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転職研究室
私の転職体験レポート
営業・海外営業
営業・海外営業|バックナンバー
- 目標を明確にすることで、追いかけ続けるバイタリティーが生まれる!
- かねてから店舗開発に興味があった私は、意を決して営業から店舗開発への異業種転職に挑戦することにしました。ひとまず求人を探すところからスタート!ところが、なかなかしっくりくる求人が見当たりません……。その中でも、希望条件に近い求人を探しだして応募したのですが、せっかく書類審査に受かったのに、乗り気になれず悩む日々が続いていました。
- 自分も家族も諦めかけた60歳転職……。初めてのスカウトメールが奇跡を起こした!
- 定年13カ月前にシニア転身制度を使い退職しました。半年ほどの休養期間を経て、再び社会復帰を目指し転職活動を始めました。しかし、さすがに60歳とい うハンディキャップは大きく、手ごたえを感じられるものは皆無に等しい状態。無情にも応募総数が増えていくばかりでした。自分自身、もはや諦め半分。家族 でさえ、高望みをやめて妥協するべきだと言うありさまでした。先行きは全く見えず、苦悩の日々が続いていました。
- 59歳・突然の転職活動は不採用の嵐-追い詰められたら、開き直るしかない!
- まさに青天の霹靂でした。59歳にして退職勧告を受けたのです。この年齢では求人を見つけることすら容易ではありません。目の前が真っ暗になりました。前 職と同じ海外営業職をなんとか探し、応募するも届くのは不採用の連絡ばかり。もう諦めて他の職種も探した方がいいのだろうか……。葛藤する日々を過ごして いました。
- 不安と重圧の4カ月……それでもスカウト待ちの姿勢をくずさなかった理由
- 前に勤めていた企業は、業績も悪化しており先行きに不安を感じていました。担当プロジェクトに目処がついたころ、人員削減の方針が決まり、今が決断の時!と転職に踏み切りました。
- 突然の解雇、焦って始めた転職活動-書類審査は不採用の嵐……その結末は?
- 突然の解雇宣告により、急遽転職先を探すことになりました。まずは間口を広げるためにも、できる限り多くの人材紹介会社へ登録。しかし、登録するだけでも一苦労でしたね。10数社に申し込みをしたので、登録作業が大変でした。
- 家族一緒に暮らすため、関東へ転職綱渡り状態で臨んだ最後のチャンス
- 小さかった息子と娘も、ある程度大きくなってきました。東北で生まれ育った私ですが、どうしても子供の進学や就職は関東近辺になってしまいます。今後のラ イフプランを考えた時、年老いてから、なかなか子供に会うことができなくなるのは寂しい……。年齢的にも行動するなら今しかない!ということで今回の関 東への転職を決意しました。
- キャリア設計に苦しんだ転職-今は自分のキャリアに自信をもてます
- ある店舗の店長として働いていたのですが、自身のキャリアをここで締めくくっていいものか、疑問を感じていました。ただ、会社にはポジションが不足してい ましたし、プロパーの年功序列も強かったため、キャリアアップは見込めませんでした。そこで、それならいっそ別の企業で挑戦しよう、と思い転職活動を始め ました。
- 掟破りの人材紹介会社19社登録!多くのキャリアコンサルタントと出会い、そこから厳選しました
- 25年間勤めてきた会社に大きな変動が起きました。資本提携の見直しに伴って社長は代わり独裁状態。副社長をはじめとする役員はことごとく辞任に追いやられました。私は前副社長から、この状況を打破すべく経営企画の業務を頼まれました。しかし、長年の経験と社内外にも幅広い交流があった私は、新社長から疎 まれ、スパイ容疑をかけられたり新社長の自作自演と思われる内部告発を装った怪メールまで突きつけられる事態。
- 突然の会社倒産、ギリギリのラインでの転職活動……すべて家族を養うため!
- 3月後半ある日の午後、突然会社が倒産することになりました。経営側からはこれから裁判所に自己破産を申請するので、17時までに荷物をまとめて退去するようにと言われました。あまりに衝撃的でびっくりなんてものじゃなかったです。
- 転職に苦しんでいる人に伝えたいこと、自分を信じ、自信を持って取り組んで!
- アパレル関係メーカーの営業を担当していましたが、以前から業界に対する「将来的な不安」にずっと悩まされていました。そこで希望退職制度に応募し、初めて異業界への転職をすることに踏み切りました。
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