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魂の仕事人 魂の仕事人 第2回 其の三 photo
自主制作というやり方で やれるところまでやってみたい 観客と向き合い、自分の表現にこだわりたい それが「映画監督」としてのボクの覚悟
 
長年にわたる飲酒と不規則な生活で、徐々に病に蝕まれていった小林監督。一時は絶望のあまり死ぬことばかり考えていたが、映画への情熱が死を思いとどまらせ、酒を断たせた。監督は言う。映画作りに一番必要なのは情熱なのだと。
  映画監督 小林 政広
 
長年の飲酒と不摂生がたたり体調を壊す 毎日死ぬことばかり考えていた
 
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 酒を飲み始めたのはテレビのシナリオを書き始めた32歳のころでした。以後、17年間一日も休まず朝から晩まで飲み続けました。酒を飲むとプレッシャーから開放されるんです。飲まないと書けない、そういう状態になるまでそう時間はかかりませんでした。

 そのうち、一日に何度も脚がつる、ひざから下がしびれて感覚がない、暑さ寒さの感覚もない、のどが異常に渇くなどの症状のほかに、被害妄想まで感じるようになりました。道行く人がボクに悪意を抱いていると思い込んで、腹が立って仕方がなかった……。完全に精神異常者でしたね。でも一杯飲んだとたんにそれらの症状がけろりと治るんです。だから飲み続けていました。

 5作目の『完全なる飼育La Coiffeuse─女理髪師の恋─』を撮った年に受けた健康診断がきっかけで病院に行ったところ、医者に「このままの生活を続けるなら、確実にあと2〜3年後に死ぬ」と言われました。病名はアルコール依存症と糖尿病、それも合併症を引き起こしていてかなりの重症だというんです。
 

 これで死ぬんだなと思いました。ただ、死ぬ前に失明とか脚切断とか人工透析とかを経なければならず、子供もまだ小さかったので、何としてもそれは避けたいと思い、酒を断ちました。同時に1日1800キロカロリーの低カロリー食に切り替えました。

 それからみるみるうちに体重は10キロ減りました。低カロリー食は好奇心だけでなく、生きる気力さえも奪ってしまうんですね。毎日死ぬことばかり考えていました。酒をやめて映画が作れなくなるんだったら、いっそ好きなだけ飲んで食べてしまおうか。そう思った時期もありましたが、そうはしませんでした。そうしたら本当に映画が作れなくなることがわかっていたからです。

 アルコールに頼ったものづくりは、その作品自体が破綻していると思います。『フリック』(6作目・2003年)は、酒をやめた直後に作ったもので、ボクには一番思い入れのある作品です。今までのボクの映画の集大成のようなものですので。

 酒をやめたときは本当に苦しく、やめたら何も思い浮かばなくなるのではないかと思いましたが、約1年間のつらい日々の後は、以前より創作意欲は湧いてきているようです。健康でなければいい仕事はできないし、何かに依存していてもいい仕事はできないと思っています。

地獄の苦しみを乗り越え、アルコール依存症から立ち直った小林監督は『フリック』(2003年)で映画ファンの喝采を浴び、最新作『バッシング』(2005年)は4度目となるカンヌ映画祭に出品。それも最優秀賞のパルムドールを競うコンペティション部門にノミネートされた。そのどれもがかなりの低予算で作られている。なぜお金がないのにカンヌに出品できるレベルの映画が作れるのか。そこには監督ならではの口説き力、巻き込み力があった。
低予算でいい映画を作るには「脚本」が命 魅力のある脚本が人を動かす
 

 役者、スタッフを巻き込むには「脚本」ですよ。とにかく、すごい脚本を書くのです。その辺に転がっている当り前の脚本ではなくて、読んだ人を打ちのめすような脚本。二番せんじ、三番せんじの企画は掃いて捨てるほどありますが、そうでない企画。斬新な企画を作り続けるのです。ビジネスマンにとっては「企画書」ですね。

 その企画を責任をもって誠実に、相手に話すのです。ほとんどは聞く耳も持っていない人たちですが、めげずに次々と会っていく。そして説得する。「とりあえず元は取れる。ひょっとしたら化けるかも知れない」と思ってもらえるまで。

 普通の会社のトップや資産家は、冒険をしてまで金儲けに投資はしないと思います。プラスアルファーが必要です。それが、びっくりするような企画や脚本なのです。

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 そして、企画が通った時は、通常の五分の一あるいは十分の一の予算で作る。もちろん、企画段階でそのぐらいの低予算で成立させられる「読み」がなくてはなりません。それが次の信用につながっていくのです。

 映画作りは、飲食業とすごくよく似ています。客商売であり、スタッフが必要です。他より少ない賃金で、しかも優秀な人材を得るためには、やろうとしている映画=作ろうとしている店に魅力がなくてはなりません。少し安いけどやってみたい。そう思わせるものが必要です。第2作の『海賊版=BOOTLEG FILM』ではテレビ番組制作会社の社員だった人が、仕事を休んで現場で助監督をやってくれました。最新作の『バッシング』でもどうしても自力では資金面でメドが立たず、いろんな方に泣いてもらいました。フィルム会社の営業担当I氏を皮切りに、カメラマンを口説き、編集を口説き、現像所の営業担当者を口説きました。チーフ助監督には「ギャラは実費しか出せないけど、この映画を撮ることで君の評価は確実に上がる! 今後はじゃんじゃん仕事が舞い込むぞ!」とかなんとか言って加わってもらいました(笑)。

映画とはすべてを注ぎ込む自分の分身 自主映画を作り続けて死んでいきたい
 
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 ボクにとって映画祭は、カンヌとロカルノ(※1)しかありません。カンヌにはボクの映画(『海賊版=BOOTLEG FILM』)を拾ってくれたディレクターがいますし、ロカルノにもいます(『女理髪師の恋』)。海のものとも山のものとも分からない一本の映画を世界で初めて取り上げて上映するのは、その映画の監督と同じぐらいの覚悟が必要です。賞賛、批判をすべて引き受けなければならないからです。だから、ボクにとっては共謀者であり、共犯者です。批評家も同じですが、最初に評価を下すというのは、とても勇気のいることなのです。
(※1 毎年8月にスイスで開催される国際映画祭。1946年に始まった、国際色豊かな映画祭で、「小さなメジャー作品と大きなマイナー作品の映画祭」と称されている)

 
 映画はどんなものであっても、自分の分身のようなものです。毎回、これで最後と思いながら、自分のすべてを注ぎ込みます。ですから、映画を一本作ると蝉の抜け殻状態になります。毎回もうこんな思いは二度としたくないと思うんですが、時間がたてばまたむくむくとストーリーが浮かんでくるんですよね。そしてそれを自分の手で映像化したくなる。その繰り返しです。

 ボクにとっては映画を撮ることが仕事なわけですが、お金のためにやっているわけじゃない。もちろんお金がなければ食べていけないわけで、食べていけなくちゃ仕事だとはいえません。でも、食べていこうと思えば、何をやっても食べていけるわけですから、これを自分の仕事と決めてやり続けるためには、そうじゃない要素、例えばその仕事に対する熱い思いとか理想なども必要だと思うんです。その熱い思いを表現するのに一番適しているやり方が「自主制作」です。そもそも自主制作というと貧乏くさいイメージがありますが、トリュフォーにルノワール、ヴェンダース、ジャームッシュなど世界的な映画監督も自主制作で映画を撮ってます。あの『スターウォーズ』だってジョージ・ルーカスの自主制作映画ですから(※2)。いまだに自分のお金だけで好きなように作ってますから。だから自主制作が成功しないということじゃないんですよね。(※2 第1作を除く)

 映画の撮り方も年とともに変わってきました。最新作の『バッシング』(7作目・2005年)は、外に開かれた映画です。息を殺して観てなくてはならないものではなくて、気楽に観られるような作品世界にしたことが、これまでのボクの作品と決定的に違う点です。観客をある程度意識した映画といえるかもしれません。

 
 とはいえ、「観客のために」作った映画というわけでもありません。誰のために作っているのかというと、それは一本一本違っていて、まず表現したいという自分のため。またあるときはプロデューサーのため、あるときは主役の俳優のため、そのときどきで違います。しかし、観客のために作ったことはありません。観客に媚びた映画作りは、ボクのすることではないと思いますから。いい意味で、観客とは向かい合って映画を作っていきたいですね。

 命を賭けて仕事ができたら最高だと思います。でも、それは映画作りのような仕事ですることではない。本当に仕事に命を賭けているといえるのは、救命士や消防士のような人たちですから。ただ「覚悟」はもっています。自分の書いた脚本で、自分でお金を集めて、自分の好きな役者に出てもらって、好きな音楽を使って映画を作る。そういった自分の世界を押し通していくスタイルで食べていくのは至難の業だというのはわかっています。実際、今でも苦しいですから。それでも、やれるとこまでやってみよう、というのがボクにとっての「覚悟」です。今後も「自主映画」を作り続けて、死んで行ければいいなぁと思っています。

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お知らせ

最新作『愛の予感』

日本人監督として37年ぶりのスイス・ロカルノ国際映画祭「金豹賞」(グランプリ) の受賞を含め、4冠に輝いた小林政広監督・脚本・主演の『愛の予感』が、11月24日からポレポレ東中野ほか全国順次公開されます。審査委員長のイレーヌ.ジャコブ氏が「美学的に力強く、コンペティションに参加した19本の映画の中で最も個性的である」と称した作品をお見逃しなく!
■公式Webサイト:『愛の予感』


2005.8.1 1.安定を取るか 夢を取るか
2005.8.8 2.死ぬ前にやりたいことを
NEW!2005.8.15 3.映画監督としての覚悟

プロフィール
 

小林 政広
(こばやし・まさひろ)
1954年東京都生まれ。'70年代初め、林ヒロシの名でフォークシンガーとして活動。'82年、『名前のない黄色い猿たち』で城戸賞受賞後、脚本家として数多のテレビドラマを手がける。42歳のときの初監督作品『CLOSING TIME』で、'97年ゆうばり国際ファンタスティック映画祭グランプリを受賞。『海賊版=BOOTLEG FILM』」('98)から3年連続カンヌ国際映画祭出品など、海外での評価が高い。今年も『バッシング』をカンヌ映画祭のコンペティション部門に出品。その他、CMの演出など、幅広く活動中。現在は新作制作に向けて爆走中。★フィルモグラフィーや詳しいプロフィールはこちら→モンキータウンプロダクション

ボクの映画渡世帳
これまでの監督の歩みや作品を作る過程、映画作りに対する熱い思いなどを赤裸々につづるブログ。読んでいるとまるで一遍のロードムービーを観ているかのような錯覚に陥る。とにかくおもしろい!「これから始まるボクの徒然草は、ボク自身を励ます意味も勿論あるが、見知らぬ誰かが、深夜に窓辺に立って、いっそのこと飛び降りようかと不埒な考えに陥ったときの、ボクにとっての、『タルコフスキー日記』であって欲しいという願いからでもある」(第1回より)

 
 
おすすめ!
 
「神楽坂映画通り」(小林政広/KSS出版)
1.『神楽坂映画通り』
小林政広監督の半自伝的小説(KSS出版)。ここに、日本映画史上初の3年連続カンヌ国際映画祭正式出品という快挙を成し遂げた監督の創作の原点がある……というと少々大げさだが、ちょっと突き放したようなたユーモラスなタッチは、監督の映画作品にも通じるもの。でも、「あの監督の自伝」という以上に「青春小説」として読みたい。

「フリック」
2.『フリック』DVD

2004年に公開された6作目。内容を一言でいえば「アル中の妄想ロードムービー」。インタビュー中、「今までのボクの映画の集大成のようなもの」と語った渾身の作品。「現場で撮影しながらシナリオを変えていった」らしく、二転三転していくストーリーは観る者に幻覚作用を引き起こすかも

「CLOSING TIME」
3.『CLOSING TIME』
パンフレット

小林監督のデビュー作のパンフレット。ファンの間ではいまだに根強い人気をもつ作品

「歩く、人」
4.『歩く、人』パンフレット
小林監督の半自伝的映画のパンフレット。緒形拳インタビューや完成台本など読み応え十分
 
 
お知らせ
 
魂の仕事人 書籍化決!2008.7.14発売 河出書房新社 定価1,470円(本体1,400円)

業界の常識を覆し、自分の信念を曲げることなく逆境から這い上がってきた者たち。「どんな苦難も、自らの力に変えることができる」。彼らの猛烈な仕事ぶりが、そのことを教えてくれる。突破口を見つけたい、全ての仕事人必読。
●河出書房新社

 
photo 魂の言葉 命を賭けて仕事ができれば最高 「覚悟」をもって仕事に取り組んでいきたい 命を賭けて仕事ができれば最高 「覚悟」をもって仕事に取り組んでいきたい
第3回 サンズエンタテインメント 代表取締役・野田義治氏インタビューへ
 
 

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