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魂の仕事人 魂の仕事人 第5回 其の一 photo
フリーター7年、転職3回を経て たどり着いた「やりたい仕事」 でも気持ちは常にゆらゆら揺れていた
オウム真理教(現アーレフ)のドキュメンタリー映画『A』、差別問題を扱った『放送禁止歌』、動物実験をテーマにした『1999年のよだかの星』など、数々の「問題作」を発表してきたドキュメンタリスト・森達也。メディアに紹介される際には、「気鋭」、「鬼才」、「反骨」の冠が踊ることの多い森さんだが、これまでの道のりは意外にも「迷いと妥協と挫折のドキュメンタリー人生」だった。
ドキュメンタリー作家 森達也
 
フリーターからのスタート 社会に出ることが怖かった
 

 僕は元々フリーターなんですよね。まあ、今でも似たようなものだけどね(笑)。大学を卒業しても就職せずに、アルバイトを転々としていました。

 アルバイトしながら何をやってたかというと、芝居です。学生時代、映画研究会で映画を撮りながら、新劇に入って芝居もやってたんです。でもやってるうちに学校の芝居がだんだん物足りなくなって、ちょっと本気で芝居をやってみようかなと思うよになって。それで結局、大学卒業の時、就職は選ばずに役者養成所、芝居の方を選んだんですね。

 
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 でもね、今考えるとそれも言い訳のような気がしています。モラトリアムのね。就職を全く考えなかったわけじゃないけど、社会に出るのが怖かったんだと思います。社会参加する勇気がなかった。それをなんとか引き延ばそうとしていたんだろうなっていう気がしますね。やっぱりモラトリアムって、とりあえずは居心地いいですから。

 つまり、社会に出ない理由づけとして、「芝居やってるから」って自分に言い聞かせていたというか。……だから、自分がそれほど芝居に夢中だったかというと疑問ですね。そうやって当時は、先の事を考えないようにしていたような気がします。

 

 就職しなくてもアルバイトやってれば一応は食えますからね。アルバイトはいろいろやりましたよ。皿洗いから、日雇いから、あらゆること、ペンキ塗りとかね。でもやはり生活はギリギリでした。確かね、年収が60万ちょい。まあアパートの家賃が1万2000円とかの時代でしたからね。それでもよく家賃滞納で大家に追い出されましたよ。だから借金もしまくってました。将来のことを考えると不安だから酒ばかり飲んでたなぁ。

 当時付き合っていた彼女から、「あなたには温度そのものがない」と言われたことがあります。人としてダメってことですよね。あの一言はこたえたなあ。でも今振り返れば、言われても仕方がない。恥ばかりの青春時代です。

俳優志望のフリーターとして、その日暮らしの毎日を送っていた森さんだったが、ある事件がきっかけで俳優の道をあきらめる。それは突然やってきた。
「運」のなさと彼女の妊娠で俳優の道を断念
 

 俳優の道をあきらめたのは、自分には運がないって思っちゃったからかな。当時芝居仲間で林海象(※1)ってのがいて、まだ映画監督としてデビューする前ですよ、で、その彼が金をかき集めて自主映画を作るから主役をやってくれといわれて。もちろん引き受けたんですが、クランクイン直前に僕が入院しちゃったんです。骨膜炎だったかな。飼ってた猫に引っ掻かれて、その傷から菌が入ったらしく、足がパンパンに腫れちゃって。病院に行ったら、これは1〜2カ月は入院しなきゃいけないっていわれたんです。で、海象が真っ青になって病院に来てね。もうギリギリの予算でスタジオとかスケジュール組んでやってますからね。もう変更できないから、僕の代わりの人を探すってことになって。結局、佐野史郎、当時状況劇場を辞めたばっかりでもちろんまだ無名ですけどね、その佐野さんでいくよってことになって。僕としては、しょうがないよなって思うしかないですよね。

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※1 林海象:1986年『夢みるように眠りたい』で監督デビュー。代表作は、永瀬正敏主演の『我が人生最悪の時』(1994年)、『遥かな時代の階段を』(1995年)、『罠』(1996年)の「私立探偵 濱マイクシリーズ」

 

 でもその映画が大ヒットしたわけですよ。そこで僕には運もないなと痛感したんですね。もちろん佐野さんが主役をやったからヒットしたのは分かってるんですけど。元々僕には演技の才能はないと思ってましたが、その上、運までないかと。これは決定的でしたね。どっちもないんなら、これはどうしようもないなって。

 さらに、ちょうどその時つきあってる女性が妊娠したんです。入院してたときに知り合った看護師さんなんですけど。そこで、いい機会だから結婚して、定職に就こうかなと思ったんです。

 そのとき、挫折感はあったかって? うーん……「夢をあきらめた」みたいな挫折感は意外となかったかな。当時は芝居を続けることに不安も感じてましたから。どうなっちゃうんだろうこの先っていう。やっぱりゴールデン街とかにたまに飲みにいったりすると、カウンターの中に昔芝居やってたんだよって人がいたりしてさ。そういう人を見たり、話を聞いたりすると、芝居の世界ではほんと一握りしか成功できないんだって実感していましたから。今はまだ四畳半一間でいいけど、50、60になって四畳半一間で銭湯通いはキツいなーって。それに耐えられるだけの情熱があるかっていうと、それはなかったんですね。だからこの先どうなるんだろうっていう将来への不安を常に感じてました。

 まあ、結婚、就職、出産、3つのイベントがどっと同じ時期にきたから、挫折感どころじゃなかったですね。彼女もすぐには働けないし、家族を養っていかなければならないわけだから。だからちょうどよかったんじゃないですかね。

7年間のフリーター生活に終止符を打ち、29歳にして就職活動を始めた森さん。まず最初に広告代理店にコピーライターとして就職。その後も不動産会社、商社と職を転々とする。一時期は離島での生活を夢見たりもした。
29歳で初就職。しかしその後職を転々
 
 とりあえず早く就職しなくちゃと、新聞広告で広告代理店のコピーライターの求人を見つけて応募しました。志望動機は文章を書くのが好きだったから、それならできるかなと。特技といえるものはそのくらいしかなかったしね。そしたらあっさり採用になっちゃって。

 会社はある重機メーカーの下請けで、ユンボとかパワーショベルとかのパンフレットを作っていました。仕事は楽しくはなかったですね。そもそも重機に興味ないし。仕事は興味関係なしにやるもんだって思ってましたけど、やっぱり興味がない仕事は楽しくないし、やる気もいまひとつ起きないよね。それよりも、もっといろんなことをやってみたいとか、ずっとひとつのことをやり続けることに対して不安があったのかな。コピーを書くという行為自体は決して嫌いではないんだけど、せっかくこの世に生まれてきたんだから、とにかくいろいろやってみたいと。

 で、1年くらいで辞めてもんもんとしているところに青ヶ島っていうね、八丈島の近くの小っちゃい島があるんだけど、そこの村役場の職員募集を見つけて応募したんです。基本的に都会よりも田舎の方が好きだし、島で自然に囲まれて家族と一緒にのんびり暮らすっての悪くないなって。本気だったかって? 本気、本気。もちろん本気ですよ。でも結局は不採用。で、どうしようかなと思ってたときに、不動産会社の宣伝部の求人を見つけたんです。

 当時はバブル期で給料とか条件がよかったんですよね。あと受注側から発注側へ行きたいというのもあって応募しました。入社後は学生向けの本やフリーペーパーを作ってました。仕事自体はおもしろかったんだけど、これも飽きちゃったのかな。2年くらいで辞めちゃいました。あと地上げとかゴルフ場の開発とか、要するにバブルですから、文字通り何売ってんだかよくわかんない(笑)、そういう虚業を生業とする会社そのものに嫌気が差したってのもあるかな。で、2年くらいで耐えられなくなって辞表を出して、今度はある大手商社の子会社の広告会社に転職しました。

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 ここもコピーライターだったんですが、かなり待遇はよかったんですよ。でもやっぱり1年くらいしたら「このままでいいのかなぁ」ってじわじわ思い始めたんですよね。「サラリーマンでいいのかなぁ」って。同時に「もう一回映像をやってみたい」っていう思いで胸がざわざわしてきてね。映像をちゃんとやれなかったという未練があったんでしょう。休日に映画を観に行くと、「あーやっぱ映画つくりたいなぁ」って思ってましたからね。

 あともうひとつ、やっぱりまだ自分の仕事をコレだと決めたくないっていう気持ちが強かったんですよね。もう30超えてるのに、いい歳して、もっと他に自分に向いたモノがあるんじゃないかって。子供じみたところがあったんでしょうね。だからそういう意味ではモラトリアム継続中だったんですね、意識の中では。それは今でもあるかもしれない。

やっぱり映像がやりたい──。ブランドも収入も平均以上の「安定」よりも夢を追いたいという気持ちに抗えなくなった森さんはついに3社目の会社も退職を決意。そんなとき、偶然見つけたテレビ制作会社の求人広告が、森さんの運命を大きく変えることになる。
いよいよ念願の映像の世界へ。しかし……
 

 やっぱり映像、映画がやりたいという気持ちはますます強くなってきてたんだけど、現実問題、それは難しいと。二人目の子供も生まれたばかりだし。で、またもんもんとしていたある日、新聞の求人欄でテレビの制作会社の求人を見つけました。そのとき、「あ、テレビだったら食っていけるかな」って思って応募したんです。本当は映画をやりたかったけど、もうそのころから斜陽産業だったから、なかなか食えない。それに徒弟制が強いから、途中からは合流しづらいんですね。でもテレビはそれほどじゃないような気がしたんです。

 

 そしたら仕事としての映像制作未経験で、しかも30過ぎてるのになぜか受かっちゃって(笑)。

 でも僕はドラマを作りたくて応募したのに、そこはドキュメンタリー番組を専門に作っている制作会社だったんですよ。しかも老舗の(笑)。応募するときによく調べなかったのかって? 番組制作会社がジャンル別に分かれているなんて知りませんからね、当時は。制作会社に入れればドラマでもなんでも作れると思ってたんですよ。やっぱり会社研究は大事ですね。入ってから仕事の説明を受けて、「え? ドラマ作れないの?」って目がテン状態でした(笑)。

 ドキュメンタリーには全く興味がなかったんですが、もう一回転職活動するのもめんどくさかったし、辞めるのはいつでも辞められるんだから、とりあえずドキュメンタリーってやつをやってみようかと。そしたらこれがけっこうおもしろかったんです。

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転職先での仕事は、やりたかったこととは大幅に違うジャンルでしたが、もの珍しさも手伝ってドキュメンタリー番組を作るという仕事に魅力を感じ始めた森さん。しかしそれも長くは続きませんでした……。

次回は、テレビ制作会社での日々と森さんの代表作、オウム真理教のドキュメンタリー映画『A』について、じっくり語っていただきます。

 
2005.11.7リリース フリーターからの出発
2005.11.14リリース 『A』後は田舎に帰るつもりだった
NEW!2005.11.21リリース ドキュメンタリーは毒である
2005.11.28リリース 僕は「仕事」はしていない

プロフィール
 
森達也(もり・たつや)

1956年生まれ。広島県出身。立教大学卒業後演劇の世界へ。その後広告代理店、不動産会社、商社を経て、1989年テレビ番組制作会社へ転職。ドキュメンタリー番組制作に携わる。以降、フリーランス、契約ディレクターとして、『ミゼットプロレス伝説〜小さな巨人たち〜(1992年放送)』、『職業欄はエスパー』(1998年2月24日放送)、『1999年のよだかの星』(1999年10月2日放送)、『放送禁止歌〜歌っているのは誰?規制しているのは誰?〜』(1999年11月6日放送)などを制作。大きな反響を呼ぶ。

1998年にはオウム真理教のドキュメンタリー映画『A』を公開、ベルリン・プサン・香港・バンクーバーなど各国映画祭に出品し、海外でも高い評価を受ける。

最近は主に著述家として活動。『ご臨終メディア—質問しないマスコミと一人で考えない日本人』(集英社新書)、『ドキュメンタリーは嘘をつく』(草思社)、『下山ケース』(新潮社)など、著作多数。

講演会やトークイベントにも精力的に出演しているほか、、大学講師としても活躍中。

映像、書籍ともに、現代社会が抱える問題に真摯に迫り続ける、日本を代表するドキュメンタリスト。詳しくは「森達也公式ウェブサイト」を参照。

 
 
おすすめ!
 

『ドキュメンタリーは嘘をつく 』(草思社)
『ドキュメンタリーは
嘘をつく 』

(草思社)

ドキュメンタリーを撮るということ、マスメディアが抱える問題、現代日本の病理など、森達也流ドキュメンタリー論が炸裂する一冊。


『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい 』(昌文社)
『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい 』
(昌文社)

小学校時代のつらい思い出、ドキュメンタリーを志した動機など、森さんの原点が分かるノンフィクション・エッセイ。


『いのちの食べ方』(理論社)
『いのちの食べ方』
(理論社)

「肉が食卓に並ぶまで」と、と場で働く人びとのことの描写を通じて、いかに差別がばかげたことか、生きるとはどういうことかを小・中学生でもわかるように優しく書かれた一冊。すべての子供、大人に読んでほしい。

 
 
お知らせ
 
魂の仕事人 書籍化決!2008.7.14発売 河出書房新社 定価1,470円(本体1,400円)

業界の常識を覆し、自分の信念を曲げることなく逆境から這い上がってきた者たち。「どんな苦難も、自らの力に変えることができる」。彼らの猛烈な仕事ぶりが、そのことを教えてくれる。突破口を見つけたい、全ての仕事人必読。
●河出書房新社

 
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