キャリア&転職研究室|魂の仕事人|第26回 プロ棋士 瀬川晶司-その2-自ら命を絶とうとまで思った …

TOP の中の転職研究室 の中の魂の仕事人 の中の第26回 プロ棋士 瀬川晶司-その2-自ら命を絶とうとまで思った 後悔と絶望と怨嗟の日々

魂の仕事人   photo
魂の仕事人 第26回 其の一
奨励会退会は死の宣告 自ら命を絶とうとまで思った 後悔と絶望と怨嗟の日々
まずは最初の関門を19歳で突破し、22歳でいよいよプロへの最終関門・三段リーグに昇格した瀬川氏。タイムリミットの26歳まであと4年。さらにルール改正でチャンスは8回となり、生き残り合戦はさらに熾烈を極めることとなる。さらに本来のスタイルとはほど遠い将棋しか指せなかった瀬川氏は次第に追い詰められていった。  
プロ棋士 瀬川晶司
 

凶と出たルール改正

 

 ルールが変わっても条件はみんな同じですから、大丈夫だろうと思ってました。勝ち星を重ねてさえいけば三段リーグを抜けられるわけなので。チャンスは8回(※)もあるって感じでした。

 最初の年は、1期目が10勝8敗、2期目は負け越しの8勝10敗に終わりました。でも1年目ということで、それほどショックは受けませんでした。それよりも負け越した2期目は途中でうんざりしました。

 新ルールの「三段リーグ」は18回戦のリーグ戦で、上位2名だけが四段になれるというものですが、ルール改正までは、どこから数えてもいいので9勝3敗という成績をとれば四段に上がれた、つまり、プロになれたんです。だから例えば、5連敗してもそのあと5連勝すれば、その5連勝だけを使えたんですね。

 ところが三段リーグの場合は、最初に5連敗しちゃうと残り全勝しても四段に上がれる可能性は低くなる。最初の成績が悪いと、その期はもう絶望的になるんですよね。だけど、その後もリーグ戦は続く。それが三段リーグの特徴でもあるんですが、もう上がる見込みもないとわかっても、戦わなきゃならない。そうなるとちょっとうんざりというか、戦うモチベーションが沸いてこないわけですよ。本当はそういう消化試合というか、上がれないとわかっていても最善を尽くさないと上に上がれないんですよね。

※チャンスは8回──四段への昇段は三段リーグ戦上位2名のみ。その三段リーグは半年に1回の開催。つまり1年で2回×4年で計8回というわけ

退会は死と同義
 

 次の年も3期、4期と2位に入れなくて上がれませんでした。このころから段々苦しくなってきました。自分の寿命がどんどん縮まっていくようなものですからね。

 四段リーグに上がれずに奨励会を退会になるのは、僕にとっては「死」と同じでしたからね。大げさではなく。これまで20数年間将棋一筋に生きてきて、プロ棋士になることしか考えていないわけですから。退会になると二度とプロにはなれないわけですからね。

 だからこの時期は本当につらかったですね。あんなに好きだった将棋が苦しいものになってましたから。年齢制限のプレッシャーもそうですが、指したいように指せないことがとにかく苦しかったです。でもチャンスは半分終わっても、まだ大丈夫だと思っていました。もともとのんきな性格なんですよね。

現実逃避
 

 その当時、僕は実家を出て中野のアパートで一人暮らしをしていたのですが、僕の部屋は奨励会の仲間の溜まり場になっていました。いつも誰かしらいる状態でした。僕の留守中でもね(笑)。鍵のありかをみんなに教えていたので。

 自然とそうなったんですが、全然嫌ではなかったですね。みんなといると楽しいということもありますが、それよりも一人でいることの孤独に耐えられなかったというのが大きかったと思います。一人でいるとどうしても、特に試合に負けた夜などは、このまま四段リーグに上がれずに退会になったらどうしようとか考えてしまうんで、みんなと一緒に遊んだりすることで気を紛らわせていたんですね。今から思えば厳しすぎる現実から逃避していたのかもしれません。

 そのときの気持ち? うーん……そのときは焦りというのでもないんですが……どういう気持ちなのか、ちょっと表現しづらいんですけど……でも、自分に限ってそんな年齢制限でダメになるようなことなんて絶対にないと思ってました。

 今思うと、三段リーグから抜けられない自分を考えるのが怖くて、逆に無理矢理そう思い込ませようとしてたのかもしれませんね。精神的に弱かったんですね。

3年目の5、6期のリーグ戦とも10勝8敗で上位2位に入ることはできなかった。そして迎えた最後の4年目。7期は負け越しの7勝11敗。ラストチャンスの8期目もリーグ戦途中で四段リーグへの昇格は絶望的となり、退会が決定。プロ棋士への道が完全に閉ざされてしまった。瀬川氏は生きる気力を失ってしまった。

なぜもっと頑張らなかったのか……
後悔と絶望
 

 退会が決定する直前からかなり追い詰められてたみたいで、最後のリーグ戦で負けが込んできたときに、奨励会の友達に「もうダメだ。僕を殺してくれ」と言ったらしいですよ。自分では覚えてないんですがね。

 負けて退会が完全に決まった時は、それまで自分は四段にいけると無理矢理思い込ませてたということもあり、自分が壊れそうなくらい本当にショックでしたね。頭の中が真っ白になって、何も考えられなくなりました。恐れていたことが現実になってしまったわけですから。

 退会が決まった後は、将棋会館からすぐ帰途についたんですが、まっすぐ家に帰れなかったんですよね。アパートの最寄り駅で降りたんですが、それからぐるぐると街をさまよい歩いたんです。同じ道を行ったり来たり。

 頭の中はいろんな思いでパニック状態でした。奨励会を退会となった以上、もうプロには絶対になれない。プロ棋士として羽生さんや谷川さんと名人戦を争うことは絶対にない。なぜこうなる前にもっと頑張らなかったのか。みんなと遊んでいる時間があるんなら、一人で将棋の勉強に打ち込まなきゃいけなかった。自分は甘かった……。

 プロ棋士を目指したこと自体も悔やみました。なぜそんなリスクの高い生き方よりも、みんなと同じように大学へ行って、会社に入ってという普通の人生を選ばなかったのか。本当に、12年間、将棋なんかやらなきゃよかったって思いましたし、自分がやってきたこと全てが無駄だったっていう気になりましたね。

 しまいには将棋そのものを恨みました。将棋にさえ出会わなければこんな目にあうこともなかったって。悪いのはすべて将棋だって。

もう死んでしまおう
 

 それは単なる挫折感というような生易しいものじゃなかったです。なんていうかもう、自分の人生が終わったような感じでしたね。小学生のころから将棋にすべてを賭けてきた身にとっては、将棋がなくなったわけですから、自分には何もない、もう本当にゼロなんです。自分の体をぐちゃぐちゃにして、消し去りたい衝動に駆られるほどでした。

 実際に、何回目かの往復途中で、横断歩道で信号待ちをしている時に、「もうこうなってしまった以上、生きていてもしょうがない。死んでしまおう」と思って、道路に足を踏み出したんです。そして向かってくる車に飛び込もうと足に力を入れた瞬間、親や兄弟の顔が思い浮かんだんです。僕がこのまま死んじゃったらみんな悲しむだろうなって思ったら、飛び込もうとしていた足から力が抜けたんです。あの時はもう、そんなことをしそうになるくらい、絶望感でいっぱいだったんでしょうね。

部屋に戻った瀬川氏は布団をかぶって大声で泣きに泣いた。その後も絶望で満たされた時期は続いたが、次第にこのままではいけないという気持ちが沸いて来た。瀬川氏が第2の人生として目指した職業は意外なものだった。

弁護士になろう
 

 プロ棋士への道が閉ざされてしばらくしてアパートを引き払って神奈川の実家に戻ったのですが、そこでも家の中に引きこもって、今で言うニートみたいな感じでした。外に出たくないわけじゃないんですけど、何をやっていいのか、何ができるのかが全く分からなかったんです。

 でも、たぶん2、3カ月後にはとにかくこのままではいけない、何かまた新しくやらなきゃって思い始めたんです。「たぶん」というのは実際、どのくらいで立ち上がろうと思い始めたのか、はっきりとは覚えてないんです。とにかくやっぱりこのままの状態でいるわけにはいかないというのは、もちろん自分では分かっていたので。それで立ち直るためにはどうすればいいか考えたところ、何か目標を作ろうと。そこで浮かんできたのが弁護士だったんです。

 なぜ弁護士かというと、子供の頃から弁護士が主役の推理小説が好きだったのを思い出したんですね。また、弁護士になって、奨励会のみんなを見返してやろうという不純な動機もありました。奨励会に対して、自分は敗北者というか負けたという実感があったので、いつかプロ棋士になった昔の友達に会う時に、引け目なく会いたいというか、いやらしい言い方ですけど聞こえのいい仕事に就いていたいなという思いもあったんです。

弁護士を目指すことにした瀬川氏は27歳で神奈川大学法学部の二部に入学。昼はアルバイト、夜は司法試験の勉強という二束のわらじ生活が始まった。人生のすべてを賭けた将棋がなくなった普通の生活は、案外新鮮で楽しかった。そして少しずつ、将棋への恨みや憎しみも消えていった。

受容。そして復活へ
 

 学生生活は楽しかったですね。大学の夜間部は18歳の子もいれば、20代30代の社会人や、50歳くらいのおじさんなど、いろんな年齢や職業の人がいました。だから、僕は普通の学生よりは年上でしたけど、引け目を感じることはなかった。何より新鮮でしたね。今まで奨励会の人としか話をしてなかったし、話も将棋関係のことばかりだったし。でも大学では全く違う。将棋のショの字もない、そういう一般の人たちの感覚に触れて、毎日が楽しかったですね。だからこのころは将棋のことは一切考えてなかったです。

 でも無理矢理考えないようにしていたというわけではなくて、このころは気持ちもだいぶ落ち着いていて、将棋への恨みとか憎しみは時間がたつにつれて自然にどんどん薄まっていったんです。

 プロになれなかったのは、自分のせい、やっぱり自分の努力が足らなかったせいだというのも、だんだん分かってきましたしね。結局、僕は奨励会の苦しさに負けてしまったんですよね。指したい手を指さないで、相手の手を殺すような、そういう展開でも勝ち抜かなきゃいけなかったんですよね。

 条件はみんな同じで、中には三段リーグを抜けて四段に上がったとたん、急に将棋が明るくなった棋士や、思い切った将棋になる棋士も多いですし。やっぱり負けたらプロになれないという勝負と、負けたら少し収入が低くなるという勝負は、重圧の比重が違うんですよね。だから三段リーグはみんな我慢する時期なんでしょうね。そこを僕は結果的に我慢できなかったということなんですよね。

大学で前向きに
 

 また大学に入ったことで、人生をやり直せる気になったんです。昼間バイトして、夕方から大学という生活になって、結構忙しい毎日だったんですけど、そうしているうちに、「なんとかなるかな」という気になってきたんですね。

 社会にはいろんな人がいる。30くらいの歳で大学に学びに来てるような人もいるし、だからみんな、人それぞれ、人生はいろいろあるんだなって。だから僕の奨励会の経験も、いつか役に立つこともあるかもしれないなと、けっこう前向きに考えられるようになったんです。だから将棋はもう絶対指さないとか、そういうふうには考えてなかったですね。

 気持ちの切り替えが早い? うーん……あんまり物事を深く考えないというか、怒りなどが持続しないタイプなんですよね(笑)。逆にそれがあっさりしててよくないと思う点でもあるんですけど。

 こんな感じで大学に入ってすぐのころは将棋のない生活に対して物足りなさは感じなかったんですが、1年くらい経ってくるとやっぱり、だんだん将棋を指したくなってきたんです。

 

絶望や悲しみを受容し、一歩踏み出した先の新しい生活で少しずつ自分を取り戻していった瀬川氏。そして、一度は恨みすら抱いた将棋の世界へ再び身を投じていく。そのきっかけを与えてくれたのが、あの「ライバル」だった──。

次回はプロ棋士に連勝するまでの強さを取り戻した過程、そして再び勝負の世界に生きる覚悟を決めた理由に迫ります。乞うご期待!


 
第1回 2007.10.1リリース 将棋に熱中 きっかけは恩師とライバル
第2回 2007.10.8リリース 奨励会退会 後悔と絶望と怨嗟の日々
第3回 2007.10.15リリース どん底からの復活 アマ最強からプロ棋士キラーに
第4回 2007.10.22リリース 不可能への挑戦 最後の希望を恩師がつなぐ
第5回 2007.10.29リリース 厳しくも楽しい勝負の世界 将棋は宇宙、その謎に迫る

プロフィール

せがわ・しょうじ

1970年生まれ、37歳。神奈川県出身。プロ棋士(フリークラス)

小学5年生で将棋に熱中し、小学6年生でプロ棋士を志す。以降、将棋の研鑽に励み、中学2年で全国中学生選抜将棋選手権大会で優勝。安恵照剛七段門下に入り、日本将棋連盟のプロ棋士育成機関・新進棋士奨励会試験に合格。プロ棋士の道へ踏み出すが、26歳までに四段に上がれず、奨励会を強制退会。以降はプロ棋士の夢はあきらめ、大学入学、一般企業へ入社。将棋はアマチュアとして続け、2つの日本一のタイトルを奪取。対プロの勝率も驚異的な数字を記録。最強のサラリーマン棋士としてその名を将棋界に轟かせる。

2004年、周囲のすすめもあり、再びプロ入りを決意。元棋士仲間、マスコミ関係者が一丸となって瀬川氏のプロ入りをバックアップ。2005年、世論と将棋連盟を動かし、不可能と思われていたプロ入り編入試験を実現。6番勝負で3勝を挙げ、61年ぶり、戦後初の奨励会を通過していないプロ棋士となった。

2006年、NECとスポンサー契約を結ぶ。企業と棋士個人のスポンサー契約は将棋界初。

現在、フリークラスのプロ棋士として活躍中。また、執筆、講演、各種将棋イベントへの参加など、将棋の普及にも尽力している。

【関係リンク】

■瀬川氏ブログ
「瀬川晶司のシャララ日記」

■日本将棋連盟

■主な戦績
1984年 全国中学生選抜将棋選手権大会優勝
新進棋士奨励会に6級で入会

1989年 初段に入品

1992年 三段リーグ入り

1996年 年齢制限により奨励会退会

1999年 第53回全日本アマチュア名人戦優勝

2000年 第9期銀河戦で対プロ7連勝

2002年 第19期全国アマチュア王将位大会で優勝
第12期銀河戦で対プロ3連勝

2004年 第12期銀河戦でA級棋士の久保八段に勝利
第13期銀河戦で対プロ6連勝

2005年 将棋連盟にプロ入りの嘆願書を提出
戦後初のプロ編入試験実施が決定
・プロ編入試験六番勝負第1局
 佐藤天彦三段に敗北●
・プロ編入試験六番勝負第2局
 神吉宏充六段に勝利○
・プロ編入試験六番勝負第3局
 久保利明八段に敗北●
・プロ編入試験六番勝負第4局
 中井広恵女流六段に勝利○
・プロ編入試験六番勝負第5局
 高野秀行五段に勝利○
3勝を挙げ、試験に合格。プロ(フリークラス)4段に編入
第33回 東京将棋記者会賞

2006年 NECと1年間の所属契約を締結。所属契約はプロ棋士初

2007年度戦績 6勝5敗
通算 22勝19敗 (9月30日現在)

■関連書籍
『棋士 瀬川晶司—61年ぶりのプロ棋士編入試験に合格した男』日本将棋連盟

『瀬川晶司はなぜプロ棋士になれたのか』(古田 靖/河出書房新社)

『奇跡の一手—サラリーマン・瀬川晶司が将棋界に架けた夢の橋』(上地 隆蔵/毎日コミュニケーションズ)

 
おすすめ!
 
『泣き虫しょったんの奇跡 サラリーマンから将棋のプロへ』(講談社)

将棋に出会ってからこれまでの栄光・挫折・復活への道のりと、そのつど瀬川氏が感じた気持ちが丹念に書かれた一冊。特に奨励会退会とプロ編入にいたるまでの経緯は、「プロジェクトX」さながら! 涙なしには読めません! インタビュー内容をより詳しく知りたい方はぜひご一読を。2007年度全国読書感想文コンクール高校の部の課題図書にも指定。

『後手という生き方』(角川oneテーマ21 角川書店)

将棋に先手と後手があるように、人生にも先手と後手がある。先手の人が必ず勝利者になるわけではない!  奨励会を年齢制限で退会し、アマチュアとして夢を追いかけた私はいわば「後手番」の人間。だが「後手」にも先手にない強みがある! 将棋界に風穴を開けたサラリーマン棋士の革命的プロ論。「早咲きの天才」渡辺明竜王との特別対談も収録。

『夢をかなえる勝負力!』(PHP研究所)

柔道家の古賀稔彦氏、女流囲碁棋士の梅沢由香里氏、「失敗学」で知られる工学博士の畑村洋太郎氏らとの対談集。「挫折は成功の母」というありがちな教えも、その正しさを身をもって実証してきた彼らから聞けば、ずしりと心に響く。

『棋士 瀬川晶司—61年ぶりのプロ棋士編入試験に合格した男』(日本将棋連盟)

「棋士・瀬川晶司」誕生までのすべてを、様々な角度から活写する。瀬川氏ロングインタビューや、「健弥くん」のコメント、プロ編入試験6番勝負の『将棋世界』誌連載観戦記、実戦29局のポイント解説、奨励会3段リーグ表などを収録。多角的な解析・情報で、瀬川氏プロ編入のいきさつがより深く理解できる。

 
 
お知らせ
 
魂の仕事人 書籍化決!2008.7.14発売 河出書房新社 定価1,470円(本体1,400円)

業界の常識を覆し、自分の信念を曲げることなく逆境から這い上がってきた者たち。「どんな苦難も、自らの力に変えることができる」。彼らの猛烈な仕事ぶりが、そのことを教えてくれる。突破口を見つけたい、全ての仕事人必読。
●河出書房新社

 
魂の言葉 魂の言葉 生き方は人それぞれ、人生もいろいろある 生き方は人それぞれ、人生もいろいろある
インタビューその3へ

TOP の中の転職研究室 の中の魂の仕事人 の中の第26回 プロ棋士 瀬川晶司-その2-自ら命を絶とうとまで思った 後悔と絶望と怨嗟の日々