- 退職を迫られ、タンカを切って飛び出した私-季節の移り変わりとともに不安は増すばかりだったが…
- 会社のやり方や人間関係に嫌気が差し、モチベーションが下がっていたせいでしょうか。私の評価はどんどん下がり、今まで担当していた仕事からはずされ、上司から「退職しろ」と罵倒されるまでになってしまいました。「こんな会社、辞めてやる!」とタンカを切って飛び出したまではよかったものの、その後の道の りは険しいものでした。
41~45歳|バックナンバー
- 単身赴任か?大幅な年俸ダウンか?究極の選択を迫られた私は……
- 「当社の本部機能を東京に移転します」――この発表を聞いたとき、心の中は驚きと反発以外、何もありませんでした。移転の理由も納得できず、会社側の説明 を聞けば聞くほど、前向きに考えられなくなっていきました。このまま働き続けるとすれば単身赴任するしかない。しかし、家族の状況からいってそれは不可 能。もはや、転職しかないと思ったわけです。
- 突然の『肩たたき』で転職活動開始-仕事がなくなる危機感でイライラは最高潮
- 外資系の化学メーカーに勤めていましたが、ある日突然、肩たたきに合いました。普段から、ほかの会社で自分を生かすことも視野に入れておくべきだった…なんて思っても後の祭り。慌てて転職活動を始めました。
- 1年以上にわたる転職活動に終止符-数々のつらい体験で人を見る目が養われた
- M&Aで会社の経営方針が変わり、このまま続けるわけにはいかなくなったのが、転職のきっかけです。活動を始めたのは2005年の夏。思い起こせ ば、本当にいろんなことがありました。40代だからというだけでバカにされ、まともに相手にしてくれる会社は本当に少なかった。
- 「手に職」があってもラクじゃない!8回目の転職活動に挑んだ看護師
- 手に職をつけると苦労しないと思われがち。でも、私は看護師として長年働いてきましたが、そう思ったことはないですね。私が8回目の転職を余儀なくされたのは、勤めていた病院の経営が思わしくなかったせい。
- 人材紹介会社の登録数、企業の選び方etc…私の転職成功データを公表します!
- 転職して入社した会社で、ボーナスが聞いていた額の10分の1しか支給されませんでした。会社は「業績不振のため」と言っていたけれど、長く勤めている社員によると「ずっと0.5ヶ月分だった」とのこと。あきらめて転職活動を始めました。
- 転職失敗。再び求職生活へ-電車に乗って時間をつぶした苦闘の日々
- 子供の将来を考えて、九州から関東へ引っ越したのを機に転職しました。「新天地でがんばるぞ!」と思ったのも、つかの間。入社初日に勤務条件や待遇が聞いていたものとは大きく違っていることが判明。即退職です。
- 40代だって自分に合う仕事は必ず見つかる!絶対にあきらめなかったからこそつかんだ内定
- 「1年たったら必ず給料を上げるから」という社長の言葉を信じて入社。少ない給料でも我慢してがんばっていたんです。それなのに、約束の1年後、給料は上がるどころか、減らされる始末。頭にきて転職活動スタートです。
- 辞める私に温かく接してくれた職場の仲間たち-感謝の気持ちで新天地に羽ばたきました
- 20年も勤めた会社を去る決意をしたのは、東京への転勤辞令が出たため。家庭の都合で、どうしてもその辞令に応じることはできなかったんです。この会社では十分燃焼しつくしたという自負もあり、新天地を探すことにしました。
- 「あなたなら大丈夫」妻の言葉に支えられ-年収2倍で2年ぶりに金融業界へ復帰
- ずっと金融業界に勤めていましたが、2年ほど前、訳あって次の職場を決めずに会社を辞め、警備会社に勤めながら就職活動を続けてきました。20年以上のキャリアがありましたから、簡単に転職できるとタカをくくっていました。しかし、実際には自分が思っていた以上に転職は厳しく、年齢が高かったこともあり、なかなか自分の条件・希望に合う会社が見つかりませんでした。