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魂の仕事人 第21回 其の二
死への興味から、看護の道へ 生と死の現場で心のケアに目覚める
医療コーディネーターとして、患者の意志を尊重し、自己決定をサポートしている岩本氏。彼女を頼ってくるのは、病院から見捨てられた末期がんの患者がほとんど。中には最期まで付き合う場合もある。しかしそんな岩本氏も以前は、病院に勤めるいち看護師だった。今回は医療コーディネーターとしてサポートした忘れられない患者のこと、そして看護師を目指した理由に迫った。  
医療コーディネーター NPO法人「楽患ねっと」副理事長 岩本ゆり
 

まずはとことん話し合う

 

 医療コーディネーターとして患者さんと関わるのはさまざまなケースがあります。平均すると実際に会うのは平均1.5回くらいなんですが、中には最期までお付き合いさせていただくケースもあります。肺がんの男性の患者さんで、奥様と2人で暮らしていたAさんもその内のひとりでした。

 Aさんは、がんセンターのような大きな病院で治療をされていて、担当の医師から「ここまでがスタンダードの治療です、それに対して効果が出なかったのでこれ以上治療法はありません」と言われたんですね。その医師の言葉に、「私は治療を続けていきたい、絶対あきらめない」と。「医者はあきらめないという患者の気持ちをサポートするべきなのに、医者があきらめてどうするんだ」と夫婦2人で怒ってました。そのがんセンターで治療をしてくれないのだったら、他でやってくれる所を探してほしいという依頼だったんです。

 それで、Aさんのご自宅にうかがって、3人で話し合いました。Aさん夫妻は、治療を続けることだけが自分にとって病気と戦うということだと思っていました。しかし私は、「人は誰でも必ず死ぬんですから、死に対して抗うことだけが戦うということではないですよね」という話をしたら、「それはもちろん分かっているし、この病気で自分は死ぬんじゃないかと思ってる。ただ、病気に負けたくない」と言ったんです。

 そこで「でも、病気の治療をすることが負けないということではない。治療は体に大きな負担をかけるから、ある時点から、負けないためには体に負担をかけないという方法もある。医師から言われたあなたの状況では、その負担をかけないということも、選択肢の中にある。だから医師はホスピスに行くという選択肢もあると言ったわけで、医師はあきらめたわけでもあなたを見捨てたわけでもないんですよ」と言ったんです。

 そして「今、治療しないことが負けることじゃないということが納得できるのであれば、本当は何がしたいですか? 治療がしたいのかそうではないのか?」ということを聞いたら、「本当は家に帰りたい」とおっしゃったんですね。家で好きなことをしたいと。「ただ、ホスピスのような所は、何もすることがないから嫌だ」と。

第三者だから話せることもある
 

 でも奥様は、Aさんがお家に帰るのをすごく拒否してたんですね。奥様になぜですかと聞いたら、自分の弟さんが急死をされたことがあったそうなんですね。だから夫が自宅に帰って、療養中にもし急に死んでしまったらという不安がすごく強かった。でも家族の中、特に夫婦の間で、あなたが急に死んでしまったら不安だということを言えなかったと。でも第三者がそこに入ることによって、初めて本音を言うことができたんです。

 「でもがんは急に死んでしまう病気ではないから、ちゃんと死は事前にわかる。医療機関とちゃんと連絡をとりつつ、自宅で療養することが今はできるんですよ」って話したら、「それなら自宅でやってみよう」ということになったんです。大きな病院から自宅近くの病院の医師に主治医を変えて、亡くなるぎりぎりまでご自宅にいることができたんですね。

 それからも、時々見に来て下さいと言われたので定期的に通いました。Aさんと会ったときは、普通に世間話をしてました。「今、何をしてらっしゃるんですか?」とか、「やりたいと思ってたことはどこまでできましたか?」とか。Aさんが「体力がなくなってあれができなくなっちゃった、これができなくなっちゃった」って言ったら、「じゃあこの前言っていた、こういうことはまだできるんじゃないですか」とか。別れ際には、「まだ元気でいるよ、まだ頑張れるよ」、「また次に会いましょう」と言い合ったり。

 Aさんは最期は病院で息を引き取りました。私が行った時はもう意識がなかったですね。だから最期にお話をしたのって、そういう普通の話でしたね。亡くなるまで、3〜4カ月くらい関わりました。奥さんも、今までありがとうっておっしゃってくれて。今でも、一周忌とか二周忌とかになると奥さんから連絡がきます。

 医療コーディネーターとしては、患者さんが望んでいる医療を受けられたとか、今まで分からなかったことが分かってすっきりしたとか、これで納得して次のことに進んでいけそうだとか、そういうふうに言われた時が一番うれしい瞬間ですね。

医療コーディネーターという仕事は非常にやりがいがあると岩本氏は語る。しかしその前は、大学病院に勤める普通の看護師だった。看護師を目指したそもそもの動機は幼少期に感じていたある「恐怖」にあった。

死に興味があった
 

 私の場合、看護師になりたいと思った理由が特にないんです(笑)。周囲に誰も医療関係者がいないし。しいて言うなら、死に対する興味ですかね。私、小学生のころから自分が死ぬということにすごく興味があったんです。

 死に興味を持ったきっかけは特にはないのですが、宗教が身近だったことが影響してるのかなと思います。私の母が外国人なんですが、母の国の国教がキリスト教のカトリックだったんですね。子供も生まれてすぐに洗礼を受けるような社会です。

 そんな国だから、みんな生まれたときから、「天国には神様がいて、私たちは死んだら天国に行くのよ」と聞かされて育つんです。だからそういう世界観・死生観が当たり前なんですね。

 私も幼児洗礼を受けて、成長してからもずっと教会に通ったり、母親からもそういうふうに信じなさいと言われたんですけど、いくら考えても信じられなかったんですよ。そんなわけがないって(笑)。誰も死んだことがないのにどうしてわかるんだ、人が復活するって言われてもそんなわけがないとか。

 でも他のみんなはそれを信じてるんですよね。そういうものなんだ、聖書に書いてあるんだからそうなんだって。

 どうしてみんな、当たり前のようにあんな嘘っぱちみたいなことを信じられるんだろう、何がそうさせるんだろうって、すごく考えてました。何かがあるから信じるんだろうな、でもそれがよく分からない。それも知りたいと思っていたんですが、私は宗教学にいくほど興味がないし、神の存在を信じてるわけじゃない。そういう流れから「天国がないなら、本当は人が死んだらどうなるんだろう」「人の体ってどうなっているんだろう」という現実的なことを考え始めたんですね。

死に近い仕事がしたい
 

 その頃、死に対しては怖いというイメージしかなかったですね。死んだ後が分からないから。本当は教えられるように「死んだら天国に行って幸せになれる」ということを信じられたら怖いという気持ちがなくなるだろうから、信じたいと思ってたんですけど、どうしても信じられなかった。信じられないと天国に行けないと言われるし(笑)。堂々巡りですよね。

 だから「どうしたらいいんだろう、今死んじゃったらたいへんだ」と思ってました。同時に、信じてない人たちはどういう思いをもって死ぬんだろう、そこに興味がありました。死ぬ直前ってみんな、どういうふうに感じるんだろうって。でも聞いてまわるわけにもいかないし。どうしたらいいんだろうって考えた結果、実際に死に近い職業、常に死に関われる仕事がしたいって思ったんです。

 でも宗教を信じられないから宗教家になるわけにもいかないし。カウンセラーとかもいいかなと思ってたんですが、当時カウンセラーってまだ仕事になるようなものではなかったんですね。

 それで看護師になろうと。実際に子供のころから医療系に興味もありましたし。「人体の不思議」とかが大好きで、解剖図とかそういう本をよく読んでました。これも宗教を信じられなかった反動だと思いますが。

 でもそういう医療系の本を読んでも、どういった治療をするのかなどには興味がなくて、それより亡くなっていく人が病の中でどういう気持ちでいるのかという方に興味があった。でもそれは医師ではなかなか聞くことができないだろうと思いました。医師は治療をする人だから、亡くなる人のそばにずっとついているというイメージがなかったんですね。看護師だったらより患者さんのそばにいられて、死を身近に感じられるかなと思ったんです。それで高校を卒業して東京医科大学病院の看護専門学校に入学したんです。

死への興味から看護学校に進学した岩本氏。学校での勉強や実習を通して、自分のやりたいことに近い、自分の選んだ道は間違ってなかったと再確認する。しかし卒業後に選んだのは、死に近い現場とは対極にある場所だった。

「死の前に生を見よう」で助産師学校へ
 

 在学中もやっぱり死に非常に興味があったので、卒業後はホスピス(注1)を志望していたんです。ですが、そのころホスピスがほとんどなかった。また、就職を考えた時に相談した先生に「臨床経験がないとホスピスには行かれないから、まず看護師を5年くらいやりなさい」って言われたんです。

 でもまだ自分が看護の現場に出られないような気がしたんですね。学校を出たばかりで、医療の現場に出る自信がまだなかった。それでもう1年学校に行こうかなと思って、助産師学校に入学したんです。

 助産師学校を選んだのは、生まれることに興味があったからではありません。生死と関係ない予防とか保健の学校に行くよりは、生まれるところを見ておくことが、将来、ホスピスに行く時に役に立つんじゃないかって。いずれ死を見るなら生を見てこようかなと思ったんですね。動機はそんな消極的な気持ちだったんです。

 学校に1年間通った後は、せっかく助産師の資格を取ったんだから3年間くらい働いてみるかって、東京医科大学病院の産科病棟に就職しました。

 でも実際は、産科でもけっこう死が身近にあったんです。死産や流産が非常に多くて、産科病棟にもやっぱり死はたくさんあるんだなって思いました。

注1 ホスピス──主に末期がん患者や後天性免疫不全症候群(AIDS)患者など、終末期患者のケアを行う病棟。詳しくは財団法人・日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団のWebサイト

心のケアに目覚める
 

 正常なお産で生まれることに喜びを感じる助産師がほとんどなのですが、私の場合は流産や死産になってしまった人のその後の心のケアとかグリーフケアをすごくやりたいと思って、積極的に関わっていきました。

 グリーフケアとは遺族のためのケアで、お子さんが亡くなった後の心のケアです。病院はお子さんを亡くした後は関わらないんですね。だから個人的に話を聞いたりしてました。

 グリーフケアをやり始めたきっかけになったのは、死産で子供を亡くされたある人との出会いでした。その人は子供をお棺に入れるまではすごく無表情だったんですが、お棺に入れて病院を出て行く時、突然泣きながら「(お棺には)入れさせない、絶対入れさせない!」って棺に抱きついて離さなくなってしまって。みんなで押さえつけて入れて、出棺したということがあったんです。

 そのとき、この人にここまでの悲しみがあるって知らなかったなって、すごく思ったんですね。そしてこのとてつもない悲しみを、今後この人はどこでどうやって処理するんだろうって。出棺した時点で病院との縁は切れてしまうわけですからね。周囲の人に、「みんなどう思う?」って聞いても、「また次、すぐ子供ができるよ」とか、「時間が解決してくれるよ」って言うんですが、私は本当にそういうものなんだろうかって疑問でした。それで、なんとかしたいな、と思ったのがきっかけですね。

不妊もひとつの喪失体験
 

 また、産科では子供ができない不妊症の人の治療も行ってたんですが、不妊もひとつの喪失体験なんですよ。何かがなくなるわけじゃないんですが、得たいものが得られない、自分の未来が得られないというんですかね。治療しても妊娠できなかったというのは、小さな流産みたいなものなんですよ。心の中では自分の子供ができているかのように考えていてダメだった、というね。そういった気持ちは不妊の方にしかわからない特殊な気持ちで、なかなか周囲に理解されにくくて、かなり軽く扱われていたんですね。

 でも、そういった気持ちのケアも産科の中ではすごい大切だなと思っていて、個人的に話を聞いたり、病院側にももう少しそっちに目を向けたケアをしたほうがいいんじゃないかって提案したりしてたんです。

人間の強さが見たい
 

 流産や死産などでお子さんを亡くされた方や不妊の方の話を聞くのを、つらいとか嫌だとかはあまり感じないんですね。それよりも、その人たちがどんな気持ちで、どうやって立ち直っていくのか、そういった人間の強さみたいなのを見たいという気持ちの方が強いんです。

 もちろんまず、そういう人たちをなんとかしたいという気持ちがあります。ただ、私は基本的に、人は自分で立ち直るものだと思っているので、私が何かできるとは思ってないですね。そういうつらい体験をした人には誰かがそばにいることが必要な時もあるだろうから、そんな時にそばにいられる人でありたいとは思いますが、私が何かしたから立ち直るということではないんですね。

 そんな感じで産科で3年間看護師を経験してみて、やっぱり私はより死に近い方面とか心のケアに向いているんだと思ったんです。

 

一見、無関係だと思われる場所で働くことで、自分の本当にやりたいことを発見、再確認した岩本氏。しかし、この後看護師を辞めて、旅に出てしまう──。

次回は岩本氏の挫折と復活、そして人生を決定づけたある患者との交流を語っていただきます。乞うご期待!

 
1.2006.4.9リリース 患者と社会をつなぐ仕事に
2.2006.4.16リリース 死への興味から、看護の道へ
3.2006.4.23リリース ひとりの患者が仕事観を変えた
4.2006.4.30リリース 仕事とは人生そのもの

プロフィール

いわもと・ゆり

1972年神奈川県出身、34歳。医療コーディネーター、NPO法人「楽患ねっと」副理事長。看護師、助産師、看護学士の資格をもち、日本看護協会広報委員も務めている。医療コーディネーターとして、「楽患ねっと」副理事長として、日夜患者のために尽力している。2児の母でもある。

幼少期に感じた死への興味から看護師の道へ。産科、婦人科、ホスピスの看護師など7年間の看護師生活を経て、2003年医療コーディネーターとして独立。死期が近い患者の「自分らしい人生を送るための」自己決定をサポートしている。

看護師時代の2000年に「もっと患者の本音を医療機関・社会に届けたい」と「楽患ねっと」を設立。2002年にはNPO法人格を取得、副理事長に就任。

また、2006年には看護師とケアギバーのコミュニティブログ「Not Only Nurse」を開設、患者本位の医療を実践する看護師とケアギバーに有益な情報を発信している。

■岩本さんの詳しいプロフィールはこちら

※医療コーディネーターの活動に興味のある方は、 yuri@rakkan.net までご連絡を。

■「NPO法人 楽患ねっと」のWebサイト
■「Not Only Nurse」のブログ

 
お知らせ
 
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