キャリア&転職研究室魂の仕事人第14回編集家 竹熊健太郎さん-その1-「好きなことでメシを食う」の極意とは?
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魂の仕事人 魂の仕事人 第14回 其の一 photo
趣味を仕事に25年 いつの間にかアマからプロに 「好きなことでメシを食う」の極意とは?
 
自分の好きなこと、やってて楽しいことで生活できたらどんなにいいだろう。しかし、たいていの場合、さまざまな現実の壁にぶつかり趣味と仕事は分離を余儀なくされる。しかし「遊び」を「仕事」にして20数年間生きてきた男がいる。竹熊健太郎45歳。今回は『サルまん』などでメディア界に旋風を巻き起こしてきた「編集家」に「好きなことを仕事にして生きていくということ」について熱く語っていただいた。
編集家 竹熊 健太郎
 

子供の頃からメディアに強い関心

 

 出版とかメディアの世界でメシを食うようになってそろそろ25年になりますが、アマチュアの感覚のままずーっときちゃってるんですよ。キャリアの上で、ここまでがアマチュアでここからがプロという切れ目がないんです。好きなことをやっていたらなんとか食べていけるようになったってだけなんですよね。未だにそうなんです。

 メディア的なものには子供の頃から強い関心がありました。小学生のときはよくマンガを描いていたんですが、それだけでは満足できない。マンガを描いたら、マンガを載せるメディアまで含めてつくってしまうっていう癖が子供の頃からあって。

 小学生のころは、『竹熊新聞』というのを発行してました(笑)。きっかけはちばてつや(注1)さんの『ハリスの旋風』というマンガです。石田国松という主人公がマンガの中で『国松新聞』というのを作るんですよ。学校の先生の悪口とか、ライバルのボクシング部の男をこき下ろす記事を書いて学園が大騒ぎになるっていう。

 その新聞は実際、ちばさんが全部手で描いてるんですよね。タイトルがあって、4コママンガがあって、写真は使えないからイラストが入ってて、見出しがあって、本文があるという……ちゃんとした新聞ぽい体裁で、メチャクチャな記事が書いてある。俺が読んだのが小学校1年か2年のころじゃないですかね。非常に影響を受けまして。あれが原体験でしょうね。

 『たけくま新聞』も、『国松新聞』に倣ってある事ない事書いてたわけですよ。俺の場合は近所がネタなんだけど。「裏のドブ川で水死体が浮かんだ!」とか。ただ単にゴム手袋が浮かんでただけなんだけど(笑)。それを見て「人間の生手首が……!」みたいな記事をおもしろがって書いてた。それでカーボン紙で複写して、5部くらい作って近所に配ってたんですよ。

 でも『たけくま新聞』は2、3号しか続かなかった。大人にとっては眉をひそめるような近所の噂話みたいなのを書いたら親に「やめなさい!」って怒られて。子供だから悪気はないんだけどね。だから俺の作品はだいたいそうですけど、最初からパロディみたいなものを作ってるわけです。

 で、大きくなるにつれて、そういう「メディア作り」が好きなんだなっていうことに気付いていくんです。新聞記者とか物書きになりたいっていうんじゃなくて、純粋にメディアがもつフォーマットとか体裁が好きだった。俺の場合、記事を書くだけじゃ飽き足らないわけですよ。イラストもマンガもレイアウトも、トータルでやりたいわけです。そうなると自分でメディアを作るのが一番。今、たけくまメモ」(注2)っていうブログやってますけど、ほとんどあのころと気持ちは変わらないですから(笑)。「三つ子の魂百まで」じゃないけど、子供の頃からやってることが基本的に変わってない(笑)。

注1 ちばてつや──漫画家。1939年東京生まれ。1956年に「復讐のせむし男」でデビュー。スポーツを題材とした作品が多い。代表作に「あしたのジョー」「おれは鉄兵」「あした天気になあれ」などがある。1977年に「のたり松太郎」で日本漫画家協会特別賞受賞。

注2 たけくまメモ──今回の仕事人、竹熊健太郎氏が運営するブログ(ココログ)。ページのサブタイトルには"編集家・竹熊健太郎の雑感雑記&業務連絡"とある。URLはhttp://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/

その後もメディアつくりへの情熱はますます加熱。中学ではガリ版を使用した同人誌、そして高校ではオフセット印刷を使用した本格的なミニコミ誌を作るようになる。

高校では同人誌制作に夢中
 

 高校2年から『摩天楼』っていう文章メインのミニコミ誌の制作を始めました。内容はなんでもありです。要は俺自身がおもしろいと思ったことを取り上げてたんですね。

 例えば最終号で俺自身が担当した巻頭特集が「宮武外骨」(注3)。当時かなりハマってたんですよ。宮武外骨の甥が外骨の伝記を出したんです。'78年か'79年に。それを読んでこんなスゴい人がいたのか! と思って。この宮武外骨っていう人は明治時代の雑誌編集者でジャーナリストですけど、彼も自分メディアの人ですよね。個人メディアみたいなものを作りながら、大阪で出してたんですけど8万部とか10万部くらい出てたのかな。今の感覚で言うと100万部に相当するメジャー雑誌だったんですよ。すごい反権力の人で、それをギャグやパロディで表現する天才です。ちょうど'80年代にブームになりましたよね。

 あとは後に俺をこの世界に引っ張ってくれた人のインタビューとかね。彼が高校をドロップアウトしてヒッピーをしていた頃のいろいろな話を聞いて書いたりとか。

 つまり特定のジャンルに収まる内容ではなくて、自分がおもしろいと思ったことを、自分のメディアで表現して伝えていくってことですよね。だからまずおもしろいと思うものを載せることが大前提。とはいえ、人に読んでもらっておもしろいと言われたいわけですから、当然読者のことは考えます。

 編集は基本的に俺一人なんですが、あと2人くらい仲間を入れて、一応同人誌の体裁で始めたんですよ。ただ、ほとんど俺の独裁政権でした(笑)。最後の方は俺ひとりでほとんどやってましたね。同人誌といったって個人誌ですよね。

 どうしてかっていうと、他人の書いた原稿をボツにしてたから。最初のころは学校の友達に原稿を頼んでいたんですが、原稿がつまらなかったことも多々あるわけですよ。普通、同人誌ではボツとかにはしないんですよね。友達同士で楽しく作るものだから。でも俺はやっぱりつまらない原稿は載せたくないって思っちゃうからボツにしちゃう。それで1人減り、2人減り……結果、俺がほとんどひとりでやることになっちゃった。

 文字も一字一字、手で書いてね。そのころはワープロなんてありませんから。写植(注4)を頼むと高いから、あのころの同人誌って基本的にみんな手書きなんですよ。中には人間写植機(注5)なんて言われた人もいてね。あれは今見ても惚れ惚れしますよ。人間が書いた字に見えない。パッと見、活字なんです。全く揺らぎがないわけよ。よく見たら手書きの字でさ。あれでフォント作ったら売れるんじゃないかと思うくらい。それくらいの人でしたね。そういう意味じゃ昔の同人誌はおもしろかったですね。そういうことを含めてミニコミ誌を作ること自体が。

 印刷にも凝りました。『摩天楼』で初めて町の印刷屋さんに発注したんです。オフセット印刷(注6)っていう商業雑誌などで使われている方式で印刷してね。それまでは手書きでカーボン複写とか、ガリ版(注7)でしたから。

 

 一生懸命作ったミニコミ誌がちゃんと印刷されて本の形になるのが何とも言えない快感でしたね。それを友達とかに売るわけですよ。『摩天楼』は200部くらい刷ってましたけど、全部さばくのに2年とかかかったもんね。普通の本屋さんは置いてくれなかったから。

 でも赤字でしたけどね。売るとか、売って儲けるといった発想は全然なかったですから。そもそも原価割れの定価をつけてたんだもの。「同人誌で200円はやっぱり高いだろう」って150円にしたりね。本当は200円取らないと損しちゃうんだけど。

 今、同人誌やってる人はコミケ(注8)で儲けてる人もいるじゃないですか(笑)。あれは隔世の感がありますね。同人誌で儲かるなんて、まず思ってもいなかったし。『摩天楼』もコミケには何度か出したことありますけど、文章同人誌だから全然儲からなかったですね。

 結局2年間で10冊作りました。高校卒業後に俺は浪人するんですが、浪人中にも作ってましたから。中でも最後に作った号は自分でも納得のいく、割とクオリティが高いものでしたね。

 

注釈はこちら(別ウィンドウを開きます)

1960年から1970年代には、現在でも語り継がれるような伝説的なマンガ、アニメ、雑誌が相次いで誕生した。そんなサブカルチャーの最初の黄金期に少年〜青年期を過ごした竹熊氏はその世界にどっぷりとはまっていく。

デートに金を使うくらいだったらマンガを買いたい
 

 俺らはオタク世代って呼ばれるようになった最初の世代なんですよね。俺が生まれる前の年に『少年サンデー』と『少年マガジン』が創刊。特にマガジンでは伝説の編集者・大伴昌司(注9)が活躍してて、斬新なグラビアページを発表してました。その世界にどっぷりはまったわけです。

 テレビアニメの洗礼を受けた第一世代でもあって、3歳の頃に『鉄腕アトム』(注10)の放送が始まって、『ルパン三世』(注11)が小学校5年生。中学1年生のときには『宇宙戦艦ヤマト』(注12)『デビルマン』(注13)が放映されました。

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竹熊氏のパロディセンスは高校時代から大爆発! 大学受験用に買った『奇跡の英単語』のパロディ、『奇跡のマサイ語』。『奇跡の英単語』のカバーの裏に描いた。「白いカバーをじっと見ていると、自分の内部の別の虫がムズムズとしだし、せっかくだから、白いカバーになんか描いてかっこよくしよう、と考えて徹夜で描いた」(竹熊氏)。裏表紙には架空の推薦コメントを掲載するなど驚くべき完成度を誇る。顔写真は高校時代の竹熊氏。(写真は『たけくまメモ』より転載。クリックで拡大)

 雑誌もおもしろくて、中1か中2の頃、'75年に『ビックリハウス』(注14)が創刊されたんですね。ある種のサブカルチャー、アングラカルチャーも含めて'80年代の準備がそこでなされていて。ビックリハウスが出てきたことでパロディというものが市民権を得るわけですね。俺はその影響をモロに受けた。パロディっておもしろいな! って。

 高校に入ると『ポパイ』(注15)が創刊されて、『少年チャンピオン』(注16)『少年ジャンプ』(注17)が部数を伸ばした。『月刊out』(注18)がヤマト特集をやったり、マニアックなマンガ雑誌『マンガ少年』(注19)も創刊。高橋留美子(注20)がデビューしたのもこのころでした。だから中学・高校の頃は、マンガやアニメや雑誌にどっぷりハマりましたね。

 同級生の中にはスポーツや音楽の方に行く人もいました。音楽へ行く人はとりあえずバンドやったりね。ほとんど女の子にモテるためでしたけどね。そうやってイケてる系とオタク系になんとなく分かれていくんだよね。まぁ異性がその向こうにいるかいないかの違いでしょうね。

 音楽に行かなかった理由は、お金がなかったからですね。当時LPレコードが1枚2500円だったんですよ。昔から高くて、最後まで変わらなかった。高校のときの小遣いが2500円くらいだから、それ買ったら他に何も買えないじゃないですか。だから音楽はその時点で断念したんですよ。

 俺が異性がいない方へ行っちゃったというのは……まぁ色気づく頃にちょっと臆病だったからでしょうかね。異性に対してはちょっと奥手でした。

 あとは、変な話だけど、「デートに使う金があったらマンガを買う!」って感じでしたから。服買う金があるなら、メシ食う金があるならマンガ買う(笑)。今とは価値観が違いましたよね。だから高校時代は体重48kgでしたもんね。ガリガリですよ。なんで痩せてたかっていうと、昼飯代を親からもらって、昼を抜いてその金でマンガを買ってたから。中学3年の頃は55kgあったのが、高校時代に48kgまで落ちた。それほどマンガにハマってましたね。

 よく読んでいたマンガは白土三平の『カムイ伝』や『神話伝説シリーズ』、萩尾望都の『ポーの一族』『トーマの心臓』、大島弓子、山岸凉子などの24年組(注21)少女マンガ家。あとは諸星大二郎の『暗黒神話』など。その他マンガであれば何でも読みましたね。ニューウェーブ系マンガの花盛りで、そういったものが中心でした。

 部活は美術部に入ってました。ほとんどが女子部員でしたが、そこでも色っぽい話にはならなかったですね。いや、1、2回なりかけたことはあるんですが、俺の方がやっぱり……硬派と言ったら聞こえはいいけど、要するに奥手でね。逃げちゃいましたね。変わりに少女マンガのおもしろさを女子に教えてもらって開眼しました(笑)。

 だから、そういう色恋系はある意味俺にとっては鬼門でしたね。そりゃ女の子と付き合いたいという気持ちはあったんですが、恋愛に金をかけたくないんですよね。その時点でダメですよね(笑)。

 

注釈はこちら(別ウィンドウを開きます)

高校時代のほぼすべてをミニコミ誌制作に費やし、勉強は全くしなかったため、学業の成績は最低レベル。高校3年になっても具体的な進路は見えてこない。そこで「しょうがなく」大学受験に挑戦するが、現実はそれほど甘くなかった。

美大を受けるも全滅
一歩間違えばニートや引きこもりに
 

 そもそも大学に行きたいという気持ちがなかったんですね。ただ高校3年生くらいになると、さすがに不安なわけですよ。他の選択肢も見えないから。そうすると、どこか伝統工芸の師匠のところへ弟子入りするとか……それも嫌だったし。高校出ていきなり就職もしたくないから(笑)。マンガが好きだったので、マンガ家になりたいっていうのはあったんですよ。ただ、それも不安だったし。

 それで高校3年の2学期になって「やっぱり大学に行こうかな」って日和ったわけですよ。他にやることないし、親もうるさいしね。今でいうモラトリアムですよ。で、極めてイイ加減な理由から美大を受けようと。美大だったら学校の成績関係ないから入れると思って(笑)。ミニコミばっかり作ってたから成績は最悪だったんですよ。数学とか英語とかはひどかったですね。中間と期末合わせて30点いかないとか。本当にひどかった。学校の勉強というか、受験のための勉強は一切しなかったですね。自分の好きな勉強しかしなかった。でも唯一国語だけは勉強しなくてもできたんですよ。本は読んでたから。しかしあんなひどい成績でよく卒業できたと思います。まぁ、お情けで卒業させてくれたんでしょうけどね。

 

 で、絵だったらなんとかなるかなと思ったんですが、絵の方が競争率高かったりするのね(笑)。だって東京芸大なんて40倍とか普通だもんね。現役では芸大、多摩美、武蔵美、造形……って全部落ちた。当然ですよね。それまで美大受験のための勉強って何もやっていなくて、マンガを描いていたくらいだから。

 それで芸大向けの予備校へ行った。すると6浪なんてヤツまでいるからね。みんなのんびりしてるわけ。1浪2浪ぐらいは当たり前の世界だから。美大の予備校って独特の雰囲気がありますよ。予備校の付き合いが一生の付き合いになったりするんですよ。それでどこの美大にも予備校ごとの派閥があるんです。もうずーっと仲が良いわけ。俺は新宿美術学院ってところへ行っていたんだけど「新美閥」っていって、今でも付き合いのあるヤツがいるからね。

 で、結局一浪してまた一通り受けたけどすべてダメで。桑沢デザイン研究所(注22)っていう専門学校だけが受かったんです。

 桑沢も別にデザイナーになりたくて受けたわけじゃなくて、とにかくどこかへ潜り込もうということでね。ただ、ミニコミをやっていたせいで、なんとなく雑誌の編集とかライターをやりたいな、と思ってはいたんです。状況的にもその頃は'80年代初頭でビジュアル雑誌が増えてたんですよ。今のマガジンハウス、当時は平凡出版でしたが、『ポパイ』や『ブルータス』、『anan』がすごく売れてた。ビジュアル雑誌の時代と言われていたんですよ。

 ジャナ専(ジャーナリスト専門学校)(注23)とかは行く気はなかったですね。おもしろそうじゃなかった。そういうところへ行ってもダメだろうと思ってたんで。やっぱりメディア作りのスキルやノウハウは「学校に行って勉強して」、じゃなくて、「現場で実際に作りながら」が一番おぼえるわけですよ。

 あの頃は1年間浪人してどこも受からなかったとしても、なんとかなるだろうと思ってました。でも本当にどこも受からなかったら今で言う引きこもりとかニートみたいになってたと思いますけどね。

 どこかの出版社や編集プロダクション(注24)に編集者として入社しようとも思わなかったですね。小さい頃から自分がサラリーマンになるイメージがなかった。それは俺の父親がサラリーマンだったからなんです。

注22 桑沢デザイン研究所──東京都渋谷区にあるデザイン専門学校。ジャーナリスト桑澤洋子により1954年に設立。造形芸術の総合学校バウハウスの思想を継承した日本で最初のデザイン教育機関。東京造形大学と同系列。出身者にイラストレーターでありデザイナーの安斎肇、作家の京極夏彦などがいる。

注23 ジャナ専──日本ジャーナリスト専門学校の略。東京都豊島区にある作家、ライター、編集者、カメラマンなどを養成する学校。1973年、みき書房の事業部で「ルポライター養成講座」を開設。その翌年に同事業部は日本ジャーナリスト専門学校として開校。当時は編集者養成科と文芸創作科の2科のみだった(現在は10科)。校長は元「サンデー毎日」編集長の鳥井守幸。

注24  編集プロダクション──雑誌編集など制作部門に特化した企業、または集団。通称「編プロ」。依頼主(主に出版社)の意向と企画性を考慮して編集プランを立て、それに沿って制作する。最近では出版社から編集プロへの媒体一括発注(いわゆる一冊丸投げ)というアウトソーシング化も珍しくない。予算を低く設定でき、経費節減ができるためだ。「編集の仕事がしたいのであれば、倍率も難易度も高い出版社への就職を目指すより、編プロに入って現場の仕事を肌で覚えた方が近道」という編集者もいるが、確かに編プロでは現場に近いところで働けるので経験値が上げやすい。ただし激務&薄給であることが多く、それに耐えなければならない。東京の大手出版社が10数社であるのに対し編集プロは約600社存在する。

 

会社組織の一員になるのはイヤだ──。竹熊さんは専門学校へ進んでもその思いは変わることなく、半ばなし崩し的にフリーへの道を進んで行きます。しかし待っていたのは明るい希望ではなく暗い不安でした。

次号ではメディアの世界に入ったころの不安の日々、そこからいかに脱却してヒット作を生み出したかに迫ります。乞う、ご期待!

 
2006.8.7 1 いつの間にかアマからプロへ
2006.8.14 2 10年に1度の仕事で運命が変わった
2006.8.21  3 40代で訪れた人生最大の危機
2006.8.28  3 「生活」と「自己実現」の両方が人生最大の目標

プロフィール

たけくま・けんたろう

1960年、千葉県生まれ。45歳
1981年、21歳からフリーランスとして編集・文筆活動を開始。主活動ジャンルは、マンガとアニメーションを中心としたサブカルチャー領域。新聞、雑誌、書籍、マンガ、Web等で編集、執筆、マンガ原作など幅広く表現活動を展開。主な作品に『さるでも書けるマンガ教室』(8月に21世紀愛蔵版が出版予定)、『庵野秀明パラノ・エヴァンゲリオン』(大田出版)などがある。

自身が運営するブログ「たけくまメモ」は開設からわずか2年足らずで800万アクセスを突破するなど絶大な人気を誇る。

編集・文筆業のほかに、多摩美術大学で「漫画文化論」非常勤講師、桑沢デザイン研究所でゼミ講師として教鞭を取っている。

詳しいプロフィールはこちら

 
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魂の言葉 魂の言葉 自分がおもしろいと思ったことを 自分のメディアで表現して伝えたい 仕事はひとつ上の視点から考るべし
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取材・構成/山下久猛
写真/bushi-HONDA
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