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本当に記者が務まるのかすごく不安だった イヤなこともあったけど、やるしかなかった もう逃げたくなかったから  目標から、そして自分自身から
 
アナウンサーよりも企画・取材というおもしろい仕事を見つけた藪本さんは、人生をもう一度やり直す覚悟で報道記者への転向を決意。しかし、30歳からのキャリアチェンジは、大きな困難を伴った。
  元アナウンサー・記者 藪本雅子
アナウンサーに向いていない自分に直面しながらも、「逃げたら終わりだ」と必死に踏みとどまった藪本さんが見つけた一筋の光。それは企画・取材をすることだった。アナウンス部に籍を置きながら、精力的にネタを探して企画を立て、それが通ると取材して特集を作る。藪本さんの心をとらえたのは、重度の知的障害者の更正施設「こころみ学園」や、筋ジストロフィーの着床前診断に内包される差別問題など、社会的に弱い立場に置かれている人びと。彼らに自分自身を投影していたのかもしれない。
 
必死に探した末に見つかった目標 あとは一直線に進むのみ
 
 アナウンサーとしての私はバラエティもダメ、ニュースもダメ、いろんな人からダメだと言われ続け、自分自身でもそう思っていました。一時は人格崩壊一歩手前まで追い詰められていたので、弱者と呼ばれる人たちに相当強いシンパシーを感じていたんですね。だからのめりこんで取材しました。

 自分の興味のあるテーマを追い続けていく過程で、私の仕事人生を大きく変えるテーマに出会いました。「ハンセン病」です。着床前診断を取材する過程で、優生保護法について調べていたとき、たまたま条文の中で「癩(らい)病(=ハンセン病)」という文字を見つけたんです。その瞬間、子供のときに祖母から聞かされたらい病患者にまつわる話や何度も本で読んで涙した内容が、フラッシュバックのようによみがえってきたんです。

 10年ぶりに思い出したのですが、その間に「らい病」は、「ハンセン病」という名前に変わっていました。らい病は昔あった病気で今はもうなくなったのだろうと思っていたんです。でもそれは大きな間違いでした。

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 調べてみるとらい予防法が96年に廃止されていた。しかし、それまでに国がハンセン病患者に対して行ってきた行為はまさに国家犯罪とも呼べるものでした。さらに、そのときでも全国の療養所には4,700人が生活し、差別のため死んで遺骨になっても故郷に帰れない状況が続いていました。亡くなった患者も含めると何万人もの人が味わった差別と虐待の歴史がまだ終わっていなかったんです。

 世間にも私と同じように過去の話だと誤解している人が多いに違いない。だから私がやらなきゃ! って思ったんです。そう思ったのはやはり、これまで取材してきた人びとと同じように、ハンセン病患者に対して強い共感を抱いたからだと思います。長年虐げられ、「失格」の 烙印を押された彼らに、ダメな私を重ね合わせていたんでしょうね。

 それまでの私は、企画取材はやれていたけど、職業はあくまでもアナウンサー。いうなればどっちつかずで中途半端な状態。本当は報道記者一本でいきたいけど、そんな自信は全然ないし……。先が全然見えず、閉塞感を覚えていました。

 そんなときに出会ったハンセン病問題。「ハンセン病は私の使命」とまで思い込み、報道局長にアナウンス部から報道局への異動を直訴しました。目標ができたらとたんに強くなれるんです。一度目標をつかめば、思い込みで突っ走れますからね。別に私がとことんハンセン病取材をやらなくてもいいのかもしれない。でも自分で一度決めたら最後までやる、というふうに思い込んだんです。

 無意識のうちに、自分を賭けられる目標を必死で探していたのかもしれません。目標が何もない状態というのは、不安定になってしまうので一番イヤなんですよね。とにかく何かを見つけなきゃまともに生きていけない性分なので。女子アナ時代は目標がなかったから、お酒や精神安定剤に頼らざるを得なかったのかもしれません。

30歳にして報道局へ異動、記者として新しいキャリアの一歩を踏み出した藪本さん。その歳からの職種チェンジはかなりの勇気を必要とした。それでも記者にこだわった裏には、挫折の経験があった。
 
直訴して念願の報道局へ 不眠不休、でも充実の毎日
 
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 記者への転身には勇気がいりました。私みたいな一般常識や教養がすっぽり抜け落ちている人間が記者になれるのか、もしなれたとしても、ちゃんと仕事をやっていけるのだろうかという強い不安を感じていました。でも、報道記者になりたいという気持ちが勝ったんです。

 その大きな理由は、学生時代の挫折です。芸能界で成功したいという目標を果たせず、実家に逃げ帰っちゃったことがずっとコンプレックスとして残ってて。だから、この先は自分で決めた目標から逃げずに、達成したいと強く思っていたんです。そしてようやくハンセン病取材をやりとげるという大きな目標を見つけられました。それを達成するためには、どうしても報道記者にならなければならなかったんです。

 報道局長への直訴が通って、まずは社会部の遊軍に配属。1年間、出先の記者からの原稿を受け取ってオンエア用に整理したり、企画を立てて取材をしたりしていました。

 
 その後は警視庁クラブに配属。生活経済、少年犯罪などを扱う生活安全部担当を命じられ、捜査員宅を早朝や深夜に回り、ネタを収集して記事を書く日々。これも1年間務めました。

 記者になってからは、モーレツに働きました。それこそ土日なんてあったもんじゃなく、月の残業時間は200時間に迫ることもざらでした。とにかく早く仕事を覚えたい。新卒から7年間ずっと記者をやってた人と私とじゃ、原稿を書くスピードも取材力も雲泥の差があった。それを埋めるために必死でやりました。

 何よりアナウンサーでダメ、記者でもダメだったら、もうどうしようもない人間になってしまいます。だから、とにかくここで早く使える人間にならなきゃという切羽詰った気持ちでいました。

 体力的にはきつかったのですが、目標があったし、修行の身なので精神的には苦にはなりませんでした。また日々やり方を覚え、原稿を書くスピードも次第に早くなっていく。そんな成長している手ごたえを感じていましたから。

 それに、記者という仕事は、スクープやヌキ(※)といった分かりやすい形で成果を上げられることもよかったですね。アナウンサーのときの成果、評価って、画面写りだとか、人気度とか。そんなことで評価されても私にとってはつまらなくて、報道の中身、つまり原稿やできたもので評価されるのがうれしかったんです。

(※編集部注 ヌキ=多くのメディアが注目し、追いかけるようなニュースをどこよりも早く報道すること)

 もちろん、いいことばかりではなく、気が重くなるような仕事もありました。例えば、事件の被害者、加害者の顔写真の収集。関係者に写真をくださいと頼みに行ったところ、激しくののしられたりもしました。そんなときは果たして本当に顔写真は必要なのだろうか? と悩みました。でも、いちいち立ち止まっていたら仕事になりません。葛藤している場合じゃなかった。これはやらなきゃいけない仕事だと割り切ってやっていました。嫌だといってやらなかったら単なるわがまま。仕事のできない、単に「使えない人」になってしまいますから。それだけは避けたかった。私には大きな目標がありましたから。

 
ハンセン病取材という大きな目標のため、日々修行に励んでいた藪本さん。2年が経つころには成果も出せるようになり、自信もついてきた。そんな折、藪本さんに厚生省異動の辞令が下った。いよいよハンセン病の取材ができる。しかしことはそう思い通りには行かなかった──。

次号はいよいよ最終回。藪本さんはいかにして目標を達成したのか、そして、「仕事を通じて得たもの」に迫ります。乞うご期待!

 
 
2005.7.4 1.女子アナ失格の日々
2005.7.11 2.もう逃げたくなかった
NEW!2005.7.18 3.仕事が私を自立させた

 

薮本 雅子
(やぶもと・まさこ)
1967年京都生まれ。1991年日本テレビ入社。『スーパージョッキー』『夜も一生けんめい』などバラエティー番組に数多く出演。永井美奈子さん・米森麻美さん(故人)とともにアナドルの先駆けとなる「DORA」結成、人気を博す。その後次第に報道系にシフト。アナウンサー→企画ディレクター→報道記者とキャリアチェンジ。ハンセン病取材では大きな成果を残す。2001年結婚を機に日本テレビを退社。現在の職業「2児のママ」
ブログも執筆中「yabumoto.net

 
 
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元日本テレビアナウンサー・藪本雅子さんが、日テレ時代に経験した天国と地獄を「ここまで書いちゃって大丈夫なのだろうか?」とつい心配してしまうほどに赤裸々につづった一冊。今回のインタビューではほんのさわり程度しか書けなかったが、テレビ局内でのキャリアチャンジを重ねてきた藪本さんの「告白取材記」だけに、全身全霊をかけて取り組めるテーマ・目標の見つけ方、会社内でやりたい仕事をやる方法、苦しい状況下でも成果を出す方法など、一般のビジネスマンにも使えるヒントが満載。また、藪本さん自身悩み、苦しみながらキャリアを築いてきたので、「このままでいいのかな……」「このカベ乗り越えたい」といった悩みにもガツンと効く。特にキャリア・生き方に悩む女性は必読! ハンセン病問題の教科書としても秀逸。

 
 
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