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ハンセン病問題はすごいプレッシャー、でもひと仕事やれたと初めて思えた 仕事が私を自立させ、成長させてくれた 今後もおもしろい仕事をやり続けたい
 
33歳でついに念願の厚生省担当になってからというもの、寝食を忘れて仕事に打ち込む。そしてハンセン病取材がひとつの区切りを見せたとき、人生の方向性を決める大きな決断をくだす。藪本さんにとって仕事とは、そして幸せな人生とは……?
  元アナウンサー・記者 藪本雅子
報道記者に職種チェンジして2年後、33歳にしてついに厚生省(当時)の担当になった藪本さん。さらにこれまでの成果が評価され文部省、環境庁、国税庁などをまとめる内政班のキャップというおまけつきだった。「これで念願のハンセン病の取材に取り組める」と闘志満々だったが、取材はスタートから難航した。
 
ついに念願の厚生省担当記者に 闘志は満々。しかしスタートから大きな壁が
 
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 厚生省担当を命じられたときは気合十分だったんですけど、いざ仕事を始めてみたらかえって不自由さを感じました。厚生省では日々会見に次ぐ会見が行われていました。また、他にも取材しなければならないテーマが山のようにあって、なかなかハンセン病取材に着手できなかったんです。

 そんな中、ようやく取材をスタートできたのが2000年7月。その後も取材していく過程で、あまりに事実が重く、すべて取材しきれるんだろうかと弱気になったこともありました。プライベートの時間を使って取材をしていたのですが、途中でどうして自分がこんなにむきになっているのかわからなくなったこともありました。でも念願のテーマに手をつけてしまった以上、逃げるわけにはいきません。気合で取材を継続しました。

 

 しかし取材はしたものの、局内のハンセン病に対する優先度は低く、なかなか企画が通らない。オンエアのあてもないまま取材を続行していました。あのころは結構胃が痛い思いをしました。

 98年7月に熊本地裁に提訴されたハンセン病患者による国家賠償請求の判決が、2001年5月11日に出ることになった。その直前の8日についにオンエアできました。わずか10分のワクでまとめるのに苦労しましたが、15%の高視聴率が取れました。数字が取れたことよりも、それだけ多くの人が関心をもってくれたことがうれしかったです。

 取材の過程で、信頼できるテレビ朝日の記者にハンセン病のことを熱く話すと興味をもってくれて。その後、その記者も取材を始めて『ニューステーション』でハンセン病問題を取り上げてくれるようになったこともありがたかったですね。取り上げてくれる媒体が多いほど、目に触れる機会も増え、関心をもってくれる人も増えますから。

 そして11日の判決では原告勝訴。その日にもう一本番組を制作してオンエアしました。その後も(政府の)控訴断念に向けて、世の中が盛り上がってくれたように思えました(※)。そして5月23日の控訴断念。「私がやってきたことは正しかった」と思えて、感激しました。あんなテーマに出会うことは二度とないでしょうね。

(※編集部注 ハンセン病国家賠償訴訟のこと。国による長年のハンセン病患者強制隔離政策に対し、元患者たちが損害賠償と謝罪を求めて訴訟を起こした。熊本地裁の判決は原告全面勝訴。それに対し、国は控訴を断念した)

 この取材を通して、ひとりの人間として自立、成長させてもらいました。アナウンサーから報道記者になって何とかやってこれたのも、ハンセン病というテーマがあったおかげですから。国側の控訴断念の判決が出たときは、初めて「ひとつ、仕事をやりとげた」と思えました。

ハンセン病患者を隔離したかつての病棟や元患者を直接取材した素材を元にして制作した番組は、世間へハンセン病への関心を促し、局内外で高い評価を得た。厚生省担当になって2年。国の控訴断念で一区切りがついてほっとしていた矢先、政治部への異動を言い渡される。一晩悩んだ末に異動を受け入れ、仕事にはベストを尽くしたが、やはり次の目標がなかなか見つからない。そんな折、取材で知り合った男性と結婚。これまでのキャリアを捨て、すぱっと会社を辞める決断をした。
 
結婚願望と会社の意向とのズレ 二つが重なって辞職を決意
 
 自分の人生で優先順位を考えたときに、一位が結婚だったんです。家事や子育てなど主婦業をちゃんとやって、温かい家庭を作りたかった。

 私ももう34歳になっていましたから、結婚・出産を考えると急がないとと思って。相手を探したのですが、なかなか見つからなくて、一時はこの先もひとりで仕事に賭けるしかないのかとあきらめかけていました。しかし仕事でもハンセン病の次の大きな目標が見つからなかった。

 そうはいっても仕事は仕事なので、一生懸命に取り組むしかない。また、ちょうど9.11の同時多発テロ事件が起きて、四の五のいってられなくなったんですね。

 そんな折、防衛庁の取材を通してステキな男性と知り合いました。「家庭を愛せない男に、国を守れるはずがない」の一言に、この人となら思い描く家庭が作れるかもと思い、結婚、退職を決意しました。

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 何も辞めなくてもいいじゃないかという声もありました。でも私は器用なタイプではないので、仕事と家庭の両立は無理だと思っていたんです。

 また、会社の意向とのズレも大きな理由でした。日本テレビはオールマイティな人材を育てたいんです。いろいろな分野を担当して、ゆくゆくはデスクをやったり、ニュース番組のプロデューサーになったり。大方の予想に反して、私が記者として仕事ができちゃったものだから、会社も勘違いして、私をその王道に乗せようとしたのかな……。でも、自分ではデスクやプロデューサーになれるはずがないって思っていたし、なりたいとも思わなかった。あちこちの部署を経験したり、管理職になるんじゃなくて、いち記者として、ひとつのテーマをずっと追いかけていたい。それが叶わないなら、日本テレビにいる意味はないな、と。

 もし、私が社会部とかドキュメンタリーを作れる立場だったら、辞めなかったかもしれません。もちろん異動を希望したんですけど、空きがなかったんです。

34歳で結婚を機に退職、現在は2児の母親として家事、育児に明け暮れる毎日を送っている。かつては報道記者という仕事に全身全霊をかけて打ち込んだ藪本さんだが、主婦業もそれに匹敵するくらい魅力のある仕事だという。「私の職業はママ」──。胸をはって藪本さんは言った。
 
おもしろくなければ仕事ではない あくまで自分のために働きたい
 
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 今の生活がすごーく幸せなんです。この状態を維持していきたい。ですから、当分は主婦業に専念ですね。それに、1年かけて『女子アナ失格』を書き上げたことで、今はからっぽ状態。もう少し休ませてと(笑)。

 でも、そのうちまた取材したくてうずうずしてくるんだと思います。血が騒ぐんですよね、すぐ(笑)。あのひりひりした現場感覚とか、ひとつの仕事をなしとげたときの達成感や充実感。あの感覚がほしくなったら、またテーマを見つけて仕事をし始めるんだと思います。

 私にとって仕事は「おもしろいからするもの」なんです。もちろん、おもしろくない仕事も山ほどやりましたけど、おもしろいと感じられる仕事は必ずありましたからね。そういう意味ではラッキーだったと思います。

 

 これまで「自分のため」に仕事をしてきましたし、これからもそれは変わらないでしょう。人のためというほどかっこいい正義感はない。自分のした仕事が誰かのためになったり、世の中がよくなるきっかけになったりすると、うれしいですけどね。

 私は日本テレビに入社してアナウンサーになって退職するまで、行く先々でカベにぶつかり、迷いながら歩いてきました。でも私だけじゃなく、アナウンス部にいる女性はみんな悩んでいるんですよ。女子アナになれてうれしいのはほんの一瞬じゃないですかね。有名になれた、あこがれの職業に就いたっていう一瞬。もしかしたら内定をもらって働き始めるまでが一番幸せな時間なのかもしれません。始まったら大変なことの連続ですから。「こんなハズじゃなかった」っていう人はいっぱいいますよ。それに、男性アナと違って一生続けるのは難しい職業ですから。

 アナウンサーに限らず、女性はどこかで転機が来るんですよ。そんなときは、自分の人生で何を一番大事にしたいのかを考えればおのずと答えは出てくると思います。

2人のかわいいお子さんと一緒に
 
 
2005.7.4 1.女子アナ失格の日々
2005.7.11 2.もう逃げたくなかった
NEW! 2005.7.18 3.仕事が私を自立させた

 

薮本 雅子
(やぶもと・まさこ)
1967年京都生まれ。1991年日本テレビ入社。『スーパージョッキー』『夜も一生けんめい』などバラエティー番組に数多く出演。永井美奈子さん・米森麻美さん(故人)とともにアナドルの先駆けとなる「DORA」結成、人気を博す。その後次第に報道系にシフト。アナウンサー→企画ディレクター→報道記者とキャリアチェンジ。ハンセン病取材では大きな成果を残す。2001年結婚を機に日本テレビを退社。現在の職業「2児のママ」
ブログも執筆中「yabumoto.net

 
 
おすすめ!
 

「女子アナ失格」(藪本雅子/新潮社)
『女子アナ失格』
(藪本雅子/新潮社)

元日本テレビアナウンサー・藪本雅子さんが、日テレ時代に経験した天国と地獄を「ここまで書いちゃって大丈夫なのだろうか?」とつい心配してしまうほどに赤裸々につづった一冊。今回のインタビューではほんのさわり程度しか書けなかったが、テレビ局内でのキャリアチャンジを重ねてきた藪本さんの「告白取材記」だけに、全身全霊をかけて取り組めるテーマ・目標の見つけ方、会社内でやりたい仕事をやる方法、苦しい状況下でも成果を出す方法など、一般のビジネスマンにも使えるヒントが満載。また、藪本さん自身悩み、苦しみながらキャリアを築いてきたので、「このままでいいのかな……」「このカベ乗り越えたい」といった悩みにもガツンと効く。特にキャリア・生き方に悩む女性は必読! ハンセン病問題の教科書としても秀逸。

 
 
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photo 魂の言葉 今、何を最優先すべきかを考えることが幸せな人生につながる 今、何を最優先すべきかを考えることが幸せな人生につながる
 
「第2回・映画監督 小林政広さん」インタビューへ
 
 

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