもたくさんいます。そういう人たちはプロになりたくても絶対になれない。

 でもそれが本当に公平な世界なのかなって。環境は自分では選べませんからね。だからそういう才能がありながら年齢制限だけで夢をあきらめざるをえない人たちのためにも、プロになれる道は別にあるべきじゃないかなという思いがあったんです。

しかし協力してくれた新聞記者の予想通り、状況は極めて厳しいものだった。総会直前、4月中旬の事前調査では賛成70人、反対100人。そこで遠藤氏はじめプロジェクトチーム員は各地を飛び回り反対派を徹夜で説得。そして運命の5月の総会の結果は賛成129票、反対52票。ここに61年ぶりのプロ編入試験の実施が決定した。

不可能を可能にできた要因
 

 やっぱりプロ入りの試験を実施してもらえると聞いたときは、うれしかったですね。夢への第一関門を開けてもらえたわけですから。でも同時に、「自分の役目はほとんど終わった」とも思いました。奨励会以外でプロになるための道筋がひとつできたわけですから。

 なぜ不可能を可能にできたと思うか? うーん、何ですかね……結局、僕自身はプロになりたいって手を挙げただけなんですよね。確かに手を挙げるのも相当勇気がいりましたが、何もしないで後になって「もしあの時にやってたらどうだったかな」と考えるのは嫌だったので。手を挙げてみて、ダメならあきらめもつくかなと思いましたね。やらずに後悔よりはやって後悔の方がいいかと。

 でも結果的には、奨励会を通過しなくてもプロになれる道はあるべきじゃないかって考える人たちが予想以上に多かったということなんですよね。もちろん、周りの人たちが協力してくれたおかげです。僕の奨励会時代の仲間でプロ棋士になった人たちが、瀬川をプロにしてやろうって、いろんな棋士を必死に説得してくれたんですよね。そうしてくれたのは、奨励会時代に溜まり場となった僕の家でよく一緒に遊んでた棋士たちだったんです。だからいろいろつながってるなと。人と人のつながりっておもしろいなって思いましたね(笑)。

 また、マスコミが応援してくれたのもありがたかったですね。おかげで世論の支持も得られましたから。将棋連盟が動いたのはそのおかげだと思ってます。将棋連盟側も話題を求めていたというか、僕のプロ編入試験を、逆に人気向上と知名度拡大の起爆剤(※2)として活用しようとしてくれましたからね。

 さらに将棋界のスターである羽生善治さんが将棋連盟公式の雑誌で、「奨励会を通過してなくてもプロになれる道を考えるべきだ」というコメントを出してくれたことも大きかったと思います。

 だからいろんなことがうまく作用してくれて……タイミングがよかったですね、うん。いろんなことが重なって、不可能と言われたプロへの編入が叶った。結局、僕がプロになりたいって言ったのを、みんなが素直に受け止めてくれて、応援してくれたのが一番の理由だと思いますね。今振り返れば、僕の個人的なサポートというよりも、将棋界全体のことを憂う人たちの活動だったと言えると思います。

※2 人気向上と知名度拡大の起爆剤──レジャー産業の多様化により、将棋人口も減少。将棋連盟の収入も減少していた

プロ編入試験は「6人の棋士と戦って3勝すればプロ入りを認める」というものだった。応援してくれたみんなに鉄の扉を開けてもらった。ここから先は自分の力でこじ開けるだけ──。しかし最も大事な初戦、あまりの重圧からプロの卵の17歳の奨励会三段にまさかの敗北を喫してしまう。この敗北は瀬川氏の精神に深いダメージを与えた。どうしていいかわからず不安のどん底でうずくまっていたとき、救いの手が差し伸べられた。あの恩師の手だった。

最悪の滑り出し
 
 
プロ入り編入試験・六番勝負の模様。大勢のマスコミ関係者が集まり、世間の注目度の高さがうかがえた(撮影:財団法人 日本将棋連盟)※クリックで拡大します

 プロ入りのしくみが改善されたことで、実はもう、僕のやることはほとんど終わったかなと思ってました(笑)。後は自分だけの問題なので、勝っても負けても、僕が笑うか泣くかだけだと思ってたんですが、よくよく考えてみればここまで来るのにいろんな人が協力、応援してくれて、さらに期待してくれている大勢の人がいる。この人たちのためにも負けられないっていう気持ちがものすごいプレッシャーになってしまっていたんです。

 でも第一局はどうしても勝っておきたかったんです。発表された対戦表には第三戦にA級棋士の久保利明8段の名前があったからです。もし第一局を落としてしまうと、早くも第二局は絶対に負けられない勝負になってしまいます。もしプレッシャーで三連敗してしまったら、ほぼプロ編入の可能性はなくなってしまう。だから初戦で勝って、精神的な余裕をもって第二局に臨みたかったんです。

 だけど負けてしまった。この敗北のショックはかなり大きく、後々まで引きずりました。元々将棋で負けると全人格を否定されたような敗北感・屈辱感を味わうんですが、そのたびにまともにショックを受けてたら精神がもたないので、気持ちを切り替える術はもってるんです。でもこのときばかりはどうしようもなかった。

 気持ちがマイナスのままだと、どうしても悪い方へ考えてしまうもので、このまま一勝もできずに四連敗したらどうしよう、そうなるといったい自分はどうなってしまうのだろうと、そんな恐怖にとらわれてしまっていました。もしそうなると、協力、応援してくれた大勢の人に顔向けできない。僕自身の人生がかかっているということよりも、そうなることが一番怖かったです。小学生のときに沼でおぼれて死にかけたことがあるんですが、そのときの夢まで久々に見てしまうほどでした。明らかに異常でした。

 しまいには、やっぱり無謀な挑戦だったんだろうか。自分はどうしたってプロになんてなれないんじゃないかって、自分自身を疑い始めました。

 まだ会社員だったので、試験中も通常通り勤務していたのですが、それもつらかったですね。その時間を将棋の勉強に使えればと何度も思いました。

恩師からの手紙
 

 こんな精神状態じゃ絶対に第二局に勝てないと思ってた矢先に、不思議な葉書が届いたんです。その葉書にはドラえもんの大きなイラストが印刷されていました。確かにドラえもんは小学生のころ大好きでしたが、そのことを知っている人って……といぶかりながら差出人を見てびっくりしました。苅間澤大子、小学5年生のときに僕を認めてくれて、自信をつけさせてくれたあの先生だったんです。文面には「大丈夫。きっとよい道が拓かれます」と書かれてありました。

 それを見た瞬間、涙がとめどなくあふれてきました。僕が将棋の道を志したのは、元はといえばこの人のおかげだった。そして思い出したんです。楽しんで将棋を指していたあのころを。他の誰のためでもない、ただ自分のために指したいように将棋を指す喜びを。そして僕は僕でいいんだ、僕の将棋を指せばいいんだ、先生が認めてくれたように。そう思ったら、それまで感じていた不安や恐怖が消えていったんです。

 
 

恩師からの葉書で自分を取り戻した瀬川氏は三勝を挙げ、見事編入試験に合格。ついにプロ棋士・瀬川晶司が誕生した。しかしそれは同時にプロ棋士としての厳しい戦いの始まりでもあった。

最終回の次回は、瀬川氏にとって将棋とは何か、そしてプロ棋士として生きるということについて、熱く語っていただきます。乞うご期待!


 
第1回 2007.10.1リリース 将棋に熱中 きっかけは恩師とライバル
第2回 2007.10.8リリース 奨励会退会 後悔と絶望と怨嗟の日々
第3回 2007.10.15リリース どん底からの復活 アマ最強からプロ棋士キラーに
第4回 2007.10.22リリース 不可能への挑戦 最後の希望を恩師がつなぐ
第5回 2007.10.29リリース 厳しくも楽しい勝負の世界 将棋は宇宙、その謎に迫る

プロフィール

せがわ・しょうじ

1970年生まれ、37歳。神奈川県出身。プロ棋士(フリークラス)

小学5年生で将棋に熱中し、小学6年生でプロ棋士を志す。以降、将棋の研鑽に励み、中学2年で全国中学生選抜将棋選手権大会で優勝。安恵照剛七段門下に入り、日本将棋連盟のプロ棋士育成機関・新進棋士奨励会試験に合格。プロ棋士の道へ踏み出すが、26歳までに四段に上がれず、奨励会を強制退会。以降はプロ棋士の夢はあきらめ、大学入学、一般企業へ入社。将棋はアマチュアとして続け、2つの日本一のタイトルを奪取。対プロの勝率も驚異的な数字を記録。最強のサラリーマン棋士としてその名を将棋界に轟かせる。

2004年、周囲のすすめもあり、再びプロ入りを決意。元棋士仲間、マスコミ関係者が一丸となって瀬川氏のプロ入りをバックアップ。2005年、世論と将棋連盟を動かし、不可能と思われていたプロ入り編入試験を実現。6番勝負で3勝を挙げ、61年ぶり、戦後初の奨励会を通過していないプロ棋士となった。

2006年、NECとスポンサー契約を結ぶ。企業と棋士個人のスポンサー契約は将棋界初。

現在、フリークラスのプロ棋士として活躍中。また、執筆、講演、各種将棋イベントへの参加など、将棋の普及にも尽力している。

【関係リンク】

■瀬川氏ブログ
「瀬川晶司のシャララ日記」

■日本将棋連盟

■主な戦績
1984年 全国中学生選抜将棋選手権大会優勝
新進棋士奨励会に6級で入会

1989年 初段に入品

1992年 三段リーグ入り

1996年 年齢制限により奨励会退会

1999年 第53回全日本アマチュア名人戦優勝

2000年 第9期銀河戦で対プロ7連勝

2002年 第19期全国アマチュア王将位大会で優勝
第12期銀河戦で対プロ3連勝

2004年 第12期銀河戦でA級棋士の久保八段に勝利
第13期銀河戦で対プロ6連勝

2005年 将棋連盟にプロ入りの嘆願書を提出
戦後初のプロ編入試験実施が決定
・プロ編入試験六番勝負第1局
 佐藤天彦三段に敗北●
・プロ編入試験六番勝負第2局
 神吉宏充六段に勝利○
・プロ編入試験六番勝負第3局
 久保利明八段に敗北●
・プロ編入試験六番勝負第4局
 中井広恵女流六段に勝利○
・プロ編入試験六番勝負第5局
 高野秀行五段に勝利○
3勝を挙げ、試験に合格。プロ(フリークラス)4段に編入
第33回 東京将棋記者会賞

2006年 NECと1年間の所属契約を締結。所属契約はプロ棋士初

2007年度戦績 6勝5敗
通算 22勝19敗 (9月30日現在)

■関連書籍
『棋士 瀬川晶司—61年ぶりのプロ棋士編入試験に合格した男』日本将棋連盟

『瀬川晶司はなぜプロ棋士になれたのか』(古田 靖/河出書房新社)

『奇跡の一手—サラリーマン・瀬川晶司が将棋界に架けた夢の橋』(上地 隆蔵/毎日コミュニケーションズ)

 
おすすめ!
 
『泣き虫しょったんの奇跡 サラリーマンから将棋のプロへ』(講談社)

将棋に出会ってからこれまでの栄光・挫折・復活への道のりと、そのつど瀬川氏が感じた気持ちが丹念に書かれた一冊。特に奨励会退会とプロ編入にいたるまでの経緯は、「プロジェクトX」さながら! 涙なしには読めません! インタビュー内容をより詳しく知りたい方はぜひご一読を。2007年度全国読書感想文コンクール高校の部の課題図書にも指定。

『後手という生き方』(角川oneテーマ21 角川書店)

将棋に先手と後手があるように、人生にも先手と後手がある。先手の人が必ず勝利者になるわけではない!  奨励会を年齢制限で退会し、アマチュアとして夢を追いかけた私はいわば「後手番」の人間。だが「後手」にも先手にない強みがある! 将棋界に風穴を開けたサラリーマン棋士の革命的プロ論。「早咲きの天才」渡辺明竜王との特別対談も収録。

『夢をかなえる勝負力!』(PHP研究所)

柔道家の古賀稔彦氏、女流囲碁棋士の梅沢由香里氏、「失敗学」で知られる工学博士の畑村洋太郎氏らとの対談集。「挫折は成功の母」というありがちな教えも、その正しさを身をもって実証してきた彼らから聞けば、ずしりと心に響く。

『棋士 瀬川晶司—61年ぶりのプロ棋士編入試験に合格した男』(日本将棋連盟)

「棋士・瀬川晶司」誕生までのすべてを、様々な角度から活写する。瀬川氏ロングインタビューや、「健弥くん」のコメント、プロ編入試験6番勝負の『将棋世界』誌連載観戦記、実戦29局のポイント解説、奨励会3段リーグ表などを収録。多角的な解析・情報で、瀬川氏プロ編入のいきさつがより深く理解できる。

 
 
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