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魂の仕事人 魂の仕事人 第17回 其の二 photo
31歳で独立も陸撮影の日々 ライフワークを見つけ 写真家としての道を切り開く
 
命がけで撮ったスクープも、認められるどころか罵声を浴びせられたことでとうとう堪忍袋の緒が切れ、7年間在籍した会社を辞職、フリーカメラマンとして独立を決意した中村氏。再びゼロからの厳しいスタートとなったが、持ち前の粘り強さと情熱でカメラマンとしての道が徐々に開けていった。  
水中写真家 中村征夫
 

31歳、裸一貫で独立

 

 辞める決心は固まったんだけど、独立しようにも資金がなかった。給料が安かったから貯金なんてなくてね。しょうがないから銀行にお金を借りに行ったら、担当者が奥多摩の事件のことを覚えててくれてね。「あの写真を撮った中村さんですか」って、100万円の融資を確約してくれたんだ。それで、もうその日に会社に辞表を出しちゃった。

 独立したころはいろんな人が助けてくれたんだ。赤坂のデザイン事務所の社長がオフィス内に僕の机を置かせてくれてね。その上、暗室も作っていいって言ってくれたから、銀行に借りた金で暗室を作れたんだ。すごく助かったよね。今でも感謝してる。お金はそれでほとんど消えて、あとは生活費ですぐなくなっちゃった。

 辞めるときは、今までの7年間で撮ったフィルムは1枚も手元には戻してもらえなかったので、裸一貫で出ることに……。だから独立しても、他の出版社へ売り込む写真がない。また1枚目から撮らなきゃならなかった。

 だから不安はあったよ。そのときすでに子どもが一人いたし、女房のお腹にもう一人いたしね。当然、女房からは反対されたよ。こんな時期によくフリーになれるわねって。でもこれ以上会社にいることに耐えられなかった……。

 当時、水中撮影を事業にしている会社は他にほとんどなかったから転職ってわけにもいかなかったし、でも、独りで伸び伸びとやった方がいいと思って。頑張れば生活もなんとかなるだろうって思ってたしね。

メインは学校撮影
 

 でも独立してからしばらくは苦しかったよ。何しろ売り込みにいく写真がないから営業もできないし、仕事がすぐにばんばん来るわけでもないからね。

 だから当時のメインの仕事は、海とは全然関係のない学校の卒業アルバムの撮影だったんだ。2年くらいやったかな。この間、自分が撮った写真を一度も見たことがないんだよ。フィルムは全部制作会社に渡しちゃうから。でも次にまた仕事がくるから、あれでよかったんだって思って。そんな感じでとにかく毎日のように、朝から晩まで精一杯、学校撮影を頑張ってた。だから生活はなんとかなってたかな。

 海の写真が撮れなくてクサってなかったかって? 全然。あのね、海の写真を撮るにしたって、陸上の写真を撮ってなきゃダメなんだよ。むしろそっちのほうが大事よ。陸でもなんでも、常に写真を撮ることが大事なんだ。

 海の写真も、その合間に出版社や新聞社からぽつぽつ依頼が来てたからやってたよ。あとは夏には前の会社時代に付き合いのあった出版社の学習雑誌から、海の写真で2、3ページ作ってくれないかって依頼が来たりしてた。でも、僕には一枚も海の写真がない。でも編集者は「どっかからかき集めてくればいいじゃない」って言ってくれたから、友人のカメラマンから写真を借りて、それでページ作ってもらって、ギャラはみんなで分けたりとか。みんな、そうやって応援してくれたんだよね。

 31歳で独立して、軌道に乗り始めたのは40歳くらいかな。ちょうどライフワークで撮ってた作品がまとまりつつあったのもこのころだね。

ライフワークの東京湾で
木村伊兵衛写真賞受賞
 

 独立したてのころから、仕事じゃなくて個人的な興味から潜ってた海があるんだ。それは東京湾。最初のきっかけは非常に不純な動機でね(笑)。東京湾って江戸前という有名なブランドの魚たちが住んでる海でしょ。だからその海に潜れば江戸前の魚が食べられるかなって思って入ってみただけ。動機ってそんなもんだよ。

 でも潜ってみたらびっくりしたよ。東京湾って、死の海っていうけど、なんだ、全然死んでなんかいないじゃないかって思った。母ガニは卵をもって向かってくるし、ハゼは、つぶ貝みたいな小さい貝に内蔵を食われて死んでいくし、すさまじい命のドラマが繰り広げられてた。ああ、東京湾ってこんなすごいドキュメンタリーの世界なんだなと思って、もう一回、もう一回って通ううちに、気がついたら30年経ってた。今でも潜ってる。

 きれいな海もいいけれど、やっぱり僕の血が騒ぐのは、生のドキュメンタリーの世界かな。それこそ、きれいなものも汚いものも全部ひっくるめてね、いろんなドラマ、動き、生命力を感じる、そういう世界を撮りたいと思う。生きるということをテーマにね。

 元々僕は報道写真も好きだしね。独立したてのころ、報知新聞からの依頼で北極圏のエスキモー村に行って1カ月間撮影(注1)したり、海中遺跡の学術調査隊に加わって撮影(注2)したりしたこともあったんだ。だから、今も新聞や雑誌で報道写真を見て、うわぁ、僕もこの世界、この現場にいたかったな、シャッター切りたかったなと思うことがけっこうあるよね。

 いまだに新聞社とかニュースカメラマンとの付き合いもけっこうあるよ。彼らも、「他の水中カメラマンと違っておまえと付き合うのは、報道もやるからだ」って言われたことがあるんだけど、陸上でもしっかり撮れないとプロのカメラマンとして認められないってことだよね。でも水の中の話になると、僕は誰にも負けないぞという自負がある。どんな道でも「これだけは誰にも負けない」というモノがあれば強いよね。

注1北極圏のエスキモー村に行って1カ月間撮影──1976年11月、報知新聞社の新年特別企画の特派カメラマンとして世界最北の村・シオラパルクに派遣された。年間平均気温マイナス6.7度という極寒の地に1カ月間滞在して、アザラシ漁など村人の生活様子をカメラに収めた。撮影中、失明寸前の大ケガを負ったが、片目だけで仕事を完遂。中村氏のプロ意識はこのころから高かった。(中村氏のブログでも当時の様子が紹介されている。詳しくはこちら

注2海中遺跡の学術調査隊に加わって撮影──1977年島根県益田市沖で行われた、日本初の本格的海底遺跡考古学調査・鴨島遺跡学術調査団に、記録カメラマンとして参加。

1987年に東京湾で繰り広げられる命のドラマを写真と文章でまとめたフォトルポルタージュ『全・東京湾』、さらに、魚たちの生き生きとした表情を集めた写真集『海中顔面博覧会』を出版。中村氏はこの2冊で写真界の芥川賞とも呼ばれている第13回木村伊兵衛写真賞を受賞。これを機に各種メディアから撮影依頼が激増し、立て続けに写真集・書籍の出版、写真展を開催するなど、日本屈指の水中写真家としてその地位を不動のものにしてゆく。

しかし、中村氏が他の水中カメラマンと一線を画すのは、ただ人を感動させる写真が取れるからというだけではない。著書や講演で、現在危機に瀕している自然環境の現状を訴え、我々がしなければならないことの提言を繰り返し行っているのだ。

仕事の使命に目覚める
 

 国内外の海を撮影していくうちに、どんどん海の様子がおかしくなってきてるなと思い始めた。それは年を追うごとに強く感じるようになってきてるね。

 あちこちで乱開発が進んでるから、生き物であふれてた海でも数年から数十年でほとんど生き物がいなくなってる。藻場が枯れてきて、裸同然になって、当然、ウニやサザエ、アワビは育たないし、魚も来るわけがない。

 サンゴだってどんどん死滅してる。珊瑚礁の研究者はもう発表してるらしいけど、このまま温暖化が進めば50年後にはサンゴがなくなるって。たった50年で、世界中からだよ。するとどうなるか。地球の寿命がたったの150年しかもたないんだって。珊瑚礁が地球にもたらす酸素の量は膨大で、我々が出す二酸化炭素も相当吸収してくれてる。このままサンゴが死んでしまうと、海中の酸素がなくなって、生き物が姿を消す。そうなると死の世界。もうわかりきったことだよね。

人間の思い上がりが問題
 

 考えてみれば、自然界の、人間も含めて生き物というのは本来一体なんだよね。自然界と人間とはどこかにつながりがあって、そのサイクルの中に人間も生き物たちもいる。それを人間がちょっとした思い上がりで自然や他の生き物を自由にできると思ったりするからいけないんだよね。

 人間なんか、地球ができて遥かに後に生まれたものだから、歴史は全くないと思ってもいいくらいなんだけどね。某大学教授の計算によると、地球の一生を1年に例えた場合、人間が出てきたのは12月31日の23時17分ころだとか。それだけ歴史がないにも関わらず一番偉そうな態度をとってるでしょ。それがそもそもおかしいよね。

 特に海は人間が住める世界じゃないから、全く違う星だと思ったほうがいい。その中で、我々は自然界に極力影響を与えないような立場にいないといけないと思うよね。

 海というのは全てのものを覆い被せて消してしまうし、表面的にみたら美しいけど、海の中ではたいへんなことが起ってる。でもその変化は普通の人ではなかなか感じることはできない。我々、潜る人間にしかわからない。いや、潜る人間でも、何も考えない、感じないで潜ってる人がほとんど。

 そうこうしている間にも、猛烈なスピードで今、地球が破壊されてる。そういう変化が確実に目に見えるようになってきたから、これはやばいぞと真剣に思ってる。

 だから、珊瑚礁の話、藻場の話、干潟の話、それらがなぜ大事で今どういう状態にあるのか、そして今人間は何をすべきなのかということを、大勢の人にわかりやすく伝えることが僕らのような仕事をしている者の使命だと思う。だから写真集や著書、いろんな講演やインタビューなどでメッセージを送ってるんだ。そういう積み重ねが大事なんじゃないかなと思ってるんだよね。

写真だけではなく映像の分野でも、映画の撮影協力や映像作品など優れた業績を残している中村氏。同じ水中での撮影でも、写真と映像では根本的に何かが違うようだ。

ライブだからおもしろい
 

 映像も、24歳のころ、水中撮影プロダクションに入社してすぐに撮り始めてます。会社として映像の仕事もけっこうあったからね。

 今もけっこう撮ってて、去年も12月にハタハタの産卵を狙いに秋田へ行ったんだけどね。このときはいつ産卵に現れるか見当もつかないから、小型ビデオカメラを海中にしつらえて、テント内で見てた。

 でも写る映像といえば、延々砂が舞い上がったり、海草が猛烈に動く様子ばかり。そんな映像ばっかり夕方から朝方まで、じーっと見てた。オレたち、なんでこんなのをじっと見ていられるんだろうねって笑いあったんだけど、それはやっぱりライブだからだよね。生放送の楽しみと一緒。生放送がなんで面白いかというと、何が起こるかわからないから。なんでもないつまらないものでもつい見てしまうでしょ? 何が起きるか、いつハタハタが来るかわからないから、あんなつまらない単調な映像でも飽きずに真剣にじーっと見入っちゃう。でも、そういう風景を見ていられるというのは、幸せなことだなと思うね。

前後のドラマなら映像
一瞬なら写真
 

 ビデオの魅力は簡単に、明確にドラマの前後を伝えることができるっていう点。どんな人が撮っても、動くものであれば、瞬間と、その前後のドラマがその場で見ることができる。でも、やっぱり僕はビデオよりも一枚勝負の写真の方が好きなんだよね。写真の場合は、かなり腕が長けた人でないとそのドラマの前後の辺りが読めない。読めないと一瞬が撮れない。だからこそやりがいがあるんだよね。

 その辺がプロカメラマンの腕の見せ所だと思うよね。あと、アマとの違いという意味では、プロはフィルム1本撮れば、ほとんど作品として使える、つまり打率が高いっていうのがプロ。アマだと36枚撮っても本当に使えるのが数点とかね。

 でもプロは、失敗するときは全部失敗しちゃう。自分の撮影データに自信を持ってるから、同じデータでばーっと撮っちゃうこともあるわけ。そうすると、何か設定を間違ってれば、全部失敗しちゃう。途中で設定を変える暇がないときもあるからね。逆にアマチュアは必ず何点かは残せる。不安で、撮影中にいろいろデータを変えて撮るから。その辺も大きな違いかな。

写真家は自分のテーマを追い続ける
 

 あとね、同じプロでも、カメラマンと写真家の違いってあると思う。僕自身もつい最近、人に聞かれて、そういえばカメラマンと写真家の違いって何だろうって、真剣に考えるようになったんだけどね。

 僕が思う「カメラマン」は雑誌などに頼まれてオーダーどおりの写真を撮る人、「写真家」はそれもこなしつつ自分でテーマを持って、自分なりの作品を撮って、発表、活動をしている人なんだよね。

 若いうちはカメラマンとして、どんどんいろんなことを経験することが大事。その中から自分の撮りたいテーマを見つけて、自分のお金でこつこつ撮っていく。最初のうちはいくらやってもダメで、全然評価されない時期もあるだろうけど、それでもめげずに真摯に自分のテーマを追って撮り続けていくうちに、ある程度、手ごたえを感じるようになる。そうやって長年かけて完成させた自分のテーマが世に出て認められていく、周りもそういう目で見るようになってくると、写真家って言っていいんじゃないかな。だから、僕も写真家って呼ばれるようになったのって、つい最近のことじゃないかと思うんだよね。

 

水中撮影の道に入って41年。自然が好きで、生き物が好きで、写真が好きな中村氏だが、たった一度だけ水中撮影を辞めようと思ったことがあるという。それは1993年7月12日に起こった悪夢のような大災害によるものだった──。

次回はその絶望からどう立ち直ったのか、そして、中村氏にとって仕事とは何か、働くとはどういうことか、に迫ります。乞う、ご期待!

 
2006.12.4 1 やりたいことがわからず 身もだえしていた10代
2006.12.11 2 命がけのスクープで 運命が変わった
2006.12.18 3 31歳、裸一貫で独立
2006.12.25 4 仕事は生かされている証

プロフィール

なかむら・いくお

1945年秋田県生まれ、61歳。日本を代表する水中写真家。撮影プロダクション株式会社スコール.代表。

高校卒業後、上京。大型家電量販店の販売員、酒屋の店員、お抱え運転手、お菓子の卸売り業など、職を転々としながら独学で水中写真を学ぶ。24歳のときに水中カメラマンとして水中撮影プロダクションに入社。

7年間勤務した後独立。以後水中写真家として新聞、雑誌、テレビなどの各種媒体に水中写真、映像を提供。自身の出演、講演も多数。写真集、著作、DVDなど受賞作品も多い。

2006年8〜9月には水中写真家としては初めて東京都立美術館で単独で企画展海中2万7000時間の旅を開催。大反響を呼び、ほぼ口コミで4万人の観客を集める。
(2007年1月4日(木)〜2月21日(水)10:00〜18:00 秋田市立千秋美術館でも開催されます)

●公式ブログ:水中写真家・中村征夫のぷかぷかブログ

●主な受賞歴・作品
1988 第13回木村伊兵衛写真賞受賞(『全・東京湾』『海中顔面博覧会』)
1994 第9回文化庁芸術作品賞。(NHKラジオドキュメンタリー『鎮魂奥尻・水中写真家中村征夫の証言』)
1996  第12回東川写真賞特別賞。(『カムイの海』)
日本産業文化映像祭第1位。(ハイビジョンソフト『カムイの海』)
1997 第28回講談社出版文化賞写真賞。(『海のなかへ』)
1998 年鑑日本の広告写真’98優秀賞。

詳しいプロフィール・受賞歴・作品はこちら

 
おすすめ!
 
 
『海中奇面組』(KKベストセラーズ)

『読売新聞』の人気連載が、カラー写真満載のフォトエッセイとして新登場!“半漁人”中村征夫が、長き水中の旅を通して撮ってきた作品の中から77点を選び出し、だれも知らない撮影秘話を交えたエッセイで紹介。今回は、特に魚の“面白い顔”に焦点をあてたスペシャル・エディション。

 
『海中2万7000時間の旅』(講談社)

東京都写真美術館での写真展に合わせて作られたDVD付き写真集。写真219点を収録。DVDは、オホーツク、小笠原、南オーストラリアなど7つの海の特別映像、約30分。

 
 
ラジオのパーソナリティも!
 
 
「中村征夫の世界の国から」
ニッポン放送(毎週水曜日放送)20:30〜20:50

2006年10月4日(水)〜半年間
さまざまな国を旅してきた中村氏が、それぞれの国での体験談や現地の様子をおもしろおかしく伝える。ニッポン放送のアナウンサーと一緒に、初めてのパーソナリティを務めている
 
 
お知らせ
 
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自然の姿と人間がやるべきことを 伝えていくのが僕の使命
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