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魂の仕事人 魂の仕事人 第11回 其の二 photo
「100本のナイフ」で深めた自信 師匠・父親の呪縛を破り ナイフ一本で生きていくと決意
  世界的巨匠・ボブ・ラブレスのナイフに出会って以来、その芸術的な美しさに心酔。独学でナイフ作りを始めた相田氏。しかしどうしてもラブレスのようなナイフにならない。悩むだけ悩んでどうしようもなくなって、ラブレスに手紙を出した。ナイフ作りを教えてほしいと。するとOKの返事が。ナイフ一本もって海を渡った。英語もしゃべれないのに。  
カスタムナイフメーカー 相田 義人
 
行けばなんとかなる
 

 ボブ(ラブレス)さんに会いにアメリカへ渡ったのは31歳の頃。もちろん英語なんてしゃべれませんよ。でもナイフの話でしょ。これが政治や文化の話だととてもしゃべれないけど「このテーパータングの取り方がわからないんだ」みたいなことは何とかしゃべれたんだよね。でも今でも英語は得意じゃないんだよ。行く前に勉強しなかったかって? そんなバカなことをするくらいならナイフ作っていたいよね(笑)。行きゃなんとかなるもんなんだよね。

 それ以降、ボブさんの工房には今でも通ってるけど、最初の8年間は毎年3〜4回通ってました。1回につき大体2週間くらいだね。だから僕はボブさんのところで住み込みでずっと何年も修行したってわけではないんだ。行ったり来たりを何度も繰り返してた。

 あとはボブさんが日本に来たときに教わったりもしたね。ボブさんの二人目の奥さんが日本人で、その奥さんの実家がうちの工房とすごく近いんですよ。ボブさんが日本に来るとその実家に泊まってるから、うちの工房へしょっちゅう来る。だからココで教わったりもしたんです。そんな関係だったんですよ。

巨匠なのにフランク
 

 ボブさんはとてもフランクであったかい人だね。全く見ず知らずの日本の若者が「ナイフ作りを教えてくれ」という手紙を送ってきただけで受け入れてくれるくらいだから。人格者といえるでしょうね。あとね、とても繊細な人。怒るとめちゃめちゃ恐いけどね。でも修業中に怒られた経験はないですね。教えてもらってる最中に「そうじゃねぇよ」って「コーン」って小突かれたことはあるけど(笑)。何でも気軽に教えてくれるし。とてもやさしい人ですね。

 よく職人の世界では「技術は見て盗め」っていうけど、あれはウソだよね。そうじゃなかったら「連綿」という言葉なんかないですよ。確かにある部分では言葉で言い表せないこともある。そういう場合は、「オレのやっていることを勘どころとしてつかめ」という言い方はあるかもしれないけど、「盗め」なんて絶対あり得ない。そういうことを言うヤツは単に教えられないだけなんですよ。だからそんなところで働いたってダメ。ちゃんと教えてくれるところで働かないと。早く一人前になりたいんだったら回り道しちゃダメですよ。

 あと、ボブさんはオーガナイズする力がものすごくある人だね。だって彼がナイフメーカーをギルドっていう組織(注1)にまとめあげなかったらカスタムナイフっていうカテゴリーは絶対になかったわけだから。カスタムナイフ文化を確立して世界中に広めたのは、ボブさんだからね。スゴい人ですよ。ナイフ職人がナイフ作りで食べられているのは彼のおかげだといっても過言ではないと思う。ナイフ職人と言っているけど、彼はデザイナーでありながら、プロデュースの力も十二分に持ち合わせていたわけ。

注1 ナイフメーカーをギルドっていう組織──1970年、ラブレス氏はアメリカ・カスタムナイフ・ギルド(AKG)の創設に参画。アメリカのナイフ職人をまとめあげ、ナイフ文化の確立に尽力。さらに日本にはナイフメーカーギルドがないと知ると、1980年、日本・カスタムナイフ・ギルド(JKG)を設立。初代会長に就任し、ナイフ及びナイフの使用方法に関する正しい知識の普及やナイフメーキング、ハンドメイド・ナイフに関する知識、技術の相互公開などに尽力。JKGについての詳細はこちら

技術よりもまずはデザイン
 

 ボブさんに自分が作ったナイフを見せて最初に言われたのが「デザインの勉強をしないとダメだね」ってこと。でも大きく考えればデザインっていうのはなにもナイフに限ったことじゃないんだよね。生き方にしたってデザインだと思うし。そういうことも含めて「デザイン」を学んだかな。

 デザインって感性とかセンスによるところが大きいんじゃないかって? いや、そんなことないんじゃない? 努力でいけると思うよ。そのためには早い段階で何にでも興味を持って吸収しようとしないとダメですよね。そのためにはやはり良いものをたくさん見るってことが大切。悪いものいくら見たって意味ないから。

 技術に関してはあまり教えてもらわなかったね。技術的にはだいたいできてた。それよりも彼の仕事を手伝わされたよ。「とにかく仕事しろ」って。実践の中で教えてもらったのがやっぱり一番良かったね。削り方なんかは丁寧に教えてもらいました。その中で「こうやるんだ、ああやるんだ」って身につけていったんだね。

ナイフ作りはシステムだ
 

 あとボブさんがよく言っていたのは「とにかくナイフ作りっていうのはシステムだから」ってこと。とくにカスタムナイフはね。

 鍛治屋という仕事があるでしょ。世界各国、もちろん、日本にもある。 その鍛冶の仕事は勘と経験に頼る分、バラツキの出る可能性がある。でもカスタムナイフはその差を小さくできる。ある程度の出来上がりのレベルの幅の中に必ず収めることができると。それをシステム化すればいい品物ができるし、一生かけてやっていけばかなりのいい品物をお客さんに渡すことができると。

 「順序立てて考えろ」「ちゃんとシステムにしろ」「並べ方をキチッとしなさい」というのは、ナイフに限ったことじゃなくて何をするのでも重要だよね。整理整頓ってことじゃなくて、ひとつのものを完成させるために色々と手順があるでしょ。デザインから始まって。そもそもその前に「何を作ろうか」から始まるわけだけど、その並べ方の順番を間違えるといいものは作れない。だからやる前にちゃんと考えなさいと。

 ボブさんは「俺はこういうシステムでやっているから、おまえも自分のシステムを確立しないとだめだよ」ってよく言ってたね。新しい技術を見つけたり開発したりすると折りにふれて「今オレ、こういうふうにやってるんだ」って話してくれたり。

 あとはナイフ作りにおけるメンタルな面というか、気取った言い方をすると「哲学」だよね。ナイフを作る過程において、そういうボブさんの美意識の片鱗をうかがうじゃないですか。少しでも近づこうとして。その一部でも吸収できたら、他のナイフを見ても「ココをこうすればいい」とか見えてくることがある。結果、自分の作るナイフにも幅が出てきたよね。

巨匠ラブレスの元に通いながら、その薫陶を受けナイフ職人としての腕を磨いていった相田さん。しかしもちろん何の壁もなしに今に至っているわけではない。修行中には失意のどん底に陥ったこともあった。

追いかけても追いかけても……
 

 ボブさんの下で修行する過程において、運良く決定的な挫折っていうのはなかったんだけど、とてもつらい時期ももちろんあった。自分の作りたいものはあくまで「ボブさんの」コンテンポラリーなアメリカンカスタムナイフだったから、ボブさんのナイフを懸命に、ただ闇雲に踏襲・真似しようとしていたわけです。でもいくら高精度に真似をしてみても、ボブさんの作品の横に並べておくと違いは歴然なわけ。「どうして同じテイストにならないんだろう?」ってものすごく悩んだよ。ある意味、失意のどん底だよね。そういう時期が長く続いた。

 でもあるきっかけでふっきれた。ボブさんの下で修行するようになって数年経った頃には、僕もアメリカン・ナイフショーに作品を出品するようになった。その頃は日本からナイフショーに出品する人なんてあまりいなかった時代でね。そのナイフショーで、ある高名なコレクターが僕の作ったナイフを取って「これは君のオリジナルかい?」って聞いてきた。僕は「N0,Sir それはボブさんのコピーです」と答えた。コレクターは笑って「このナイフはもう十分に"アイダ・ナイフ"だよ」って言った。そのときは嫌だったんですよ。自分ではボブさん・ナイフを作っているつもりだから。「"アイダ・ナイフ"はねぇだろ。それは全然褒めてねぇよ」って(笑)。

 ムっとしてると、その後に「君はちゃんとボブさんの道統を継いで君の形を作り出しているんだ」って言われた。そのときに目からうろこが落ちた気がしたんだ。「あ、そうか。継承できるのはボブさんの道統の一部分だけなんだ」と、そのとき初めて理解したんだな。つまり、ボブさんと同じものを作ろうとしたって、それは最初から無理だということに気づいた。だって、ボブさんだって常に進化してて、「今」に「自分自身」に納得していないわけだし。それを追いかけていく自分がボブさんになれるわけがない。今考えれば当然の話ですよね。ましてや一子相伝なんていう考え方がこの世界には全くないから。だからそのとき、「あぁ、いいんだコレで」って思えた。

 やっぱり自分のやっていることってのは、自分ではよくわからないんだよね。自分ではラブレス・ナイフを作っていると思っていても、他人から見るとどこかに僕のアイディンティティとかオリジナリティが出てきちゃうらしいんだな。表現の仕方とかにね。つまりキッチリとラブレス・ナイフは作れないということ。あれはラブレスが作ってこそのラブレス・ナイフなんだから。

 そういうことに気づいてから楽になったし、本当に僕自身のナイフが作れるようになったと言えるかもしれないね。俺は俺のナイフを作ればいいんだって。ようやく思えた。

師匠の言葉が自信に
 

 「一人前になった」と思えた瞬間? 実は「一人前になった」とは今でもあまり思ってないんですよね。けど、「なったかな?」と思ったのは40歳くらいのとき、ボブさんに「このナイフのデザインはいいぞ」(注2)って褒められたときに、「あぁ何とかひとつクリアできたかな」って思ったね。

 またナイフショーも、自分のナイフを売るためじゃなくて、自分のナイフが通用するかしないかを確かめるためにエントリーしてたんですが、8年間で 24,5回ショーに出てみて自分のナイフが通用するってことはわかった。それで、それまで程頻繁にはボブさんの工房へお邪魔はしなくなりました。

注2 このナイフのデザインはいいぞ──「このナイフ」とは「3インチ・セミスキナー」。そもそもは、あるアウトドア雑誌の企画でC・W・ニコル氏のために作った1本。実際に使ったニコル氏が絶賛したことで火がついた。師匠・ラブレスもその完璧なデザインを絶賛。相田氏の代表的な作品のひとつであり、「ナイフの中のナイフ」と高い評価を受けている。

ラブレス氏の下での8年間で自信をつけた相田さんは日本で本格的にナイフ一本でやっていく決意を固める。しかし息子に工場を継がせたいと思っている父はやすやすとはOKしない。しかし相田さんはその父をナイフによって「結果」を出して認めさせた。相田さん37歳のとき。自らナイフを製作・販売し始めてから10年が経ったころだった。

100本のオーダーをさばけたとき
一本立ちする自信がついた
 

 ソニーの「ファミリークラブ」っていう通信販売があるんだけどね、そこから「相田さんのナイフを出してみないか?」って誘われたんです。そりゃうれしかったですよ。ソニーというブランドからお声がかかるなんてね。で、どうせならより幅広い層の人が買えるように、3種類のナイフを作って通販に掛けましょうってソニーの担当者にプレゼンしたんだ。それが通って3種類出したら100本程のオーダーが来たんだな。もちろん予想以上だったからうれしかったね。

 で、お客100人待たせるわけにいかないじゃない? だから親父にこう言った。「実は100本オーダーが来ちゃった。これは真面目にやらないとお客に迷惑かける。だからちゃんと作りたいんだ」と。そしたら親父も「しょうがねぇな」って。「おまえに家業を継がせるのをあきらめたわけじゃないけど、しょうがないからとにかくソレを作れ」ってなった。渋々ね(笑)。

 で、結果は「100本」のナイフを納期どおりに納品できたんです。ボブさんに「ナイフ作りはシステムである」を教え込まれて以来、常に心がけ、スムースかつ大量に高品質なナイフを製作できる工房を設計・設備していたからこそできたんだね。

 このことで、やはり進むべき道は間違っていなかったと実感した。この一件が、ナイフ職人としてやっていけるという自信をつかんだキッカケですね。同時に物作りをする身に大切な事は「責任とプライド」だとも教わった。

責任とプライド
 

 「責任」とは、「ビジネスとしてちゃんとやる」ということだよね。いつまでに、どんなナイフを、何本、いくらで収めるという、契約事項をきちんと守る。当たり前のことを当たり前にやる。

 その上で限界まで品質にこだわる。これが「プライド」。一定の基準以上のものを高いレベルの幅の中で、プライドにかけて作るんだという気持ちだね。

 でもウチの親父はもっとすごかった。親父が社是に掲げてたのは「Our motto is quality」だったの。これはね、相当すごいことですよ。こう言った瞬間に抜き差しならないところまでいっちゃう。自分を追い込んで退路を断つなんて生易しいものじゃない。なんせ「我々のモットーは品質」だからね。絶対に逃げられない。もし他から「なんだこのナイフは」って文句つけられたときには腹を掻っ捌くくらいの覚悟がないと言えない。師匠のボブさんもこの社是を読んだときにニヤッとしてたね。お前の親父はすごい社是を作るなって。

 僕もね、本当は自分のナイフに入れたいんだよ。「My motto is quality」って。でもできない。だから「責任とプライド」という程度に押さえとこうと。こういうことをうかつには言えない。そこまでの度胸はないよ。いつか使ってやろうと思ってたけどね。それは高邁すぎるんだよな。もう一生使えないだろうなぁ。だから僕の墓標には「"My motto is quality"と言いたかったけど言えなかった男」とでも書いてくれってね(笑)。

 そういうことを経験する中で、これからナイフメーカーとしてやっていくためには、品質に対する責任と、お客に対して「僕のナイフを使ってください」「僕のナイフを手に入れられたあなたは非常にラッキーですよ」と胸を張って言えるようなプライドが必要だなって思ったわけ。

他人と同じことをしてたんじゃダメ
 

 そんなこんなで、ソニーファミリークラブの100本を機に僕はこっち(ナイフ)側に逃げちゃいました。やったもの勝ちのなし崩しで(笑)。そのころはとにかく親父の呪縛から逃れたくてしょうがなかったから、これ以上の口実はないわけだよね。工場を継がせたがってた親父としては忸怩たる思いですよね。結果を出してちゃんと商売になってるから、引き止める理由がないわけですから。

 その後もナイフ事業はうまく行きました。僕はなんだか知らないけど、人間運がいいと言うかね。今でも付き合ってますけど、僕と同じような考え方をもってる仲間がひとりいてね。そいつが出版プロダクションを経営してて、アウトドア関係の本やカスタムナイフの本を作ってるのね。僕もそういう本によく登場したりしてたから、そういった点では他のナイフメーカーや職人よりは恵まれていたと思うね。

 でもね、やっぱり思い返すとボブさんのところに手紙を書いちゃったってところで勝負は決まってた。だって、それから後っていうのは「僕以後」っていう話になっちゃうから。どういうことかというと、ボブさんに他人を頼らず自分自身で直接手紙を書いて弟子入りした日本人はほとんどいなかった。つまり道のないところに道を作っちゃったわけだ。他にも僕と同じ気持ちだった人もいただろうけど、方法が思いつかなかったり、ふんぎりがつかなかったりしてできなかった。やりゃあちゃんと道が開けたかもしれなかったのに、やらなかった。この差が大きいってこと。

 後の人はマネをすればいいだけだから楽だよね。どうやればいいのかもわかるしね。だって僕がもうやっちゃってるんだから。でもリスクがない分、得るものも少ない。やっぱり「最初にやる」ってことが重要なんだよね。

 上を目指すんなら、やはり他人と同じことをしてちゃダメってことですよ。他人が右向けって言ったら左向いてるくらいで丁度いいんじゃないの?

ナイフ職人としてひとり立ちして以降、アイダ・ナイフのブランドは年を経るごとに高まり、現在では日本はおろか世界からもオーダーが来るようになりました。

次回は世界屈指のナイフ職人になった相田さんに、相田流ナイフ作りの極意、誰のために、何のためにナイフを作るのかについてアツく語っていただきます。乞うご期待!

 
2006.5.8 リリース 1 クーパーでナイフ作りに目覚め ラブレスで人生が変わった
2006.5.15 リリース 2 職人に大事なのは 責任とプライド
2006.5.22 リリース 3 仕事は客のためにじゃない 自分のためにする
NEW! 2006.5.29 リリース  4 ナイフが作れなくなったら 死ぬしかない

プロフィール

あいだ・よしひと

1948年8月8日・東京都板橋区生まれ・57歳。
世界でもトップクラスのカスタムナイフメーカー。「近代ナイフの父」巨匠・ラブレスのナイフ工法とシステムに熟達。世界で唯一ラブレスと同じ「リバーサイド・ウエスト」の刻印を許された正統かつ唯一の後継者。国内外に多くのファンをもち、ナイフを注文してから手元に届くまで3〜6カ月を要する。昨年ナイフメーカー30周年を記念したモデルを発表した。

★詳しいプロフィールはコチラ

■ 相田さんの工房
マトリックスアイダ/武蔵野金属工業所
〒175-0094東京都板橋区成増2−26−7
TEL:03(3939)0052
FAX:03(3939)0058
Webサイト:リバーサイド・ランド
e-mail  knifemaking@matrix-aida.com
営業日:年末年始以外はほぼ無休(ナイフ関連行事のため臨時休業あり) 営業時間:午前10時より午後6時

 
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インタビューその三へ
 
 

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